ポール・マッカートニーが来日公演するって、今日知りました。
38曲中、26曲がビートルズナンバー。ほんま?
10代・20代の頃は「ビートルズ?しかもポール?だせー!」と言っていました。
1990年の初来日公演は見に行ったけど、ちょうどローリング・ストーンズ(こっちも初来日)の公演と時期が近く、「ストーンズの方が全然イカしてる!」となってしまいました。
11年前の公演は「60になってなんでまだやってるの?」といった思いが強く、興味がわきませんでした。
でも今回は違う。
71歳で世界ツアーを敢行するとは、いったいどこにそんなパワーがあるのか。「高齢者」の概念をすっかり覆しています。
本当にこの人は天才であると同時に、音楽を媒介にして様々なものを背負っているんだ、と感慨せざるを得ません。
ポールの音楽の才能は誰も疑う余地がないのですが、あまりに劇的に夭折し、早くから伝説化し、カリスマとしてもてはやされてきたジョン・レノンと比べられ、その人間的な部分が語られることは少なかったように思います。
そんなポールに対する見方が変ったのは、今回の公演でもラストナンバーになるらしい「ヘイ・ジュード」作曲のエピソードを知ってから。
あの曲がジョンの一人目の息子・ジュリアンに贈るために書かれたことは以前から有名ですが、その背景にあったドラマについてはあまり知られていないと思います。
それはシンシア・レノン(ジョンの前妻)が書いた「わたしの愛したジョン」に詳しく書かれているのですが、「ヘイ・ジュード」は単に、父親を失ったジュリアンを励ますというだけでなく、家族のこと、友だちのこと、青春のこと、人生のこと・・いろいろ複雑な思いを盛り込んだ歌なのです。
僕は「ヘイ・ジュード」はポールにとって、真の意味でのビートルズのラストナンバーだったのではないかと思います。
彼にとっての真の意味での「ビートルズ」とは、ジョンとの友情や青春時代の熱、サクセスへのストーリーを含む総称です。
そうしたものへの決別の思いを込めて作ったのが「ヘイ・ジュード」なのではないでしょうか。
ラストのえんえんとしたリフレインが、そうしたポールの気持ちを表しているようでなりません。
彼にとってその後の4人での活動は、ビートルズという名の音楽実験。
ビートルという名のビジネス、
あるいはビートルズの名を借りた自己表現の場だった。
そんな気がするのです。(もちろん、それぞれすごいことなんだけど……)
昨年のロンドン五輪でも歌われましたが、国や世代の区別なく「ヘイ・ジュード」が歌われるのは、その生い立ちから大きな意味があったのです。
・・・というのはこじつけすぎかもしれません。
でもやはりあの永遠不滅のメロディラインには、普遍的な人間の感情の多くが盛り込まれていると思います。
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