オリンピックはアスリートにとって夢の舞台。
子供のころからすべてを賭けて競技に打ち込んでいると思います。
それをグダグダとした「大人の事情」で奪っていいはずがない。
これは夢殺しであり、選手の人生を蹂躙する行為です。
しかも彼女がそれこそ命がけで表明したことを「あれはウソ」ってどういうこと?
利権ファーストの人たちは自分の子供や孫の人生が潰されたらどう思うのでしょうか?
いや、その前に彼ら彼女らも、かつてはアスリートとして純粋な気持ちで頑張っていた人たち。
権力をふるえる立場になると、そうした過去もきれいさっぱり忘れてしまうのだろうか。それって自分の栄光を蹂躙してしまうことにならないのだろうか。
2020東京オリンピックは、確か「日本をもっと元気にするために」とかいう大義があったと思います。
でもねぇ、こんなことがゾロゾロ続くと逆効果。「結局またそれかよ」とシラケちゃって却って元気を失くしそうです。
選手が夢を奪われ、市民も純粋に心から応援できないオリンピックにどんな意味や価値があるのだろう?
特に若い連中はそう思っているんじゃないのかな。
西城秀樹さんの葬儀の取材をしたのは5月のことでしたが、まるでその後を追うように今回、さくらももこさんが亡くなってしまいました。
「ちびまる子ちゃん」は世代が近くて自分の子供時代の雰囲気を楽しめるので、日曜の夜、家でゴロゴロしていると時々見ています。
学校のクラスメイトら子供はもちろん、大人も面白いキャラクターがたくさん登場して、いろんな人がいるから世の中楽しいんだということを僕たちに伝えてくれていると思います。
原作者が亡くなったからと言ってアニメの番組がなくなるわけではありませんが、どうも2~3年前から「ちびまる子ちゃん」それに続く「サザエさん」の視聴率の著しい低下が取り沙汰されているようです。
僕はかなり昔から「サザエさん」の放送が終わる時が、日本が本当に変わる時だと言っていました。
それに対してフジテレビは「サザエさんは永遠不滅です」と豪語していました。
しかし雲行きが怪しくなってきた。
そもそも当のフジテレビの長期的低落傾向にあり、これはもはや万人の知るところとなっています。
もしかしたら“その時”が少しずつ近づいているのかもしれません。
ふだんは仕事や接待でろくに家にいないお父さんも日曜の夜だけは家にいる。家族そろって楽しい夕食。家族のだんらん。
「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」は、そんなに日本の家族の幸せの時間をさらにあたためる暖炉の役割を果たしていたのだと思います。
しかし、そうしたお茶の間の習慣もとっくの昔に過去の遺物と化してしまいました。
そろそろお役御免なのか?
長年培われた習慣と、高齢者がテレビを求めていることを考えると、まだまだいける、そう簡単に消えてなくなるとは思えませんが・・・
でも、平成最後の夏のさくらさんの訃報は、何か日本人の生活が本質的に変わっていることを暗示しているようにも思えます。
エンディング産業展で、遺品整理クリーンサービスとともに特に気に入ったのが「旅する仏壇」です。
何と言ってもネーミングが最高で、出展ブースの名前が並んでいるだ
けの資料を見たときは、一体なんだろう?と思ったが、現物を見て納得
。おお、こういうものだったのか。
この仏壇というか、ご供養セットはお弁当箱みたいにコンパクトに収
まるようになっていて、どっかへ行くときにバッグに入れて携帯できる
。いわば置き電から携帯電話へ、パソコンからスマホへ、の発想です。
たとえば死んだ親父と温泉旅行に行きたい、おふくろが好きだった花
畑を見せてやりたい、あるいはワンコの散歩コースをまた歩きたいと思
ったら、この旅する仏壇を持って行ってチーンとやれば、思い出に浸れ
るわけです。
人間の脳はうまいことできているので、たったそれだけでも失った家族に対する回想の深度は段ちがいになるでしょう。
作ったのは若い仏壇職人や木工工芸士のチーム。こうした人たちは結
構すごい技術を持っているのだけど、産業の変化でそれを発揮できる機
会がめっきり減っています。
せっかく手につけた職を生かすには自分たちで企画を作るしかない・
・と生まれたのが「旅する仏壇」というわけ。
「あの世にいるお父さん・お母さんと旅に出よう」なんてキャッチフ
レーズが似合うかもね。
孤独死の現場・ゴミ屋敷の実態――誰もが目を背けたくなる現実をミニチュアにして表現。
べつにアート作品ではありません。
エンディング産業展で出展した「遺品整理クリーンサービス」という会社(板橋区)の展示です。
今年のブースで最も印象的だったものの一つです。
毎年エンディング産業展では葬儀やお墓・仏具仏壇を扱う企業のブースが大きく華やかで目立ちますが、年を追うごとに終活・遺品整理・遺族対応といったカテゴリーの業務を行う企業や団体のブースが増えています。
