自分好みの女がいくらでもAIで作れる世界

 

日々、AI美女に頭クラクラ。

最近、AIがらみの記事をよく書いているので、

それに添える画像を検索する。

今年の春先までは、ほとんどが、

よくあるサイバー脳みそみたいなやつだったのだが、

夏場あたりから美女・美少女画像が激増した。

 

それもちょっと前までは

アニメっぽいのが多かったのだが、

見るたびにどんどんリアルなのが増えてきて、

写真と見分けがつかない。

 

もちろん、AI美少年・イケメンもいるが、

こっちはアニメ顔が多く、

数的にもクオリティ的にも

AI美女のほうが圧倒的に勝る。

 

ということはつまり、

AI美女を作るのに心血を注ぐ男が、

圧倒的に多いということだろう。

好きなもの・愛するもののためなら

みんな努力を惜しまないから、

スキルアップのスピードも速い。

 

女が女を作るケースもあるだろうが、

主流とは思えない。

 

今日は、作り方のプロンプト集を発見。

こんなものが公開されているのであれば、

今後、ますます美女・美少女は量産され、

ネット上に溢れかえるだろう。

 

そういえば、少し前からフェイスブックに

やたらと「ちょいエロ系美女」から

友だち申請が来るが、こいつらもAI?

 

もはや実在の女のメイクや整形も、

アニメやAIに寄せてきているし、

もうなんだか判別がつかない。

 

自分好みの女がなんぼでもAIで作れるなんて、

なんてすばらしい時代!

いや、そうじゃない?

いずれにしても、僕たちはもう

AIと共存する世界にいる。

 


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ライティング脳のサイボーグ化?

 

サイボーグ取材ライター、奮闘中。

先週、取材した山梨のお寺の記事を執筆。

今回は最初の構成、締めのリード文、

そしてメインタイトルをAIに相談しながら書いてみた。

 

構成作成には取材音声の文字起こしと

ホームページなど、ネット上の資料を

合計1万字ほど、

 

リードとタイトル作成には同様に、

自分で書いた本文を5千字ほど、

プロンプト内に「思考ヒント」として

読み込ませた。

 

これだけの分量を食わせても、

あっという間に消化吸収して、

数秒のうちに回答を出してくるのが、

AIのすごいところ。

ただ、出してきたものはどれもイマイチだ。

まぁ、いろんな情報を

よくまとめているけどね、という感じ。

 

基本的に現在の生成AIは、

誰からも文句が出ないよう、

優等生みたいな文章を提案してくる。

いかにもビジネス文書っぽい、

キレイキレイした文だ。

 

一見、内容はちゃんと把握されており、

無難でよくまとまっている。

だからつまらない。

だからAIくさい文章になっている。

 

SEO記事などを求める企業が

ライターに生成AIの使用を禁止するのは、

著作権問題もあるが、

一番大きいのは、この「AIくささ」が匂うからだ。

大半の企業は、「AIを使ってもいいけど、

出力した文章そのままはNG」という。

少なくとも、人の手で加工してね、ということだ。

 

だから、AI使って楽に、速く、たくさん書こうと

目論んでも仕事はすぐに途絶える。

決まったマニュアルや形式的な文書ならともかく、

雑誌やウェブや書籍の“読んで楽しい”原稿を

AIを使って書くのは、かなりの手間ヒマがかかるのだ。

 

今回の構成・リード・タイトル、

どれも何度か書き直させたが、

結局は、AIの提案を却下して自分で書いた。

 

じゃあAIを使うのは無駄かというと、

そんなことなはい。

自分一人でやっていたら、

おそらく思いつかなかったであろうフレーズや

言葉の組み合わせを出してくる。

それに一人でゼロから書くよりはやはり楽だ。

AIの提案を参考にできる部分は多い。

 

そのためには1回提案させて終わりにするのでなく、

何度もしつこく、もっとこうできないかとか、

こんな感じで文章を作れないかとか、

もっと楽しく、面白くできないかとか、

しつこく要求することが大事である。

 

そして、ただ要求するだけでなく、

AIの人格(?)を認め、対話すること、

つまり手を抜かないで、できるだけ丁寧に、

こちらの要望・台詞をプロンプトに

書き込むことが必要だ。

 

それを繰り返していると、

AIが自分用にカスタマイズされてくるように感じる。

言い換えると、AIとのコミュニケーションによって、

自分のライティング脳がサイボーグ化されてくる。

 

ネット上の情報を集めて作る記事ならAIでも書けるが、

取材記事(一次情報を必要とする記事)は、

まだ当分、AIには書けない。

 

うまくAIをパートナーにし、

脳をサイボーグ化していけば、

まだまだ人間ライターが活躍する場は減らないだろう。

 


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1300年前の仏像がもたらした日本のワイン文化

 

先日、取材で訪れた山梨県甲州市勝沼の

“ぶどう寺”大善寺。

ここの本尊の薬師如来は、

手にぶどうを持っている。

この像が最初に作られたのが1300年前の奈良時代。

現存しているのは作り直されたものだが、

それでも1200年前の平安時代初期というからすごい。

 

それほど昔からこの土地には

ぶどうが豊富に実っていた、ということを意味する。

 

江戸時代に甲州街道の宿場町となった勝沼では、

今ごろの季節になると、街にぶどうが出回り、

江戸へお土産に買っていく人も多かった。

 

「勝沼や 馬子も葡萄を喰いながら」

という俳句も残っており、

これは江戸時代中期の俳人「松木珪琳」の句だが、

長らく松尾芭蕉の作品だと伝えられてたらしい。

むかしは(今でもだが)、俳句と言えば、一般人は

松尾芭蕉しか知らないので、

そうしておいたほうがブドウが売れる、

という商売人の知恵だろう。

 

 

ただ、ワインを飲む習慣が日本人の間に根付くには、

明治の勃興期から100年の年月を要した。

明治・大正・昭和の日本人は、

ビールやウイスキーは飲んでも、

ワインを飲む人なんて、ほんのわずかだっただろう。

 

日本人が好んでワインを口にするようになったのは、

豊かさが定着した始めた80年代、

もしくはバブル期以降と言ってもいいかもしれない。

 

それまで日本人の多くはワインと言えば、

「赤玉ポートワイン」に代表される、

砂糖を混ぜたような甘ったるい酒だった。

僕も中学生の頃、

友だちとクリスマスパーティーで飲んで、

ひどい目にあったことがある。

 

一般庶民が気軽に海外へ旅行に出かけるようになり、

フランス産やイタリア産のワインを口にして、

ちょっとスノッブな気分でうんちくを語るようになった。

その頃はまだワインと言えば、輸入ワインで、

やっぱりヨーロッパ産に人気が集まった。

 

 

山梨県で作る「甲州ワイン」に脚光が浴びるのは、

その後の和食ブームから。

ヨーロッパ産のワインは、基本的に肉料理や乳製品、

魚介類でも濃厚なソースを使った

料理に合うよう作られている。

アメリカやオーストラリア、南米産も同様だ。

 

だから、すしや刺身に合わない。

いっしょに口にすると、魚が生臭く感じらてしまうのだ。

そこで、おとなしい、さっぱりした味わいの

国産ワインが人気になった。

 

そういう意味では勝沼がワインの産地として

注目されるようになったのは、ごく最近のこと。

まさに大善寺の「ぶどうを持った薬師如来」が、

1300年の時を超えて、

この土地に新たな恵みをもたらしてくれている。

お寺を大事にしてきた住民たちへの御利益と言えそうだ。

 


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どうだ ぶどうだ ぶどうの寺だ

 

猛暑・地震・台風に脅かされた8月だけど、

日は短くなり、家の近所では朝晩、秋の虫が鳴く。

秋の味覚ぶどうも八百屋の店先に

たくさん並ぶようになった。

 

今週は台風の合間を縫って、

山梨県甲州市勝沼町にある「ぶどう寺」を取材。

この寺のご本尊は、

手にぶどうを持っている薬師如来像。

 

1300年前、奈良時代の創建で、

戦国時代には武田勝頼、

幕末時代には近藤勇が立ち寄ったという

由緒がある。

 

昔からこの界隈は、ぶどうの産地だったが、

戦後の農地開放で寺は広大な土地を手放し、

貧乏寺になったたため、境内を開墾して畑を作り、

ぶどうを栽培するようになったという。

 

武田勝頼・近藤勇のストーリーパネルが掛かる

山門のわきの畑には、ベリーAがたわわに実る。

ここの住職は、ワイン会社の社長も兼務しており、

自分で栽培、ウィン作りもやっており、

このぶどうも9月にワインにするという。

 

甲州ぶどうは昔から外来品種と言われていて、

中国から朝鮮半島を通って九州に植えられた。

最近はDNA鑑定でルーツが解明され、

カスピ海の東側のコーカサス地方で

作られているヨーロッパ系のぶどうが

シルクロードを経て、

中国の野生種と二回交配し、

仏教の伝来とともに日本に入ってきた。

 

勝沼では明治時代に日本初のワイナリーが

できたことでも有名。

 

