コピーライターの元祖ともいわれる源内が、うなぎ屋(魚屋)に依頼されて「土用丑の日はうなぎを食う日だ!」と言い出したのは、およそ250年前のこと。それが江戸中に、ひいては日本全国に広まったのは今では子供も知っている有名な話です。
けれども、いくら源内が機知に富んだ天才でも、火種のないところに火はつきません。
うなぎは古くから精のつく「薬」と認識されていたようです。人々の意識の底にはそれが連綿とあって、「なるほど、そうか。暑さでへばらいようにうなぎを食うといいのか!」ということになったのでしょう。
けれでも、それだけでは火はつきません。話はそう単純ではない。なぜなら良薬、口に苦し。元来、薬はまずいもの。よほど具合が悪くなければ口にしたくない。だから江戸時代以前は、体に良いということはわかっていても、重病人でなければ、あんなニョロニョロ、ヌルヌルした気味の悪い魚をわざわざ捌いて食べようなんて思いませんでした。
その常識を覆したのが、タレの発明です。江戸時代には調味料革命が起こり、それまで人々があまり口にできなかった醤油や砂糖が流通。生活の中で普通に食されるようになったのは、やっと江戸中期ごろから。
そしてあの甘辛いタレが発明され、「かば焼き」という料理として食べられるようになったところで初めて「うなぎはうまいぞ!」ということになったわけです。
さらにまた、源内自身がそのうなぎが大好きなロイヤルカスタマーでした。
当時は江戸前、すなわち今の東京湾で大漁だったので、価格も安く、魚屋としてはたくさん売りさばく必要があったのかもしれません。日持ちのしない真夏ならなおのこと、じゃんじゃん売って、ガンガン儲けたい。
自分が愛するうなぎのためならば――と、ボランティアでやったのか、それともやっぱりビジネスとしてガッポリいただいたのか? はたまた永久にただ食いOKという現物支給だった可能性も――まあ、どんな報酬だったのかはわかりませんが、とにかくここで源内の才気が爆発。人々も「あの天才クリエイター・平賀源内のいうことなら納得でぃ!」ということで、250年経っても生き残る1行千両の大ヒットコピーが生まれたという次第です。
たった1フレーズの言葉の中にも、深い歴史と文化、そしてまた、食い物に対する愛着やビジネスマインドがあふれているというお話です。
2016年5月27日 Fri
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