蜷川幸雄さんは、なぜ、あんなにもエネルギッシュに活動できたのか?
70歳を超えてから死の直前までのこの10年ほどが最もすごかったのではないか、と思えます。
実は僕は5年ほど前、NHKの演劇番組の仕事(ディレクター)をやっていました。
演劇ジャーナリストの山口宏子さんという人が、毎回、日本の一流演劇人とサシで対談し、その対談とカップリングして収録済みの舞台中継を流す、という構成の番組で、当然、ゲストの一人として蜷川さんも登場しました。
その時の音声起こしの原稿を読み返してみましたが、このころ、シェークスピアはもちろん、井上ひさしもやっているし、寺山修司や清水邦夫などの60年代の戯曲をやっていたり、英国の若手作家の9時間に及ぶ大作をやったり・・・と、もうとんでもない仕事量。
このとき放送の作品は、さいたまゴールドシアターの「船上のピクニック」(岩松了:作)。
ゴールドシアターは、一般公募の高齢者が役者をやるという画期的な演劇プロジェクトです。
そこに触れた部分を読んでいると、蜷川さんが「若さ」と「老い」と落差をとても楽しもうとしていたようです。
ちょっと原稿から抜粋(ほぼそのまま)。
山口:ゴールドシアターは、基本的には55歳以上の方を集めて劇団を作るという、カルチャーセンター的なものだったらともかく、本格的にやるという意味では、かなり無謀なプランだったですよね。で、そこにまた、1200人近い方が応募してきたっていう・・・
これは一種の社会現象のようになりましたけども、今、本格的な公演も何度もおやりになって、劇団としても力をつけてきているんですけど、ゴールドについては、今、どんな思いをお持ちですか?
蜷川:そうですね。おれは演出家になったばかりのときから、自分たちで作っている若い演劇というのが、お年寄りや生活者から見たら、どういうふうに映っているのか、と。自分たちの存在が。老い」というもので撃たれたときに存在するのかなぁっていう不安があったんですね。
で、自分がその年齢になったときに、じゃあそれをーーお年寄りの集団を作ってみよう、と。そうすると、自分の幅が広がるかなぁって自分の中で思っていたんですね。
まぁ、やってみたら、大勢の人が来るし、えー、劇団員になった人たちはやめないし、どんどん・・それどころか若返ってしまう、と。あの、こんなに演劇というものが人々を蘇生すると言いますか、若返らせる力があるんだ、ということは、もう本当に僕にとっては「発見」だったんですね。
で、それどころか、演劇的に見ると、まず、セリフ覚えられない、動き忘れる、今日できたことが明日も出来るとは限らないし、昨日できなかったことが今日できちゃう、でも明日はできないかもしれないっていう、老いが体験するさまざまなことを老いが全部抱えて走るっていう、ことだったわけですね・・・。
蜷川さんは老いることも含めて生きることにすごく肯定的だった。
セリフをトチろうが、動きを忘れようが構わん。
いざとなったら俺が出て行く――(実際にそういうこともあったそうです)。
それを失敗とか恥とか捉えず、これもまた演劇の面白さだ、と捉える。
永遠に自分を完成しない、させない精神が、あのタフネスにつながっていたのでしょう。
高齢社会になった今、齢を取ったからと言って悟りすましていちゃいけない。
もっとみっともなく、死ぬまでジタバタしようぜ、若い連中もきっとそういうものを期待している――そんなメッセージを遺してくれたのだと思います。
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