眠たいニャー。
春眠暁を覚えず。
にも関わらず、なかなかゆっくり眠る時間がニャい。
昔は、眠る時間がない=それほど忙しい=売れっ子なので、必要とされる人間なので、いっぱい仕事をしている、という公式が成り立っていました。
僕の上の世代の人たちは「寝ない自慢」が大好きで、「寝るのなんてもったいない」とか「人生のムダづかい」とか「死ねばいくらでも寝れるから」とか言っていました。
僕は「そりゃちょっとないよな」と思いながらも、テレビなどで「24時間働けますか? ジャパニーズビジネスマン」なんて言われていたので、1日3時間睡眠でがんばっていた時期もありました。
若くて体力バリバリの頃は、寝ずに頑張る経験もしたほうがいいと思いますが、さすがに今はそうはいきません。
いったん睡魔に襲われると抗いがたく、頭がまったく回らなくなっちゃうし。
そうなったらおとなしく睡魔くんに従って、躊躇することなく横になります。
昼間なら15分、ないしは30分のシエスタ。
夜ならそのまま眠って朝、早起きして仕事します。
好きな時に寝て、好きな時に起きて働く。
自宅ワーカーでよかった! まさに特権です。
それに夜、4~5時間かけても書けなかった原稿が、その半分ほどの時間でスイスイ書けちゃう体験をしてしまうと、もうやめられません。
。
一説によると、ある程度情報を仕込んでおけば、眠っている間に脳がオートマチックにそれを整理・構築して、起きたらすぐにできるよう、準備しておいてくれるとのこと。
この睡眠作業を自在にコントロールできるようになれば、ぐんと仕事の質が上がりそうです。
創造的な仕事をするためには、睡眠が必要だと言い。お金になる仕事を断ってでも、自分で研究して割り出した1週間の睡眠時間を厳しく守っている人もいる、と言います。
可能性は脳の奥深くにある。
眠りは疲れを取るとともに、そこにアクセスするチャンスを創り出す。
未来への夢を抱いて、今夜も夢を見よう。
というわけでグッドニャイト。
●行間のある音源
昨年の秋ごろからか、YouTubeにやたらと60~70年代のロックバンドのデモ音源が上がるようになりました。
スタジオ内やライブ会場のリハーサルの際の音や、収録したけどリリースをされなかったアウトテイク、さらにそれ以前の編曲前の原曲、完成される途上のものなどです。
当然、未完成だったり、ノイズが入っていたり、音がひずんでいたりもするのだけど、完成品を聞きなれた耳に、半世紀近くも昔のパフォーマンス、曲作りのプロセスの様子が妙に新鮮に響きます。
未完成な、いわば子供状態みたいな原曲や、それに近いものは、こういう過程を経てあの名曲に成長したんだなと思うと、なんだかとても感動的です。
未完成作品には、リスナーが楽曲の世界にみずからの想像力を潜り込ませて楽しめる「行間」があるということでしょう。
●Let it Beが厚化粧した理由
最近、気に入ってよく聴いているのは、ビートルズの「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」です。
1970年発表のラストアルバム「LET IT BE」はプロデュ―サーのフィル・スペクターが原曲にオーケストラをコテコテにオーバーダビングしたことで、メンバー(特にポール・マッカートニー)の怒りを買い、長年ビートルズファンから大ブーイングされてきた、いわくつきの作品です。
ただ、あえてスペクター氏の弁護をすれば、当時はスタジオ技術が急激に進歩し、ロックによる表現方法も格段に広がった時代で、とにかく高密度で、ぶ厚い音作りが求めれていました(その流れを作ったのが、当のビートルズの「リボルバー」や「サージェント・ペパーズ」なんだけどね)。
2003年にポール・マッカートニーがリベンジを図って発表した「Let It Be... Naked」は、もともとビートルズが原点回帰(Get Back!)をめざしたオリジナルに近い作品に仕上がっています。
いま聴くと渋くてカッコいいなぁと思うけど、当時の感覚では
「なにこれ?なんか音がスカスカじゃん。ビートルズ、スカじゃん」
といった感想になったのでないでしょうか?
まだロックが音楽として発展途上だった1960年代の終わりから70年代は、ロックは刺激を求める若者が聞く音楽であり、今でいう「行間」「ゆとり」は、「スカスカの音」と否定的にしか認識されなかったのです。
スペクター氏は、スカスカは許されないと思った。
これはこのままでは商品にならない、なんとかせねば、と思った。
何よりもビートルズブランドを守らなくては、と思った。
とにかく高密度に、とにかく音を分厚く・・・ということで、オーケストラを大導入し、タイトル曲の「レット・イット・ビー」には荘厳なパイプオルガンを響かせたり、間奏にはハデでカッコいいギターソロをフィーチャーしたわけです。
ちなみに僕は今でもこの間奏のギターソロが大好きです。
一応、リードギターのジョージ・ハリスンが弾いていることになっていますが、あれはスタジオミュージシャンだという説もあります。
カッコよければ、どっちでもいいのだけど。
●永遠に続くストーリーを聞く
この「ALTERNATE」は、「Naked」の別バージョンとも言うべき音源で、歌い方や演奏内容が「Naked」と微妙に違っていて、スタジオ内の話し声とともに、ノイズやひずみ、バランスが悪かったりするけど、とても楽しめます。
むしろ、そうした声やノイズやひずみがあることで、この頃の空気が伝わりやすくなっている。
バンドとしてのビートルズはすでに瀕死の白鳥になっており、バラバラになってしまったメンバーの心を、なんとかつなぎとめよう、まだビートルズでいようと、ひとりひとりが必死で頑張っている様子がリアルに伝わってくる。
でもその一方で、オレたち、やっぱもうダメかな~と諦めかけている。
やることやったし、カネも十分稼いだし、もうこれ以上ムリして続けなくてもいいんでね?
