お正月は近所の大宮八幡宮へカミさんと息子と初詣。
参道にある材木屋には今年も干支の絵が描かれています。
もちろんチビの頃の話ですが、お正月には息子とよく双六を作って遊びました。
一反木綿やろくろ首に乗って6コマも10コマも進んじゃう「妖怪すごろく」、ワープ航法をしたり、ブラックホールにはまっちゃって1を出さないと永遠に抜け出せない「宇宙すごろく」、恐竜大行進の過去からロボットと暮す未来を行き来する「タイムマシンすごろく」など、いろいろ作りました。
遊びに来る友達も盛り上がって遊んでいました。小学生の低学年頃までですが。
そういえば、人生山あり谷ありの人生ゲームも、早い話がすごろくです。
一生懸命早く「あがり」の億万長者に到達して、まだ上がれない連中を高みの見物する、というのが快感でしたが、リアルな人生で「あがり」とは何だろう?
子供が成人しちゃったら、あとは定年まで働いて、退職金と年金で何とかやりくりして、趣味を楽しみながら、孫と遊ぶのを楽しみにして・・・というのが「あがり」なのでしょうか?
これまではそうだったのかも知れない。
現に僕の父親(サラリーマンではなかったけど)はそうでした。
でも、これからはそうではない。おそらくそうではあり得ない。
10年くらい前までは考えられなかったけど、そんな人生の定番モデルはここ数年でメルトダウンしてしまった。
僕らは100まで生きるかもしれない。だとしたら、もしかしたら僕らはまだ「青年」なのかもしれない。体力は落ちてるけどね。
もう70,80まで働くのは当たり前、みたいな世界が始まっている。
そして生活のためにお金を稼ぐとともに、みんな、自分にとって何が面白いのか、何が大事なものかを再び発見し、確かめながら生きる――そんな未来が始まっている。
なんだか子供が大人になったら、こっちの方は「ふりだしにもどる」になってしまったみたいだ。
そういえば、息子に作ってやったすごろくには、「あがり」の寸前でふりだしにもどされてしまう落とし穴を作っていました。
でも、そうやすやすと上がってしまった面白くないよね。
自分にとっての「あがり」は何なのだろう?
と考えつつ、ワクワク・・・というよりもドキドキしながら、またサイコロを振ることにします。
2017・1・3 Tue
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