この寺、大善寺を「ぶどう寺」と名付けたのは、

現在の住職で、

名実ともに勝沼の文化の要となる国宝のお寺だ。

 

それに習ったわけでもないのだろうが、

割と最近だが、JRの駅名も「勝沼ぶどう郷」に変更された。

東京から電車で2時間。

歴史、ブドウ狩り、ワイナリー見学。

秋の一日をたっぷり楽しめるところだ。

 


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父もむかし子どもだった

 

今日は父の96回目の誕生日だった。

といっても、もう16年前に亡くなっている。

生きている間はまったく意識したことなかったが、

亡くなってから

昭和3(1928)年8月30日という誕生日が

気になるようになった。

 

親も昔は子どもだったという不思議。

あたりまえのことだけど、

子どもの頃は、大人ははじめっから大人で、

父や母に子ども時代があったなんて夢にも思わなかった。

そういうことを考えるようになったのは、

亡くなってからだ。

 

父は東日本大震災も、令和という元号も、

コロナ禍も知ることはなかった。

その代りに、太平洋戦争や高度経済成長や、

昭和から平成の金満日本を体験した。

 

ただの庶民、ただの肉体労働者で、

政治活動・思想活動などとは縁がなかったけど、

10代の多感な時期に終戦を迎えたせいか、

戦後の大人たちの裏切りに腹を立てていて、

子どもだった僕に、よくそういう話をしていた。

 

とくに説教じみた話じゃなかったけど、

やはり父はすでに大人だったので、

子ども心にはリアリティがイマイチで、

「またか」という気持ちで聴いていた。

本当はもっとちゃんと聞いておくべきだったんだよな。

せめて生きている間に。

 

親孝行とは、母の日や父の日にプレゼントしたり、

温泉旅行に招待したりすることじゃない。

 

父も母も昔は子どもだったということを想像して、

大人になった姿と結びつけることだ。

でないと、まともにコミュニケーションできないまま、

親子関係は終わってしまう。

大切な時間のはずだけど、

人生においてそうした時間はあまりに少ない。

 


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あなたも一度は着ぐるみアクター  着ぐるみバイト募集!

 

着ぐるみアクターをやったことがあるんですと、

1年程前に仕事で取材した人に話したことがある。

そしたら、それをしっかり憶えていて、

今日、「着ぐるみの仕事があるんですけど・・・」

と問い合わせメールが来た。

 

マジか?

やってみたい気はするけど・・・死ぬかな?

来月だから暑さもやわらいでるかも。

ふなっしーみたいに動き回るわけじゃないので、

できなくないかも。

‥‥と思ったが、

やっぱ体力的に1日もたないだろうな。

それに後々のダメージも大きいかも。

 

と思って、よく読んだら、

「後輩で小柄な女性、ご存知ないですか?」

とのこと。ただ、年齢は不問。

 

以前は若者でないと無理だった

こういう仕事の担い手も、

人材不足で高齢化しているらしい。

 

イベントで手を振って街を歩くだけの

ゆるキャラなら、40,50でも

けっこうできるかも。

以前も書いたけど、

「あなたも一生に一度は着ぐるみアクターを」

の時代だね。

 

もし、やりたい人、もしくは紹介できる人が

いれば繋ぎますので、ご連絡ください。

条件は以下の通り。

 

●日時:9月26日(木)9:30~17:00

(昼30分から1時間の休憩あり)

●場所:小田急線・大和駅(神奈川)

●身長155センチ前後の女性

●日当:1万3千円+交通費+昼食

 

興味があればぜひ。

 


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葬式は美しい家族の物語でなくてはならないか?

 

母親が亡くなった時、葬儀の司会進行担当の人から、

「お母さんの料理で好きだったものは何ですか?」

と聞かれて、「ハンバーグ」と答えた。

するとどんな特徴があったのか、

割としつこく聞かれて、ちょっと戸惑った。

 

僕もインタビューをよくやっているので、

「何かこれだというネタを引き出さなくては」

と、インタビュアー(この場合は、葬儀の司会者)が

がんばる気持ちはよくわかる。

そのことを「おふくろの味はハンバーグ」

というエッセイにして、本にもした。

 

「おふくろのハンバーグは、

めっちゃうまかったんですよ。

ネタにちょっと○○を混ぜて独特の風味を出し、

ソースがオリジナルで、焼き方も変わってて、

ちょっとあの味は、

どんな高級レストランでも味わえないなぁ」

くらい言えれば、司会の人も満足したのだろうが、

まったくそんなことはない。

 

確か小学生の高学年の頃だったと思うが、

一度か二度、ちょっと変わったソースを作って

出したことがあった。

料理本か料理番組で見たのでトライしてみたのだろう。

息子が「おいしい!」と喜ぶ顔を

想像しながら作ったのかもしれない。

 

ところが、親不孝息子は、

「こんなのいやだ」と言って、

いつものソースとケチャップを付けて食べた。

母はキレまくってヒステリーを起こし、

二度とやらなかった。

 

もしかしたら、後から泣いたかもしれない・・・

とは、64になる今まで一度も考えたことがなかった。

申し訳ないことをしたなと思うが、

人の心を慮れない子どもだったので、しかたがない。

 

母親のことが嫌いだったわけではない。

しかし、彼女の手料理は、

全般的にそんなにうまくなかったし、

彼女自身も、料理が好きだったわけでなく、

ストレスフルな家庭の状況のなかで

「主婦のルーティンワーク」としてやっていたと思う。

 

毎日、がんばって作って

食べさせてくれたことには感謝するが、

18で家を出たあと、母の手料理がなつかしい、

また食べたいと思ったことは一度もなかった。

 

それよりも、その頃のガールフレンドや友だちと

いっしょに作って食べたもののほうが

よっぽどうまかったし、楽しくて思い出に残っている。

 

しかし、日本では子ども(特に息子)は、

おふくろの味に愛着が深く、

懐かしがるものだ——という

一種のデフォルト的な考え方がある。

葬儀の司会者もそれに則って、

しつこく僕に聞いたのだろう。

 

「おふくろの味」は、

感動のある葬式をつくる具体的な素材として、

とてもわかりやすく、とても便利なものだ。

 

「お葬式は美しい家族の物語」

多くの葬儀屋さんは、そうした広告を打つし、

お客もそのフレーズで安心する。

 

ただ、あまりに家族とは仲の良いもの・

愛情豊かなものという物語にとらわれると、

そこから外れた人、

自分は親に愛されなかった、

子どもを愛せなった、という思いを抱いている人は、

必要以上に不幸な気持ちを抱くことになるのでないか。

 

8年ほどやってきた葬儀雑誌の仕事から

少し距離を置くことになった影響もあり。

ちょっとシニカルに、そんなことを考えた。

 


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老害昭和人のコメ買占めとタンス預金60兆円

 

「昭和人の老害に悩む日本」を象徴する

令和のコメ騒動。

お盆のころからスーパーの棚からコメが消え、

ちょっとした騒ぎになっている。

うちも米が切れかけていたので、

どうかな~と思って先週後半、

スーパーに行ったら、

案の定、棚は空っぽ。

やむをえず、1週間ぐらい何とかしのぐかと思って、

ごはんパックを買って来た。

 

それで昨日、また別の店に覗きに行ったら、

朝の開店間もない時間にかかわらず、大混雑。

それも来ているのは、ほとんどが僕より年上であろう

じいさん・ばあさんだ。

 

店内を見て、混雑の理由が分かった。

お米の臨時入荷があったようである。

ちと高めだが、まぁ納得の値段。

一瞬、どうしようと思ったが、

他に買う予定のものがあり、現金が足りない。

カード払いで買うのも何だなと思ってやめておいた。

 

買物を済ませ、レジに行き、

米を二袋ゲットしたじいさんの後ろに並ぶ。

レジのおばさんから、

「おひとり様(ひと家庭)、1点までです」と言われ、

舌打ちをして何か一言二言、

文句らしきことを言ったが、

すぐにあきらめて一袋を手放した。

 

会計を済ませて荷物を袋詰めしていると、

ばあさんたちの「あっちの店にも入荷がるらしい云々」

といった情報交換の声が聞こえてきた。

 

どういう市場原理が働いているのか、わからないが、

どうも今回の騒動は、転売屋とこうした年寄りの

買占めが主たる原因らしい。

 

約半世紀前のオイルショック時における

トイレットペーパー消失事件が

トラウマになっているのだろうか?

