幕末の英雄の一人、長州の高杉晋作といえば、ザンギリ頭で騎兵隊を率いる一方、放浪の音楽家のように三味線をかき鳴らす。しかも、世俗の垢にまみれる手前――30になる前に夭折してしまったから永遠の若者のまま。とにかくカッコいいビジュアルイメージが先行しています。
特に最近、2010年の大河「龍馬伝」で伊勢谷友介が鮮烈に演じて以来、歴女の間で人気爆発。本日の「歴人めし」第5回は、この高杉晋作の好物「鯛の押ずしと潮汁」でした。
じつはこの回は当初、吉田松陰でやる予定でした。松下村塾で何かめしを出していたのではないかと推察してリサーチを始め、萩市の観光課まで電話して聞いてみました。
僕は2004年の「新選組!」(三谷幸喜:作)の時、萩でイベントの仕事をしたことがありますが、観光課の人たちは長州の歴人についてはニッチに詳しい。それは今でも変わっていないはずだ――その期待は裏切られることなく、にこやかに淀みなく対応してくれました。
ちなみにこの街では、吉田松陰は天皇陛下の次くらいに偉い人で、とても呼び捨てにはできない空気があります。
僕「松陰先生が、松下村塾で食事を提供していた、ということが本に書いてあったんですけど、何を出していたか、記録などありますか?」
係の人「うーん、塾生は家から握り飯などを持ってきて、吉田家ではお漬物を出していたらしい――というところまではわかりますが・・・」
僕「どんな漬物でしょう?」
係の人「残念ながらそこまでわからないですね。でも高杉晋作の好物ならわかりますよ」
というわけで急遽、テーマを松陰先生から晋作にチェンジ。観光課の人に教えてもらった通り、長州の歴史研究の第一人者である萩博物館の学芸員の方がちゃんと市のブログに書いていました。
そのブログでは、大正時代のジャーナリストが、明治時代に晋作の妻から取材して書いたという本を引用して紹介。つまり晋作の妻がインタビューで語ったのが「長州ずし(鯛など、萩の海でとれる魚をネタにした押ずし)と鯛の潮汁(塩で煮たあら煮)」だったとわけです。
武士たる者が食物の好き嫌いなどについて人前で語るべきではない――晋作に限らず、この時代までサムライたちにはそうした意識があったようですが、奥さんには心を開くのでしょう・・・ということで、この回のストーリーは、いわゆる愛妻物語になりました。
この奥さんは萩で一番の美人と評判だった人ですが、明治になってからは萩を離れ、東京で暮らしていたそうです。新政府の主流である長州の英雄の遺族ですから厚遇されていたのだろう、と推察しますが。どういう思いであの時代を生きていたのか、昨日の徳川慶喜同様、気になります。
インタビューを受けて、自分が作ったおすしと汁のことを口に出した時、若かりし頃の晋作との思い出が、まるで打ち上げ花火のように鮮烈によみがえったのかもしれません。
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