「世界に一つだけの花」がテレビの懐メロ特集から消えた話

 

年明け間もなく話題を提供してくれた中居正広君の

9千万円示談金問題。

事実関係がよくわからず、

例によって憶測ばかりが飛び交って、

たぶん2月になる頃には、

みんな忘れてしまうだろうから一切触れませんが、

それよりちょっと気になったのが、

彼が所属してたSMAPの歌のこと。

 

年末のテレビにおいて恒例のように、

あちこちのチャンネルで懐メロ特集をやっていましたが、

ゼロ年代、国民的流行歌と言われた、

SMAPの「夜空ノムコウ」や

「世界に一つだけの花」がまったく出てこない。

なんだかあのグループ、あのヒット曲の数々が

エアポケットに落っこちて、

この世から消え去ってしまった感じでした。

 

いや、いろいろ権利の問題があるのは知っています。

そして、天下御免だったジャニーズ事務所が

あんなことになってしまった今となっては、

とてもテレビでは放送できないのでしょう、きっと。

 

けれども僕たちのようないい齢をしたおとなはともかく、

当時、SMAPの歌(或いは嵐など、

他のジャニーズグループの歌)を

聴きながら育った世代の子どもたち・若者たちの心情は

どうなるのでしょうか?

 

とくに「世界に一つだけの花」などは、

学校をはじめ、全国さまざまな地域イベントなどで使われ、語られ、彼らの子ども時代・青春時代の記憶とも

強く結びついているはず。

それが一切なかったことにされてしまうのは、

なんとも寂しいこと・悲しいことだと言わざるを得ません。

 

テレビや芸能界のルールとやらは、

そうした人びとの思い出や、

あの時、音楽がもたらした感動をチャラにしてしまうほど、ご大層なものなのか?

これでは若者はテレビにそっぽを向くわけだ、

と思わざるを得ず、考えれば考えるほど、

腹立たしくなりました。

「おとなの事情」なんてくそくらえ!

もっと懐メロを大事にしろ!

 

そんなわけで、AmazonKidleから

電子書籍「週末の懐メロ」全6巻を出版しています。

これは、2000年10月からブログ「DAIHON屋のネタ帳」で

3年半にわたって連載した文章をまとめたエッセイ集。

 

20世紀の、自分の好きなミュージシャン・楽曲について、

個人的な思いや体験、

あるいはその曲を聴いていた時代の状況、

当時のロック・ポップミュージック、

日本の歌謡曲やニューミュージックを取り巻く状況などを好きなように書き綴ったもので、1960~90年代の音楽を体験した人にとっては面白く読めるのではないかと思います。2000年リリースの「夜空ノムコウ」についてもスガシカオの楽曲として、第5巻に載録しています。

 

また、旧世代にだけでなく、

20世紀当時を知らない若い世代にとっても

きっと面白いに違いないと自負しています。

いまや 年代関係なく、インターネットを通して、

20世紀のポップ・ロック・歌謡曲などを

みんなが楽しめる時代になりました。

 

僕の20代の息子もキング・クリムゾンや

ブラック・サバスを聴いています。

僕よりよほど精通した、ロック博士みたいな若者もいます。若い人たちもネットでいろいろ調べて、

聴いて、懐メロを楽しむ時代。

その参考書、ガイドブックとしても、

役に立ててほしいと思っています。

 


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ペットロスから人生観・死生観が変わる

 

ペットロスによって人生観が変わった

という人の話を聞いた。

飼っていた柴犬が目の前で車に跳ねられたという。

 

話によると、散歩中、首輪がすっぽ抜けてしまい、

その犬が走り出した。

彼は追いかけたが、犬は面白がってグングン走り、

大量の車が行き交う大通りの交差点に飛び出した。

信号は赤。車が停まれるはずがない。

 

衝突した瞬間、犬は空中に高くはね上げられた。

歩道にいた彼の視界からは、交差点の風景は消え、

空の青をバックに、スローモーションで踊るように3回、

からだが回転する犬の姿だけが見えていたという。

 

「僕、赤信号渡ってましたね。

よく自分も跳ねられなかったと思います。

道路に落ちた犬を抱き上げました。

病院に連れて行こうと思って、

まず家に帰ったんですけど、

ちょうど玄関までたどり着いた時に、かくって死んだ。

よくドラマなんかで「かくっ」って死ぬでしょ。

あれだったよ。かくっとなってね。

口からすんごい色の血が出てきて」

 

この飼い主というのは、坊さんだ。

お寺の坊さんなので、それまで葬式や法事でお経を唱え、

何百回とご供養のお勤めをしている。

しかしというか、だからというか、

死は坊さんにとっては日常的なことであり、

他人事でもある。

ビジネスライクになっていたところは否めない。

 

けれども、犬の死はこの坊さんに大きな衝撃を与えた。

彼は精神的におかしくなって仕事が出来なくなり、

本山に行って一週間、

引きこもり状態で法話を聴き続けたという。

 

「あんなに真剣に、

仏様についての話を聞くことはなかったです。

そのきっかけを犬がくれましたね。

だから僕は仏様が犬の姿となって現れて

僕をまとも坊主に導いてくれたんだと今でも思ってます」

 

彼は今、自分の寺を持ち、

そこにはペットロスの人たちが自然と集まってくる。

 

ペットが死んだからと言って、

誰もが彼のような経験をすることはないと思うが、

それでもペットロスがきっかけとなって、

人生観・死生観が変わるといった話は時々聞く。

 

いっしょに暮らす、命ある生き物は、

僕たちが通常送っている

人間の社会生活とは違った角度から、

生きること・死ぬことについて、

考えさせてくれるのは確かなようだ。

 

死について考えることは、

よりよい生について考えること。

 

Deathフェス|2025.4.12-17 渋谷ヒカリエで開催

 

「死」をタブー視せずに人生と地続きのものとして捉え、

そこから「今」をどう生きるかを考える 。

新たに死と出会い直し、

生と死のウェルビーイングを考える「Deathフェス」を、

毎年4月14日(よい死の日)を中心に開催。 

 


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著名人の死2024とDeathフェス2025 

 

1月4日:篠山紀信(83)写真家

1月16日:庄司歌江(94)漫才師

2月6日:小澤征爾(88)指揮者

2月20日:山本陽子(81)俳優

3月1日:鳥山明(68)漫画家

3月4日:TARAKO(63)声優

3月14日:寺田農(81)俳優

4月8日:宗田理(95)作家

4月10日:曙太郎(54)力士

4月21日:フジ子・ヘミング(92)ピアニスト

4月26日:桂由美(94)デザイナー

5月2日:小山内美江子(94)脚本家

5月4日:唐十郎(84)劇作家

5月16日:中尾彬(81)俳優

5月27日:今くるよ(76)漫才師

6月9日:久我美子(93)俳優

7月4日:赤塚真人(73)俳優

7月26日:園まり(80)歌手

8月1日:桂米丸(99)落語家

8月28日:宇能鴻一郎(90)作家

9月3日:ピーコ(79)タレント

9月29日:大山のぶ代(90)声優

9月30日:山藤章二(87)イラストレーター

10月4日:服部幸應(78)料理評論家

10月17日:西田敏行(76)俳優

10月23日:せなけいこ(91)絵本作家

10月25日:楳図かずお(88)漫画家

11月12日:北の富士勝昭(82)力士

11月13日:谷川俊太郎(92)詩人

11月14日:火野正平(75)俳優

11月15日:崇仁親王百合子(101)皇族

12月6日:中山美穂(54)俳優

12月9日:小倉智昭(77)フリーアナウンサー

12月19日:渡辺恒雄(98)実業家

 