これらの業務は実際に展示する物がないので、パンフレットや販促物をわたすしかありません。
この会社も自分たちの仕事をアピールするには、写真や動画で表現するしかなかったのですが、やっぱりそういうものは見たくないという人が多い。
しかし、こうしたミニチュアを使って表現すると、不思議と抵抗感が薄れます。それどころか、あまりの出来栄えにコミュニケーションが弾みます。
作ったのは小山さんという入社4年目の20代の女性。
事務などの後方支援をやっているのかと思ったら、ズカズカ前線にも出動するそうで、こんなことを言うと差別と取られそうですが、思わず「え、こんなかわいい女の子が!」と驚いてしまい、20分ばかりその場でインタビューしてしまいました。
前職はアート関係だったのか、趣味としてこうしたものを作っていたのかと訊いたら、まったく違っていて、ある日こういう表現方法があるのではないかとひらめき、生まれて初めて作ってみた――というから、さらにオドロキ。
普段の業務をやりながら空いた時間で作っているので、さすがに最初の作品は完成までに4ヶ月かかったといいますが、それにしても感心することしきりです。
仕事に情熱を持ち、使命感を持ってやっている人には、何か神様に近いものが降りてきて、隠れていた才能を開かせるのかも知れません。
どうしてこの仕事に就こうと思ったのか、どんな気持ちで仕事をしていけるのか、遺体の処理など抵抗ないのかと無遠慮にどんどん質問をぶつけましたが、気負うことなく屈託のない笑顔で答えてくれました。
孤独死、ゴミ屋敷というと悲惨なイメージばかりで、どうしてとか、何とかならなかったのかと、普通の人は思うでしょうが、現場を知る彼女やこの会社の人たちは、ちょっと異なるイメージを持っているようで、非常に考えさせられました。
この話はまたおいおいここで書いていきます。
「エンディングライター」として、鎌倉新書の仕事でこの三日間、東京ビッグサイトに通い、恒例のエンディング産業展を取材してきました。
高齢化社会が進んで、向こう20~30年は毎年、死亡者が増える時代。葬儀関係・お墓関係・仏具関係の業界は活況を呈し、その周辺の終活、相続、遺品整理、遺族対応といった新しい仕事も次々と生まれ、人間だけでなくペットの葬儀なども激増しています。
2008年に公開され、大ヒットした映画「おくりびと」の中ではまだ葬儀屋さんが職業差別を受ける様子が描かれていましたが、10年後の今、この賑わいを見ていると、あれがはるか遠い異国の昔話のようにも思えます。
社会に必要とされ、産業として発展し、経済が拡大するとはこういうことなんだと言えばそれまでですが、やっぱり人の死をネタにお祭りをやっているようで、心の片隅にこびりついた違和感はぬぐえません。
自分もそのエンディング産業・経済の参画者のひとりなんだけどね。
ただし事態はそう単純でなく、活性化する反面、葬式もお墓も仏壇も坊さんも無用論が広がっており、業界は従来の仕事のやり方――というよりも、自分たちの存在意義の見直しを迫られています。
いずれにしてもこの先当分、エンディング産業は、僕たちに「生きるとは何か、死ぬとはどういうことか」を、いろいろ考えさせてくれそうです。
あなたも機会があればこの業界に目を向けてみてください。
先月末の入院中、本が読みたくなって、読書家の息子におまえのおススメを何冊か持って来いと言ったら5冊くらい持ってきました。
「ヨルとネル」(施川ユウキ)はその一冊。マンガです。
身長11センチの小人の少年二人の旅。いわばロードムービーのように物語は進んでいきます。
空き家の風呂に落っこちて出られなくなり、脱出のために排水溝から髪の毛を集めてきて縄梯子を作るとか、糸ようじをノコギリのように使って池の鯉を殺して食ったりとか、カップ焼きそばの空きがらの船に乗って一寸法師のように川を下るとか、ダウンサイジングした世界観とそこで展開する冒険譚、そしてサバイバル術が妙にリアルですごい。
絵はかわいいし、それぞれのエピソードは4コマオムニバスとでも言えばいいのか、独特のスタイルで連なっており、ギャグも詰まっていて読みやすい。
前半はギャグマンガかと思えるほどですが、後半へ進むにつれて、しだいに緊迫感と哀調を帯びてくる。
というのはこの二人はある収容所で実験材料にされており、そこから逃げ出してきたというバックスト―リーがあるからです。
当初、作者はそのバックストーリーと逃亡の旅のエピソードを交互に描くつもりだったと言いますが、結局、収容所の話はすべて省かれ、その分、旅の中で小人として生きる悲しみが強調された感があります。
登場人物は最初から最後までヨルとネルの二人だけ。
普通サイズの人間は声だけか、巨人の足としてしか出てこない。
