●Lucy In The Sky With Diamonds
ある日、3歳の男の子が保育園で絵を描いた。
その子の解説によれば、それは彼の好きな女の子がピカピカのダイヤモンドをいっぱいつけてマーマーレード色の空に浮かんでいる絵だった。
音楽家だったその子の父親はその絵をヒントに一曲、歌を作った。それが「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」。
女の子の名はルーシー。男の子の名はジュリアン。そして父親はジョン・レノン。
これはジョンとジュリアン父子の最も有名で、そして唯一ともいえる幸福なエピソードです。
「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」はとても幻想的な、当時のサイケデリックロック、のちのプログレッシブロックの源流にもなった曲で、「不思議の国のアリス」みたいなファンタジックなシーンを、ジョン・レノンが、のちの「イマジン」にも通じる、あの透明感あるちょっと中性的な声で歌っています。
●Lucy
この曲が収められた名盤「サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド」は1967年のリリースですが、それから40年以上たった2009年、父と同じくミュージシャンになったジュリアンは「ルーシー」という曲をリリースしました。
彼が絵に描いたルーシーさんが病気で亡くなってしまったのです。
彼にとっては幼なじみのルーシーさんに捧げる曲を作って歌ったのと同時に、父・ジョンへの想いを託したのでしょう。
●スター2世の受難
ジョン・レノンは大好きだけど、ある雑誌で彼のインタビュー記事を読んでから、長男のジュリアン・レノンの言葉がとても胸に響くようになってきました。
もうずいぶん前――彼がデビューして間もない頃、ジョンが死んでから10年後くらいでしょうか。
彼はそのインタビューの中で「父はミュージシャンとして偉大ではなかった」と、暗にジョンを批判するようなことを語っていました。
どうしてそんなことを言ったのだろう?
その言葉が頭の奥にへばりついて離れませんでした。
僕は当初、単純に父親への対抗意識からそんなセリフが出るのだろうと思っていましたが、どうもそうではなく、ジュリアンは「ジョン・レノンの息子」という宿命を背負ったことで、ほとんど「呪われた」と言ってもいいくらい、ひどく困難な人生を歩まざるを得なくなった、と思うのです。
●「愛し合おう」の矛盾
「パパはみんな愛し合わなくてはいけないと言っているのに、どうして僕には会ってくれないんだろう?」
ビートルズ解散後、ジョンはオノ・ヨーコとともに世界へ向けて愛と平和のメッセージを発信し続けていましたが、その一方で前の奥さんとその子供であるジュリアンには一切会おうとせず、冷酷な態度を取り続けていました。
その頃、6~7歳だったジュリアンが素直に口にしていたその矛盾は、彼の心の奥深くに根を張り、成長しても消えるどころか、ますます大きく膨らんでいったようです。
その後、ジョンは義務感からか、ニューヨークの自宅に何度かジュリアンを招いていますが、そこでもあまり和やかに接することはありませんでした。
天才・カリスマと呼ばれる人によくある話ですが、ジョン・レノンも「子供の部分」が非常に大きく、感情にまかせて人を容赦なく傷つけることがよくあったようです。
特に自分とそっくりな上に、母親(離縁した前妻)の影――彼女を捨てたことにおそらく罪の意識を持っていた――を宿している息子に対しては、特にいらだちと怖れを覚え、つい当たってしまうことがしばしばあったのでしょう。
●曲作り・歌うことがセラピー
それでもジュリアンの方はいつか父親との関係を回復できるだろうと希望を抱いていましたが、その前に父は銃弾に倒れ、この世を去ってしまいました。
彼は永遠に、父から受け取ったひどい矛盾――心の捻じれを修復するチャンスを永遠に失ってしまったのです。
それから長い時間が経ち、父がこの世を去った年齢も超え、幼なじみの死との遭遇した彼は、ルーシーの歌を作ることで自分自身を取り戻し、父親を許せるようになった、過去の痛みや怒りを解放できるようになったとインタビューで語っています。
「曲を書くことは、僕にとってセラピーだ。人生で初めて、それを感じると同時に信じることができた。そして、父やビートルズを受け入れることもできた」
●癒しとしての仕事
こうした思いを抱くことできたのは、彼が音楽を作る人だからだろうか。
僕は思うのだけど、本来、人間にとって仕事というものは自分を癒すものではないのだろうか。
たとえば、母親にとって子供を育てるのは「仕事」だけど、その仕事によって自分の生が癒されているのではないだろうか。
歌手は歌うことで、ダンサーは踊ることで、俳優は演じることで、絵描きは絵を描くことで、ライターは文章を書くことで、料理人は料理を作ることで、大工は家を建てることで、自分を癒している。
もちろん、歌を聴いたり、絵を見たり、話を聞いてもらったりして癒されることはあります。
セラピストのお世話になることもあるかもしれない。
だけど、この社会で生きる中で損なわれた気力・体力の根本的な回復を図れるのは、自分自身が心から打ちこむ行為からでしかあり得ないのではないかと思うのです。
あなたにとっては何が自分の本当のセラピーになるのでしょうか?
好きな音楽を聴きながら考えてみるといいかも知れない。
2016・10・9 SUN
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