そろそろ自分の好き勝手にやりたいよ、と投げやりになり始めている。
そんな最後のあがきやら、利己心やら、それぞれの心のゆらぎが音と音との「行間」から一つのストーリーのように見えてくるのです。
しかし、そんな末期的状態なのに(だから、なのか)、これだけの名曲群が生れ落ちるのだから、やはりすごいと言わざるを得ない。
ジョン・レノンもジョージ・ハリスンもこの世を去ってもうずいぶん経つのに、このアルバムの歌を聴いていると、まだまだ彼らのストーリーが続いているような気がして、不思議な気持ちになるのです。
横浜の「港の見える公園」に「横浜市イギリス館」というのがあります。
かつてのイギリス総領事館を横浜市が買い取った施設で、今では一般に無料開放されており、イベント用に貸し出しも行っています。
昨年、このイギリス館の庭が「イングリッシュローズガーデン」としてリニューアルオープン。1年間養生して、今年はイングリッシュローズが150種・1200本のイングリッシュローズが花を咲かせています。
ゴールデンウィークに、NHK-Eテレ「趣味の園芸」の生放送がありますが、その後に3月に続き「趣味の園芸フェアin横浜2ndステージ」として、このイングリッシュローズガデーンをはじめ、港の見える丘公園の花スポットを巡るガーデンツアーを行います。
先日はその台本づくりのために出演講師とイギリス館の集会室で打ち合わせ。
講師の白砂伸夫さんは、長崎のハウステンボスや岐阜の花フェスタ記念公園のローズガーデンを手掛けたランドスケープアーキテクト(景観デザイナー/プロデューサー)で、今回の都市緑化よこはまフェアの統括アドバイザーです。
横浜は日本におけるバラの故郷とも言える土地で、明治初期からイギリス人がバラを持ち込み、西洋文化の象徴として、当時の日本人の心を強く捉えました。
明治22年の日本帝国憲法発布式の会場には無数のバラが飾られ、出席者は皆、胸にバラの徴章を付けていたとのこと。
天皇家の菊の紋章に対して、近代日本の新しい国家が西洋のバラで表現されたのです。
白砂さんはそうした日本におけるバラの歴史や文化、横浜という都市との関係・ストーリーも研究し、日本人のバラのイメージ・固定観念を変えていくヒント・提案をしていきたいと、港の見える丘公園と山下公園に3つのローズガーデンを設計。
これらのローズガーデンの設計思想は、今回のフェアのコンセプトと同源のもので、従来の資本による大規模建築による都市づくりから、生活者が花と緑を育て、いわば生活の底辺から広げていく都市づくりへのシフトを提唱しています。
そうした情報を知って見るとさらに面白いと思うけど、それでなくとも街中、花盛り――特にこれからの季節はバラ――ですごく美しいと思います。
ゴールデンウィークは横浜で思う存分花を愛でるのもいいかも。
★ペット葬・ペット供養
葬儀・供養業界の雑誌の仕事をしているのいで、その方面の話を聞くと、反応するようになっています。べつに信心深いわけではないのですが。
最近、興味を抱いたのが、動物慰霊の話。
人間の方は、お葬式をしないでそのまま焼場に送ってしまう直葬が激増。
お葬式なんて形式的なものにお金をかけられない、という傾向が全国的に広がっていますが、その反面、ペット葬儀・ペット供養の件数は年々増え、手厚く弔うようになっています。
これだけ聞くと、「人間より動物の方が大事なのか!」
と怒り出す人もいそうですが、
「その通り」とまでは言わないけど、
日本のように動物の霊魂を認め、ちゃんと供養する文化を持つ国は稀少――というか、ほとんど唯一と言っていいようです。
★肉になる動物の供養:畜霊祭
ペットの場合は心の癒し――いわば、精神の栄養になってくれるけど、肉体の栄養になってくれるのが、僕たちが毎日食べているお肉です。
僕のロンドン時代の職場(日本食レストラン)の仲間にダテ君というのがいて、彼は高校卒業後、しばらくの間、食肉関係の会社に勤めていたそうです。
そこでは必ず年に一度、「畜霊祭」というのを行い、自分たちが屠った牛や豚や鶏などを供養していたとのこと。
もちろん、お坊さんが来てお経を唱えるし、参列者も喪服かそれに準じる服装をし、人間の法要と変わることなく、ちゃんとした儀式として行なうそうです。
そして、社長など代表の人が祭詞を読み上げます。
「人間のために貴重な命を捧げてくれて感謝の念に堪えません云々・・・」
ダテ君の話を聞いたのはずいぶん昔のことなので、すっかり忘れていましたが、最近、この畜霊祭のことが書かれてある本を読んで思い出しました。
さらにインターネットで調べてみると、びっくり。
実際に屠畜に関わる食肉会社はもとより、家畜の飼料を作る会社とか、直接屠畜に関わるけではないところも、とにかく家畜関係のビジネスをやっているところは、みんな、こうした畜霊祭、牛供養、豚供養、鶏供養などを行っているんです。
家畜のおかげで収入を得て暮らしていける。感謝してしかるべき。
そういう考えかたなのです。
その本の著者によれば、こんなことをやっているのは世界中で日本だけ。まさしく日本独自の文化。