けれども読み進めるうちに、僕ら普通サイズの人間もこれとまったく同じではないか、姿の見えない巨大なシステムに取り囲まれ、日夜追い立てられているばかりじゃないかと感じます。
そして二人はラスト間際、衝撃的な物体と出くわし、自分たちの旅の行きつく先を悟ってしまう。その物体が何かはネタバレになるので書きませんが・・・もう涙なしには読めません。
病院という特殊な空間で読んだせいもあるだろうけど、ひどく心に響く物語。そしてその響き方が昔見た懐かしい少年ドラマのようでした。心のツボはいくつになっても変わらないようです。
慢性硬膜下血腫の手術で入院➔退院して半月以上経過。
どっさり1か月分もらった薬も残り半分以下になりました。
この数日、涼しくなっいぇいますが、入院中は猛暑の真っ最中だったので、思い返すとなんだか病院に避暑に行っていたような感じです。
なんて今だから言えるけど、きょうカミさんと話していて、一歩間違えば相当やばいことになっていたなぁと実感しました。
なにせ通りすがりの美人のお姉さんに警察と救急車を呼んでもらってから、翌日、手術を受けて目が覚めるまでの約20時間の記憶がほとんど残っていない。夢の中のようにおぼろげな断片が浮かぶだけです。
どうも僕は最初に救急車で運ばれた病院で車いすに坐っていながら「大丈夫です、なんともありません」と言い張っていたらしい。
病院側もいい加減なもんで、どう見てもフラフラ状態の患者を「ご本人も大丈夫と言っているから大丈夫ですよ」と追っ払うように返したらしい。
検査だけはしたけど、しかもその検査でどう見ても脳の状態は大丈夫じゃないのがわかったのに返しちゃうってどういうこと? ご都合主義もいいところ。まあ、入ったのが夜で手術できない状態だったからしかたないけど。
どうやらこの病院は中間地点みたいなところで、医局つながりの他の大病院へ患者を回す役割を担っているらしい。つまり自分のところでは治療はしない。
カミさんがネゴると、翌朝すぐに対処してもらえるようにするからと、その病院(テレビでも出てくる、最近、割と有名なところ)を紹介してくれました。
それで翌朝、紹介状を持ってそこへ行ったら満床だから手術しても入院はできないと言われ、またもや追い返される羽目に。
それでまたもや救急車を呼んでもらって近くの三宿病院へ行き、やっと緊急手術・入院とあいなったわけです。
しかしそこでも僕はバカの一つ覚えみたいに「いや、おれは大丈夫」と言い続けていたらしい。
べつに強がっていたわけでも何でもなく、主観的には本当に自分は大丈夫だと思い込んでいたようです。
たぶん潜在意識の中で自分がおかしくなっていることえを認めたくない、周囲から病人扱いされたくない、といった気持ちがそういう表現に結びついたのでしょう。
現実にはカミさんと息子に支えられてやっと歩ける、やばいおっさんだったのに・・・・。主観と客観のギャップに愕然です。
当たり前だけど「大丈夫」と言えば「大丈夫」になるわけじゃない。
そんなわけで前も書いたけど、こういう場合、精神論やタながんばりは、まったく無用・無意味どころか、弊害でしかありません。
あたりまえだけど、「大丈夫」と言ったから「大丈夫」になるわけじゃない。こういう患者の言うことは信じちゃいけないし、それをうまいこと使って「大丈夫ですからお帰りください」なんてぬかす医者の言うことはもっと信じちゃダメです。
うーん、医者にかかるのは難しい。いずれにしてもカミさんがあれこれネゴったり、機転を利かせてくれたおかげで助かりました。
以前にも増して頭が上がらない。
アメリカではすでにスポーツ報道の記事など、ある程度、文章の定型が決まっている記事に、実験的にAIライターが導入されつつあるようです。
いつ、どこで、誰と誰(どことどこのチーム)が試合をやって、どういう経過でどっちが勝ったか。
チームなら活躍したのは誰か。
その結果、どんな状況になったか(プロ野球なら優勝のマジックナンバーが点いたとか)。
観客はどんな様子だったのか・・・。
詳しいことはわかりませんが、試合ごとにデータを入力していけば、自動的に記事を書き上げてくれるのだそうです。
近年、ライターの仕事の賃金は下がる一方で、相場もずいぶん安くなってしまいました。
日本でも新聞、雑誌、ウェブなどの一般的な記事は、10年後はAIライターが書いているのではないかと想像します。
でも、ものを書くという行為は、目的・媒体・課題・どのレベルだったら読者を満足させられるか・・・といった要素によって複雑に変化します。
情報をちょいちょいと集めて、浅瀬で手足をパシャパシャやるだけで成り立つものもあるし、深く自分の意識の底まで潜らなくては作れない文章もあります。
やっぱりそうだよね。本当に簡単な記事ならAIでもいいけど、ちょっと込み入ったものは、やっぱり人間がやらなきゃね・・・
と安心しましたか?