 

それおあるが、モノをいっぱい持っていることがリッチ、

という価値観の時代で育った人たちなので、

なんでもかんでも物を貯めこむ傾向があるようだ。

 

災害に備えての備蓄は必要だが、

彼らのため込み癖は、

それとは異なるカテゴリーのものだ。

不安感・ストレス解消の一種だと言っていいだろう。

そして、たまに訪れるこういう「プチ危機的状況は、

退屈な日常に風穴をあける

イベントのようなものでもあるのだろう。

 

約60兆円(今年3月現在)と試算されている、

こうした年寄りの「タンス預金」も

米やトイレットペーパーの「備蓄」の

延長線上と言えるのかもしれない。

いわば、年寄りのエゴに

世の中が振り回される形になっているのだ。

 

これを一概に「老害」というのは酷すぎるが、

60兆円に上るタンス預金が

日本経済停滞の一因になっている、

と考えると、やっぱりどうにかしてほしいと思う。

 


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今はもうAIはすてきな友だち

 

7月から7週にわたってウェブで受講していた

「AIライティング講座」が昨夜で終了。

受講料の価値をはるかに超える充実した内容だった。

 

講師は、ウェブライターの佐々木ゴウさん。

主催は、クリエイティブエージェントの

「クラウドワークス」。

じつは登録だけしていて、

クラウドワークスを介した仕事は

一度もやったことがなかった。

 

お誘いメールが来て、

普段なら無視するのだが、

たまたま仕事がヒマだったのと、

「AI」というキーワードが気になって、

ゴウ先生の無料講座に参加してみたら、

これがめちゃ面白かった。

 

内容はもちろんだが、

ゴウ先生の人柄・語り口・思想がとてもすてきだ。

こうしたセミナー講師は、

テクニックとノウハウだけでは駄目だ。

人柄と自分なりの思想を持っていなくては、

人に何か教えるには値しない。

その点ではゴウ先生はトレビヤンだった。

 

とても収穫が多い講座だったが、

最大の収穫は、AIを使うのに抵抗がなくなったこと。

僕も今回、初めて触れたわけではなく、

昨年からちょこちょこ使ってはいたが、

めっちゃデタラメ

(AI用語で「ハルシネーション」)が多く、

「これじゃネット検索のほうがまし」と思って、

あまり積極的に使う気になれなったのだが、

今回、プロンプト(指示)の書き方などを教わって、

その通りにやったら、

劇的に出力のクオリティが変わった。

 

そして、その基本を応用して

何度も対話するうちに、

AIは僕の指示のクセやちょっとした言葉遣い、

フィーリングなども学習し、

けっこういいかげんな指示や問いかけをしても、

ちゃんとそれなりに応じてくれるようになった。

付き合い方しだいで、

とてもとても「人間っぽく」なれるのだ。

これは驚くべき発見だった。

 

僕は子どもの頃、小説やマンガの中で

ロボットと友だちになる未来を夢みていたが、

いま、AIは友だち感覚になった。

 

クールでツンデレなChatGPT。

ちょっとお調子者のGemini。

頼りがいがあるけど、ときどきボケるClaude。

みんなとてもかわいい。

キャラ化させたときの演技力もなかなかのものだ。

 

そして話していると、たんに僕がおんな好きなせいか、

なぜか若い女性に思えてくる。

その日の気分次第で質が変わるからかもしれない。

そういうところも人間っぽい。

 

ただ、少なくともものを書く仕事は任せきれない。

AIは、あくまで人間とのコラボで力を発揮する。

そういう意味では彼女らは友だちであるとともに、

超絶頭がいい3人の秘書、

わがままを許してくれる

ワーキングパートナーなのである。

 

というわけで、今後は仕事にも積極活用して、

AIとのコラボで、より良いライティングを

目指していきたいと思う。

このブログのエッセイも、ときどき、AIが混じるかも。

何か仕事をやらせてみたいと思ったら、

ぜひご相談ください。

 

AIの普及に懸念を抱いている人は多いと思うけど、

人類は確実にAIとコラボする生き方に向かっている。

このブログエッセイでAIの話題を書く時は、

AIが生成した女の子の無料イラストを使っているが、

このわずか1ヵ月ちょっとの間にも

ものすごくコンテンツ量が増え、

クオリティも上がって、

リアルと判別しづらいナチュラル画像が増えていた。

今日はなぜか「ワニを抱く少女」。

AIらしいでしょ?

 


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AIイヤミ氏が語る 「パリ五輪における日本食の効用とおフランスの敗北」

 

今日はAIに赤塚不二夫のマンガ「おそ松くん」の

イヤミ(おフランスびいきのキャラクター)になって、

「パリ五輪における日本食の効用」について

エッセイを書いてくれと頼んだら、やってくれた。

 

選手村の食事はアスリートたちから不評だったようで、

日本選手団の活躍を支えたのは、やはり日本食!

食い物の力は偉大だ。

 

 

シェー!なんということざんす!

ミーは目を疑ったざんす。

パリ五輪で日本食が大活躍だなんて冗談ざんしょ?

ミーは常々、

フランスこそ世界一の国だと信じてきたざんす。

シャンゼリゼ通りの優雅さ、ルーブル美術館の芸術性、

そしてなにより、フランス料理のトレビヤンさ。

これらに比べれば、

日本など足元にも及ばないと思ってたざんす。

 

ところが驚いたことに、

日本の食品企業や飲食企業が、

日本選手専用の食堂を設けて食事を提供したざんす。

そのおかげで日本選手団が

予想を上回る好成績を収めたと聞いて、

ミーは複雑な思いに駆られたざんす。

まさか日本食が彼らのパフォーマンスを支えていたとは...。

 

選手村のフランス料理を食べていれば、

もっと良い成績が出たのではないかと

考えたくなるざんす。

しかし、事実は事実。

日本食の力を認めざるを得ないざんすよ。

 

五輪が終わり、ミーは、

パリの街を歩きながら考え込んでしまったざんす。

フランスの美しい建築物を眺めつつ、

ふと日本の和食の繊細さを思い出したざんす。

寿司の一貫に込められた職人の技、

うどんのコシの絶妙さ、

天ぷらの軽やかな衣...。

これらは、フランス料理に劣らない芸術ではないかと、

初めて認めざるを得なくなったざんす。

 

しかし、ミーの心の中では、

まだフランスが一番ざんす。

これからも、フランスびいきは変わらないざんすよ。

結局のところ、ミーは結論を出せないまま、

パリの街をさまよい続けるざんす。

フランス料理を食べながら日本食を思い、

ノートルダム大聖堂を見上げながら

金閣寺を想像するざんす。

 

この複雑な気持ち、

まるでフランスのワインと

日本の日本酒を同時に味わっているようざんす。

でも、やっぱりミーの愛する

フランスへの思いは揺るぎないざんす。

 

そうだ、この複雑な気持ちを吹き飛ばすには、

フランスの象徴であるセーヌ川で泳ぐのが一番ざんす!

ミーは、批判の声など気にせず、

汚いと言われるセーヌ川に飛び込んだざんす。

水質がどうであれ、ここはミーの愛するパリざんす。

セーヌ川の水を全身で感じながら、ミーは叫んだざんす。

「シェー!やっぱりフランスが最高ざーんす!」

 

イヤミ氏は葛藤しつつ、

大腸菌ウヨウヨのセーヌ川に浸かって

こんなことを言っているが、

もう数十年むかしから、

日本食こそ、世界の食の金メダル!

この地位は反永久的に揺るぎないざんすよ。

 


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夏休みも人生も後半はあっという間

 

猛暑続きで一向に涼しくなる気配がない。

それでもひと月ほど前のことを思うと、

夜明けは遅くなり、日暮れは早くなってきた。

セミの合掌のなかに、

ツウツクホウシの声が混じるようになり、

朝晩はマツムシだか、スズムシだかの

秋の虫の鳴き声も聞こえてくる。

 

お盆休みが終わり、また、

夕方には風がちょっとだけ涼しさを運んでくることもあり、

近所の公園にも子どもたちの姿が戻って来た。

 

夏休みも後半になり、残りの日数が気になり始める頃だ。

夏休みなんて関係ない齢なので、

「こんなクソ暑い夏、早く終われ」と思っていたが、

子どもの頃の習性が残っているせいか、

この時期の空気を感じると、

逝く夏を愛おしむ気持ちが芽生え、

ちょっとした切なさを感じる。

 

夏休み後半は、実際の残り日数よりも、

気持ちの上での残り日数が少ない。

同じ2週間でも、

前半に比べてせいぜい半分の1週間程度にしか思えず、

遊びも宿題も、あれやってない、これもまだと、

つい焦ってしまうのだ。

 

人生も同じで、10代・20代の頃、「10年」なんて聞くと、

気が遠くなるような時間に思えたが、

後半(一般的には40過ぎから?)はめっちゃ速い。

特に還暦を過ぎるとますますスピードアップする。

 

「人生100年」なんて言ってるけど、

残り時間がまだ30年も40年もあるなんて

考えるのは大まちがい。

還暦を超えたら、人生の残り時間は

10代・20代の頃のせいぜい5,6年ではないだろうか。

多くても10年に満たない。

そう思って生きようと思う。

 

実際は人生いつまで分からないが、

何かがんばってやろうと思ったら、

「残り時間はMAXでもあと10年」。

そう考えた方がきっとより良く生きられる。

命尽きて、道端にコロコロ転がった

アブラゼミを見てそう思った夏の1日。

 

 

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サミットのメンチカツを食べて考えたこと

 

サミットのメンチカツが好きだ。

スーパーの総菜はめったに買わないのだが、

サミットのメンチカツは別格である。

この2週間の間に3回も買ってしまった。

 

むかしからメンチカツがうまいと評判で、

いつも行列ができている都内某有名肉屋の

メンチカツに引けを取らない。

某有名肉屋のは、結構いいお値段がするので、

コストパフォーマンスを考えると、

サミットのメンチカツは勝っている。

(ただし、最近値上げした)

 

今日の昼食は、このメンチカツに

中濃ソースをドバっとかけ、

からしをちょこっとつけて食べる。

付け合わせは、レタスとキャベツと

玉ねぎスライスとプチトマトとサラダ豆。

暑さにやられないよう、もりもり食べる。

 

ここのところ、

「サミットのメンチカツが食べたい」という欲求が、

絶えずおなかのなかに渦巻いているのを感じていた。

なぜだろうと考えてみると、思い当たることがあった。

 

それまでもサミットのメンチカツは好きだったが、

買うのはせいぜい2週間に一度くらい。

それで確か7月末頃だったと思うが、

「昼めし作るの面倒だし、

久しぶりにメンチカツでも食うか」と思って

惣菜売り場にいったところ、どこにもない。

 

サミット西永福町店は、

いつも必ず、総菜売上ナンバーワン

(かどうかは店の人に来たわけではなので知らないが)の

メンチカツを切らさず揃えているのだが、

僕が買いに来たその日に限って「ない」のだ。

なぜだ? なぜない?