★イルカもクジラも魚も、動物園も水族館も、実験動物も
この話をすると、欧米人は信じられないとか、奇異な目で見て、嗤う輩もいるらしい。
バカヤロ。
彼らがよくやり玉に上げるクジラやイルカはもちろんのこと、「魚魂祭」といって魚の供養をするところだって全国津々浦々にあるのです。
さらに言えば、9月の動物愛護週間には、全国各地の動物園で「動物慰霊祭」が行われるし、水族館ではやはり魚魂祭が行われます。
そして実験動物も。
マウスやモルモットをはじめ、動物実験を行っている研究所・医療機関も動物供養を行っています。
僕たちは割と当たり前だと思っているけど、こうした施設においてちゃんとした動物供養をする国も、どうやら世界で日本だけのようです。
★敬虔な気持ち、感謝の心に基づく文化
だから日本人は立派だ、という気はありません。
ナナメから見れば、いくらでも批判できます。
ペット業者も食肉業者も動物園も、みんな商売の一環でそうしているんだ。
他のところがやっているから右へ倣えでやってるだけだ。
実験動物だって、一部の動物愛護家がうるさいからだろ。
カタチだけで魂なんかこもっちゃいない・・。
とも言えるかもしれません。
でも、そうした命や自然に対する敬虔な気持ち、哀れに思う気持ちと感謝の心に基づく文化があることは確かだし、知っておいたほうがいい。
そして機会があれば、外国の人にも伝えられればいいと思うのです。
少なくとも、畜霊祭や魚魂祭のこをおかしがって嗤う輩に
「クジラやイルカを殺して食うとは、かわいそう。日本人はザンコクだ」
なんて言われたくないよね。
新聞配達・新聞少年の話は、小説・エッセイ・映画などの中でよく登場します。
作家の田口ランディは、若い頃、新聞販売所で「まかない婦」のアルバイトをしていたそうで、その体験談を自分のエッセイで書いていました。
そうか、新聞屋さんというのはまかないがあるんだ。
たぶん朝刊を配り終えて帰ってくると、ほっかほかのごはんとお味噌汁が出てきて、
みんなそろって「いただきまーす!」とがっつく。
そして新聞少年はそのまま学校へ。いや、一度家に帰るのか?
さすがに子供じゃ住み込みはしてないよね・・・。
そんな昭和ロマンに思いをはせつつ、現代の求人広告を見てみると、驚いたことに、いまだに「住み込みOK」「賄いつき」という文言を目にします。
そうでしたそうでした、事情で家がなかったり、部屋を借りられなくても、住み込みや賄いつきで働けるのが新聞販売店の特徴。
新聞少年につられて、つい牧歌的でノスタルジー漂う昭和世界(なんとなくドリフのコントや吉本新喜劇の舞台にもなりそうだ)を連想してしまいますが、その反対に文学の世界では、新聞にまつわるネガティブな話もさんざん描かれています。
上の方(新聞社)もいっぱいスキャンダルがあるけど、話を末端の新聞販売店・新聞配達に絞れば、そこで働く人たちははぐれ者として描かれ、ワケありの過去を持つ人物がウヨウヨ。
いわばブラック業界、ダークサイドの職場というわけです。
そうした環境にいるうちに、元気で明るく、健気だった新聞少年は、齢を重ねるごとに屈折し、何やら暗い影を背負った大人になっていきます。
「なんで人が新聞読むか知っているか?
記事を見て、ああ、世の中にはこんなに不幸な人、気の毒な人がいっぱいいる。
それに比べれば、私たちはずいぶんましだ、幸せだ。
そうやって安心するために読んでいるんだよ。
新聞のいちばん大きな役割は、そうして人を安心させ、社会を安定させることなんだ。
それを家まで配達している俺たちは、多大な社会貢献をしているんだぜ」
高校の頃に、小説の中に登場する新聞屋さんの、こうした皮肉にあふれたフレーズに初めて出会った時、ああ、世の中、甘くないんだ。そんなシビアな見方もあるのかと、僕は衝撃を受けました。
さすが小説を書くような人は違うな、すごいなと感心したものです。
ちなみにこのフレーズ、表現の微細なところは異なっているけど、同じ意味の文章・セリフを、何本もの小説、エッセイ、映画などで散見しています。
パクリなのか何なのか分からないけど、それだけ読む人の記憶に残るフレーズです。
インターネット普及以前は、情報源のキングとして、社会に君臨していた新聞。
もちろん、速報性という面では後発のテレビやラジオに後れをとっていましたが、
その深度と正確さはそれを補って余りあるもの(と思われていた)だし、何と言ってもメディアの大先輩。
だから人々の信頼も厚く、従って社会的地位も高く、大きな顔をしていられました。
そうした表の顔が輝かしい分、裏面の闇は深く、フィクション・ノンフィクションに関わらず、新聞にまつわるネガティブな話がさんざん描かれるようになったんでしょうね。
子供の仕事から大人の仕事になった新聞配達。
やはりいずれはロボットだか何かの仕事になるのだろうか。
あと数十年したら、アトムみたいなロボット少年が新聞を配っているかもしれません。
●昭和ロマンの新聞少年
今、新聞配達の仕事ってどうなっているんだろう?