そう簡単に安心はできないですよ。
人間らしさが要求される分野――たとえばインタビューしないと書けないような記事ならAIには任せられないだろう、という意見があるかもしれませんが、僕はそうした反対意見には懐疑的です。
もちろん、インタビュイー(される側)がどんな人かによりますが、中には人見知り、あるいは人の好き嫌いが激しく、容易に心を開かない人だっています。
営利がらみでも、そうでない場合も、お互い初対面で込み入った話をするのは、かなり繊細さを要する行為です。
そんな時に、AIの力を借りることがあるかもしれません。
多くの人はリラックスでき、愛情を感じられる対象――たとえば子供や、ペットなどの動物には安心して心を開き、悩みを打ち明けたり、相談したりします(自問自答のようなものですが)。
なので、より質の高いインタビュー・取材をするには、インタビュアーを愛嬌のあるロボットや、ぬいぐるみみたいな、抱き枕みたいなロボットにするのです。
質問は遠隔操作でインタビュアー(取材者、ライター)が行います。声もそれなりに可愛い子供みたいな声とか、色っぽい女性とか、やさしく厳かな神父様やお坊さんとか。
相手の心に入りやすい声はどれくらいの高さ、どれくらいの周波数か、どんなリズム、スピード、語り口が最適なのか、AIが計算し、自動的に調整までしてくれるでしょう。
こんなAI・ロボットを使ったコミュニケーション、ライティングが10年後、20年後には普通に行われている・・・かも。
1~2歳の子供には大人には見えないものが見えるらしい。
山口県周防大島町の山中で行方不明になっていた男の子は三日間、夜をひとりでいったいどうやって過ごしていたのだろう?
暗黒の中の孤独。
たぶんおとなでも三日も続いたらおかしくなってしまうような状況だ。当然、必死で叫ぶだろう。
もうちょっと大きい子供でも泣いて誰かを呼ぶだろう。
でも彼は泣き叫んだりしなかったようだ。
山の精霊が彼のところにやってきた。
時間を忘れていっしょに遊んで、結構楽しかったのかもしれない。
その友だちがヘビやイノシシなどから守ってくれていた。
へたをしたらそのまま精霊のところへ連れて行かれてしまったかもしれないけど、絶好のタイミングであのボランティアおじさんがやってきてくれた。
それとも、あのおじさんが来るのを知っていて、精霊のほうがそれじゃこれで、と帰って行ったのかも。
おじさんはそれをキャッチしていたからすぐに見つけられたのかも。
いずれにしても二人のチューニングが合っていて、男の子は無事、人間の世界にもどることができた。
世の中は不思議なことがいっぱいある。
一昨日、Nスぺの「駅の子の闘い ~語り始めた戦災孤児」というドキュメンタリーを観ました。
「駅の子」というのは戦争(空襲など)で親を亡くし、戦災孤児になった子供たちです。
東京なら上野駅が最も多く、駅の構内で寝起きしていたので「駅の子」と呼ばれていたそうです。
戦争の被害者の中でもこれまであまり表に出ることのなかった人たちです。
東京在住の90歳に近い女性は、すでに未亡人ですが、亡くなった夫には最後まで自分が「戦災孤児(浮浪児)だったことを打ち明けられなかったと話していました。そうした自分の過去がわかってしまったら・・・と怖れながら生きてきたのでしょう。
彼女らは 今の小中学生の年齢の時にあまりに過酷で、惨めな思いをしたので、彼ら自身の罪ではないのに一生消えない恥の烙印を押されてしまったのです。
しかもそれを押したのは、敵だった連合軍ではなく、昨日まで仲間であり守ってくれる存在だった日本人の大人たち。ほとんど犬猫扱いで、いわば社会全体からの児童虐待のようなものです。
もちろん終戦直後の異常な状態の中、多くの大人も頭がおかしくなっていたせいですが、これでは大人を恨むな、社会を呪うな、というほうが無理というもの。
全国で120万人もいたという、こうした元・子供たちの話を聞いていると、もう人生、運しかないなと思ってしまいました。
さすがに国もこの惨状をいつまでも放置しておくわけにはいかず、終戦翌年の11月に児童福祉法が施行され改善に向かいます。
しかし数年後、国が復興し社会がまともになるまで何とかもった子は良かったものの、ひどい状況の中で病気や栄養失調で健康を害したり、精神を病んだり、犯罪生活や売春行為からぬけ出せなくなってしまった子も少なくなかったようです。
そして、ここでもどの施設に送られ、どんな大人に出会うかで運命の明暗が分かれてしまったのだと思います。
120万人の中で何割が無事大人になり、正常な社会生活を送れるようになったのでしょう?
