海亀のスープ

 

 FBを見ていると、毎日いろんな食べ物を目にします。

 最近印象深かったのは、Mさんがアップしていた「亀の手」。

 見た目はけっこうグロかったのですが、おいしそうでした。

 コラーゲンたっぷりですね。日本は貧乏になったとか言いながら、皆さんグルメでほとんど王侯貴族の食卓です。

 

さて、ここまでの話は枕です。

 

 先日、仕事をしていて「海亀のスープ」のことを思い出しました。

 ネットでも書籍でも紹介されているので、ご存知の方も多いかも知れません。

 一種の推理ゲームです。

 

 設問は 「ある男がレストランで海亀のスープを注文した。

 一口食べて、その男は翌日自殺した。なぜか?」というもの。

 

 答を求める側は、推理力を働かせて、その男のキャラクターやバックグランドについて質問をしていくのですが、出題者はその質問に対して「はい」「いいえ」でしか答えないというもの。

 

 かれこれ30年ほど前、当時やっていた劇団の演出家(友人)がこれを持ってきて、確か7~8人でやったのですが、めちゃくちゃ面白かったのです。

 

 このゲームのキモは、質問と答(はい、いいえ)のやりとりが、最初の単純な設問からは想像できないほど、広がりと奥行きとクリエイティビティを持って展開していくこと(ただし、その場の設定とメンツによります。その時は劇団の稽古場で役者仲間でやったからそうなったのかもしれません)。

 

 質問が質問を呼び、そこから様々なストーリーが生まれ、やがてとてつもないドラマが渦巻いていくのです。かれこれ1時間半~2時間くらいやっていたでしょうか。そこには人間の喜び・悲しみ・おかしさ・いとおしさ、すべてが詰まっていました。

 驚愕と感動のラスト(回答)に至った時は泣いているやつまでいました。

 

 要はプロセスの中に醍醐味がある、結論に達するまでの紆余曲折にこそ価値がある、という話なのですが、これが本やネットなどですぐに答がわかっちゃうと何にも面白くないんだよね。

 

 「答が分かってスッキリ」でおしまい。

 何でも効率化が求められる世の中だけど、あえて非効率なことを意識して生活の中に取り込まないと、生きていてもつまらなくなってしまうと思います。

 

 知識も情報も消費するばかり。

 まさしく「消費社会における、消費者としての人生オンリー」になってしまう。

 答は教えてもらうのではなく、自分でつかまないといかんですね。