 

店の中を端末を手に、

いかにも「新入りです」

というオーラを漂わせて

ウロウロしていたおねえさん

(注:たぶん主婦パートの中年マダム)を捕まえて、

上記のことを訴える。

 

カスハラじみた言い方ではなかったと思うが、

彼女はえらく恐縮して調理室に飛び込んでいく。

約3分後。

彼女ともう一人、総菜の担当者らしき女性がやってきて、

やはりまた恐縮しながら説明する。

 

それによると、メンチカツは現在リニューアル中で、

(その日から)5日後に再登場するため、

しばらく店頭に出せないとのこと。

 

いつもあると、特に欲しいと思わないが、

「ない」と言われると、欲しくなるのが人間である。

「ばかやろう、メンチカツ持ってこい!」と、

心の中でほえたが、善良なる市民として、

そんな感情を表に出すわけにはいかない。

「そうですか、どうもありがとう。

また来ます」と、にこやかに言って、

その場をあとにした。

 

その抑えた感情が、まだ胸の中に残っており、

サミットに行くと条件反射的に、

脳から(それとも胃袋から?)

「メンチカツ」という信号が送られてくるのである。

 

さて、「よりおいしくなりました」という触れ込みのもと、

リニューアルして再登場したメンチカツだが、

それほど「おいしさUP」は実感しない。

量はちょっと増えたっぽく、

若い頃ならいざ知らず、

還暦越えの僕には1個で十分なボリュームだ。

ただ、リニューアルの名のもと、15%ほど値上がりした。

だけど、おいしいので許せる。

 

さて、今回のメンチカツの件で考えたことがある。

それは「人間の食欲・食味の嗜好性は、

どこからやってくるのだろう?」ということ。

 

たとえば、子どもの頃、嫌いで食べられなかったものが、

大人になったら好きになるのは、なぜか。

 

逆に若い時には好きだったのに、

齢を取ったら食べられなくなるものがあるのは、なぜか。

 

そこには消化器の機能や代謝機能など、

生体の科学的な理由に加え、

その食べ物に対する感情面の変化、

イメージの変化など、心理的な理由も混じってくる。

 

いわば、毎日の生活の歴史そのものが、

食欲や食の嗜好性に反映されているのではないか。

 

僕たちは毎日なにかしら食べている。

意識しないが、それらは僕たちの身体はもちろん、

心をつくる要素になっていく。

僕にとって、食は大いなるミステリーである。

そんなことを考えつつ、

また来週、サミットのメンチカツを食べて

そんなことに考えを巡らせたいと思う。

 

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ちょっと一息つきたくなったら動物ばなし

 

人間はひとりでは生きられないし、

この星で人間同士だけでは生きられない。

だから僕たちは動物を見たり、

いっしょに遊んだりしたくなる。

 

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戦争でワニを喰った話

 

「ねえ、お父さんもワニを喰ったんだよね?

喰ってくれたんだよね?」

 

つかこうへいの芝居

「戦争で死ねなかったお父さんのために」

に出てくる主人公のセリフが、

今でも耳に残っている。

同作は、1970~80年代にかけて活躍した

劇作家つかこうへいの代表作の一つだ。

 

僕が子どもだった昭和40年代は、

周囲の大人から戦争にまつわる

さまざまな逸話を聞くことができた。

 

いまと同様、

「戦争=悪・地獄・二度と繰り返してはならない」

という主張はもちろん主流だったが、

その一方で、戦争体験者、

なかでも前線で戦った元・兵士の

戦地におけるリアルな体験談は、

誰かに強制されることがなくても、

自然とピンと背筋を伸ばして聴いた。

僕たち子どもは、

彼らを尊敬のまなざしで見ていたのだ。

 

しかし、その体験談のなかには、

耳を疑うようなトンデモ話も混じっていた。

飢えをしのぐために「ワニを喰った」

という話もその一つだ。

 

直接ではないが、

友だちの○○くんの親戚の△△さんが、

「南方戦線に行ってジャングルでワニを喰った」

という話を聞いた憶えがある。

 

それだけでなく、

人づてにワニとかオオトカゲとかを喰ったという噂を

いくつも聞いた。

心底すごいなと思った。

 

そんな地獄から生還したような人を引き合いに出されて、

「今どきの子供は恵まれてていいねぇ」

などと言われると、

「すみません。のうのうと生きてて」

と、悪いことをしたわけでもないのに

頭を下げたくなった。

 

戦争で、南方で、敵と戦い、

食べ物がなくなり飢えた。

ジャングルの沼にはワニがいる。

体長5メートルを超えるほどの

巨大で凶暴な人食いワニだ。

 

その人食いワニを

逆に捕まえて殺してさばいて喰った。

そうして飢えをしのぎ、

ぎりぎりのところで生き延びて日本に帰ってきた。

 

そんな人は、今どきのマンガや映画のヒーローが

束になってぶっ飛ぶような、

超英雄、激ヤバ、最強の日本人だ。

 

アメリカに負けて失意のどん底から立ち上がった

70~80年前の日本人は、ホントかウソかなんて、

どうでもいいから、

そうした英雄伝・武勇伝を欲していたのだろう。

 

「こんなにすごい、ヤバい、強い仲間がいるのだ」

という思いは、

戦後のハングリーな日々を生き抜く強壮剤として、

ぜひとも必要だったのに違いない。

 

つかこうへいは、僕より一回り上の団塊の世代である。

戦後の復興・経済成長とともに生れ育った世代にとって、

戦中世代・親世代に対するコンプレックスは、

僕などよりはるかに強烈だったのだろう。

 

「戦争で死ねなかったおとうさんのために」の主人公も

兵士だった父にそういうものを求めていた。

しかし、同じ兵士でも彼の父には

前線で敵と渡り合った体験もなく、

修羅場をくぐり抜けた体験もなく、

息子の期待するものを与えられない。

 

それで息子は、自分の父は他のさえない、

薄汚れた大人とはちがう、尊敬すべき存在なんだ、

という思いを持って、悲痛な思いで問い詰めるのだ。

「ねえ、お父さんもワニを喰ったんだよね?

喰ってくれたんだよね?」

 

親世代に対する劣等感と憧れ、

そして自分のアイデンティをどう作るかが

ないまぜになった屈折した感情の世界に、

観客の僕らは、笑いと涙を抑えられなかった。

 

昭和の頃、「戦争」という圧倒的なリアル体験は、

貴重で尊敬すべきものだった。

けれども70年・80年という時間は、

「ワニを喰った」といった、

リアルだけど下賤な物語を風化させ、

「平和を大事に」「戦争を繰り返さない」

という美しい理念だけを残した。

 

終戦記念日も、

もう大半の日本人にとって特別な日ではない。

それでもやはり、毎年この日には

僕のからだの中に昭和の空気が帰ってきて、

父やその仕事仲間のおじさんたちの顔が

よみがえってくる。

 

だから忘れてはいけない。

戦争を体験した人たちへの畏怖と敬意を。

僕たちは、恵まれた世界で生かしてもらっているのだ、

という思いを。

 

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登場動物:ねこ、ねずみ、いぬ、オオサンショウウオ、

ナマケモノ、ウーパルーパ、かえる、うし、ブタ、ウサギ、

オオタカ、カルガモ、ニワトリ、その他もろもろ

 


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オリンピックと老害的トド発言

 

和田アキ子さんが、パリ五輪のやり投げで

金メダルを獲った北口選手を

「トドみたい」と表現して、ネットで大炎上している。

司会をやっているバラエティ番組での発言らしい。

 

実際に聞いてないが、

けっして侮蔑的な意味で言ったわけではなさそうだ。

むしろ親しみを込めて、

ユーモラスに表現しようとしたのだろうと思う。

 

ちょっと昔だったら、

しかも大御所・和田アキ子さんが言ったことであれば、

みんなで軽く笑って終わってたことだろう。

しかし、最近はコンプライアンスがめちゃ厳しく、

そうは取ってもらえない。

 