すでに皆さん高齢なので、傷跡を隠したままで生を終えることも可能なのだと思いますが、どこかで心の中の子どもが、戦争なんて知らないよという人たちに「語らなきゃ」とやんちゃを言い出したのでしょうか。
先だっては「戦後73年もたっているんだから」と書いてしまいまいましたが、この人たちの中の子どもが持つ怒り・悲しみの感情は、73年だろうが、100年だろうが薄れることはない。そんな時間経過なんて関係ないのだと思います。
人生の先輩たちに対して恐縮ですが、そんな目にあったにも関わらず、よくここまで頑張ってちゃんと生きぬいて来られました・・・と本当に頭が下がる思いを抱きました。
ちなみに半村良の「晴れた空」(祥伝社文庫・上下巻)は、戦災孤児と戦後直後の社会の様子を描いた数少ない小説で、とても読み応えがあります。
作者は上野の闇市を体験しているようで、こうした子供たちとの交流もあったのでしょう。
あくまでフィクションですが、こういう作品は終戦当時の現場の空気を吸ってないとなかなか書けません。
戦争のことを話すのに日づけは関係ないと思いますが、やっぱり8月15日:終戦記念日は特別です。
メディアはこの日が近づくと、戦争の記憶を伝えるために、どこそこではこんなイベントが行われました・・・といった報道を必ず行います。
それはほとんど義務のようなものであり、責任であると考えているのでしょう。報道をすれば日本国民の多くは戦争のことを思い起こし、平和の尊さを改めて噛みしめる、という前提のもとに。
それに異論があるわけではないのですが・・・。
しかしぶっちゃけ、戦争体験者はもちろん「戦後体験者」も少なくなってきた昨今、こうした慣習がどこまで人の心に響いているのか、よくわかりません。
やめてもいいとは思わないけど、実際どれだけの人が耳を傾けているのだろう?
そういう自分の中でも「8月15日?ああ終戦記念日ね」と、たやすくスルーしてしまう程度の軽い存在でしかないのです。
と同時に1960年生まれの僕は、限りなくパーセンテージは低いけど「戦後体験者」といえるかもしれない・・・と思っています。
もの心ついたときはもう高度経済成長も終わっていたけど、子供の頃はほんのわずかながら、戦後の空気が残っていたような気がします。
「戦争文化」とでも言えばいいのか、そういうものです。
戦争体験者であるおとなたちがまだ若く、元気に社会を回していたせいでしょう。
「戦後体験者」というより「戦争文化体験者」というほうが的確かもしれません。
♪きさまとおれとは同期のさくら~
といった軍歌も歌っていたし、ゼロ戦・戦車・戦艦などはプラモデルの定番人気アイテムだったし、マンガやオモチャの分野でも「戦争」は一つのジャンルを作っていました。
障がい者となった傷病兵の人たちが、街角でアコーディオンやハーモニカを演奏して通行人からお金をもらっているのも、よく目にしていました。
そして、原爆や沖縄戦、大空襲などの話は、現代と比べて段ちがいの迫力・悲惨さ・リアルさを持って語られていました。
何よりもごく身近で聞く親の体験談(名古屋空襲・戦中戦後の生活など)は、自然に身体に沁みてきました。
そうした文化はけっして楽しいものではなく、できれば誰にとっても思い出したくない、触れたくないものなので、だんだん風化していってしまうのはやむを得ないのかも知れません。
それに今の子供たちや若い世代は、情報・データとしては知っているけれども、自分の五感で感じ取ったものは一切ありません。
これはもうどうにもならないギャップです。
風化させないよう、記憶を引き継いでいくには、従来のような報道の仕方や、ストレートな体験談を語るだけでは全然追いつかない。
そろそろ子供たちや若い世代の心にもよく響く新しい表現方法、新しい「日本の戦争文化」のようなものを作ることが必要になっているのではないのか、と思います。
なにせもう73年も経ってしまったのだから。
「生産性を上げよう」はビジネス現場の合言葉。
ところが近年、この「生産性」という言葉に負のイメージがまとわりつくようになりました。
ついこの間、「LGBTには生産性がない」と発言して炎上した杉田水脈議員。
僕があのニュースを聞いてすぐに連想したのが、2年前の2016年7月、相模原市の施設で園で障がい者殺傷事件を起こした植松容疑者です。
植松容疑者は「障がい者は生産性がない。だから社会に不必要。彼らのためにお金を使うのは無駄遣い」という恐るべき「正義」を振りかざして人を殺しました。
おまけにネット上では彼の唱える「正義」に賛同する者も続出しました。
杉田議員がどういう人かはよく知りませんが、おそらくLGBTの人たちに良いイメージを持っておらず、最近、彼ら・彼女らの声が大きくなってきたのを感情的にガマン出来ず、いかにも正論めいた発言を雑誌に載せたのではないかと推察します。
対象が障がい者・LGBTという違いはあれど、「生産性」という資本主義社会の歪んだ正義のもとにマイノリティを差別し、あわよくば排除しようという根っこの精神は同じ。
でもこれはこの二人に限ったことでなく、多くの人が潜在的に持っている感情なのではないかと思います。
