旅する本屋のおじさんである。
中原中也風のマントと帽子。
レトロな風体のトランクには子どもたちに読む本が詰まっている。
とは言え、自分で読むわけではない。
詩を唱えながら登場して会場を練り歩き、読み手のおじさんたちを指名して読ませる。いわゆるMCである。
これはうちの小僧が小学校1年のときから所属しているボランティアグループ「和泉親児の会」の定期イベントだ。
2週間ほど前に鬼のメイクをした仲間たちと同じグループの公演(?)である。近所の児童館で12月に1回目を開催、この間の土曜日に2回目を開催した。
一応、小学校の低学年層が対象なのだが、この日は噂を聞きつけてお母さんに連れられてきた小さい子も大勢来てくれた。
僕は1回目は中也の「生い立ちの歌」(わたしの上に降る雪は真綿のようでdありました……)を、2回目は山村暮鳥の「風景」(いちめんのなのはな……)を唱えた。いまどきの子どもに詩なんて……というのは偏見以外の何もでもない。結構みんな、興味深く聞いてくれるもんだ。
人は生まれながらにお話が大好きだ。聞くのもするのも大好きだ。ナチュラルボーン・リスナーであり、ナチュラルボーン・テラーでもある。
まだネンネの赤ちゃんでもちゃんとお話は聞ける。世の中は多種多様なものに溢れ、人も千差万別なのだから、様々な読み手がいて、様々なシチュエーションで聞けるといい。
とくに大人の男が絵本片手に物語を語る機会と言うのは、やはりまだまだ少ないようだ。
男の低い声の語りは、女性のそれとはまた違った魅力がある。
どっちがいいとかの問題じゃなく、いろんな「声」で語るのがいいのだ。
ひと昔前まではこういうのは、ほとんど女性の専売特許だったようだが、これからはそうじゃないと思う。
さりげなく堂々と絵本を読み聞かせられる男って、なんかカッコいいいよね。そういう世の中にしていきたいな。
コメントをお書きください