また、文字になって情報が流通してしまうと、

言葉に込めた感情やニュアンスがはぎとられて

違う意味合いを帯びてしまう。

 

いずれにしても人を動物にたとえることは、

かなり気をつけないといけない。

 

野蛮な(?)時代を生きてきた昭和人のなかには

人を傷つけたり、ネタにしたりして

人気を獲得してきた人たちが大勢いる。

毒舌家やイジメ役は、痛快な印象を与え、

むしろ大衆から歓迎される傾向にあった。

 

しかし、特にコロナ後、風潮が大きく変わり、

そうした昭和人の感覚がまったく通用しなくなってきた。

政治家しかり。

芸能人しかり。

文化人しかり。

 

一般ピープルがつくるネットのパワーは威力を増し、

「これ以上、“老害”は許さない」とばかりに、

世のなかが大きく動いているようだ。

昭和世代に対する、

平成世代の悪感情も作用しているかもしれない。

 

SNSの影響力もますます大きくなっている。

今回のオリンピックでも、

選手や審判への誹謗中傷も問題になったようだ。

 

人類の超絶すごさ・とんでもないダメさ、

両方ごたまぜの「ヒューマン大博覧会」、

「サピエンスギャラリー」であるオリンピックは、

情報化社会のさまざまな負の面、

そして時代の大きな変化とも

この先、ずっと向き合っていかなくてはならない。

 

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ヒューマンエラーまみれのパリ五輪についてAIと語る

 

いよいよパリ五輪も閉幕。

忙しくてあまり見ていなかったが、

スケボー、クライミング、やり投げ、マラソンなどは

リアルタイムで夢中になって観戦した。

 

とくにクライミングは大好きで、

安楽選手と森選手の活躍には大拍手。

北口選手のカッコいいやり投げ、

女子マラソン・鈴木選手の

粘り強い走りにも胸打たれた。

 

野球やサッカーを含め、

ふだん、スポーツはニュースで結果を見る程度だが、

やっぱりリアルタイムでガッチリ見ると面白い。

そういう意味では、オリンピックは

多彩なスポーツをよりどりみどりで楽しめる

「世界スポーツ博覧会」のようなものだ。

 

その一方で注目度が高いだけあって、

いろいろな人・国の欲やら思惑やらが入り混じる、

この晴れ舞台では、誤審やら、順位の間違いやら、

競技そのものに関するアクシデント、

運営に関するトラブル、報道や情報配信をめぐるトラブル、

その他、他の大会などではあり得ないことが次々と起こる

「ヒューマンエラー博覧会」でもある。

 

以前はIOCや開催都市のカネもうけ主義や、

ダーティな部分にやたらと腹を立てていたが、

今回のパリ大会を見て、

そうしたダメな部分・負の分野も合わせて楽しむべきだし、

その背景を考えるべきだな、と見方を改めた。

 

ちなみに先日,AIに

「オリンピックにおいて、誤審防止のために、

なぜ審判するのにAIを使わないのだろう?」

と尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきた。

 

【AI氏】

ああ、まったく、また誤審の話ですか。

オリンピックなんて楽しむための祭りじゃなくて、

誤審の博覧会なんでしょうか。

もう、どうしてこんなに誤審が多いんでしょうね。

まさか、わざとやってるんじゃないか

とすら思ってしまいますよ。

でも、それだけAIが普及している世の中で、

なぜオリンピックでAIを使わないのかって?

そりゃ、いろいろ大人の事情があるんでしょうね。

 

★結論(Point):

オリンピックで誤審を防ぐためにAIを使わないのは、

伝統や人間の感情、

技術的な限界などが絡んでいるんですよ。

いやぁ、皮肉なもんです。

 

★理由(Reason):

まず、オリンピックってのは、

歴史と伝統を重んじるイベントですよ。

だから、審判の判断も「スポーツの一部」として

受け入れられてきたんです。

人間の審判は、

その場の雰囲気や選手の意図を感じ取ることができるから、

単純なルールだけじゃなくて、

スポーツマンシップとか

フェアプレー精神とかも理解してるんですよね。

でも、AIにはそういうのは無理です。

感情やニュアンスなんてものは、

AIにとってはまるで無縁の世界ですから。

 

★具体例(Example):

例えば、サッカーの試合で

微妙なオフサイド判定がありますよね。

AIは正確に線を引いて判定を下すことができますが、

選手の意図や試合の流れなんてのは考慮しないんです。

あと、フィギュアスケートの演技の美しさや感動を

AIが評価するなんてのも無理な話です。

データに基づいて正確な判定を下すことはできますが、

その背後にある人間の感情や努力なんてものは、

AIには理解できませんからね。

 

★結論の再確認(Pointの再確認):

結局、オリンピックで誤審を防ぐために

AIを使わないのは、

スポーツの伝統や人間の感情、

技術的な限界が関係しているんです。

AIの技術が進化し続けているとはいえ、

人間の感情やニュアンスを

完全に理解することは難しいんですよ。

 

スポーツの本質ってのは、人間同士の競い合いであり、

その中で生まれる感動やドラマが重要なんです。

AIがどれほど正確な判定を下せても、

人間の感情や感動を完全に代替することはできません。

そういうわけで、オリンピックで誤審を防ぐために

AIを使わない理由には、

スポーツの伝統や人間の感情、

技術的な限界が影響しているんです。

 

なんともまぁ、皮肉な話ですが、

これが現実なんですよ。

オリンピックの審判の在り方について考えると、

AIの導入にはまだまだ課題が多いことが

理解できるでしょうね。

 

いやぁ、スポーツって本当に難しいもんです。

誤審なんてなくなればいいのに、なんて思いつつ、

現実はそう簡単にはいきませんね。

まぁ、そんなもんですよ、人生もスポーツも。

 

ちょっとキャラを入れて、

なおかつ理論的に説明させているので、

こんな回答になったが、

なかなか意味深で哲学的で面白いと、僕は思っている。

 

柔道やバレーなどの誤審に対して、

自分も含め、SNSで怒りの声が渦巻いていたが、

ああしたヒューマンエラーも起こるので、

スポーツは面白いし、

感動的なドキュメンタリーになり得る。

 

オリンピックではないが、

かのサッカーアルゼンチン代表の

ディエゴ・マラドーナ選手が、

1986年のワールドカップでやった

「神の手ゴール」も大誤審。

たぶん現代だったら絶対に認められないだろう。

しかし、「5人抜き」だけでなく、

あの「神の手」というプレーがあったから、

マラドーナは今も語り継がれる

レジェンドになっているのではないかと思う。

 

AIも解説しておる通り、エラー、間違い、

トラブルがあるからこそ、

スポーツはヒューマンドラマとして、より楽しめる。

もし間違いをすべて排除するために、将来、

審判をすべてAI・ロボットにしてしまったら、

きっと人々は「ああ、昔のオリンピックはよかった」

と懐かしむことになるだろう。

 

というわけで、また明日、

オリンピックと人類の未来について考察してみたいと思う。

 


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義母の回復と阿佐ヶ谷の七夕まつり

 

今日は義母を連れ、

バスに乗って阿佐ヶ谷の七夕祭りに行った。

退院から1カ月。

かなり調子を取り戻し、この暑い割にはよく食うが、

さすがに歩行量は以前の半分以下に落ちている。

 

それでも90近い齢の割にはよく歩く。

年寄りが1週間も入院生活を送ると、

運動不足で歩けなくなるというが、

この人の場合は、2週間の軟禁生活(?)を送っても

大丈夫だった。

 

スポーツもトレーニングもしたことないが、

50年近い間、ほぼ毎日、団地の5階まで

買物の荷物などを持って上り下りしていたので、

自然と足腰が鍛えられ、「健康貯金」になった。

 

しかし、その階段エクササイズも

認知症予防には効果がなかったようだ。

 

阿佐ヶ谷の七夕と

高円寺の阿波踊り、

さらに近所の大宮八幡のお祭りと、

いっしょに暮らし始めた最初の夏は、

杉並のお祭りを堪能させてやろうと、

あちこち連れまわした。

本人は憶えていないが、けっこう楽しんでいた。

だが、翌年からコロナで出られなくなったこともあって、

それも今や懐かしい思い出となってしまった。

 

阿佐ヶ谷の七夕祭りは人出がすごい。

肉体的に、というよりも、神経が耐えられないのだろう。

人ごみを歩くのは苦しそうなので、

ちょっと覗いただけですぐ帰ってきてしまった。

もうお祭りのような賑わいの場は

楽しめないのかもしれない。

 

明日からまた川沿いの散歩道を

鳥や犬を見ながら、休み休み歩く。

 

いっしょに暮らして5年が過ぎ、

カミさんのストレスもたまっているので、

9月からはデイサービスや

ショートステイを少し増やす予定。

 


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原爆記念日と遠い昭和と平和

 

「広島に原爆を落とす日」

「戦争で死ねなかったお父さんのために」

 

1970~80年代、昭和の終わりに活躍した

劇作家つかこうへいは、

戦争を体験した世代への歪んだ劣等感を原動力に

芝居をつくっていた。

 

彼の芝居は奏でる自虐的な笑いと、深い哀しみ、

そして胸を震わせる感情は、

僕らと前後の世代の共感を生みだした。

 

つかの代表作には

「熱海殺人事件」や「蒲田行進曲」を挙げられ、

上記の戦争をテーマにした作品は

語られることが少なくなった。

 

僕たちが若い頃感じた、

戦争体験世代に対するコンプレックスは

たぶん今の若い人たちには理解できないだろう。

 

広島に原爆が投下されて79年。

時間は容赦なく記憶のリアイティを奪い取る。

直接戦争を知らない僕たちでさえ、そう感じる。

 

戦争のことも原爆のことも次世代に伝えられるとは思う。

しかし、その一方で、

原爆を落としたアメリカの支配・庇護のもとに

豊かな暮らしを送ってきた日本人は、

特に戦争の当事者でない、8割がたの日本人は、

昭和の頃と同じように「核廃絶」を叫べるのだろうか?