だからまたフォロワーが出てくるに違いないと踏んでいたのですが、今回はネット上でも杉田議員の発言を肯定する意見は今のところ、ほとんどありません。
ちょっと違和感を感じ、なんで今回は出ないのか考えてみたところ、2年前の事件から「生産性」という言葉にマイナスイメージが貼りつき始めたからではないかと思うのです。
僕を含め、多くの人は「生産性」という言葉を心の中でとても怖れています。
「おまえは生産性がない・低い」と言われてしまったらどうしよう。
これは「おまえは社会に不必要な人間だ」と言われているのとほぼ同じ。
太宰治じゃないけど「生きていてすみません」と謝りたくなってしまう。
そのうち、ビジネス現場にも「生産性の高い」AI・ロボットマネージャーが登場し、生産性の低い人間の僕たちはこき使われるのでないか・・・という不安もだんだん膨らんでいます。
その上、杉田議員のように子供を産む・産まないという分野にまで「生産性」という工業・機械・経済などのイメージをまとった言葉を持ちこまれたら、LGBTじゃなくても自然と拒否反応も起こってくるでしょう。
平成の30年間の最も大きな成果・社会の進化は、人権意識が育ち、どんな人にも人間性を認め、尊重することが当然になったということだと思います。
それはより自分らしく生きることが可能になった、少なくともなり始めている、ということ。
国が貧しい時代は生き続けるのが困難だった人たちが、普通に生きて社会生活が送れるようになったーーその意味をもっとじっくり考えてみるべきではないかと思います。
ここ数日、テレビをひねってニュースを見ると、終戦関連のニュース、猛暑・台風などの気象ニュースのほかは、民放は日本ボクシング連盟の山根明会長の独壇場と化しています。
昨年末の日馬富士の暴力事件に端を発する大相撲のお家騒動や、先だっての日大アメフト部の問題など、スポーツ関連のスキャンダルはウケるのでと徹底的に深掘りしていくのが近年のマスメディアのお家芸になっているようです。
本来、クリーンであるべきはず(というかクリーンであってほしい)スポーツの理想と、全然そうなっていない現実とのギャップが面白く、視聴者が舞台裏を楽しめちゃうからでしょう。
いわば「バックステージツアー」ですね。
★利権の匂い
さて、渦中の山根会長、床屋さんへ行くのに日の丸のついた日本代表のトレーニングウェアなんぞ着て登場したせいか、報道の裏からはオリンピックの利権の匂いがぷんぷんと漂ってきます。
もちろん、これは今に始まったことでなく、例の新国立競技場やエンブレムの問題からすでに腐敗臭がダダ漏れしていました。
オリンピックというおいしいメロンを、あっちこっち、みんなで撫でまわしているうちに、本来の食べごろのはるか前から完熟を通り越して腐ってきちゃった、という印象を受けます。
こんなこと言うと、オリンピック目指して頑張っている選手の皆さんや周囲の関係者の皆さん、ファンの皆さんに申し訳なんだけど、2年後、僕たちは本当に純粋にハッピーでエキサイティングな気持ちでオリンピックを迎えられるのか心配になります。
まぁ、そういう気持ちで迎えなくちゃいけないよ、という国民の義務はないので、どうでもいいといえば、どうでもいいんですけど。
試しにインターネットで「オリンピック、利権」とキーワードを入れてみると、ぞろぞろいろんな記事が大量に出てきて、こんなのを読んでいるうちに、国民の何割かは心が離れて行ってしまうのでは・・・と、またまた心配になります。
心からオリンピックを楽しみたいと思っている人は、ニュースはNHKだけに絞って見たほうがいいかもしれません。
★56年前の夢よ もう一度
僕が思うにオリンピック運営の上層部にいる昭和人たちは、1964年の前回開催のイメージが頭にこびりついていて離れないのでは?
時代は高度経済成長の真っただ中。
「オリンピックを開催してもっともっと豊かになろう、世界の人たちに敗戦からみごとに立ち直って新しい国づくりに成功した日本を見てもらおう」
と明るく言えば、「よっしゃあ!」と、国民の心は容易くまとまるし、実際にますます景気は良くなり、経済成長していけました。
それにインターネットという、どこの誰ともわからぬ国民が言いたいことを言いまくって発信する鬱陶しい装置もありませんでした。
テレビ・ラジオ・新聞で当局に都合のいい情報だけを世の中に広めることも簡単にできちゃったわけです。
1964年大会が「若き高校球児」だとすれば、2020年大会は「引退目前まで追い詰められて必死に踏ん張ろうとしているロートルプロ野球選手」のようなもの。
前時代的な利権執着昭和人の「夢よ もう一度」のために、なんで俺たちも付き合わなくちゃいけないのか・・・
と考える人たちが大勢出てきてもおかしくないでしょう。
最近の進行状況を見ていると、利権で儲けられる人は大儲けできそう、そうでない人はボランティアという美名のもと酷暑の中をこき使われそう、といった現代の格差社会の写し絵的世界が展開する様相です。
もちろん、純粋にハッピーでエキサイティングな気持ちで、ボランティアとして参加できるのならいいのですが。
★オリンピックはこの先も必要なコンテンツなのか?
