●芸能専門学校での座談会
「現実に負けない夢をつくるには」
以前、専門学校の入学案内パンフレットをつくる際に、そんなキャッチコピーを考案したことがあります。キャッチコピーはそのままそのパンフレットのテーマにつながっていました。夢と現実――それは古今東西、老いも若きも格闘し続ける人類永遠の課題でもあります。
その専門学校は芸能プロダクションが経営しているスクールで、演技、ダンス、音楽(歌・演奏・ヴォイストレーニング)など、いくつものカリキュラムがあります。最近は中高年になって楽器を習い出したり、ヴォイストレーニングに励む人も多いが、メインはあくまで10代~20代の若者です。
その時、僕はコピーライティングの取材という名目で生徒を10人ほど集め、座談会を開きました。取材と言っても彼らの話したことを書き取って直接載せるわけではなく、話の中から今回作る案内パンフレットのコンセプトを導き出そうとしたのです。
集まったのは高校生~大学生の年齢の生徒たち。
実際、まだ現役高校生との掛け持ちもいれば、高校を中退して芸能の世界に飛び込んだという子もいました。
事前にどんな内容の取材をするかは伝えてあったので心の準備もできており、その場の空気を少し温めてやると、みんな積極的によくしゃべりました。
何を勘違いしたのか、僕に一生懸命プロモーションしてくるやつまでいました。
チャンスやきっかけはどこに転がっているか分からないので、それもアリ。
若い連中が集まる場所は好きだ。みんな、とてもイキイキ、キラキラしています。
本当に夢を持って取り組んでいるのが肌から伝わってきます。
ただ残念ながら、芸能人特有のオーラを放つ子はいません。
話だけではみんな、どの程度、演技や歌やダンスがうまいかわからないが、僕が見る限り、アマデウス(神に愛された子)として大成しそうな子は、そこにはいませんでした。
●アスリートのオーラ
成功する芸能人やアスリートには独特のオーラ、気のようなものがあります。
数字や勝ち負けなど、客観的にはっきりと結果が出るアスリートはよりその傾向が強いようです。
ある元オリンピック選手によると、競技会などに出て誰が強いのかは、事前に情報がなくてもその場で、嗅覚で嗅ぎ分けられるといいます。
強い選手が生まれ持っている才能。
どんなに一生懸命に練習しても、この競技ではこいつには絶対かなわないと、直感できるというのです。
そして真剣に努力している者ほど、それがはっきりと分かるといいます。
生まれ持った才能に対してはいかんとも抗いがたい。
アスリートたちにはかなり残酷な現実が突きつけられます。
一握りのプロ選手、一握りのオリンピア、その中で脚光を浴びるのは、そのまた一握りのスター選手やメダリストだけ。その背後には数えきれないほどの敗者たちがいるのだから。
●芸能の世界のオーラ
そういう意味では芸能の世界も同じ。
高校を中退して飛び込んでくる勇気――学校は嫌いだったと言っていたから、勇気を奮った、というわけでもないのだろうが――は、相手を一瞬感心させたり、自分自身のモチベーションアップにはなっても、勝ち残っていくための持続的なエネルギーにはなりません。
もちろん、演出家など、指導的立場の人たちや人事権を持つ人に優遇してもらえるわけでもありません。
しかし、オーラを放つ者は優遇されます。
もう少し俗な言い方を使えば、おとなからの贔屓を“勝ち取れる”。それも割とたやすく。
それはその持前のオーラ、その子に内在する“華”が周囲の期待感を高めるからでしょう。
ひとりひとりの好き嫌いもあるけど、ことオーラ=成功(の可能性の高い)の)サインという点では、多くの人の見方は一致しまする。
みんな、不思議とその子に惹かれてしまうのです。
そこに理屈はない。将来、この子は世に出て人の心をつかむ俳優・女優になるに違いない――演技や歌やダンスのうまい下手に限らず、オーラを放つ子、華のある子にはそう思わせる何かがあるのです。
それは技術的なものを超越しています。言ってみれば、そういう子は周囲の人々に「夢を見させる力」を持っているのです。
人間は誰しも、つねにそうした夢を求めています。
●オーラには旬がある
そしてまた、人がそうした才能のオーラを放つのには「旬」があります。
その旬の時期に勢いを加速させるような指導、何らかの刺激を与えないと、本当に才能が開花することにはつながりません。そこにコーチングの難しさがあります。
それは夢を持続させること、あるいは夢を強化することでもあると思うのです。
20代も少し行くと、個人の持つ夢の力は衰えを見せ始めます。
言い換えると、大多数が迫ってくる現実の影に怯え始めるのです。
いったんそれを意識し、ひるんだが最後、人の持っている夢の領域は、じわじわと現実に浸食されていく。堤に水がどんどん染み込んでいき、やがて決壊してしまうのです。
ほんの1~2年前までは自分の明るい未来・成功を信じて疑わなかった。
何の根拠がなくても自分はやれると信じていた。
それがあまりにも主観的で、ひとりよがりな見識だとは考えなかった。
夢の力は圧倒的で、悠々と現実を抑えつけていた――そんな子供で、無垢で、馬鹿だった人間たちが、いろいろな情報を仕入れ、賢くなり、将来について考えを巡らせるにつれて、夢VS現実の形勢は逆転していきます。
そしてちょっとでも躓いたりすると、夢の力は急激に弱まっていきます。
●夢の領域の住人
座談会では、同じように演劇をやっていた、自分の10代~20代の頃を具体的な話をまじえて、こうした話をしました。
現実的、計算高いと揶揄される今の10代の連中ですが、やはりまだ夢の領域の住人だから、こうした話はさすがにうまく理解できないようです。
僕だってその齢の頃はそんな話を聞かされてもチンプンカンプンだったはずです。
でもみんな、それなりに熱心に耳を傾けていました。
とても親密で良い雰囲気でした。
こうした場所で自分のことについて自由に語り合うというのは、とても心地よい体験だったのだはないかと思います。
だれもが一度や二度はそういう体験をすべきだと思いました。
座談会が終わるころにはパンフレットのコンセプトはすでに頭の中にできていました。
この学校で、現実に負けない夢をつくる。
自分の夢を鍛え、強くし、大きくする。
仲間といっしょに学ぶことでそれが可能になる。
先生もそれに協力してくれる・・・。
そんなことを書き連ねました。
言ってみれば、一人でも多く夢の領域で生き残って欲しい、という願いのようなもの。 強く、膨らんでしまった夢を抱えて大人の時代を生きるのは、それはそれで困難なことなのだろうけど。
●小さなオアシスを求める大人たち
子供に対して「夢を持て」と言う大人はたくさんいます。
そう言うだけで、どこか自分の心が癒され、ひどく縮こまってしまった夢の領域を潤わせることができるからです。
なんだか砂漠に小さなオアシスを作る作業に似ています。
頭から足の先まで現実世界にどっぷりつかって喉がカラカラになって脱水症状を起こしている大人は、そういうことで潤いを得て、何とか生き延びる力をチャージしているのかもしれません。
無責任に「夢を持て」と言われるのは、子供にとっては迷惑な話だと思いますが。
そうしたことの繰り返しが、いつの時代も、いたるところで起こっています。
一人のスター、一人のメダリストを生み出すために必要とされる数多の敗者。
世界はそれで成り立ち続けているようです。
2016・9・7 WED
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