・・・と、ふと気になっています。
最近見かける新聞配達は、バイクでぶいーんと走っている兄ちゃん。
というか、どっちかというとおっさんが多い(たまにお姉さん、おばさん)ような気がします。
僕が子供の頃は、新聞配達の主役と言えば新聞少年――つまり子供、小中学生でした。
貧乏に負けず、毎日早起きして家計を助けるために頑張って働き、終わったら学校に行ってよく学び、よく遊ぶ。そしてまた夕刊の配達へ。
それをフォローするちょっとくだけた大人たちが周囲にいて、時にあたたかく、時にきびしく、時にズッコケながら少年らの成長を見守る・・・。
新聞配達という仕事からはイモヅル式に、そういう笑いあり、涙ありの昭和ロマンを連想してしまうのです。
●新聞配っているやつらはいいやつら
現実的な記憶をたどってみると、
僕が小学生だった昭和40年代、新聞配達をやっている同級生はクラスに必ず2~3人いはいたように思います。
女子はやらないので、男子の1割強といったところでしょうか。
もう少し年齢が上の人たち――昭和30年代に小学生だった人たちなら、もっと多かったのではないかと推察します。
彼らの家はやっぱりだいたい貧乏だったとと思います。
これは印象でしかないので、もしかしたら十分金持ちだけど趣味でやっていたんだよ~ん、というやつもいないとは限らないけど。
いずれにしても「新聞少年」の姿は、昭和40年代ではまだ当たり前に見られ、けっして特別なことではなかったし、学校もそれに対してとやかく言うことはありませんでした。
むしろ、そうやって頑張ってる友達をみんな応援しよう、という空気でした。
僕はというと、そうした彼らを割と尊敬していました。
働かず、カネも稼がず、親に甘えてノホホンと学校に通わせてもらっている自分に比べてなんて偉い奴らだろうと、ちょっと引け目を感じていたくらいです。
で、また、覚えている限り、新聞少年たちはみんな、だいたい気のいい連中で、いやなやつはひとりもいませんでした。
特別な親友というのはいなかったけど、けっこう仲の良かった友だちは何人かいて、今でも彼らの顔ははっきりと思い出せます。
●新聞少年の孤独
ただ、彼らは友だちがいてもどこか孤独な感じが漂っていました。
ほかの子供とはちょっと違う、少しおとなびた雰囲気が共通してあったのです。
それは僕が「こいつは自分やほかの連中とちがって自立している」という目で見ていたせいかも知れません。
しかし今にして思えば、やはり彼らは家庭にいろいろ問題を抱えていて、働かざるを得ない事情があったのでしょう。
子供って割と小さい頃から、そうしたことを知られるのには敏感で、秘密にしたりしちゃいます。
それが自立したムード、孤独な雰囲気として自然と表現されていたのだと思います。
●「貧しくとも子供働くべからず」の時代へ
そんな昭和の元気と希望とちょっぴり哀愁の入り混じった「新聞少年」ですが、どうやら平成の現代日本では絶滅してしまったようです。
というのは基本、小中学生を労働させるということが禁止されてしまったからです。
もちろん、家の仕事を手伝ったり、知り合いの仕事を非公式な形で手伝ってお小遣いをもらう、というのはOKらしい(厳密にはダメなのかも知れませんが、まぁ、そこまでチェックはしないので)のですが、いわゆる表立って「雇用」という形ではNGとのこと。
もちろん昭和40年代と社会環境は大きく変わりました。
豊かになったんだから子供が働く必要ないでしょ。
また、学校で勉強すべき子供を働かせちゃダメでしょ。
そんなの先進国家として恥ずかしいじゃないか・・・
という、社会の上層部の方の意見が反映されて、新聞販売店も子供を働き手と使えなくなりました。
でも、そんなこと言っても現実には貧困家庭は昔と変わらずあるわけで、ちゃんとした仕事で働いて、お金を稼ぎたい、家計を助けたいと考える子は少なからずいると思うのです。
ちょっとネットで調べたら「うちはシングルマザーなので新聞配達をやって家計を助けたんです」という子供の投稿が載っていました。
本物の子供が本心でそういう記事を載せたのかどうかはギモンですが・・・。
じつは新聞配達、新聞少年をテーマにしたお話のアイデアが浮かんで、これから膨らまそうという魂胆。
昔のものでも現在のものでも、もし新聞配達、新聞少年に関する興味深い情報があれば、ぜひお寄せください。
というわけで、この続きはまた明日(か次回)に。
息子が「スチームパンク」なるものに凝っていて、ちょっと話を聞いたら面白い。
SteamPunkとは蒸気によるテクノロジー、つまり19世紀の産業革命時代の技術がそのま進化した世界=架空の物語世界の概念。
創始者はかつて「ニューロマンサー」で「サイバーパンク」なる概念を生み出したSF作家・ウィリアム・ギブスンで、もちろんこれはサイバーパンクをもじった造語。
アニメや漫画やファッションの分野では、割と以前から一つのジャンルを形成しており、人気が高いようです。
そういえば数年前に、大友克洋の「スチームボーイ」という映画をやっていたっけ。
僕が面白いなと思ったのは、こうした物語世界にはまる多くの若い連中が、近代社会の始まりとなる19世紀の西洋文化に強くインスパイアされているということ。
現代を産業革命以降の「人間VS機械文明」の時代の最終章、あるいは石油などの地球資源使い放題の大量生産・大量消費時代の集大成と捉えるのなら、こうしたカルチャーが開花するのはとても興味深い現象です。
もちろん、これは一種の遊びなので、スチームパンク現象に高邁な思想やら哲学やら未来学やらが盛り込まれているわけではありませんが、何か匂いがする。
ネジや歯車など、コンピューター以前のアナログなマシンの持つ質感の魅力。
バーチャルなものに生を支配されてしまう事に対する怖れみたいなものが、若い連中の心を引き寄せるのかもしれません。
これに関連しているのか、ジュール・ヴェルヌ(海底2万里)、H・G・ウェルズ(透明人間/タイムマシン)などの古典SF、さらにはカレル・チャペック、アイザック・アシモフのロボットものなども復活しているとか。
子供らといっしょに現代からの視点で、こういう古典を再読し、近代社会・近代思想について学習しなおすことも必要だなと思っています。
若者言葉から今やすっかり一般に浸透した「ガチ」という言葉。
「What is GACHI?」
そう外国人に聞かれたら、どう説明すればいいか、考えてみました。
まず、「ガチンコ」の短縮形であることを説明しますね。
では「ガチンコ」とは何か?