昨年(2024年)亡くなった著名人を書き出してみた。

上記は僕が知っている人たちだが、

どの世代の人も、このうち半分くらいは

ご存知なのではないだろうか。

 

彼ら・彼女らの活動・作品・発言・パフォーマンスの数々は、

僕たちの心の形成に何かかしらの影響を及ぼしてきた。

少なくとも何十年も会っていない親戚よりは、

かなり身近に感じるはずだ。

 

テレビなどで、このように

身近に感じて来た人たちが亡くなるたびに、

僕たちは、日本が超高齢化社会であるとともに、

超多死社会であることを思い知る。

 

死について考えることは、

よりよい生について考えること。

 

Deathフェス|2025.4.12-17 渋谷ヒカリエで開催

 

「死」をタブー視せずに人生と地続きのものとして捉え、

そこから「今」をどう生きるかを考える 。

新たに死と出会い直し、

生と死のウェルビーイングを考える「Deathフェス」を、

毎年4月14日(よい死の日)を中心に開催。 

 


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息子の安上がり正月リゾート

 

 

暮れから正月にかけて、足掛け1週間、

息子が泊まっていった。

別々に暮らすようになって以来、

こんなに長くいたのは初めてだ。

元旦が映画の日だから、ということで、

一人で池袋に「マッドマックス怒りのデスロード」と

「地獄の黙示録」を観に行ったのと、

昨日(4日)にいっしょに初詣に行った以外は、

家でゴロゴロしていた。

うちをリゾート施設扱いしているのかもしれない。

ずいぶん安上がりなリゾートだ。

 

その代金というわけではないが、

自分ではなかなかアプローチしない

マンガのこと、小説のこと、映画のことなど、

若い世代のトレンド的なものについて、

いろいろ教えてもらった。

 

会うたびにそういう話をして、

彼のおすすめをあれこれ見たり読んだりするのだが、

いつもなかなか消化しきれない。

今年こそはと思い、

本はいくつか手配したが、

どこまで読めるか。

 

今日の昼飯を食って帰ったが、

しばらくいっしょにいたので、

なんだかちょっと寂しくなった。

かといって、すっかり大人になった息子に

帰ってきてほしいとは思わない。

子供に戻ってもらっても困るし。

 

ただ、齢を重ねた親というのは、

こういう微妙な気分も味わうのだぁなと、

しみじみした。

というところで今年の正月はお終い。

 


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おみくじ引かない初詣

 

義母がデイサービスに出かけたので、

カミさん・息子と3人で大宮八幡宮に初詣。

さすがに正月四日ともなると、

人出はそう大したことなく、

ほど良い賑わい加減。

 

このあたりの神社仏閣施設では

ほとんど独り勝ち状態の大宮八幡宮では、

和田堀公園から入る入口の鳥居もリニューアルし、

ますます多くの人を集めているようだ。

 

毎年おみくじを引いてきたが、

今年はあまり気が進まなかったので、

引かずにおいた。

別段、特別な意図はないが、

おみくじの吉凶に一喜一憂して、

年の初めからエネルギーの無駄遣いをするのも

どうかと思ったので。

 

自分ができることを一生けん命やれば、

それでいいのだ。

 


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年賀状卒業生の皆さん、また会おう

 

「勝手ながら今年で年賀状を卒業させていただきます」

今年も何枚か、年賀状でこうした文面を見かけた。

ふだん、オンライン上でやりとりはしていないが、

連絡を取ろうと思えば、いつでも取れる人なので

いいと言えばいい。

 

べつに腹を立てるとか、いやな気持になるとか、

そういうことではないのだが、

それでも正直、ちょっと胸の中がモヤっとする。

 

どんな心境の変化だろう?

何か彼・彼女の身に何かあったのだろうか?

たしかにハガキ代は値上がったが、

そこまで節約しなくてはならないほど、

経済が困窮しているのか、

いやいや、まさか・・と、

あれこれ、どうでもいいことを考えてしまう。

 

「虚礼廃止」ということか。

僕は最初から義理立てするために

年賀状なんか出していないので、

「虚礼」をしているつもりはない。

 

仕事上の交流がなくなった人とは、

自然にやりとりもやめたし、

いまだ出しているのは、

やっぱり年一度は挨拶しておきたいなと

思う人ばかりである。

 

なので、ノリとしては中学生や高校生の時と変わらない。

あの頃の年賀状はすごく楽しくて、ワクワクした。

 

いかにもガキっぽい、面白い絵柄と文面は

50年以上経った今でもはっきり覚えている。

好きな女の子から来た年賀状はずっと大事に取っていた。

「お正月は○○神社で巫女さんのバイトやってます」と、

可愛いイラストを付けて書いてあった。

(家が遠かったのでその神社には行かなかったが)

 

そう考えていくと、

卒業宣言した人たちは、

僕とのやりとりも「虚礼」と捉えていたのかなと思う。

たぶん、それが「モヤっと」の正体だろう。

 

確かに、10年どころか、20年、30年、

一度も会っていない人もいた。

別に彼らを責める気はない。

僕の方が勝手にモヤっとしているだけだ。

 

それによくよく考えると、20代の頃は

ほとんど自分から出していなかった。

ちゃんと毎年出すようになったのは30代からだ。

いや、もしかしたら結婚してから、

子供が出来てからかもしれない。

よく憶えていない。

 

一時期は可愛い子供の写真、

幸せそうな家族の写真の年賀状がいっぱい来ていたし、

僕も息子が中学のころまでは

カミさんと息子と3人で撮った写真を

年賀状にして出していた。

 

あれっていま思えば、同じ立場の人たちはともかく、

そうでない人たちにとっては

かなり鬱陶しかったのかもしれない。

 

それに最近は個人情報開示のリスクが大きいので、

ああいうファミリー年賀状はヤバイのではないかと思うが、

小さい、可愛いお子さんをお持ちの方は

どうしているのだろう?

 

そして、もうこの世にいない人の年賀状も、

彼らの顔つきで何枚か思い出した。

去年が最後になってしまった友だちもいる。

 

長く生きていると、年賀状ひとつをめぐって、

あれこれ考えることがたくさんある。

 

年賀状文化の終わりということなのだろうか?