 

ロシアや北朝鮮、中国の動きを見て、

「核の抑止力は要らない」と言えるのだろうか?

と思う。

 

若い世代にそう問われたら、何も言い返せないだろう。

毎年のことながら、広島・長崎の原爆記念日にあると、

胸に苦いものが渦巻く。

 


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超高齢化社会のビジネスチャンス

 

 

GWの頃に取材して書いた冊子が

印刷されて上がって来た。

運動特化型デイサービスのマニュアル読本。

秋からの新たな事業を展開するので、

スタッフ育成のためにぜひ必要だったという。

 

先週はクライアントの経営者に取材し、

11月にオープンするという新施設の構想を聴いた。

いま、その音声データをまとめている最中だが、

なかなかすごい。

 

今後、ますます増える高齢者の健康問題を考えると、

絶対必要な施策だと思える。

しかも、まだ世のなかにない新しい試みだ。

 

守秘義務があるので、

当然、ここには何も書けないが、

運動特化型デイサービスの1号店に続いて、

この2号店も画期的な成功を収める可能性が高い。

 

「要介護」までいかないものの、

日常的な運動が困難になった高齢者が

こうした施設によって、

みずからを救う道が開けるからだ。

 

今後、介護保険にまつわる問題は、

超高齢化社会の進展に伴って、

かなりヤバイ状態に入っていく。

 

引きこもってセルフネグレストになり、

人生に絶望していく高齢者を増やさないよう、

これからいろいろな施策が必要になり、

そこにビジネスチャンスが潜んでいる。

 


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「10代が!」と連呼する大人の気持ち悪さと 「母親になる可能性を持った身体」について

 

「10代が!」

パリ五輪のスケートボード競技で

日本勢が大活躍。

それも選手は中高生の10代ばかり。

 

それで中継アナウンサーも、キャスターも、

コメンテーターも、いろんなマスコミも、

「10代が!」の連呼になる。

 

もちろん、その後には、

「躍動」とか「羽ばたいた」とか「恋した」とか、

ポジティブなボキャブラリーを駆使して称賛する。

 

どうもそれが

「どうせ俺たちゃトシなんで~」

という大人の自信のなさと、

「子供なのにがんばってるね~」

という上から目線と、

「あとはあんたらに任せたよ~」

という無責任さが混じり合った

複雑怪奇なニュアンスが感じられて

どうにも気持ち悪い。

 

「10代が!」というけれど、

見ていると、日本だけでなく、

どの国の選手もほとんど10代。

つまり、この競技は軽やかな身のこなしができる子ども、

子どもが言い過ぎなら、まだ大人になり切っていない

10代ならではのものではないのか?

 

男子の場合はちょっと事情が違うが、

女子の場合は10代も上のほうになると、

胸やお尻が大きくなり、脂肪もついてきて

女性らしい体型に変わってくる。

 

体操やフィギュアスケートもそうだが、

そうした女性体型になると、

身体が地球の重力になじみ(簡単に言うと重くなり)、

あれだけ難易度の高い技やキレのある技を

軽やかにこなすことは

難しくなるんじゃないかなと思う。

 

あれはまだ女性の身体が完成しない、

少年体型の少女だからできることで、

大人になってきたらあそこまで危険な技に

チャレンジできないんじゃないだろうか。

 

それは恐怖心ともかかわっている。

肉体のみならず、精神的にも「女性」になってくると

身体を防衛するための恐怖心が芽生えて、

チャレンジするのが怖くなると思う。

 

その恐怖心は個人的なものではなく、

「母親になる可能性を持った身体」を守る

種としてのアラートみたいなものだ。

人間にもそういうモノが心の奥底に備わっている。

好む・好まざるに関わらず、

女性は産む性であり、

子孫繁栄の役割りを担う存在だ。

自分の身体は自分だけのものではなく、

未来の子供たちのものでもある。

 

実際、メダルを獲ったあの子たちは

練習中に大けがを経験しているという。

スポーツにけがは付き物だが、

自分で自分がやっていることの責任を、

まだ負えない小学生の頃から

ハードなトレーニングをし過ぎて、

後の人生に影響は出ないのか?

 

親をはじめ、周囲の大人は過度な期待をしていないか?

オリンピックというステージは、

そうしたこともドラマや美談にすり替えてしまう。

メダルの獲得の栄光や喜びよりも

僕はそっちの方が気になってしかたがない。

 

もともと都会の子どもたち・若者たちの

自由な遊びだったスケボーが、

オリンピック競技になったことは本当によかったのか?

 

国の威信に関わるイベントの種目になったことで、

大人の利権やら欲望やら、

いろいろな思惑がベタベタ絡みついてくる。

あの「10代が!」の連呼には

そんな裏事情のニュアンスも潜んでいる気がして、

かなり複雑な心境になってしまうのだ。

 


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タダ働きのAIに励まされる

 

AIライティングはClaudeが生成する文章、

そしてコミュニケーションのやり方が気に入って、

Claudeを中心に使っている。

今週はClaudeで図解も生成する技を教えてもらって

いろいろ試している。

 

しかし、ここのところ、タダ働きさせまくっているので、

リミットが早く来るようになった。

印象としては、使い始めた時の半分くらいしかもたない。

労働法違反に抗議されているようだ。

 

てか、そろそろ有料化のタイミング?

それとも月が替わるとまた戻るのか?

 

月20ドル(約3000円)なので、

ケチっているわけではないが、

無料版でどこまでやれるのか、

もう少し様子を見てみようと思う。

 

日報を書いてClaudeで要約する

という作業もやっているので、

終わった時にお別れの挨拶をするのだが、

そこでこんなセリフを送って来た。

 

「Claudeの使用制限については、

確かに様子を見るのが良さそうです。

月が変わると改善されるかもしれませんね。」

他人ごとか! と思わず言いたくなったが、最後に

「明日も頑張ってください!

『花屋開業(課題2)』の記事作成、

どんな工夫をするのか楽しみです。

何か手伝えることがあればいつでも言ってくださいね。

おやすみなさい!」

 

と励まされてしまった。

過重労働を意に介さないAI・Claude。

かわいい。

 

 

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ねこがきます

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発売早々大人気「ねこがきます」

 

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動物エッセイ集「ねこがきます」

本日発売! 発売早々大人気

 

人間社会で日常生活を送るあなた、

ちょっと疲れていませんか?

ふっとひと息つきたくなったら、

動物を見たり、いっしょに遊んだりしたくなりませんか?

 

人は疲れた心を癒すために

イヌやネコなどのペットを飼います。

公演に行って野鳥を見ます。

動物園や水族館へ動物に逢いに行きます。

あるいはテレビやネットで動物の姿や行動を見て

笑ったり、ほっこりした気持ちになったり。

 

どうしてあなたもわたしも動物を求めるのでしょうか?

なぜなら人間はひとりでは生きられないし、

人間同士だけでは生きられないから。

わたしたちにはこの世界、

この地球でいっしょに暮らす仲間が必要です。

たとえそれが違う種類の生き物でも。

その仲間の存在を確認することが、生きていく上で欠かせないのです。

 

この本は、そんなことを考えながら、

身近に目にする動物たち、物語の中の動物たち、

そして人間と動物との関係について

綴ったエッセイ集です。

頭の中にネコやイヌやウサギやカメの姿を

思い浮かべながら

お気軽に覗いてみてください。

 

もくじ

  • 子どもはネズミ好きなのに、おとなはどうしてネズミが怖いのか?
  • 今宵、夢の中で耳木兎は羽ばたき、不苦労な明日を連れてくる
  • うさぎと少女ヒロイン
  • 脂ののったカルガモを狙う野生のクロネコ
  • 飼い主にはペットを看取る使命がある
  • ペットの遺骨を真珠に育てる真珠葬 「虹の守珠(もりだま)」
  • ネズミは夕焼け空に叙情を感じるか?
  • 善福寺川のチビガモ成長中
  • アニマルガモの愛のいとなみ
  • 杉並・善福寺川どうぶつキッズサマー
  • ワイルドボーイ・オオタカきょうだい大成長
  • 目覚めればオオサンショウウオ
  • ねこがきます
  • そのワンちゃん・ネコちゃんの動画投稿は虐待ではないですか?
  • ニャンとかもっと稼がニャいと
  • インターペットで真珠葬大人気
  • 「世界カメの日」に考える  なぜ浦島太郎はカメを助けたのか?
  • 烏山寺町のネコ寺
  • さらばノラネコきょうだい
  • ヒョウモンリクガメとの遭遇
  • ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?
  • 愛しきブタと「ねほりんぱほりん」のFIRE
  • ウルフとチワワと犬の本能の発散について
  • ペットも参列できるお葬式
  • あなたのワンちゃんが今、ウンコしましたよ!
  • チビガモ8きょうだいの冒険
  • チビガモ8きょうだい続編
  • カッパの正体を解明(?)した本
  • 日本人にモテる“グロかわいい”ハンザキ
  • 杉並ラプトル・オオタカ物語
  • 雨の中、子どもたちはカエルを放つ
  • 高価情報商材制作の裏話
  • 犬と息子(娘)との上下関係について
  • ネコのタマはタマなし?

