寒くて震え上がるような日々が続くこの冬。しかし、節分・立春がすぎる頃になると、春の訪れはすぐそこまで、と感じられる。
これはたんにカレンダーを見てそう思うだけでなく、確実に日が長くなっていることを実感するからだ。朝は6:30ごろには明けきっているし、夕方も5:30くらいならまだ日が残っている。冬至~クリスマス~正月の頃に比べると、それぞれ30分ずつは明るい時間が延びている感じだ。都合1時間分、一日が明るい。これは大きい。そしてウらしい。なぜなら僕は夜の闇がとても怖いからだ。
どうして夜の闇がこんなに怖くなったのか?
子どもの頃、闇の中はお化けがいる世界で、とにかく怖いものだった。夜中にトイレに行くときは親や大人についてきてもらっていた。とくに古い日本家屋の「便所」は、最近の住宅のそれとは比べ物にならないくらいこわ~い!そりゃ妖怪も出るはずである。つまり、夜の闇の世界は、こどもにとって異界なのである。
それが成長するにつれて、夜と昼間の日常的な世界は地続きになっていく。夜でも寝ないで遊んだり、勉強したり、仕事をするようになり、「夜はお友だち」になっていく。事実、ボクも20代~30代半ば頃までは完璧夜型人間だった。
子どもが出来て、子どものリズムに合わせて朝型に移行。オチビといっしょに夜10時に寝て、こっちだけ朝の3時に起き出してモソモソ仕事を始める・・・といった生活リズムになり、いわゆる朝型人間に変身したが、それでも夜が怖いと思うようなことは最近までなかった。考えてみると、やはり闇を怖れるようになったのは、父と親友の死に直面してからである。夜の闇が再び「異界」として感じられるようになったのだ。
●父の死のこと
夜の闇とは異界である。異界とは死の世界であり、また、生まれる前の世界でもある。夜が怖くなったと感じるのは、その世界に再びリアイティを感じるようになった、ということだろう。
3年前に父が亡くなった時のことを、僕は物語として書いた。その一部を引用する。
義廣が倒れ、意識を失ったという報せを妹から聞いたのは、その年が押し詰まった十二月十日のことだった。僕は夕方名古屋に到着し、そのまま入院している名城病院に行った。
最初は集中治療室に入っていたが、翌日個室に移された。意識は失ったままだった。その時、家族の間には諦めの気持ちが漂っていた。それでもまだ心臓は動いている。面倒は看護士さんたちが看てくれるが、そのまま置き去りにしておくことは忍びない。さりとて、母は高齢で体力が続かない。というわけで、僕がそのまま病屋に泊り込むことにした。
(中略)
夜。僕は病院から折りたたみ式の簡易ベッドと毛布を借りて毎晩、病室に泊まった。昼間はそれなりに賑やかなものの、日が暮れて夜の帳が落ち、夕食の時間のざわめきが納まると、院内は廊下の灯も落ち、急に静けさに包まれる。冷たい寂寞とした世界がやって来る。意識はすでに失くしていても、そこに父をひとりぼっちにしておくことは出来なかったのだ。もし万が一、すでにあの世に行きかけた魂が何かの弾みで舞い戻り、夜中にふと目覚めた時に誰もいなかったら、ただ暗く冷たい世界がそこに広がっていたら……この世の最期にそんな怖ろしさを味あわせたくはなかった。
「おれ、ここにいるよ」
そう惚けて声をかけたかった。
結局、そんな瞬間は一度も訪れなかったのだが……。
それにしても人生の最期を迎えるのは、何かとてつもなくドラマチックなことと思っていたが(もちろん実際、そういう場合も多々あるとは思うが)、義廣の場合はとても平穏で、その死はそれまでの日常と地続きになっているかのようだった。この病院にいた時間は、この世とあの世を繋ぐための“のりしろ”のようなものだったのかも知れない。
僕はつごう五日間寝泊りし、その“のりしろ”の時間をいっしょに過ごした。何か父のためになることをしたわけでも、特別な体験をしたわけでもない。ただ本を読んだり、ぼんやり窓の外を見たり、時々ベッドに横たわる父の顔を覗いていただけだ。でも、そこにいられて本当によかったと思う。たとえ話はできなくても、親子で最期の時間をともに過ごせたことは、とても幸せなことだと思うのだ。
父の死に寄り添った体験は、確実に自分の中の何かを変えた。もう一つ、この一年後の親友の死もそうだった。
●親友の死のこと
同い年の親友は2年前にガンで亡くなった。彼は宣告され、入院して意識を失う(亡くなる1ヶ月前)まで約9ヵ月の間、その闘病記をブログに綴り続けた。その投稿記事は、写メにひとことコメントしただけのものも合わせれば、1900記事にもおよぶ。1日10回も投稿していたこともあった。
その中で最も僕の心に刺さったのは、夜、トイレの鏡で自分の顔を見たときの印象を綴った文だ。
「死相が出ている・・・」
彼はそう書いた。いわゆる霊感が強いやつだった。筆致から本当にそう感じたのだと思う。それから彼は「暗い穴見える・・・」とも書いた。別に小説家のように描写が達者だったわけではない。むしろすごく拙く、たどたどしかった。しかし、そのたどたどし感が却ってリアルで、その告白文を読んだ僕は身体の芯から戦慄した。
そういえば天童荒多の直木賞受賞作「悼む人」でも、ゴシップ週間誌のライターがゴーストタウン化した住宅地で生き埋めにされるシーンがあり、ドラマ性とあいまって、その描写が妙に生々しく心に残っている。
父の死に寄り添った話とともに、これらの記憶が心の底に貼り付いて離れず、夜の闇のこわさとつながっているのだろう。そう考えると文章の力は侮れない。
けれども、夜の闇がこわい、と感じるのは、悪いことだとは思わない。むしろ生き物として自然な感覚だと思う。
闇の中には、昼間の生活時間からは感じ取ることの出来ない、太古の先祖の声なども混じっている。時には神と呼んだり、時には「もののけ」と呼んだりする、そういした畏怖すべきものの存在を感じ、メッセージを受け取ることには、生きる上でのヒントが多々隠されているような気がするのだ。
2012・2・8
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