だからと言って寂しがっているわけではないが、

時代の移り変わりの一つの表れであることは確か。

 

LINEやメールなどで送られて来る

デジタルなご挨拶でも、

何十年か後、こんなふうに、

あれこれ思い出すことがあるだろうか?

と、ふと考え込んでしまった。

 


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義母のお正月スペシャル

 

義母を初詣に連れていく。

出かける前、靴下がはけないと言って騒いでいるので、

見に行ったら、なんと、手袋を履こうとしている。

そりゃ履けるわけないよ!

新年初笑い劇場か。

と、お正月スペシャルボケをかましてくれた。

 

都内有数、皇室御用達でもある大宮八幡宮が近いので、

義母もいっしょに行っていたのだが、

この数年、とくに昨年夏、肺炎ぽくなって

1週間入院してからは、さすがに以前ほど歩けなくない。

近いと言っても、年寄の足だと30分近くかかるので、

代わりに半分程度の距離の尾崎熊野神社に詣でる。

 

こちらは大賑わいの大宮八幡宮と比べると、

規模も人出も1割、2割程度。

僕ったちが行った10時過ぎは

ほかにほとんど人がおらず、

お参りの後、二人でベンチに座って日向ぼっこをしていた。

 

今日は日中はぽかぽか陽気で、

帰りもあちこちで坐って日向ぼっこしていたので、

結局2時間も散歩していた。

これもまたお正月スペシャルということで。

 


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2025年、高齢者1年生は18歳

 

あけましておめでとうございます

 

年初の目標は「18歳になって生きる」。

どれだけジタバタしたところで、

今年から「高齢者」と呼ばれる齢になってしまう。

なのでこの際、自分を洗脳することにした。

 

ただし、体力も感受性も半減どころか、8割減。

そして、カネもうけ主義と

魑魅魍魎渦巻くネット情報に

すっかり脳をやられてポンコツになっている。

 

そんなありさまなので、

言い換えれば、きょう「18歳でいよう」

と決めたことを

どこまで維持できるかが今年の目標になる。

 

具体的には、小説4作を含め、

月1で電子書籍を出して行く。

さらに小説については、

声優さんと組んでオーディオブックを出したい。

 

あとは昨年、100冊本を読んだ息子を先生にして、

19世紀文学の探究と、

最近のマンガの探究をしていきたい。

いつまでも昭和や懐メロで心を癒していられない。

新しい世界の探究も今年のテーマだ。

 

そして昨年の政治情勢、国際情勢、

名のある文化人・芸能人・芸術家らの多くが

他界したことを考えると、

今年はまた、時代の大きな変化があるだろう。

 

さすがに「老害」が退潮の兆しを見せている。

なんとなく18歳の時のわくわくした気持ちが

お腹の奥でうずくのを感じる。

いろいろ面白くなりそうだ。

 

ということで、とりあえずは

来週までに年末に取材した会社の

ホームページのテキストを仕上げる予定。

18歳でも生活は着実に。

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 


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おりべまこと電子書籍2024

 

今年は長編・中編、1作ずつの小説を出版。

2025年は書きかけの長編、

プロットを用意してある長編のなかから2作、

新しいアイディアの中短編を2作リリース予定。

 

エッセイ集は「週末の懐メロ」全6巻完結。

昭和99年は「昭和99年の思い出ピクニック」刊行。

その他、「食べる」「生きる」「動物」シリーズも。

2025年は「AI」「認知症」「エンディング」など

リリース予定。

そして締めくくりは「昭和100年の思い出ピクニック」。

 

新設ノンフィクションシリーズ

「市井の賢者(仮題)」を1月か2月にリリース予定。

 

2025年も書いていきます。

また読んでくださいね。

 

●今はまだ地球がふるさと

https://amazon.co.jp/dp/B0CW1FWZ59

 

●花屋のネコの大いなる任務

https://amazon.co.jp/dp/B0DPCN144Z

 

●週末の懐メロ第6巻

https://www.amazon.com/dp/B0CW1KKHXL

 

●昭和99年の思い出ピクニック

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWG58MCQ

 


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年末の認知症ミステリー

 

クリスマス前から年内UPの仕事に追われ、

なんとか完了。

年賀状も書き終え、大掃除も本日昼過ぎに終えた。

豆を煮て、花を飾ったところへ、

夕方、息子がお年賀を持ってやってきた。

やれやれ、やっと落ち着いて正月を迎えられる・・・

と思って義母の帰りを待っていた矢先、

デイサービスのスタッフがひとりで来て、

「すみません。車から降りないんです」。

驚いて見に行くと、

がんとして後部座席に座ったままの義母。

 

「さあ、いっしょに晩ごはん食べよう」

と言っても、心を開かない。

仕方なく、スタッフがひと回りして戻ってくると、

やっと応じて車を降りた。

その後はいつもと変わることなく、

いっしょにご飯を食べて床に就く。

食欲に支配されているので、

ふだんは家にいない息子(彼女には孫)が

来ていることにも頓着しない。

というか、そもそも気付いていない。

 

じつは2日前、別のデイサービスの帰りでも

同じことがあった。

これまでいっしょに暮らして5年半、

こんな振る舞いは一度もなかったのだが。

どういう心の動きがあるのだろうか?

 

1年が終わることをどこかで察知して、

無意識のうちに不安になっているのだろうか?

認知症の不思議な現象は、どこからともなく降ってくる。

 

 


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クリスマスカードと年賀状2024

 

今年も天才クラフトワーカーから

クリスマスカードが届いた。

 

今回のは一段と手が込んでいて、

かわいい靴下は本物の手編み。

 

いつも数十通、こんなのを送っているという。

彼女にはお返事として、毎年必ず年賀状を送る。

 

今年は郵便料金が値上がったこともあって、

「年賀状じまい」が加速しているらしい。

まさか、まさかの事態。

年賀状文化の崩壊が始まっている。

 

でも、SNSやLINEを使った年賀の挨拶と

年賀状とは、ずいぶんニュアンスが違う。

 

しばらく会ってない人、

ふだんは頭の中に存在していない人から

いきなりスマホに届く「おめでとう」には

戸惑いや怪訝な感じ(勧誘・商売の伏線?とか・・・)

を覚える。

仕事でデジタルはいいが、

正月の挨拶はやっぱりアナログであってほしい。

 

その点、年賀状だと違和感がない。

ああ、まだ生きてるな、

まだ彼(彼女)と繋がっているんだな、

という安堵感・安心感を覚える。

 

たしかに形式だけのやりとりならいらないと思うが、

SNSで連絡を取り合うほど

密な交流はしたくないけど、

なんとなく自分の人生のどこかにいて欲しい人とは

正月だけでも「おめでとう」と紙面で挨拶したい。

 

というわけで、クリスマスが済んだら、

あっという間にお正月。

これから年賀状書きます。

 

おりべまことの電子書籍

現代を生きる大人に贈る童話

花屋のネコの大いなる任務

 

無料キャペーンは、本日16:59をもって終了しました。ご購入いただいた方、ありがとうございます。よろしければレビューをお寄せください。同書は引き続き、AmazonKindleにて¥500で販売中。年末年始のあなたの心にプレゼント。

 

 


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自分へのクリスマスプレゼント

 

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一人で店を切り盛りする花屋の女主人と、

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12月23日(月)16:59まで。

さあ、急がニャいと。

自分へのクリスマスプレゼントにどうぞ。

 


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旅のお供はネコですか?

