★老害人
ここのところ、割と頻繁に「老害」という言葉が意識の表に上がってくる。
オリンピックやら、豊洲市場やら、不正請求やら、何やらかんやら、
あちこちニュースなどを見ていて、そう思っていたのだけど、
これは何もニュースで採り上げられるような、政財界のお偉いさんに限った話ではないようです。
市井の庶民にも「老害人」が増殖しているらしい。
介護の現場で仕事をしているお友達の話を聞いてそう思っています。
★ボケたふりして要介護レベルUP
要介護レベルの査定があって、査定の時になるとボケてるフリをしたり、身体が不自由なフリをしたりする。
そうすると査定でレベルが上がって、より安く、よりたくさんのサービスが受けられる――そういうことを企むご老人がどうも少なくないようなのです。
こういうのって、やはり進学とか就職の試験をうまくクリアする技術と相通じるところがあるのでしょうか?
やたら試験に強い人っていますからね。
そういう技術。ノウハウは、老境になっても通じるものなのだろうか・・。
と、ある意味、感心します。
というわけで、頭が良いとか、要領が良いとか、そのお友達は言っていましたが、そうじゃねーだろ、
「ズルイ」とか「ひきょう」とか「きたない」とか「クソジジイ、クソババア」とか表現するんじゃ、ボケ~! とシャウトしてしまいました。
さらに言えば、相当つましい生活をしている人なら同情もするけど、そういうのに限って結構なお金持ちで、生活レベルは高く、ヘルパーさんやメイドさんをアゴでこき使う。
「わしがおまえらを雇ってやっちょる、食わせてやっちょるんじゃ」と言わんばかり。
それもまた人間だよ。人間ってズルくて悪くて、しょーもなくて面白いね~、というふうにも考えられますが・・・ なんかマンガやドラマや小説で出てきそうな話だけど、今や日常的にそういう世界が展開しているのです。
★裏切り行為は許せない
老後が不安なことはわかります。
良い生活をしたいのもわかります。
そのためには社会システムにいろいろ不備もあるでしょう。
世界標準はわかりませんが、日本が高齢者医療・福祉の分野で非常に優れたケアをしている、というわけでもないと思います。
そして、介護職の人の中にも、ビジネスライクにやっている人、食うために仕方なくやっている人も大勢いるにちがいありません。
けれでも、日本はもともと子供と年寄りにやさしい国です。
昔ほどではないにせよ、多くの人は心の底で、お年寄りは大事にしなければいけない、リスペクトしなければいけない・・・と思っているはず。
特に介護職に就く人って、そうした思いが強く、そのために役に立ちたいという気持ちが、たとえ口には出さなくても、必ずどこかにあるはずなのです。
でなければ、お金のためだけにあれだけ厳しい仕事が続けられるだろうか。
人間が働くインセンティブって「お金のためだよ」と言い切れるほど、そう単純なものではありません。
そうした敬老の精神、年上の人を敬う心に対する裏切り行為(と、きっと老害人本人は気づいてないと思うけど)って、許せないな、という気持ちになるのです。
実際、介護職の人の中にはそれで心を病んでしまう人も少なくないと聞きます。
こうした不正請求(?)をする輩がいると、本当に必要な人のところにケアの手が回らなくなる。そういう現実的な損失はもちろんですが、それよりもっと大きな影響は、関わる人たちの精神に及ぼす影響なのです。
「70年、80年、90年生きても、結局、人間こんなもんか」
★本当の終活:ひとりひとりの仕事
社会が悪いのでも、時代が悪いのでもなく、「老害人」こそが、あるいはその予備軍こそが、子供や若い人たちの夢や希望をボロボロにして、奪い取っている。
ちょっと宗教がかった物言いになってしまうけど、それは自分自身のも含めて、人間の魂に対する冒涜ではないかと思うのです。
終活ブームとか言われているけど、高齢者には老いること、人生を締めくくることを、本気でちゃんとスケールアップして考えてほしい。
それはこの世からオサラバするためにも必要な仕事です。
あんたの人生は「ハイ、それまでよ」でも、世界は続くし、子供や若い連中は生きていく。
財産やら、社会的業績やら、生きた証になる作品。
そんなものて遺さなくたっても構わない。
あとに残る人たちに
「人生いろいろあるけど、結局、人間っていいもんだな。生きてるって面白いね。
あの人見てそう思ったよ」
と言わせる何かを遺してほしいのです。
それが去っていく人ひとりひとりの仕事です。
老い先短いあんたにも大事な役目、果たすべき責任があるんだよ、と言いたいのです。
2016・9・27 TUE
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