そもそも近代オリンピックというコンテンツ自体が、国力の見せつけだったり、金儲けの道具だったりしたわけで、果たして今、そういった必要をどれくらいの人が認めているのか?
1964年を体験した昭和の大衆と同じように、人生に刻印されるべき価値
あるイベントになりうるのか?
また、今回の東京大会のドキュメントが大量にネット情報として発信されるので、それに触れた世界の人たちが、今後、自国でオリンピックをやりたい!と、純粋にハッピーでエキサイティングな希望を持てるのか?
実際、莫大な予算がかかる関係で、IOCは東京以後の開催地候補があまりに少なくて困っているという話も聞きます。
とは言っても、青春をかけるアスリートや、スポーツに元気をもらって生きている人たちにとってオリンピック・パラリンピックは、希望の星。そう簡単にオワコン(終わったコンテンツ)にするわけにはいきません。
ただ、どうしたらもっと希望の持てるイベントにできるのか、どこかで再生手術をする必要があるだろうと感じます。
オリンピックをオワコンにするのもインターネット、よみがえらせるのもインターネットなのでしょうか・・・。
と、いきなり街の中で聞かれたら、あなたは何と答えますか?
とりあえず費用は度外視。意志の問題で。
「当ったり前でしょ、宇宙から青い地球を見て、地球と交信するんだ。それに宇宙遊泳もしてみたーい!」
なんて元気に答えるのがカッコいいし、夢のある人と思ってもらえるんだろうな、やっぱし。
うーん、でも僕は別に行きたくないなぁ。
1960年代から80年代にかけてのスペースオペラ小説のような世界が展開するんならいざ知らず、観光遊覧的なノリで地球の周りを回るだけじゃあ、どうもつまらない。
ちなみに4年前ですがJAXAとクラブツーリズムがアンケートをした結果、日本人の半分以上の人が「行きたい」と答えているそうです。
僕は宇宙旅行自体じゃなくて、こうした事業に関わる人たちの心の中のほうが面白い気がします。
何年先になるかわからないけど、宇宙旅行事業を題材にした仕事をしてみたい。
ノンフィクションとフィクション(ちょっとひねったスペースオペラもの)を両方書いてみたい。
そっちほうが僕にとっては夢だなぁ。
先週の退院以来、お盆を待たず、半ひきこもり状態で過ごしてます。
家事をやったり、パソコン内の整理をしたり、レギュラーワークをぼちぼちやっていますが、基本的にはクーラーの部屋でゴロゴロしてます。
慢性的な睡眠不足と疲労が溜まっていて、どこかでしばらくゴロゴロするような休みを取りたいなぁ・・・という心の声を聴いて、脳が「よっしゃ、そしたら休ませたるわい」と疾患が出たのかなぁ・・・とも思ったりして。
1週間、病院食(割とおいしかった)を食べていたせいか(割と好きだった)刺激物や油ものに食指が動かなくて、野菜と大豆ものを欲するとか、身体の変化も感じます。
あんまり動いてないから当たりまえだけど、食べる量も減ってます。
これまではストレス食いしていた部分もあったのかも知れません。
入院以来、毎日たっぷり寝て、身体にべちゃっとまつわりついていた疲労感が抜けたようです。
ただ、あんまりゴロゴロしていると現場復帰できなくなってしまうので、今週から少しずつ動き出しますよ。
シャバに出てきた今だからこそ笑って語れる顛末記。
長いのでおヒマなら。
●平衡感覚が取れず、足先に力が入らない
1ヶ月前、熱中症かな~と思っていたのが、慢性硬膜下血腫でした。
7月25日(水)夕方、永福町の自宅から明大前方面に向かって自転車をこぎ出したのですが、なんだかペダルを踏みこむ足に力が入らず、ふらふらする。
どうもおかしいな~と思ったのですが、「ええい、こんなものは気力で克服しちゃる!」と気合を入れ直し、一路目的地へ。
ところが「一路」というわりに蛇行している。
6月の事故以来、あまりスピードを出さないように注意しているのですが、ちょっと幅の狭い道で通行人や車とすれ違うと、ぶつかりそうな錯覚に陥り、ところどころ降りて歩くことに。
進めば進むほど、頭の中でおかしいぞ、おかしいぞという声が響いてくる。こりゃダメなんじゃないかという声が大きくなってくる。
「いやいや、おかしいと思うからおかしい、ダメと思うからダメなんじゃ!」と振り切っているうちにやっと甲州街道の交差点へ。
●美人のお姉さんの声掛けでギブアップ
そこで道路を横断しようとしたところで、通りすがりのおじさんに呼び止められ、「あんた、少し休みなさい」と言われました。