 

をかなえたあとも、

成功を果たしたあとも、

欲しい物をすべて手に入れたあとも、

まだまだ人生は続く。

夢に届かない人も、

失敗して転んだ人も、

何も手に入れられない人も、

まだまだ人生は続く。

あなたがどっちか知らないけど、

いっしょに旅をするおともがいれば、

まだまだ人生続けられる。

 

現代を生きる大人のための童話

花屋のネコの大いなる任務

12月23日(月)16:59まで

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あなたの“ねこ”は、どこにいますか?

 

夢をかなえても、

成功を果たしても、

欲しい物をすべて手に入れても、

むなしかったり、涙が出たりする。

そんなあなたの心を満たす“ねこ”は、

どこにいますか?

 

現代を生きる大人のための童話

花屋のネコの大いなる任務

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12月23日(月)16:59まで

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「花屋のネコの大いなる任務」無料キャンペーン

 

おりべまこと電子書籍最新刊

おとなも楽しい少年少女小説

「花屋のネコの大いなる任務」

本日より6日間無料キャンペーン開催中。

12月23日(月)16:59まで。

 

一人で店を切り盛りする花屋の女主人と、

彼女のために大いなる任務を果たす保護猫の物語。

クリスマスの賢者の贈り物として、

あなたの胸の本棚に1部いかがかニャ?

 

●あらすじ

 

彼女は「お花屋さんになりたい」という

少女時代の夢をかなえた。

今はとある町の小さな花屋の女主人として、

ひとりで店を切り盛りしている。

花に関する豊富な知識、アレンジメントのセンスと技術。

加えて人柄もよく、お店の評判は上々で、

商売はうまいこといっている。

彼女自身も毎日、大好きな花に囲まれて

仕事ができて幸せだ。

 

ところが、明日は母の日という土曜日の朝、

店の外に出て、びっくりした。

そこに置いてあったカーネーションの花が

ネズミに食い荒らされていたのだ。

ショックを受けた彼女は、

今後、二度と店にネズミを寄せつけないよう、

ネコを飼う決心をする。

 

保護猫サイトを探すと、

かわいらしい子猫たちにまじって大人のネコがいた。

人間に保護されるまで1年間、

野良猫として生き延びてきた頼もしそうな奴だ。

しかも彼は、オスの三毛猫というレアものである。

女主人は彼を引き取り、

「ダビ」と名付け、自分に言い聞かせた。

 

「寂しいからじゃない。癒されたいからじゃない。

ネズミよけのためにこのネコを飼うんだ」と。

そして、自分とネコとの関係を明確にするために、

雇用契約を結ぶ。

彼女は仕事の依頼主。

その報酬として彼に食事と寝床を与える。

 

こうして、花屋の女主人と

三毛猫ダビの暮らしが始まった。

 


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花屋のネコの大いなる任務 無量キャンペーン予告2

 

お待ちかね。6日間無料キャンペーン開催します。

12月18日(水)17:00~23日(月)16:59まで。

一人で店を切り盛りする花屋の女主人と、

彼女のために大いなる任務を果たす保護猫の物語。

 

ふと気が付くと、最近、

女性や女の子が主人個の話ばかり書いている。

この齢になると、男でも女でも、

子供でも大人でもジジババでも、

イヌでもネコでもネズミでも、

なんでも自由自在に変身できる。

 


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「花屋のネコの大いなる任務」無料キャンペーン

 

お待ちかね。6日間無料キャンペーン開催します。

12月18日(水)17:00~23日(月)16:59まで。

 

一人で店を切り盛りする花屋の女主人と、

彼女のために大いなる任務を果たす保護猫の物語。

花好き、ネコ好きに贈るクリスマスプレゼント。ぜひ。

 

●あらまし

 

彼女は「お花屋さんになりたい」という

少女時代の夢をかなえた。

今はとある町の小さな花屋の女主人として、

ひとりで店を切り盛りしている。

 

花に関する豊富な知識、

アレンジメントのセンスと技術。

加えて人柄もよく、お店の評判は上々で

、商売はうまいこといっている。

彼女自身も毎日、

大好きな花に囲まれて仕事ができて幸せだ。

 

ところが、明日は母の日という土曜日の朝、

店の外に出て、びっくりした。

そこに置いてあったカーネーションの花が

ネズミに食い荒らされていたのだ。

ショックを受けた彼女は、

今後、二度と店にネズミを寄せつけないよう、

ネコを飼う決心をする。

 

保護猫サイトを探すと、

かわいらしい子猫たちにまじって大人のネコがいた。

人間に保護されるまで1年間、

野良猫として生き延びてきた頼もしそうな奴だ。

しかもオスの三毛猫というレアものである。

 

女主人は彼を引き取り、

「ダビ」と名付け、自分に言い聞かせた。

「寂しいからじゃない。癒されたいからじゃない。

ネズミよけのためにこのネコを飼うんだ」と。

 

そして、自分とネコとの関係を明確にするために、

雇用契約を結ぶ。

彼女は仕事の依頼主。

その報酬として彼に食事と寝床を与える。

こうして、

花屋の女主人と三毛猫ダビの暮らしが始まった。

 


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AIはマンガのロボットみたいな相棒

 

今年はAIが大きく進化した年だった。

僕も去年まではお遊びで触る程度だったが、

今年は夏場、ちょっとヒマだった時期に

セミナーを受けて、

AIを仕事で積極的に使い始めた。

 

新しいテクノロジーを肯定するか比例するかは

その人の自由だが、

これだけ世間でAIについて言及され、

いずれ多くのマンパワーがAIに取って代わられる

といった話を聞いていると、

やはりある程度は知っておかないと駄目だ。

 

ろくに知りもしないで「AIなんか要らない」

と、ただ否定していると、

内心、どんどん不安とストレスが溜まっていく。

これはあまり良くない状態だ。

 

AIを知り、使い方を身に着けるには、

ただ遊んでいるだけでは不十分で、

やはり実際に仕事で使ってみる必要がある。

 

というわけで,いろいろ試して、

AIライティングの概要を

つかんでからは、できるだけ、

どんどん使うようにしている。

 

僕の場合、取材の文字起こし、記事の構成、

リード文の作成、タイトル案の作成などが主な用途だ。

一度完成した原稿をもっとカジュアルに、

若い読者向けに、みたいな指示を与えて

アレンジする場合もある。

小説を書く際に、

対話しながらプロットを書くこともある。

 