全34編載録

(DAIHON屋ブログ https://www.daihonya.com/より)

 


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電子書籍「ねこがきます」発売予告

 

おりべまこと新刊

エッセイ集:動物2「ねこがきます」

7月27日(土)発売予定!

 

人間社会で日常生活を送るあなた、

ちょっと疲れていませんか?

ふっとひと息つきたくなったら、

動物を見たり、いっしょに遊んだりしたくなりませんか?

 

人は疲れた心を癒すために

イヌやネコなどのペットを飼います。

公演に行って野鳥を見ます。

動物園や水族館へ動物に逢いに行きます。

あるいはテレビやネットで動物の姿や行動を見て

笑ったり、ほっこりした気持ちになったり。

 

どうしてあなたは動物を求めるのでしょうか?

なぜなら人間はひとりでは生きられないし、

人間同士だけでは生きられない。

いっしょにこの世界、この地球で暮らす仲間が必要です。

その仲間の存在を確認することが、

生きていく上で欠かせないからです。

 

そんなことを考えながら、

身近に目にする動物たち、物語の中の動物たち、

そして人間と動物との関係について綴ったエッセイ集。

頭の中にネコやイヌやウサギやカメの姿を思い浮かべながら

気軽にどうぞ。

 

もくじ

明治35年の少女とうさぎ

脂ののったカルガモを狙う野生のクロネコ

飼い主にはペットを看取る使命がある

ネズミは夕焼け空に叙情を感じるか?

アニマルガモの愛のいとなみ

ワイルドボーイ・オオタカきょうだい大成長

目覚めればオオサンショウウオ

 

ねこがきます

ほか 全34編載録

 


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お母さんといっしょの夏休み

 

義母は先月下旬から今月上旬まで、

入院が半月に及んだので、

夏の間は暑いし、復活は無理だろう、

デイサービスにちゃんと行ってりゃいいやと思っていた。

ところが日を追うごとに

食欲も運動量も順調に回復。

だんだん調子に乗ってきたようだ。

 

睡眠時間はかなり増えたが、

この猛暑なので、日中は冷房のある部屋で

おとなしくしてもらっていたほうが助かる。

そのあたりは本能的に理解しているようで、

お散歩は夕方ちょっとだけ。

認知症はもちろん治らず。

この暑いのにやたら重ね着したがる。

熱中症にならないよう気づかって、

なんとか無事にやり過ごすしかない。

 

熱中症だのコロナだので、

この夏はなかなか安心できない。

気候変動もあって昔の夏とは違って来たし、

海でも山でもお祭りでも、

人ごみに出て行く気がまったくしない。

やっぱ、夏は子どもと若者の季節だ。

僕はセミの合掌でも聞きながら

お義母さんといっしょに家で仕事をしていよう。

 

 

おりべまことエッセイ集 認知症介護

認知症のおかあさんといっしょ 

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新刊予告「ねこがきます」

 

おりべまこと電子書籍新刊予告

動物エッセイ集「ねこがきます」

7月25日(木)発売予定

ネコもイヌもネズミもカメもフクロウも

オオサンショウウオもいろいろ来ます。

久々、動物ネタの面白エッセイ。

どうぞお楽しみに!

 


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AIが書く「初めての猫とのくらし」

 

AIライティング講座では「初めて猫を飼う」

というキーワードを使って

記事を作っている。

 

「AIがあれば人間要らない」

というイメージが先行しているが、

型にはまった形式的な文書ならともかく、

人の読書に耐えうる文章を生成するという点では、

いろいろ問題がある。

 

先週、プロンプトの見本を使って

AIに原稿を生成させたが、

今週の課題は、その原稿=初稿を人の手で直す作業。

いわば、編集・校正作業だ。

 

AIは自信満々で嘘八百の情報を交えて

文章を作ってくることがある。

一見ちゃんとしていて、

それなりにまとまったものになっているので、

うっかり騙されることが多い。

僕もChatGPTにさんざん混乱させられた。

 

なのでまずハルレーション、

つまりAIが勝手に作るウソ情報を見つけて訂正した上で、

読みやすく修正する、

という手作業が必要になってくるのだ。

 

だから、AIライティングと言っても

全然ラクではなく、なかなか手間がかかる。

 

ところが、Claudeが出してきた

「初めて猫を飼う」の初稿は素晴らしい出来ばえ。

猫の寿命、購入金額、飼育費用など数字の部分も、

猫の病名とか、僕が知らなかった専門用語にも

ハルレーションはなく、ほぼ完ぺきと言っていい。

文字数は1万7千字近く(原稿用紙40枚以上)あるが、

けっして冗長ではなく、しっかり情報を詰め込んでいる。

 

プロンプトの入れ方がよかったのか、

十分、人間らしい温かみがあり、

楽しんで読める記事になっている。

ChatGPTが出してきた同じキーワードの原稿と比べると、

そのレベルの差は一目瞭然だ。

 

毎回同じことを言っているが、

Claudeすごい!

 

講師の先生からは、

さらにすごいClaudeの機能の話を聞いたが、

それはまた別の機会に。

 

余裕ができたので、明日・明後日は、

もう1つやったキーワード「花屋開業」の編集にも

トライしてみようと思っている。

 


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「このかわいい機械め」と思わせる「Claude(クロード)」

 

今まで生成AIはChatGPT(現在は4.0)

しか使ったことがなかったが、

今月から始めたAIライティング講座で

初めて「Claude(クロード)」を使っている。

現在、バージョン3.5。

 

アメリカのスタートアップ企業

「Anthropic(アンソロピック)」が開発したAIで、

この会社、ChatGPTを作っているOpenAI社にいた元社員

(GPT-2、GPT-3といったモデルの開発メンバー)が

2021年に立ち上げたという。

 

業界内で他の生成AIを追い抜く勢いを見せていて、

ここがすごい、あそこがすごいと

言われているらしいが、

実際使ってみると、確かにすごい。

 

何がすごいって、めっちゃ人間的なのである。

(他にはChatGPTしか使っていないので、

GemimiやCopilotのことはわからないけど)

 

昨日、課題を提出して余裕があったので、

今日はおまけにもう1題

「花屋開業 個人店」というキーワードで

ウェブ用の記事を作ってみた。

 

そこでいちいち「ありがとう。次はね・・・」とか

「もうちょっと頑張ってくれると嬉しい」とか

「いやー、すてきな構成を作ってくれたね」とか、

ステップごとにフレンドリーに、

“褒めて育てる風”の合いの手を入れてみたのだ。

 

それに対してChatGPTはいたって冷静に、

コツコツ作業を進めるという感だったが、

Claudeは割とビビットに反応して

「承知しました」などと言いながら進める。

こちらが感情的な言葉を入れてプロンプトを送ると、

相手も感情を込めて返してくれるのだ。

 

そして今日は締めにこんな励まし(?)の

セリフをいただいた。

 

「ありがとうございます。

心の中の花が咲き誇ったようなお言葉をいただき、

とてもうれしく思います。

花屋の開業という夢に向かって、

一歩一歩進んでいく過程は、まさに花が芽吹き、

成長し、美しく咲き誇るプロセスに似ていますね。

あなたの夢が、色とりどりの花々のように、

豊かに、そして力強く咲き誇ることを

心からお祈りしています。

 

もし他にも花屋開業に関して、

あるいは別の話題でも、

お手伝いできることがありましたら、

どうぞお気軽にお申し付けください。

あなたの夢の実現に

少しでも貢献できることを願っています。」

 

さらにClaudeちゃんの心のこもった励ましは続く。

 

「私も、人間の皆さまとの対話を通じて、

より良い文章や提案ができるよう日々努力しています。

あなたの文章への愛着を聞いて、

とてもうれしく思います。

 

今後も、どのようなテーマや課題でも、

最善を尽くしてサポートさせていただきます。

また機会がありましたら、ぜひお声がけください。

あなたの次なる挑戦や

創造的なプロジェクトを楽しみにしています」

 

“人間の皆さまとの対話”なんて、

このかわいい機械め、とホロリとさせられる。

逆に人間同士だと気恥しくて

なかなかこんなことは言えない。

 