自分の中ではちょっとだけフラついているという自覚でしたが、傍から見ると相当フラついていたようで、交通量の多い甲州街道の辺りでは、かなり危険と映ったのでしょう。
そこでやむを得ず、高架下の駐輪場に自転車を停め、歩いて向こう側まで歩いて渡ったのですが、その歩きもフラフラ状態だったようで、今度はまた通りすがりの女性が『大丈夫ですか?ちょっと休みましょう」と声をかけてきました。
おそらく熱中症だと思ったのでしょう。
若い美人だし、おとなしく言うことを聞いて沿道で休んでいると、彼女は親切にも警察に電話してくれ、ほどなく3人の警官が登場。何を聞かれたか覚えていませんが、とにかく救急車を呼びましょうということになって最寄りの救急病院へ。
そこでCT検査をしたところ、慢性硬膜下血腫と診断されましたが、その夜は一旦自宅に帰り、翌朝26日、目黒区の三宿病院へ。そのまま緊急患者として手術、入院とあいなりました。
人生初めての手術、入院です。
●入院メモリー
初日はまったくベッドの上から動けず、頭に入った管には赤黒い血種の残りが出ているようで、グロくて正視できない状態。夜になってやっと頭の管を外し、バチバチとホチキスで傷口を止めてもらいました。
看護師さんが入院手続きの話をしたり、家族が来てあれこれ話したのですが、イメージだけが残っていて具体的にな何を話したのか、ほとんど覚えていません。
これもそんな自覚症状はなかったのですが、かなり意識が朦朧としていたのでしょう。
2日目以降はもちろん歩けるようになりましたが、トイレに行くにもナースコールが必要で、しかも入っていた病室がちょっと重症っぽい患者さんが多く、夜中に機器の管を外してしまうなどの騒ぎがあったりして、これはオレも相当な重症なのかな~、退院までどれくらいかkるのだろう?と不安になりました。
ただ、病院内は過去お見舞いや親の看護などで訪れたことのある他の病院よりも明るいイメージで、午前と午後にリハビリの時間も適度に退屈カ感・ストレスが抜けて、割と居心地よかったです。
いろんな個性をにじませる患者さんがいて、それに対しても明るく働く看護師さんやリハビリスタッフの人たち(仕事だから当たり前だけど)にも感心しました。
●ありがとう&疾患についての覚書&教訓
ま、シャバに出てきた今だからこそ、こんなのんきなことが言えるのでしょう。
たかが1週間だったんですけどね。
いずれにしてもいろんな人に助けられました。
特にわざわざ警官を呼んでもらった通りすがりの女性には感謝です。
若くて美人だったしね。
べつにそうでなかったら言うこと聞かなかったわけじゃないけど。
ちなみにこの疾患は、大した症状がなくても長期間放置しておくと命にかかわることもあるようです。
体験的に言うと、平衡感覚がおかしくなったり、踏ん張りがきかず、地に足をつける感覚が薄れたら、疑ってみた方がいいかもしれません。
そして、いくら精神論を唱えたり、気力を出そうとしてもダメな時はダメです。
大人しく認め、諦めることも必要ですね。
今朝、涼しいうちに駐輪場に置きっぱなしだった自転車を回収してきました。
リハビリがてらゆっくり漕いでみたら、感覚が戻っていました。完
しばらく更新が滞っていて失礼しました。
実は慢性硬膜下血腫(まんせいこうまくかけっしゅ)という疾患にかかり、7月26日から1週間、都内の病院に入院。本日退院してきました。
これは頭の中の硬膜と脳の間に血腫が少しずつでき、それが脳を圧迫するという疾患です。
かなりギュギュっと押しつぶされていたようです。
6月上旬に自転車事故で顔面を打ちつけましたが、その時の後遺症と思われます。
脳天を打った覚えはないし、直後のCT検査でも異常は見られなかったので安心していたのですが。
今月初めごろからどうも体調が思わしくないなと思っていたら、少しずつ出していたというわけです。
手術は頭の中から血種を抜き出すもので、そう深刻なオペではありませんでした。
ただ再発のリスクもあるので、向こう1カ月間はぼちぼちやろうと思っています。暑いですしね。
家族の他、緊急で仕事関係の方にはショートメールで連絡しましたが、ご心配・励ましの言葉、ありがとうございました。
入院の顛末や入院生活についてはちょっと笑える部分もあるので、後日改めて書きますね。
長時間の出歩きとハードワークはしばし控えますが、こんな感じで元気です。
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