自分がどの程度、

使いこなせているのはよくわからないが、

僕はあまりAIの普及を心配していない。

 

やっぱり機械は機械なので、使っていると、

いかにもみたいなビジネス文章の文型、

「成長「発展」「拡大「希望」といった、

やたらポジティブなワードを多発し、

きれいにまとめようとする傾向が強いからだ。

いわば「模範解答」みたいな文章ばかりで面白くない。

 

もちろん、プロンプトで「もっと柔らかい表現で」とか、

「もっと砕けて」とか指示すれば、

代案を出してくるのだが、

何度もやり直しさせるのがめんどくさいので、

結局、自分で書き直すことになる。

 

でも、AIのNG案を見て、

新しいアイデアがひらめくこともあるので、

AIの作業が無駄とか、使う意味ないとは思わない。

ようは付き合い方しだいだ。

 

AIは人間より神様に近いかもしれないが、

日本は多神教の国。

神様はヒューマンタッチで愛嬌があって、

ときどき悩んだり、ズッコケたりしている。

だからアトムやドラえもんみたいなマンガも生まれた。

 

来年以降、AIがどれだけ進化するかはわからないが、

当分の間は、できるだけ、マンガのロボットに見立て、

優秀だけど可愛くて楽しい

仕事の相棒にしていきたいと思っている。

 


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週末の懐メロ180編

 

今年はブログで3年半連載した

「週末の懐メロ」を終えて、6冊の本にまとめた。

第1回「5年間/デビッド・ボウイ」から

最終回「オールウェイズ・リターニング/

ブアイアン・イーノ」まで、

国内外を問わず、自分が好きだった

楽曲・ミュージシャンについて

トータル180のエッセイを書いた。

 

最初は手抜きコンテンツとして始めたのだが、

やっていくうちにどんどん面白くなって、

自分の記憶・当時の時代状況や

音楽雑誌で読んだこと、個人的エピソード、

そして、YouTubeをはじめ、

各種ネット情報などをかけ合わせ、

ネタにした楽曲・ミュージシャンによっては

2千字、3千字におよぶこともしばしばあった。

 

20世紀の頃には知り得かなった

歌詞の詳しい内容、ミュージシャンの来歴、

その楽曲が生まれたエピソードなども

発見・深掘りできて、毎週とても楽しかった。

 

あの頃、心を満たしてくれ、

神秘の世界・感情の世界に誘ってくれ、

普通に生きているだけでは感じられないものを

体験をさせてくれた20世紀の

ロック・ポップカルチャーに感謝の念が尽きない。

 

人間が生きている限り、

音楽がこの世からなくなることはないが、

栄華を極めた音楽産業は、

この先、衰退の一途を辿るだろう。

 

今後はAIが進化して、誰でも簡単に、

いくらでも良い曲がつくれると言われている。

しかし結局、

それらはこの20世紀ロック・ポップカルチャーの

膨大なデータがあるからこそ生まれるものだ。

 

1950年代~90年代の天才たち、

そうでなくても、この時代、

幸運にも音楽の神とコンタクトできた者たちの

感性・知性から生まれた音楽の価値は、

これからも、いささかも下がることはないだろう。

 

アーカイブ文化が発達して、

僕の息子のような若い人たちでも、

僕などよりははるかに

20世紀ロック・ポップカルチャーに

詳しい人たちがいっぱいいる。

そうした人たちの勉強になるようなものではないが、

当時のリスナーの私的な感想・意見を交えた

雑文として読んでもらえたらいいなぁと思っている。

 


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人生の半分はオンラインにある

 

先日、テレビのニュースで

闇バイトに関わってしまった

大学生の母親のインタビューを見た。

 

印象に残ったのは、同じ家で暮らす家族でも、

一人一人、何をしているのか・考えているのか、

どんな人間と付き合っているか、

まったくわからないという点である。

 

そんなこと今に始まったことではなく、

昔からそうではないかという声が

聞こえてきそうだが、

昔と違うのは、今はスマートフォン、

インターネットがあることだ。

 

僕が子どもの頃は、

テレビが「1億総白痴化装置」とディスられていたが、

それでもテレビは、家庭の暖炉の役割を果たしていた。

 

冬は特にそういった印象が強く、

みんなで居間で炬燵に入り、みかんなどを食べながら

テレビを見る時間は、

かけがえのない一家だんらんのひと時だった。

 

令和の時代において、そうした風景は、

ほとんど失われてしまったように思える。

たびたび書いているが、

「サザエさん」も「ちびまる子ちゃん」も、

もはや現実とかけ離れた

昭和ファンタジーの世界になっている。

 

子も親もオンラインの中に潜り込んで、

自分で様々な情報を収集して知識を蓄え、

SNSなど通じて、自分だけのコミュニティを持ち、

個々で楽しめる娯楽や心の拠り所を育てている。

 

同じ家に住んでいても、もはや、

昔の意味での家族ではなく、

個人個人がなりゆきで同棲し、

家をシェアして暮らしているという感じだ。

それぞれの人生の半分は、オンラインにあるのだ。

 

それでも大人はまだいいが、

子どもはどうだろう?

 

件の母親は、いっしょに暮らしている息子が

オンラインのギャンブルにはまり、

依存症になって多額の借金をつくり、

焦って闇バイトに引っ掛かってしまったという経緯に、

まったく気づけなかったという。

父親も同様だ。

 

大学生だから、へたに干渉すべきでない。

ある程度は自己責任で・・・

という親の気持ちはわかる。

ただ、今の子供はかなり高い割合で、

オンラインの世界に脳を乗っ取られていると

思ったほうがいい。

 

「デジタル・ネイティブ」という言葉は、

どちらかというとポジティブな意味合いで

使われることが多かった。

これからの世の中は、ITが発達するので、

そうした仕組みをよく理解し、

使いこなせる人間が活躍する。

僕たちは漠然とそう思っていた

(思わされていたのかもしれない)。

 

実際、街中でスマホに子守をさせ、

自分もスマホを見ている親にしばしば出くわす。

でも、子どもは大人と同じではない。

親(大人)は、リアル体験を重ね、

アナログ時代の情報取得のプロセスを経て、

オンラインと向き合っているので、まだいい。

 

でも、子どもは大人と同じではない。

リアル体験も、アナログ時代のプロセスも乏しい。

大人と違って、小さな子どもの脳には、

魑魅魍魎が混じり合っている情報のカオスに対し、

 

自分を守るシールドがまだ出来ていないのだ。

 

 

文字でも映像でも、情報の弾丸や刃が、

柔らかい肌をブスブスと簡単に突き破って、

むき出しの脳に、心臓に突き刺さってくる。

それらは人間性を著しく歪め、

破壊するほどの威力を持っている。

 

そうしたオンラインの脅威を感じ取ったのか、

先月、オーストラリアでは

未成年のSNS使用を禁止にする法案が通り、

施行されることになった。

 

