「三銃士」はとてもわかりやすい成長物語である。
主人公がそのストーリーを通して成長していく物語は数多くあるが、ここでは田舎から大都市パリに、いわゆる立身出世のために出てきたダルタニアンが、様々な壁にぶち当たりつつ、ぐんぐん成長していくドラマが描かれる。
彼は彼なりに内向的になってあれこれ悩んだりもするのだが、それも明朗なトーンで描かれるので、違和感なく万人が共感できるし、感情の起伏もしかり受け入れられる。つまり、気持ちがいいほどわかりやすいのだ。
その“成長の様子”をより際出せるのが、この物語の中で「メンター(師匠/指南役)」として機能する三銃士である。しかも三銃士はダルタニアンから見て、厳格な父親とか、権威ある先生というような存在ではない。
俗にこの話は「友情物語」という紹介のされ方をするが、双方の関係を見ると、先輩・後輩のニュアンスも含めた「兄弟愛」に近いのではないかと思う。いずれにしても、メンターである三銃士も彼らより年下のダルタニアンと同様に悩み成長する。そんな人間味のあるところが醍醐味になっている。
これが時代の変化に関わらずウケる要因の一つといえる。
いわゆる“成熟社会”となった先進諸国では“成長”はすこぶる重要なキーワードだ。未熟だろうが、ダメダメなところがあろうが、成長を感じさせる、言い換えれば、未来への可能性を感じさせる人や集団や企業は、すこぶる魅力的に映る。
つまり、今、それだけ“成長”というものに希少価値があるのではないだろうか。
成熟し、伸びきってしまった大人にはそうした魅力が見出せない。しかも環境の変化のせいもあり、信頼感も失墜しているのでなおさらだ。
ちなみにこれは実年齢のことを言っているのではない。10代・20代はもちろん、50代・60代でも“成長”しなくてはならない(少なくともそういう意志を見せなくてはならない)世の中になっているのだ。そして、若いダルタニアンと年長の三銃士のように、互いに影響を与え合いながら伸びていくことが求められている……三銃士の物語は、そうした現実を映し出す鏡のような機能を持っているのでは、と感じる。
2011.08.23(Tue)
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