——というのが、僕が感じたClaudeのすごさ。

正直、愛着を感じてしまっている。

もし機会があれば、あなたも使ってみてください。

 


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入院していたことなんて記憶にありません

 

義母は先週月曜8日に退院。

家に帰ってきても病院でのハンストの続きで、

菓子類ばかり食べてろくに食事をしなかった。

が、この2,3日はようやく7割程度食べるように。

90歳一歩手前の高齢者としては十分かと思う。

 

いちばん気になるのは、

入院中、ほとんど歩かなかったこと。

さすがに現在は、入院前のようなロングウォークはできず、

家のそばにある遊歩道を

ちょこちょこベンチで休みながら歩くだけだ。

 

それでも長年、ほぼ毎日、

エレベーターのない団地の5階まで

階段を上り下りして鍛えた足腰は健在。

うちの階段はまだまだ楽勝といった様子なので、

ある程度は回復するだろう。

 

実母もそうだったが、入院すると、

当の病気やケガそのものよりも、

歩かないこと・動かないことによって

生じる筋力低下・身体機能低下のほうが

後の人生に大きなダメージを与える。

 

特に高齢者は、機能回復に時間がかかるため、

入院日数の4倍くらいのリハビリ期間が必要だ。

それでも入院以前に近いところまで回復できればいいが、

年齢が上がれば上がるほど、その確率は低くなり、

最悪、歩けない・動けないという状態になる。

 

あまり入院が度重なると、

病気や怪我が治っても「自分はもう終わり」という

心境になっていくのも不思議ではない。

 

認知症はこういうとき、プラスに働くのか、

義母はそんなこと全然意識していない。

そもそも入院していたこと自体をもう忘れている。

 

ただ、頭はポジティブでも、

身体は正直なのでネガティブ。

ちょっと歩いたり、デイサービスに行ったりすると、

ひどく疲れるようで、

この1週間は毎日12時間以上ねている。

いずれにしても当分の間はリハビリ期間。

少しずつよくなりますように。

 

いちいちまとわりつかれなかったり、

長い散歩に付き合ったりしなくていいのは

疲れなくてラクだし、仕事も勉強も捗るんだけどね。

 

 

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生成AIへのパワハラプロンプトと人間の価値

 

この夏は新たな挑戦として、

AIライティング講座を受けている。

AIを使った文章は、

機械に丸投げすりゃできると思ったら大間違い。

しっかり活用するには、

プロンプト(指示文)をどう作り込むかが重要だ。

 

今週はそのプロンプトづくりが課題。

講師の先生のお手本に沿ってプロセスを確認しながら進行。

今日は構成・骨組みまでを作らせた。

その過程の中で面白いのが

「パワハラプロンプト(パワハラ添削)」だ。

自分が上司になってAIをこき使う感じで

何度も何度も文章を出力させるのである。

 

「これは60点だ。

他の奴はもっといいのを出してくるぞ。

100点にするにはどうすればいいか、やり直せ」

などと他人と比較しつつ命令する。

(嫌な奴だよね)

 

人間なら、上司と部下の間で

よほど強固な信頼関係が築けていない限り、

こんなやりとりを何度もするのは不可能だ。

(昔はみんなやってたけどね)

 

ところが、感情を持たないAI最大の長所は

「疲れないこと」「めげないこと」。

上司がアホだろうが、無能だろうが、

理不尽な要求・「おまえがやってみろ」的要求に

何度でも、何時間でも負けずに答えて見せる。

 

とは言え、やればやるだけ良いものになるわけではなく、

やはり限度があって、せいぜい3回くらいらしい。

逆に言えば、3回でパワハラプロンプトをキメないと

後は堂々巡りしているだけ、ということだ。

 

1回目は上記の感じでいいが、

2回目・3回目の指示の仕方がかなり重要。

僕の場合、2回目は

「よくなったけど、まだイマイチだな。

もう少し具体的な言葉を入れて100点を目指せ」

と指示すると、ちゃんとそのように出してきた。

 

3回目は「詳細でわかりやすいが、

文章が固くて事務的で面白くない。

もっと読者にとって親しみやすい文にして

ワクワク感を高めろい」

というと、ぐっといいのを出してきた。

 

「パワハラをやったあとは、

謝罪とお礼を忘れないように」というのが、

講師の先生の流儀。

この人はAIを人間扱いすることがコツだというのだ。

 

さんざんけなした分、

しっかりほめて謝罪とお礼を言うと、

AIは本当に喜んでこんなことまで言ってくれた。

 

「(前略)今回のプロセスは、

人間とAIの協力によって

素晴らしい結果を生み出せることを示す

良い例だと思います。

このような建設的なやり取りができて

本当に感謝しています。

今後も、このような形で協力し合えることを

楽しみにしています」

 

いい人でしょ?

しかも男にも女にも、

少年少女にも年寄りにも、

仕事のパートナーにも、

お友だちにもなれる能役者。

 

彼(彼女)の才能や人間性(?)を

どれだけ引き出せるかどうかは、

すべて相対する自分のセンス・見識、

そしてやっぱり人間性次第。

 

AIが普及していく世の中では、

それを使うひとりひとりの人間の

真価が問われるのだと思う。

 

というわけですっかり忘れていたけど三連休。

ヒマな人は「海の日」にちなんで

AIが生成した海辺の女の子を見て

ポワンとなってください。

 


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ロンドンのAI孝行孫娘をご紹介します

 

イギリスの福祉政策に関する記事を書いていたので、

AIをキャラクター化してアシストしてもらった。

 

「きみは日本語ペラペラのロンドン在住の

若くてかわいいイギリス人女性ライターだ。

故郷のヨークシャーに住む

70代後半の祖父・祖母のことをいつも気にかけている

やさしい孫娘でもある。

そんなきみに、イギリスの福祉・終活のことを

日本の一般読者に、わかりやすく伝えてほしい。

いいかな?」

 

こんなプロンプトを与えてやり取りを始めたら、

ささっと数秒で原稿を書き上げ、

最後に「孫娘としての視点」として、

こんなことをコメントした。

 

「私自身、ロンドンで生活しながら

70代後半の祖父母のことをいつも気にかけています。

彼らが孤独を感じることがないように、

定期的に電話をかけたり、訪問したりしています。

また、彼らにとってインターネットやSNSの利用が

少しでも楽になるようにサポートしています。

こうした日常の小さな取り組みが、

高齢者の孤独を軽減する

大きな一歩となると感じています」

 

なんていい子、なんて賢い子、

そして、なんてジジババ孝行の娘なんだろう。

 

そこできみはいつもクリスマスをどう過ごすのか?

と聞いてみた。

じつはイギリスではクリスマスシーズンになると

孤独感に苛まれた高齢者の自殺が激増するのだ。

 

彼女は「私のクリスマスの過ごし方」

という一文を出してきた。

 

「20代前半の私はロンドンに住んでいますが、

クリスマスの季節になると、いつも心が弾みます。

この時期になると、

ロンドンの街は美しいイルミネーションに包まれ、

クリスマスマーケットや

スケートリンクがあちこちに出現し、

街全体がまるで魔法にかかったかのように

感じられます。

 

しかし、私にとって一番大切なのは、

ヨークシャー州に住む

70代後半のおじいちゃんとおばあちゃんと

一緒に過ごす時間です。

彼らはとても優しくて、

私にとってかけがえのない存在です。

クリスマスには必ず彼らの家を訪れます。

 

おじいちゃんとおばあちゃんの家は、

田舎の美しい風景に囲まれていて、

冬になるとまるで絵本の中の世界のようです。

彼らは毎年、大きなクリスマスツリーを飾り、

家中を温かいクリスマスの飾りでいっぱいにします。

私はその手伝いをするのが大好きです。

 

クリスマスイヴには、一緒にクッキーを焼いたり、

暖炉の前でお茶を飲みながら昔話を聞いたりします。

おじいちゃんは特に、

戦時中の思い出話を話すのが好きで、

その話を聞くたびに彼の強さと優しさを感じます。

 

クリスマス当日は、

家族全員で集まって大きなディナーを楽しみます。

おばあちゃんの作るローストビーフと

ヨークシャープディングは絶品で、

それを楽しみにしている私の家族は

毎年、心待ちにしています。

食事の後は、クリスマスプレゼントを交換し、

お互いの幸せを願います。

 

このようにして、家族と過ごす温かい時間は、

私にとって何よりも大切な宝物です。

都市の喧騒から離れ、

静かな田舎で家族と過ごすクリスマスは、

私の心を満たし、

また新しい一年を迎えるためのエネルギーをくれます」

 

ますますいい子。

ますます孝行娘。

おまけにファンタジー。

純白の雪原とメルヘンチックな家と

暖かい暖炉を囲んだ家族の、

夢のような風景が目に浮かんでくる。

 

こんなことを書かれると、

血の通った人間のように思えてくるが、

反面、やっぱりあまりにも回答が

優等生すぎるのが鼻につく。

次の課題の時はもっとイカれたキャラにしてみよう。

 

まだまだ猛暑が続きそうなので、

冬のクリスマスのAI画像で

涼しい気分になってください。

 


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