いま一度、僕たちの人生の、少なくとも半分が

オンラインに移行している現状を考え、

子どもにどうこの装置を使わせればいいのか、

検討することも必要になるだろう。

 

ITが普及しようが、AIが発達しようが、

人間は人間のまま、変わるはずがない。

そう考えていると僕たちは安心できる。

けれども、その安心感が、じつは危険を孕んでいる。

 

テクノロジーの急激な進化によって、

いま、人間は変わり始めている。

あとの時代になって、

あの21世紀の最初の四半世紀の頃が

その変わり目だったのだ・・・

という歴史が生まれるかもしれない。

  


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「クリスマスエクスプレス」におじさんたちは涙ぐむ

 

かつてJR東海に勤めていた、

もと鉄道マンの本を書いている。

彼はまだ民営分割化前の国鉄時代に入社。

39年間勤務して定年退職直前に辞めて

シニア起業家になった。

 

JR時代のアイテムや写真・記事などを

たくさん保存していて、

そのなかにあった牧瀬里穂との2ショット写真を

ちょっと自慢気に見せてくれた。

それは2017年、新幹線のぞみデビュー25周年記念の

イベントで撮ったものだそうだ。

彼は、1992年3月14日の、

のぞみデビュー車の運転士だったのだ。

 

でも、あれ?

あの牧瀬里穂のCM

「クリスマスエクスプレス」は1989年。

東海道新幹線は、

まだ「ひかり」と「こだま」しかなか

った時代だが‥‥。

ま、いいか。みんな喜べば。

たった1分のCMなのに、

いまや牧瀬里穂さんは、新幹線、

JR東海のイメージと分かちがたく結びついている。

これはすごいことだ。

 

そして山下達郎は、けっしてこのCMのために

「クリスマス・イブ」を書いたわけではないのだが、

このCMのおかげで、かの曲は

クリスマスソングの永遠の定番となった。

(初出は1983年。

実は竹内まりやのために書いたらしいが、

彼女が歌わなかったんで、

もったとないと自分で歌ったらしい)

 

その「クリスマスエクスプレス」が

4Kの美しい映像でよみがえり、

YouTubeに上がっている。

1989年の牧瀬里穂バージョンと、

1988年の深津絵里バージョン(実はこっちが初代)。

 

牧瀬と深津があまりにかわいくて

感動的なドラマであると同時に、

ついているコメントが面白い。

 

ループさせてえんえんと見ている人もいる。

夜中に家族に隠れて

こっそり泣いている人もいる。

僕も含め、最近、クリスマスて言ったってなーと、

全然盛り上がらない人は、

これを見て、テンション上げてください。

 


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メディアの声より自分の声を聴け

 

僕たちはメディア、エンタメが

成長してきた時代とともに生きてきた。

だから、一度も会ったことがなくても

親しみを感じたり、寄り添ったり、

自分を重ね合わせる対象が大勢いる。

 

芸情人、アーティスト、文化人、スポーツ選手。

そのほか、本・舞台・ラジオ・映画・テレビ・ネットの

世界のあの人たち。

 

彼ら・彼女らの存在や活動、発言を

心のよりどころにしている部分もたくさんある。

多くの人、特に40代~60代の人たちにとって、

中山美穂さんはその代表的な一人だろう。

 

まだ54歳。

人生100年時代ではまだ十分に若い。

あまりに当然の死にショックを受けている人は

少なくない。

 

思えば今年も20世紀カルチャーをつくった、

たくさんの有名人が亡くなった。

トシだから仕方ないかと思える人もいれば、

まさか、あの人が…という人もいる。

20世紀カルチャーは終焉し、

僕らはこれから膨大なアーカイブのなかで

心を癒しながら生きることになるのかもしれない。

と思うことがしばしばある。

あなたはどうだろうか?

 

終わりは急にやってくる。

人生100年という言葉・イメージは、

希望の糧であるとともに、

大きな負担・不安のタネでもある。

100年、100年と言われている間に

「ライフプラン」という体のいい言葉を考えすぎ、

老後の不安ばかり膨らませ、

老後に備えることできゅうきゅうしながら

漫然と生きることになる。

 

自分は本当はいくつまで生きるのか?

60か70か? 90か100か?

もちろん、それを知るすべはない。

 

でも、「今」に集中して、

自分を活かして毎日を生きていれば、

どこかで事前にそれを知らせる声が

脳の奥から訪れるのではないかとも思う。

おまえは十分にやったと。

物語のような妄想だけど、

心の支え・励みにはなる。

生と死は表裏一体。

どう生きるのか?

どう死ぬのか?

メディアの声より自分の声を聴け。

 


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秋の最後の日の散歩

明日から寒くなるそうなので、

今日は今年の秋の最後の日かも、

と思って、午後から義母を連れて

近所の公園を散歩する。

遠くに行かなくても紅葉をたっぷり楽しめる。

 

なかなか色づかなかったイチョウが

12月になってどんどん黄色くなり、

見事なゴールデンイエローに。

ほんの少しの風で落葉が雪のように舞って、

切なくも美しい。

 

「ほらほら、空からまたくるくる降ってくるよ」

と、高い木の枝から回転しながら降りて来る落葉を見て、

義母に促すのだが、どうも反応が鈍い。

 

認知症にも関わらずというか、だからこそなのか、

この人はときどき、路傍の小さな花を見つけたりして、

小さな子どものような感性の鋭さを見せることがあるが、

紅葉・落葉に関しては全然気をそそられないようで、

僕がどれだけ「ほら見て見て」言っても、

ほとんどゴミ扱いである。

 

そのくせ、そのへんに落ちている

お菓子の空き袋、ポケットティッシュ、

子どもが落としていったおもちゃやアクセサリーなどは

目ざとく見つけてガメようとする。

せっかく秋を楽しみに来たのに・・・。

と文句を言っても始まらない。

 

しかし、今日は暖かく、お天気も良く、

気分も体調もよかったようで、

なかなか帰りたがらず、2時間近くも歩いた。

こんなによく歩いたのは久しぶりだ。

 

ちなみにネコのいる花屋さんでは、

秋の花が終わったらクリスマスや正月を挟んで、

もう春の花。

暖かい部屋で春を楽しんでほしいのだそうだニャ。

 


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おりべまこと最新刊 「花屋のネコの大いなる任務」 本日発売開始

 

彼女は「お花屋さんになりたい」という

少女時代の夢をかなえた。

今はとある町の小さな花屋の女主人として、

ひとりで店を切り盛りしている。

 

花に関する豊富な知識、

アレンジメントのセンスと技術。

加えて人柄もよく、お店の評判は上々で、

商売はうまいこといっている。

彼女自身も毎日、

大好きな花に囲まれて仕事ができて幸せだ。

 

ところが、明日は母の日という土曜日の朝、

店の外に出て、びっくりした。

そこに置いてあったカーネーションの花が

ネズミに食い荒らされていたのだ。

ショックを受けた彼女は、

今後、二度と店にネズミを寄せつけないよう、

ネコを飼う決心をする。

 

