星や月を見て何のトクになるのだ?というお話

 

  「夜空を見上げる」というのは、ごくありふれた行為のような気がするが、どうもそうではないらしい。

 

 たしか村上春樹の初期の小説の中で、久しぶりに夜空を見上げた主人公が、その事実に自分で驚き、「星がみんな空から引き払ってしまっていても、きっと僕は気がつかないでいただろう」と呟くシーン(うろ覚えなので実際の表現は違うと思うが、こういう意味合いでした)があるが、このセリフ、僕も含め、多くの大人に通用すると思う。

 

 あなたは最近、いつ夜空をじっくりと見ましたか? 

 

  というわけで絵本の朗読(読み聞かせ)当番がまた巡ってきた。

 前回と同じ、エリック・カールの「パパ、お月さま とって!」。

 

 前回は1年1組、今回は2組さんだ。前回と比べて感じたのは同じ1年生でも学校に馴染んできているな~ということ。

 それもそのはず、1組の時から2週間以上が経過している。…ということは満月が半月になるだけの時間だ。

 おとなにとってはわずかな時間だが、まだ6~7歳の子どもらにとっては大きな時間といえるだろう。

 もちろん、2つのクラスのキャラクターの違いもあるが、初対面のランドセルの変なおじさんも割と落ち着いて受け入れていた感じがする(逆にちょっとそれが物足りなかったりもしたかな……)。 

 

 終った後、ちょっと考えたのが、今の子どもたちはどれくらい夜空を見上げることがあるのだろう、ということ。月の満ち欠けや、夏と冬とでは見える星が違うとか、そういった理科の勉強に繋がるから空を見るべきだ、と言っているわけではない。

 しっかり生きるためには、日常に即した視点の生活だけでは不十分な気がするのだ。 

 

 東日本大震災の時、潰れた家から9日ぶりで救出されたおばあちゃんと高校生の孫がいたが、たしかその彼が「夜は星を見て過ごしていた」というコメントをしていたことを憶えている。

 星を見ることで意識を別の次元に持っていくことが出来たのだろう。

 

 ずーっと日常と同じ次元(この場合は、自分はこのままどうなってしまうんだろうという恐怖・不安)でものを考えていたら、多分彼らは極限状況の中で9日間も生き延びられなかっただろう。

 

 脳が「絶望の信号」を出してしまうからだ。

 

 人間の本当の強さというのは、どんな状況もありのままに受け入れ、意識をシフトさせて自分の周囲を楽な状況・希望的な環境に変えていける能力なのではないかと思う。

 

 人間はもともとそういう力を持っているのだが、学校に入り、いろいろ学びながら知力・体力・社会性を身につけるのと引き換えに、そうした根源的能力が発揮できなくなる(潜在化したままになる)のではないだろうか。

 だから、子どもたちには読書をしたり、単にボケッと空を見上げたり、芝生に寝そべったりといった行為を通して、いつでも日常とそうでない世界を行ったり来たり出来るトレーニングをするのがいいのではないかな、と思うのだ。

 

 ろくろく月も星も見なくなってしまっていた、ランドセルの変なおじさんも、絵本を通して一緒にそういうトレーニングをして、少しでも脳力開発していきたいと思う。 

 

 

2011・5・29 SUN