「ああ、あのチンジャラジャラってやつ?」
ちゃうちゃう、あれは「パチンコ」。
やっぱり相撲の話をしなくちゃならない。
ガチン!とマジで、本気でぶち当たるから、ガチンコ。
つまり真剣勝負。この取組はガチンコだよ、とか・・・。
「え?ということは真面目にやらない、本気で闘わない取組もあるということですか? 相撲はスポーツじゃないんですか?」
いや、ちょっとスポーツというカテゴリーとは違ってて・・・ と、ここでやはり「八百長」という概念を説明する必要が出てくるでしょう。
「What is YAOCHOH?」
最近は鳴りを潜めているけど、
「立ち合い、右からこう当たりますから、あとは流れでどうこうで・・」
というのが数年前に問題になりまして・・・。
その言葉の由来は明治の「八百屋の長兵衛」というのがいて、商売上の取引があったりしてね・・・
「ええええ、ということは、スモウはインチキ? ビジネス?」
いや、インチキじゃないんだよ。
何というか、興行になっていて、江戸時代からの歴史があって・・・・
カブキとか、シアターと同じように考えてもらえれば・・・。
「スモウがカブキ? シアター?」
この辺りで江戸の名大関・雷伝為衛門の話など。
対戦相手の年老いたお母さんが見に来るので、わざと負けたという人情話もあるんだ。
そういう日本人の歴史や文化は詰まっているんだよ、スモウには。
奥の深いものなんだ。
Did You Understand?
「う~ん、ヨクワカリマセン。
それがGACHIになったんですか?」
「ガチ」の一言を説明するためには相当な時間と労力を要しそうです。
みなさん、東京オリンピックまでに英語の勉強も必要だけど、日本の歴史と文化も勉強しておきましょう。
●肉食卒業?
最近、あまり肉を食べなくなってきました。
特に健康を気にしているわけでもなく、ましてやベジタリアンになろうとしているわけではないけど、「肉が食いたい!」と、ムラムラっと湧き起っていた、あの欲求が起こらない。
たとえば、街中で肉料理のアップの写真の宣伝物に出くわしても、なんとも思わない。
もし仮に明日から肉食禁止と命じられても。「はい了解」と、すんなり受け入れられそうです。
その代わりというわけではないのだけど、豆類や海藻類が妙に好きになってきた。
豆類は食べ出すと脳内ブレーキがゆるみっぱなしになり、おかずだけでは飽き足らずに、おやつにもバクバク食べて、あとからお腹がいっぱいになり、プープーおならが出て困ったことになってしまう。
トンカツなども、ヒレカツは食べるけど、脂身の多いロースかつは最近食べていません。
牛丼は割と頻繁に食べていたのだけど、だいぶ前――40歳の手前もある時期、急に食べられなくなりました。
匂いにつられてお店に入って注文し、2~3口食べると、急に胸やけと吐き気に襲われたのです。べつに体調が悪かったわけではないのに。
そんなことが2~3度あって、いっさい食べられなくなりました。
なぜだろう? あれは今でも不思議だなぁ。
自分の脳から「もう食うな」と命令が下りたのではないかという気がします。
●食歴をふりかえって
自分の「食歴」をふり返ってみると、子供の頃は肉がダメだったんですね。
豆腐が大好きで「豆腐小僧」と呼ばれていたこともありました。
学校給食に入っている肉が最悪で、しかも僕の子供時代は「勉強できなくても、給食をいっぱい食べる元気な子がいい子」という価値観の時代。
だから先生もかなり脅迫的で、食べられるまで残されました。
あの取り残された時のみじめさといったらありません。
学校でどの授業よりも、給食の時間がいちばん嫌いで、本当にあのひどい「食育」には苦しめられました。
そういうのもトラウマになっているのかもしれませんね。
でもまぁ、子供時代に肉食がダメだったということは、もともと肉があまり体質にあってないのかも。
なので、体力のピーク時を過ぎて、だんだん本来(?)の自分の食の趣向に戻っていっているのかも知れません。
●何が健康食かは、ひとりひとり違っている
ちなみに何を食べれば健康になるか、維持できるかというのは人ひとりひとり全く違うと思います。
極端な偏食は問題あるかも知れないけど、肉をバクバク食って長生きしている人もいるし、朝食を食べたほうが調子いいか・悪いかというのも、その人次第。
いろんな人が「私のこの食事法がいいんだ」と、いろんな健康法を提言し、あれ食うな、これ食え、などと言っていますが、気にして惑わされないほうがいいと思います。
それよりも自分の子供時代をはじめ、食の嗜好の歴史を振りかえって、本来自分に合っているのはどういう食なのかを、自分の脳に教えてもらったほうがいいのではないでしょうか。
●取材先を選ぶ
レギュラーワークの鎌倉新書「月刊仏事」の連載企画「全国葬儀供養最新事情」は、地方への取材がメインなので、もっぱらメールでやっています。
どんなネタを選んで構成するか、要するにその月の企画は一任されているので、まずインターネットでいろいろキーワードを打ち込んでヒットするサイト、および、そこから関連して出てくるサイト・ブログを片っ端から見ます。
それで読者のニーズに叶った、興味深い組織・企業・個人を取材先として選び、電話かメールで取材の趣旨を説明。同意が得られれば取材に取り掛かります。
●なぜ相手はメール取材を選ぶのか
取材方法はメールで質問項目を作り、それに対して電話かメールでご回答いただきたい、と提案します。
すると、10人中9人はメールでの回答を選びます。
電話取材のほうが所要時間は少ないのですが、20~30分かかるので、これも日時の拘束があるし、トークに自信のない人は、口頭で言いたいことをうまく伝えられるかどうか不安を覚えるからでしょう。
それなら自分で納得できるよう、じっくり回答を考えられるメールで・・・ということで選択するのだと思います。
●みんな取材慣れしてきた
これだけメディアが発達し多様化すると、皆さん、取材を受けるメリットがあると分かっていても、それに対しての光栄度というか、喜び・ありがたみなどはどうしても薄れます。
小さなマイナーメディアが相手では、忙しい中、ちょっとやそっとでは時間を割いてくれません。