保護猫サイトを探すと、

かわいらしい子猫たちにまじって大人のネコがいた。

人間に保護されるまで1年間、

野良猫として生き延びてきた頼もしそうな奴だ。

しかも彼は、オスの三毛猫というレアものである。

女主人は彼を引き取り、

「ダビ」と名付け、自分に言い聞かせた。

「寂しいからじゃない。癒されたいからじゃない。

ネズミよけのためにこのネコを飼うんだ」と。

そして、自分とネコとの関係を明確にするために、

雇用契約を結ぶ。

 

彼女は仕事の依頼主。

その報酬として彼に食事と寝床を与える。

こうして花屋の女主人と三毛猫ダビの

暮らしが始まった・・・。

 

花好き・ネコ好きに贈る、

楽しいなかにもピリリとスパイスの効いた中編小説。34,000字。AmazonKindleより¥500で発売中。

 


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なぜ女はいくつになっても踊るのか?

 

踊りに性別は関係ない。

誰でも踊っていいんだけど、

男はある年齢を過ぎると、踊らなくなる。

(人それぞれなので、あくまで一般論だけど)

 

ところが、女はいくつになっても踊る。

年齢は関係ない。

というのは、昨日、女性の友だちが

ダンス公演に出るからとお誘いを受けたので、

割と近所なので、自転車を飛ばして観に行ってきた。

 

場所は甲州街道沿い。

下高井戸と桜上水の間あたりにある

「G-ROCKS」という音楽スタジオである。

こんなところにこんな施設があるとは知らなかった。

 

ダンスというのはアフリカンダンス。

西アフリカにあるマリの民俗舞踊である。

(公演用にいろいろアレンジしているらしい)

 

アフリカンダンスはエネルギッシュで好きだが、

正直、マリもガーナもケニアもナイジェリアも

区別がつかない。

 

かつては他のアフリカ諸国同様、

フランスの植民地だったが、1960年に独立。

「マリ」とは国語である

バンバラ語で「カバ」という意味で、

首都バマコにはカバの銅像があるという。

 

どういう経緯で、かの国の音楽家・踊り手たちが

日本にやって来て根付き、

文化の伝達者になったのかは定かでないが、

世界的なワールドミュージックの広がりと

関係があるのかもしれない。

 

英米のロックミュージシャンたちの多くが

1980年代頃から、アフリカの音楽に魅せられ、

積極的に自分たちの楽曲にも取り入れるようになった。

 

こうした音楽ビジネスの隆盛によって、

アフリカンリズムやアフリカンダンスが

日本にも紹介されるようになり、愛好家も増えたようだ。

 

今では各国の音楽や文化を教える教室が

都内のあちこち(おそらく他の地域にも)あるらしく、

友だちが通っているのも、そうした教室の一つらしい。

 

なぜ、ガーナでもケニアでもナイジェリアでもなく、

カバのマリだったのかはわからないが、

これも「ご縁」というのものかもしれない。

 

司会役でもあり、歌も歌うダンスの先生は

マリ人(?)のお姉ちゃんで年齢不詳。

その生徒さんたちは、わが友をはじめ、

大半が高齢の女性。

たぶん浴衣を着て盆踊りをしていたら、

近所のおばちゃん・ばあさんといったところだが、

デザインされた民族衣装をまとって、

激しく体を動かすマリダンスをやっていると、

なんだかアフリカの民話に出てくる精霊の類に見える。

 

みんな、実に楽しそうに踊る。

その顔を見ていて何に似ているのかと考えていたが、

今日、近所の公園を散歩していて、

夢中になって遊んでいる女の子たちに遭遇し、

そうだ、こんな弾けるような笑顔に

似ているのだと思い至った。

 

ここで踊ることになるまで、

皆さんがどういう人生を歩んできたのかは

僕には知る由もないが、

せっかくここまで生き延びたのだから、

思い切り楽しんでしまおうという気概が感じられた。

 

失礼な言い方かもしれないが、

妻なり、母なり、愛人なりの務めを終えて、

もうセクシーであり続ける必要はないという意識が、

彼女らを良い方向へ解放している面もあると思う。

遊ぶ子供と踊る高齢女性の共通項は、

セクシーでいなくちゃという女の義務感と

社会人としての責任から自由なことだ。

 

もちろん、いくら齢をとっても

社会人であり続けているわけだが、

男がいくつになっても、

長年身に着けてきたプライドや役割から

逃れられないのに比べて、

最近は、女の方が第3・第4の人生を

楽しめる傾向が強くなっていると思う。

 

上手いか下手かなんて、どうでもよくて、

見ている側がちょっと笑っちゃえるくらいでいい。

死ぬまで笑って踊って、

かつまた、それで人を笑わせられたら、

それが最高である。

 


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新刊「花屋のネコの大いなる任務」

 

おりべまこと電子書籍新刊
「花屋のネコの大いなる任務」
花屋の主人はネコと雇用契約を結んだ。
保護猫だった彼に課された仕事とは?
少女時代からの夢を叶えた花屋の女と
フリーランスの三毛猫ダビの物語。
中編小説3万4千字。
12月1日(日)AmazonKindleより発売予定。
どうぞお楽しみに。

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「海の沈黙」:心の主食になる映画

 

久しぶりに映画館で、

倉本聰・作の映画「海の沈黙」を観る。

すごくよかった。

久しぶりにずしっと腹に応える映画を味わったなぁという感じ。

派手でわかりやすくておいしいけど、

あまり栄養になりそうにもない、

おやつみたいな映画が多い中、

これこそ主食となる、心の栄養になる映画。

 

「生き残り」と言ったら失礼かもしれないけど、

倉本聰さんは日本のテレビドラマ黄金期、

そして衰退傾向だったとはいえ、

まだまだ映画が娯楽の王座にいた時代を支えた

作り手の「生き残り」だ。

(こんな言い方は失礼だと思うけど)

 

今年で齢89歳。うちの義母と同い年。

改めて履歴を見ると、

なんと、僕が生まれる前、1958年から

ドラマ作りのキャリアをスタートさせている。

 

この20年ほどの間に

同じ脚本家の山田太一・市川森一をはじめ、

同時代に活躍した作家や監督や俳優が

次々とこの世を去っていったが、

倉本聰さんは依然健在で、

「どうしても書いておきたかった」と、

60年温めてきた構想を実現した。

 

キャリアが長けりゃいい作品が書けるわけじゃない。

ものを書くには気力も体力もなくてはできない。

体内のエネルギー量がどれだけあるかの問題なのだ。

こんな気力溢れる作品を書く力が残っているなんで、

驚きと尊敬の何物でもない。

 

セリフの一つ一つ、シーンの一つ一つが重く、深く、

濃厚な内容は、昭和の香りがプンプン。

サスペンスの要素もあり、画面には2時間の間、

緊張感がみなぎって面白いので、

若い人にも見てほしいが、やっぱりこういうのは

ウケないんだろうなとも思う。

 

