連休中、うちの小僧と二人で3日連続、計12個の柏餅を食べました。
で、こしあん・みそあん・つぶあん各種の柏餅を食べながら、ふと考えたのです。
「子どもの日は誰のためのものか?
じつはおとなや、もっと年を取った、お年寄りのためのものなのではないか」と。
僕たちが家で柏餅を食べている間、うちのニョーボ殿は震災の被災地(宮城の気仙沼)へ医療ボランティアに行っていました。
彼女は鍼灸師で、今回はお医者さんと共にプライマリーケアの活動に参加したのです。
僕はお留守番をしながら、 被災地支援をしているNPO団体のサイトのテキストなどの仕事をやっていました。
やはり今年の連休は震災のことを中心に世の中が動いていたように思います。
けれども、大勢の人の呼びかけもあって不必要な自粛の空気が薄れ、観光地も意外と賑わったということには、ちょっとほっとしました。
さて、話をニョーボ殿に戻すと、彼女は避難所のお年寄りなどを診て回り、話を聞いたり、鍼をしてあげたそうです。
お医者さんがケアする、いわゆる西洋医学も、鍼灸師などの東洋医学でも、基本は人の話を共感して聞いてあげること。
そんな中で学校の避難所にいた一人暮らしのおばあちゃんの話が印象に残ったと言います。
「帰るところはどこにもないんだよ…」
伴侶をなくし、一人暮らしで被災して住まいを失い、避難所暮らしになってしまったお年寄りは、本当に帰るところがない。
家も、家族やご近所との関係も、ご主人との思い出の品物も残っていないのです。
とりあえず、何とか仮設住宅に入って復興を待ち……といった未来へ向けてのシナリオを描くのも困難な状況です。
こういう人たちに対しては、いったいどういう言葉で励ませばいいのか?
「がんばって」 「元気を出して」
「しっかり生きましょう」 「弱音を吐かないで」
「生きていること自体が素晴らしいことなんです」……
なんだかどれも空々しく、気持ちのこもった言葉にならないような気がします。
「生き甲斐を持てばよい」というのは理屈としては正しいが、本人がそう理屈どおりにそういう気持ちになれるだろうか?
とはいえ、「もう十分がんばって生きたよね」とも言えないし……
自分だったらどうなのだろうか、と考え込んでしまいました。
とりあえず、いっしょに柏餅を食べながら
「また来年も、子どもの日に鯉のぼりを見ながら、美味しい柏餅を食べられるといいですね」
と言って元気付けるのが精一杯。
でも、子どもの日はいい。
子どもの日は、子どもの健康を願うのはもちろんだが、年に一度、おとなやお年寄りが子どもの気持ちを取り戻し、生きる喜びを再認識する日なのかも知れない。
しかし、ホンマモノの子どもは中学生ともなると、もう子どもの日だの鯉のぼりだのをまったく喜ばない。
柏餅だけは大喜びで食べるけれども。
コメントをお書きください