これは遠隔地の取材だけでなく近場でも同様で、こちらが「ご都合のよう時間に合わせます」と言っても、特に小さな会社や個人の場合は、渋ることが多くなりました。
見知らぬ取材者と直接相対するのは緊張するし、抵抗感を覚えるのでしょう。
そうした時、メールはとても有効です。
面と向かうと、緊張してなかなかうまく人とやり取りできなくても、メールでなら優れたコミュニケーション能力を発揮できる人は大勢います。
また、ある程度文章表現が得意な人なら、メールの方が自分の考えをより正確に、より深く伝えられる――と考えるようです。
●メール取材の工夫
なので、メールでも充実した取材になるよう工夫しています。
たとえば仏事の「地域の葬儀社に訊く」のメール取材は、基本的にどこも訊くことは共通なので、同じフォーマットを使いますが、少しだけ、その会社・個人あてのピンポイントの情報や質問を入れます。
たとえば、なぜ御社・あなたを取材対象として選んだのか、きちんと理由を書く。
創業〇十年の老舗だからとか、逆に若いフレッシュな会社だからとか、女性の社長だからとか、プロフィールが興味深いとか、です。
ブログ記事の感想もできれば書き、そこから質問につなげていくこともできます。
そうしたことに手を抜かずにやると、読む相手もすんなり質問を受け入れられ、メール上でのコミュニケーションが円滑に進みます。
ただ円滑過ぎても面白くないので、必ず質問の中に引っかかるところ――相手が考え込まずにいられないところを作っておきます。
質問の並べ方・構成にもストーリーが必要です。
そうしたことを意識して作ると、直接面会する取材よりも良い回答を引き出せるケースも多いのです。
●記事の完成
ちなみに回答をもらっても、そのまま記事にするわけではありません。
その回答を膨らませ、自分の解釈・解説も付け加えたりしながら原稿を作り上げ、それを取材相手に送って確認してもらい、完成させます。
もちろん大きな規模の特集記事の場合、その場所の空気を伝える必要がある場合、写真撮影・動画撮影が伴う場合は、現場へ赴き、面会します。
現場取材、直接のインタビューによって得られる細かいニュアンスは、なかなかメールの文面だけでは出てきません。
しかし小規模なレベルの仕事だと、もはや「メールじゃ良い取材はできない」なんて言っていられません。
メールを使ってちゃんと相手の意見やアピールを引き出しつつ、読者がその取材対象者をよりよく理解できるように誂えるのがプロなのだと思います。
●これが未来の定食屋?の画期的システム
神保町に「未来食堂」というところがあって、革新的な定食屋として話題を集めています。
メニューは日替わり定食1種類だけ。
しかし、それにプラス400円で、お客が自分の好きなものをオーダーし、いわばカスタムメイドの定食にできる「あつらえ」というシステムがあります。
また、お店のお手伝いをすると一食ただで食べられるという「まかない」のシステム、さらにその「まかない」をチケットにしてお店の外に貼っておき、お腹をすかせた通りすがりの旅人が、自由にそれを使えるというシステムもあるとか。
画期的というか、面白いというか、まさしく飲食業界の常識をひっくり返している。
もちろん慈善事業でも何でもなく、ちゃんとビジネスとして成立し、黒字経営ができているとのこと。
なんか独特のストーリーがある定食屋さんだなと感じます。
オーナーで店主の女性は、もとITエンジニアで、以前はクックパッドで仕事をしていたそうです。
なんか納得してしまう。
そして、そうか、これが「未来」か、と大きくうなずいてしまう。
●接客はコンビニのように
こうしたお店なので、さぞやお客さんと和気あいあいという感じでやっているのだろうと思いきや、彼女は接客に関して、「コンビニのような接客をしています」とテレビ番組のインタビューで応えていました。
じつはこれが僕が最も興味をひかれたところ。
家族のような、ヒューマンタッチの人情にあふれた食の風景ではなく、そこにあるのはクールで、半ばマニュアル的とも言えるコンビニ風の接客。
そうしたベタつかない、さっぱりした関係が彼女の理想たと言います。
それにはちゃんと理由があって、
常連客と店のスタッフの距離があまりに近く親密だと、初めて来た人や、たまにしか来ない人たちは気後れしてしまう。
足しげく通っていた時期もあったが、たまたましばらく来られない時期が続くと、なんだかバツが悪くて、来たくても以前と同じように顔が出せなくなってします。
好きなお店に対するお客の心理って、けっこうビミョーです。
そうしたよけいな気遣いをしなくて済むよう、どんなお客でも、ほとんど差がないよう、コンビニのように接するのが基本だと考えている。
・・・という趣旨の話を彼女がしていて、とても感心しました。
そういえば、マンガ「孤独のグルメ」でも井の頭五郎(主人公)が、初めて入った店(このマンガに出てくる店は、だいたいどれも井の頭五郎が初めて入る店)で、やたら店主と常連客がなれ合っていて、裏メニューを出したり、わがままを聞いてやったりするのを不快がっていたのを思い出しました。
僕たちはヒューマンタッチの店が、あったかくて人間らしくて良い店だ、と勝手に思い込んでいますが、そうとは限らない。
たしかに親密さ、距離の近さが、べたつき感につながったり、うざく思える時がある。
もちろん、そういう世界を求める人は求めていいのだけど。
おみせの立場に立った場合、ビジネスでやる以上、自分の姿勢ははっきり打ち出さないとね。
特に飲食の世界では、自分は顔が効くということを自慢し、店側に甘えたがる人も少なくないので。
●ただいま産休中
「あつらえ」「まかない」といった画期的システムに、ベタベタしたなれ合にならない、クールで確かなお店の姿勢。
「未来食堂」というネーミングがお腹の底にストンと自然に落ちます。、
最近、神保町界隈には出向いていないので、こんど千代田区方面に行くときは、ぜひ寄ってみよう・・・と思っていたら、なんと、きょうから店主産休のためしばらくの間、お休みとのこと。
がつがつ仕事するだけが人生じゃない。
これもまた新しい「未来」!