かくいう僕も、20代・30代の頃に

こういう映画を見て傑作と思えたかどうかは怪しい。

やっぱり齢を取らないとわからないこと、

味わえないものがあるのだ。

 

出演陣も素晴らしい。

なかでも中井貴一は飛び抜けてシブい。

それに比べて、主演の本木雅弘は

いま一つ軽いかなぁという感じ。

 

これまで小泉今日子をいいと思ったことは一度もなく、

倉本作品に合うのかなと思ったが、最高だった。

 

もと「なってたってアイドル」なので、

この類の人は、何かにつけて「経年劣化」を揶揄される。

けれども最近、不自然な修正画像やアニメ顔、

整形美女の不気味な顔を見過ぎているせいだろうか、

たびたびアップになる、しわの寄った顔が、

リアルでナチュラルで美しい。

そう思ったのは、やっぱり自分も齢を取ったからだろう。

 

カミさんと朝イチ(といっても11時半)の回に行ったが、

僕たちを含めて、観客はシニア割の人たちばかり。

やっぱり昭和の作り手、昭和の観客の世界だ。

間もなくこうした世界はむかし話になるだろう。

でも僕は、リアルで深遠な昔ばなしを

大事にしていきたい。

 


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本日も生存しているが、 「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか」

 

神妙な顔で「人生とは・・・」とうなっている人も、

ひたすら働いて、仕事と貯金と投資に明け暮れている人も、

ただ毎日むなしい思いで時間を浪費している人も、

ぜひ、この本を読んでみてください。

 

たぶん元気になる。

ちょっとは心が楽になる。

サブカルチャーの担い手・みうらじゅんと

とぼけた才人・リリーフランキーの

抱腹絶倒の対談集(っつーか、飲み会の雑談のノリ)。

内容はまさしくこのタイトル通り、

ワハハとあきらめて人生を語り倒す。

 

さて、今年もあと1か月ちょっとだけど、

時間がないない。

10~20代の1年は、40代だと半年、50代で4カ月、

60代になるとせいぜい2カ月。

いや、1か月半かな?

ほんとだよ。

あと20年ある、30年ある、

50年あるなんて考えない方がいい。

そんな時間はありません。

「人生100年」なんて言葉に騙されず、

あなたの短い人生を大切に。

 

 


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ほらほら、斎藤さんが知事に復帰できたのってアタシのお手柄じゃないですかぁ

 

兵庫県の知事選で当選した

斎藤元彦氏の公職選挙法違反疑惑の件。

これは斎藤氏がどうこうではなく、

広報戦略を作ったという

PR会社の女性社長がナゾナゾ。

 

「ほらほら、アタシがやったんですよ。

皆さん、知ってましたぁ?

あの人が復帰できたのって、

やっぱ、アタシのお手柄じゃないですかぁ」

 

斎藤氏の大逆転復帰劇で

舞い上がってしまったのだろうか?

自慢したい気持ちはわかる。

ビジネス拡大の大チャンス!って気持ちもわかる。

けど、SNSに自分の手柄を書いて、

見せびらかすって、ちょっとあり得ないゾ。

 

クライアントに対する守秘義務厳守って、

広報の仕事の基本中の基本だゾ。

それを社長自ら破ってどうする?

 

最近はやりのマウント大好きキラキラ女子なのか?

僕の周りには優秀な女性が多いけど、

こういう人がいるから、

「やっぱり女は・・・」なんて言われちゃう。

もっとちゃんと仕事しようよ。

 


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動画CM制作のノウハウとAI活用を同時に学べる講座

 

電子書籍・おりべまことの

新しいノンフィクションシリーズ

「市井の賢者」(仮題)の制作にご協力いただいてる

高塩博幸さんの取材で北千住へ。

 

高塩さんは、新幹線のぞみ第1号の運転士。

JR東海を定年退職の直前に辞めて、

みずから映像ディレクターのスキルを学び、

シニア起業家として

映像制作の会社「ブルーオーシャンスターズ」を立ち上げた。

 

今日はAIの研修講師である宮田剛志さんと組んで

「30秒CM動画制作講座」を開催した。

テクノロジーの発達で、

小規模な会社でも、お店でも、個人事業主でも、

手軽にCM動画がつくれる時代は、

これからどんどん進むだろう。

 

動画制作のノウハウと

AIの活用法を同時に学べるお得な講座だ。

初めての講座開催とのことだったが、

JR時代に運転士の教官をやっていたという

高塩さんの指導はとても丁寧でわかりやすく、

自信に満ちていて、すでに円熟の域。

 

動画CM制作のノウハウと

AIの知識を同時に学べるお得な講座で、

参加者も大いに満足した様子だった。

 


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追悼・谷川俊太郎さん:母校の卒業生に贈った詩

 

以前、「卒業式の詩と死」という

ブログ記事を書いた。

息子の高校の卒業式で聴いた

谷川俊太郎さんの詩についての話だ。

 

息子が卒業したのは、都立豊多摩高校。

谷川さんの母校である。

ただし、ご本人は学校が嫌いで、

戦後の混乱期だったこともあり、

ろくに登校していなかったという。

今でいう不登校の生徒だったらしい。

 

その谷川さんがOBとして、

1968年の卒業生の要請を受け、

「あなたに」という長編詩を創作して贈った。

以来、半世紀以上にわたって読み継がれてきており、

2015年の息子の卒業式の時も

ラス前に演劇部の生徒が朗誦した。

 

長いので、最後のフレーズのみ引用する。

あなたに「火のイメージ」を贈り、

「水のイメージ」を贈り、最後に「人間のイメージ」を贈る、

という構成だ。

 

 

あなたに

生きつづける人間のイメージを贈る

人間は宇宙の虚無のただなかに生まれ

限りない謎にとりまかれ

人間は岩に自らの姿を刻み

遠い地平に憧れ

泣きながら美しいものを求め

人間はどんな小さなことにも驚き

すぐに退屈し

人間はつつましい絵を画き

雷のように歌い叫び

人間は一瞬であり

永遠であり

人間は生き

人間は心の底で愛しつづける

――あなたに

そのような人間のイメージを贈る

あなたに

火と水と人間の

矛盾にみちた未来のイメージを贈る

あなたに答は贈らない

あなたに ひとつの問いかけを贈る

 

けっして上手な朗誦ではない。

しかし、圧倒的な言葉の連なりに、

会場は神聖な空気に包まれた。

こんな体験ができた子供も親も

本当に幸福だったと思う。

 

今も胸に残響している。

半世紀経とうが、1世紀経とうが、

色褪せるどころか、ますます鮮烈になるイメージ。

命の息吹溢れる言葉、呼吸し鼓動する詩。

 

日本最高峰の詩人・谷川俊太郎さんの

ご冥福をお祈りします。

 


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