いちご畑で抱きしめて

 

Strawberry Fields Forever

 

 いちご畑と言えばジョン・レノン。

 かの名曲「ストロベリーフィールズ・フォーエバー(いちご畑よ永遠に)」からの連想。

 Strawberry Fieldsっていうのは、もともとリバプールにあった救世軍の孤児院の名前で、僕も参拝したことがあるけど、門柱は世界中のビートルズファンの落書きでいっぱいでした。

 救世軍の孤児院というイメージもあいまって、もちろん曲も素晴らしいのだけど、それ以上にタイトルが秀逸。この名前を使ったお店やら商品やら本やら昔から結構あって、最近はウェブサイトにもたくさんいちご畑が広がっています。

 可愛いし、いろいろ想像力が広がる言葉だもんね。

 現代では割とありきたりなネーミングかも知れないけど、1960年代当時、楽曲にこういうタイトルをひねり出して付けたジョン・レノンのセンスはやっぱり一味違うと思います。

 

 僕もその一人で、ちょうど35年前の今頃、新宿のゴールデン街の一角にあった芝居小屋で「いちご畑で抱きしめて」という芝居をやりました。

 「いちご畑」と「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」を足したタイトルだけど、話の内容はジョンにもビートルズにも救世軍にもまったく関係なく、不思議の国のアリスと核戦争をモチーフにした支離滅裂な話で、なんであんな芝居を書いたのか、逆にいえば「書けた」のか、今考えると不思議なのですが、最近、頭の底から何かが浮かび上がってきて、同じタイトルでまったく違う話を書こうと考えています。

 

★稀代のペテン師

 

 そのモチーフはやっぱりジョンの生きざまです。

 僕のジョンに対する基本的なイメージは「ペテン師」。

 もちろん若くから音楽的才能を開花させ、声もルックスも魅力的だったことは認めるけど、それ以上に彼は天才的なペテン師だった。みんな、彼の醸し出す言葉やパフォーマンスに翻弄され、その結果として現在の世界のある部分(多くは現代人の精神構造に関わる部分)が形成された・・・というところに、すごく興味があるのです。

 

 リバプールの悪ガキから音楽家へ、世界最高峰のスーパースターへのぼりつめ、やがて世界平和を訴え、愛の使者になり、イエス・キリストみたいになったかと思ったら、いきなり家庭の世界に入り(今ではすっかりポピュラーになった「主夫」――ハウスハズバンドという言葉と概念は、ジョンが創ったか広めた、というのが僕の印象)、そしてミュージシャンに復帰したとたん、この世を去った彼の40年の人生は、いまだに、というか、今だからこそ僕たちに、文化・芸術、お金・ビジネス、社会・時代、家族・子供、愛、そして「生きるとは?」とういう哲学的考察に至るまで、いろいろなことを考えるヒントを与えてくれている気がします。

 

★人間ジョン・レノンの魅力

 

 こんなことを言うとジョンやビートルズファンの人は怒るかもしれないけど、その基本が胡散臭いサギ師・ペテン師のキャラクター。

 僕はそこにとても人間的なもの、それこそ人工知能が、アンドロイドがひっっくりかえっても叶わない人間ならではの魅力を感じるのです。

 

 そう考えるきっかけになったのが、ジョンの最初の妻であるシンシア・レノンが書いた「わたしが愛したジョン・レノン」という本でした。

 いわゆるビートルズ本の一つに数えられますが、これは家族論・幸福論・人生論としても読める優れた本です。

 たぶん長くなるので、この続きはまた後日。

 

 ちなみにリバプールのStrawberry Fieldsは、現在は修道施設となっているようです。いろいろなストーリーを詰め込んで祈祷と瞑想の施設に変ったことを思うと、なんだか胸にじんとくるものがあります。

 

 

 

 

2016・7・20 WED