「ネコつえぇ~~」
と、うちの小僧がTwitした。ネコが何にどう強いのかと言うと、震災のストレスに対して、という意味でだ。
●大地震でパニックになったイヌと冷静沈着なネコ
ちょっと前のことになる。
うちで鍼灸師のカミさんがGWに医療ボランティアとして被災地に行ったときの話。
泊めていただいた宮城の鍼灸師のお宅ではイヌとネコを両方飼っていた。
イヌはもともと雑種の捨て犬だったのだが、しっかりしつけてあり、とてもいい子になっていた。
それまでワンワン吠えたり、家の中の家具などを噛むような事はなかったという。
ところが、あの震災に遭遇して以来、ストレスで過去のトラウマが噴出するようになったらしい。
事あるたびに怯えたように吠えまくり、部屋のカーテンも噛みまくってビリビリにしてしまったと言う。余震が来るたびに大騒ぎなのだそうだ。
その反面、ネコの方はおっとりしていて冷静沈着そのもの。
「おいおい、大丈夫だ。そんなにパニクるなよ」
と、イヌをなだめるような仕草までするらしい。
そんなこんなの話を先日うちでしながら、家族でイヌとネコに関する議論をしていたのである。
もちろん、一概にイヌ・ネコといっても一匹一匹キャラクターが違うので、一概に「イヌよりネコの方がストレスに強い」とは言えないだろう。
しかし、僕の周りで聞いた話では、イヌの方がよりストレスに晒されやすい傾向にあるようだ。
●人間に対する依存度と独立性
イヌは人間の心に寄り添って生きる動物だからだろう、と勝手に推測している。
飼い主=育ての親とも言える人間が地震に恐怖を感じ動揺すれば、
イヌも「これはタダゴトではない。もしかしてボクの命も危ないかも……」と、
不安感を抱いてしまうのではないだろうか。
件のワンちゃんは飼い主に捨てられた、という幼少期のトラウマを抱えているらしいので、よけいそうなったのかも知れない。
野生の状態でならともかく、人間社会で生活するにおいて、イヌの方が人間に対する依存度が強く、ネコの方が独立性が高いのだ。
ネコは一匹で街中をフラフラ歩いていても何とも思われないが、イヌは飼い主といっしょじゃないと違和感を持たれる……
いい悪いではなく、そういう存在として、僕たち人間に深く認識されているのだ。
●イヌは子供で、ネコはおとな?
僕は子どものいない頃は、完全ネコ派だった。
ネコの独立性・自由度にシンパシーを感じていたのは、自分自身が子どもだったせいかも知れない。
しかし、子どもが出来て親になってからは、だんだんイヌに親しみを感じるようになった。
とくに数年前に「イヌのしつけマニュアル」なるものを書く仕事をするため、イヌについてコンパニオアンアニマルとなった歴史や本来の習性等について、いろいろ勉強してからはイヌ派に大きく傾いた。
飼い主さんといっしょに楽しそうに街や公園をお散歩しているイヌを見ていると、可愛くて胸がキュンとする。
どちらも飼ったことがないので、詳しいことは分からないが、イヌはどんなに齢を取って老犬になっても自分の子どもとして可愛がれるのだろう。
それに対して、ネコの方はビミョーな距離感がありそうな気がする。
こちらが子どもとして接していても、もう向こうはすっかり大人になってしまっていて、人間の「可愛がりたい」という気持ちに適当に合わせている、という感じさえするのだ。
先日、朗読した「100万回生きたねこ」でも、ネコが大好きなのは自分であって、飼い主である王様だとか船乗り、おばあさんや子どもなんか嫌いだ、と、のたまっていた。
●イヌ時代からネコ時代へ
さて、この話に合わせて人間の子どもはどうかというと……
人間の子どもは、オチビの頃はイヌのようにじゃれついて可愛いが、長じるとこのようにネコ化する。
小学校低学年ぐらいまでは「イヌ時代」、
小学校中学年から中1あたりまでは「イヌネコ混合時代」、
それ以降、親離れして家を出て行くまでは「ネコ時代」と言えるかも知れない。
(うちは男子=息子なのでこんな感じだが、女子=娘の場合はもっと前倒しになるかも……)
15歳になったうちの小僧もその典型で、いまは単に家についているみたいだ。
だから、というわけでもないのだが、先日の誕生日のプゼントにネコの絵の入ったマグカップと茶碗を贈った。
イラストに描かれたこのネコの顔は、うちの小僧そのものである。
2011・5・20 FRI
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