客観性という名の神様と自分の物語

 

 「事実は存在しない。ただ解釈だけがある」というのはニーチェの言葉。その意味はつまり「客観性」なんてものは本当はこの世にないよ、ということ。

 

 僕たちを取り囲んでいるあらゆる情報は、すべて誰かが任意でつくり上げた物語であり、それを僕やあなた、ひとりひとりがどう評価・判断するのか、ということだけが存在している、ということ。

 

 世界には星の数ほどの膨大な物語が溢れていて、僕らはその海を泳いでいる。

 

 たとえばビジネス関連の文章では、発信者側の主張を受信者側に受け入れてもらうために、客観的データなるものを重視する。

 「これだけの人が現状に満足していません」とか「問題解決をこれだけの人が求めている」とか

 「だからこれだけの人が○○の商品価値を認めている」とか……そういう、よくある数字です。

 

 発信者側は、その数字の情報源がはっきりしていて、それが文章内に入っていると何だか安心する。

 さらにグラフなどによってビジュアル化されていると、より安心度が高まる。

 マーケティングをしっかりやっているのだから、これで信用してもらえるに違いない、と願う。

 

 ニーチェの考え方に従えば、それはいわば心の保険のようなものに過ぎません。

 マーティングや各種のリサーチが無意味だとは言いません。

また、日夜、そうした客観的(と信じる)データの収集・解析に腐心している人たちを揶揄するつもりもありません。

 

 ただ、客観的事実なるもので構築したその文章は、発信する側が自分が主張・意見を述べるために都合のいいように「解釈」した上で表現した、主観的な「物語」であるとも言えてしまうのです。

 

 国家も企業も宗教団体もマスコミも、いつも僕らの耳元で

 「あなたはこういう物語の中で生きているんですよ」と囁いています。

 でも、自分の人生の主人公は自分であり、自分の物語をつくるのも自分しかいません。

 

 「客観性」という名の神様の存在を疑ったことのない人、人からどう見られているのか気になって仕方ない人は、一度、

 「この世界に事実なんて存在しないんだ。どう解釈するか、ということだけがあるんだ!」と叫んで、自分独自の解釈で、世界や人生を読み解き直してみた方がいいかもしれません。

 

 ……というこの文章も一つの物語に過ぎません。

 どう解釈するかはお気に召すまま。