TOKYO PLANNINGさんから頂いた仕事で、ここ半年あまり取り組んできた飲料メーカー「ポッカサッポロ」の商品成長記が完成。無事納品しました。
ポッカコーポレーションとサッポロ飲料は4年前に統合。
社内でプロジェクトチームができ、互いの前身のことをよりよく知ろうということで、この本を制作しました。
基本的には社内報のBOOK版ですが、トータル160頁で、かなりのボリュームになりました。
僕はポッカレモンなどのレモン製品、缶コーヒー、スープ、バラエティ商品、製造技術、海外事業、業界人座談会など、約90ページ分を担当しました。
ポッカは1950年代から80年代にかけて、日本の飲料業界をリードしてきたメーカーで、画期的なこと、クリエイティブなことをたくさんやってきました。
かのポッカレモンは昭和20年代の名古屋・栄広小路で小さなバーを経営していた創業者が発案し、町工場で試作を重ねて作ったもの。
日本初(ということは世界初)の缶コーヒーを作ったり、それを売るためのホット&コールド自販機も開発しています。
また、缶コーヒー用の焙煎技術や、スープの造粒化(粉末でなく、顆粒の微細なツブツブにする)技術などに関してもパイオニアでした。
片や、おみくじソーダや占いコーヒー、プリンシェイク、ふってゼリーにする飲料など、遊び心あふれる面白ドリンク商品もここがオリジナル。
輸入事業や海外事業にも早くから積極的に取り組んでいました。
じつはポッカが名古屋の会社だったということは、この仕事で初めて知りました。
名古屋近辺には面白い会社、ユニークな会社がたくさんあるようです。
名古屋出身者として、ぜひ、他のところでもこうしたものを作って、その会社ならではの「しごとストーリー」を書いて発信してきたいと思っています。
このポッカサッポロの本は社内用ですが、面白い話・役に立つ話は、また折にふれ、ご紹介していきますね。
先日、「仏事」の仕事で和歌山の清掃会社を取材したときのこと。
その会社は仕事の半分以上が、遺品整理や生前整理、そして独居老人が亡くなった後の家の清掃などをやる、いわゆるデスケア関連の会社です。
和歌山というのは高齢化の先進県で、人口全体に対する高齢者の割合が全国第6位。
近畿地方ではナンバーワンとのことで、この数件、家の中を整理したいという高齢者が激増しているのだとか。
デスケア業界で言う「生前整理」のニーズに応じて、このビジネスに参入する業者も増えているとのこと。
そこでかなりの割合で出てくるのが、お人形さんです。
この季節、父・母から子へ、祖父・祖母からかわいい孫へ、立派な五月人形が贈られます。少し前なら、もちろん、女の子を寿ぐひな人形が。
これらの華やかな人形たちは、最初の数年は家の中ですごい存在感を放つのだけど、子供が大きくなるとともに、だんだんその存在感が薄れていきます。
そして気が付けば、子や孫は大人になり、人形たちは楽屋の隅に引きこもった役者のように。
ましてや子供が出て行ってしまった家では、こういっちゃなんだけど、ちょっと邪魔者になってしまう場合が多い。
そんなわけで、その会社では生前整理の仕事を受けていると、2~3ヵ月ほどの間に倉庫に人形があふれてしまうのだそうです。
スピリチュアルなんて信じないという人でも、やっぱり人形は「ただのモノ」としては扱えません。
みんな多かれ少なかれ、口には出さないまでも「これ魂入ってる???」と考えてしまう。
ポイとゴミ箱に捨てるわけにはいきません。
じつはこの会社の近所には「淡島神社」という、人形供養で全国的にも有名な神社があります。
長い間、家族の物語を育んできた人形たちはその役割を終えて、ふるさとの家をあとにし、しばしの下宿暮らしを終えたのち、生前整理屋さんの車でこの神社に辿り着きます。
そして厳かに供養され、安らかな眠りにつきます。
淡島神社に持って行ってもらえると聞くと、親御さんたちも安心して手放すことが出来るのだそうです。
ここだけでなく、こうした場所が全国津々浦々きちんとあるということは、人形にとって幸せなことなのでしょう。
子供にとっても、親にとっても、きっと。
最期にちゃんと行き着き、安らぐ場所があるから、安心して人形が作られ、売り買いされ、魂が入り、人形の文化が豊かになったのかなぁ、キャラクター文化につながっているのかなぁと思ったりしています。
●お寺の数日本一の滋賀県
レギュラーワークの鎌倉新書「月刊仏事」の仕事では、毎月の業界ニュースと、隔月の「全国葬儀供養事情」という連載企画を担当しています。
後者は全国47都道府県の葬儀の風習や伝統、ビジネス状況や終活事情などを紹介するもので、現在、調査・執筆しているのは「滋賀県」の巻。
じつは滋賀県は10年ほど前、他の仕事で長浜市近辺に半年ばかりの間、よく通ったことがあるため、親しみを持っています。
奈良・京都に比べると一般的な印象は薄いと思いますが、お寺の数はこの両県をしのいで日本一。
仏像・神像の数もトップクラスで、仏教美術の宝庫でもあります。
かの白洲次郎の奥さんだった白洲正子さんも観音様などの仏像・舞狂美術を訪ね歩き、いくつもの紀行文・随筆を書いています。
●庶民が守り育てた仏教文化
奈良・京都の場合、仏教は時の政治権力と根底で結びついており、そこから派生する文化も、貴族などの支配階級が深く関わっていました。
それと比べて滋賀県における仏教文化の特徴は、その地に住む村人たち、つまり庶民が守ってきたということ。
奈良・京都に比べて今一つ地味な印象で、注目されづらいのは、そのためなのかも知れません。
庶民が仏像などを守ってきたことにはちゃんと理由があります。
滋賀の旧称は近江。
江とは「うみ」のことで、うみに近い場所。
この「うみ」とはもちろん日本最大の湖・琵琶湖のことです。
琵琶湖という静かな海の向こうに、政治の中心地である京都があったため、宿命的に近江一帯は歴代の権力闘争の舞台になってしまいます。
最もひどかったのは安土桃山時代で、この一帯の人々の暮らしは、信長や秀吉など、権力を獲得せんとする近隣諸国の武将たちにさんざん蹂躙され、翻弄されました。
そうした暴力に対して無力な庶民は、仏様に救いを求めるしかなく、日々の生活の中でごく自然な信仰心が育まれたのだと思います。
滋賀に通っていた頃、そんなエピソードが残るお寺、戦火の中から人々が救い出した仏像の話をいくつも聞きました。
また、そんなストーリーを胸に収めながら歩いた長浜郊外の観音様巡りは今でも心に残っています。
●情報化社会がもたらす混乱
今回、葬儀社さんなどに話を聞くと、このような文化背景があるせいか、滋賀の人たちは冠婚葬祭に関してかなり保守的で、昔の習俗にこだわる人が多く、お寺も長年大事にされてきたせいか、生活者との関係改善に関心を持たず、いまだに上から目線のところが多いとか。
しかしそれでも、最近の葬儀の小規模化・低予算化、さらには葬儀不要論などの時代の新しい潮流には逆らえません。
情報の送り手である葬儀社やお寺、受け手である生活者ともども相当混乱にさらされているようです。
「仏事」の取材は残念ながら現地取材はできず、電話とメールで事実関係の調査をがんばって、あとはそれをもとにイメージを膨らませるのですが、記事を書いていると、近江の観音様がまた会いにおいでと手招きしているような気持ちになります。
近江路はきっとまだ寒いだろうけど、桜はもう咲いているのだろうか。
近所の大宮八幡宮&和田堀公園へ桜を見に行ったら、境内にアンパンマンが。
「ようこそお詣りくださいました」の看板付き。
なんで神聖なお宮にアンパンマンのようなキャラクターがいるのか?
いまや世界に冠たるアニメ大国・キャラ天国になった日本では、たぶんそんなのは野暮な質問なのでしょう。
50年前なら大人がディズニーのグッズなど持っていたら、女でも男でも
「おまえ、いい歳こいてアホか!」
とバカにされたでしょうが、最近は逆に
「何があかんのや、この時代遅れの化石頭おやじ!」
と、逆にバカにされそうです。
少子化の時代、アニメやキャラをつくる側も子供ばかり相手にしていたら商売になりません。
ねらうは大人。これからはジジ・ババまでがターゲット。
僕たち以降のように、ガキの頃からアニメやマンガを見て育った世代は、いくつになろうがアニメやキャラのとりこになり得るのです。
まぁ、さすがにアンパンマングッズが欲しいという大人は少ないだろうとは思います。
ただ、やなせたかしさんの原作絵本の、あの哀愁を帯びたようなタッチの絵をデザインしたTシャツなどあったら、僕は着てみたいなぁ。
もともとアンパンマンって、困っている人に自分の顔を食べさせちゃうっていう話から始まっているんです。
それだけ聞くとちょっと偽善っぽいけど、やなせさんの絵だと素直にいいなぁと思うのです。
そうか、だからアンパンマンは神様扱いなのか。
ならこんなトタン屋根の囲いじゃなくて、ちゃんとお堂に入れなしいなぁ。
ところで、この大宮八幡宮は数年前、子供にしか見えない「ちっちゃいおじさん」が出没するということで、都市伝説の舞台になりました。
お宮としてはそれを機に、ちっちゃいおじさんキャラを作って売り出すかと思っていましたが、いまだに実現していません。
まだ遅くないぞ。ぜひともやってほしいなぁ。
ここのところ、頭の中を一匹のブタがピイピイ、ブーブー言いながら徘徊している。
彼(彼女かも知れない)は、まだ子供のブタ。
仕事場を求めてさすらう、中世のイングランドの石工の家族が、いざという時のための財産として連れ歩いていたブタか、
あるいは戦国時代の薩摩軍が兵糧のために戦場で放牧していたブタか。
まだ子供なので、毎日ごはんを食べさせてくれる人間が大好き。
たらふく食べてどんどん大きくなると、みんながほめてくれてうれしくなる。それでまた食べる。
でもある日、彼(彼女)は自分の運命に気づく。
なぜ人間が自分を可愛がり、太るままにしてくれるのか。
逃亡を画策するが、生まれながらの食いしん坊のブタは、自由の身になるには食えなくなるかも知れないというリスクを負うことも悟る。
思春期のブタは思い悩みながら、自分の命運を握る人間たちを鋭い目で観察する。
「食べられる者の目」で、人間がどんな暮らしをしながら何を、どうやって、どんな気持ちで食べるのか、見る。
という具合で、次作は「食」をテーマにした作品。
でも、このブタがどういう役回りになるのかはまだわかりません。
とりあえずファーストストローク(初稿)は3ヵ月でやってみようと思っていますが、どれくらいの旅になるのやら。
脳の奥にあることはブタに訊く。
きっとブタがほじくり返してくれる。ここ掘れブヒブヒ。
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