今年も天才クラフトワーカーから
クリスマスカードが届いた。
今回のは一段と手が込んでいて、
かわいい靴下は本物の手編み。
いつも数十通、こんなのを送っているという。
彼女にはお返事として、毎年必ず年賀状を送る。
今年は郵便料金が値上がったこともあって、
「年賀状じまい」が加速しているらしい。
まさか、まさかの事態。
年賀状文化の崩壊が始まっている。
でも、SNSやLINEを使った年賀の挨拶と
年賀状とは、ずいぶんニュアンスが違う。
しばらく会ってない人、
ふだんは頭の中に存在していない人から
いきなりスマホに届く「おめでとう」には
戸惑いや怪訝な感じ(勧誘・商売の伏線?とか・・・)
を覚える。
仕事でデジタルはいいが、
正月の挨拶はやっぱりアナログであってほしい。
その点、年賀状だと違和感がない。
ああ、まだ生きてるな、
まだ彼(彼女)と繋がっているんだな、
という安堵感・安心感を覚える。
たしかに形式だけのやりとりならいらないと思うが、
SNSで連絡を取り合うほど
密な交流はしたくないけど、
なんとなく自分の人生のどこかにいて欲しい人とは
正月だけでも「おめでとう」と紙面で挨拶したい。
というわけで、クリスマスが済んだら、
あっという間にお正月。
これから年賀状書きます。
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さあ、急がニャいと。
自分へのクリスマスプレゼントにどうぞ。
夢をかなえたあとも、
成功を果たしたあとも、
欲しい物をすべて手に入れたあとも、
まだまだ人生は続く。
夢に届かない人も、
失敗して転んだ人も、
何も手に入れられない人も、
まだまだ人生は続く。
あなたがどっちか知らないけど、
いっしょに旅をするおともがいれば、
まだまだ人生続けられる。
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夢をかなえても、
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むなしかったり、涙が出たりする。
そんなあなたの心を満たす“ねこ”は、
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一人で店を切り盛りする花屋の女主人と、
彼女のために大いなる任務を果たす保護猫の物語。
クリスマスの賢者の贈り物として、
あなたの胸の本棚に1部いかがかニャ?
●あらすじ
彼女は「お花屋さんになりたい」という
少女時代の夢をかなえた。
今はとある町の小さな花屋の女主人として、
ひとりで店を切り盛りしている。
花に関する豊富な知識、アレンジメントのセンスと技術。
加えて人柄もよく、お店の評判は上々で、
商売はうまいこといっている。
彼女自身も毎日、大好きな花に囲まれて
仕事ができて幸せだ。
ところが、明日は母の日という土曜日の朝、
店の外に出て、びっくりした。
そこに置いてあったカーネーションの花が
ネズミに食い荒らされていたのだ。
ショックを受けた彼女は、
今後、二度と店にネズミを寄せつけないよう、
ネコを飼う決心をする。
保護猫サイトを探すと、
かわいらしい子猫たちにまじって大人のネコがいた。
人間に保護されるまで1年間、
野良猫として生き延びてきた頼もしそうな奴だ。
しかも彼は、オスの三毛猫というレアものである。
女主人は彼を引き取り、
「ダビ」と名付け、自分に言い聞かせた。
「寂しいからじゃない。癒されたいからじゃない。
ネズミよけのためにこのネコを飼うんだ」と。
そして、自分とネコとの関係を明確にするために、
雇用契約を結ぶ。
彼女は仕事の依頼主。
その報酬として彼に食事と寝床を与える。
こうして、花屋の女主人と
三毛猫ダビの暮らしが始まった。
お待ちかね。6日間無料キャンペーン開催します。
12月18日(水)17:00~23日(月)16:59まで。
一人で店を切り盛りする花屋の女主人と、
彼女のために大いなる任務を果たす保護猫の物語。
ふと気が付くと、最近、
女性や女の子が主人個の話ばかり書いている。
この齢になると、男でも女でも、
子供でも大人でもジジババでも、
イヌでもネコでもネズミでも、
なんでも自由自在に変身できる。
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一人で店を切り盛りする花屋の女主人と、
彼女のために大いなる任務を果たす保護猫の物語。
花好き、ネコ好きに贈るクリスマスプレゼント。ぜひ。
●あらまし
彼女は「お花屋さんになりたい」という
少女時代の夢をかなえた。
今はとある町の小さな花屋の女主人として、
ひとりで店を切り盛りしている。
花に関する豊富な知識、
アレンジメントのセンスと技術。
加えて人柄もよく、お店の評判は上々で
、商売はうまいこといっている。
彼女自身も毎日、
大好きな花に囲まれて仕事ができて幸せだ。
ところが、明日は母の日という土曜日の朝、
店の外に出て、びっくりした。
そこに置いてあったカーネーションの花が
ネズミに食い荒らされていたのだ。
ショックを受けた彼女は、
今後、二度と店にネズミを寄せつけないよう、
ネコを飼う決心をする。
保護猫サイトを探すと、
かわいらしい子猫たちにまじって大人のネコがいた。
人間に保護されるまで1年間、
野良猫として生き延びてきた頼もしそうな奴だ。
しかもオスの三毛猫というレアものである。
女主人は彼を引き取り、
「ダビ」と名付け、自分に言い聞かせた。
「寂しいからじゃない。癒されたいからじゃない。
ネズミよけのためにこのネコを飼うんだ」と。
そして、自分とネコとの関係を明確にするために、
雇用契約を結ぶ。
彼女は仕事の依頼主。
その報酬として彼に食事と寝床を与える。
こうして、
花屋の女主人と三毛猫ダビの暮らしが始まった。
今年はAIが大きく進化した年だった。
僕も去年まではお遊びで触る程度だったが、
今年は夏場、ちょっとヒマだった時期に
セミナーを受けて、
AIを仕事で積極的に使い始めた。
新しいテクノロジーを肯定するか比例するかは
その人の自由だが、
これだけ世間でAIについて言及され、
いずれ多くのマンパワーがAIに取って代わられる
といった話を聞いていると、
やはりある程度は知っておかないと駄目だ。
ろくに知りもしないで「AIなんか要らない」
と、ただ否定していると、
内心、どんどん不安とストレスが溜まっていく。
これはあまり良くない状態だ。
AIを知り、使い方を身に着けるには、
ただ遊んでいるだけでは不十分で、
やはり実際に仕事で使ってみる必要がある。
というわけで,いろいろ試して、
AIライティングの概要を
つかんでからは、できるだけ、
どんどん使うようにしている。
僕の場合、取材の文字起こし、記事の構成、
リード文の作成、タイトル案の作成などが主な用途だ。
一度完成した原稿をもっとカジュアルに、
若い読者向けに、みたいな指示を与えて
アレンジする場合もある。
小説を書く際に、
対話しながらプロットを書くこともある。
自分がどの程度、
使いこなせているのはよくわからないが、
僕はあまりAIの普及を心配していない。
やっぱり機械は機械なので、使っていると、
いかにもみたいなビジネス文章の文型、
「成長「発展」「拡大「希望」といった、
やたらポジティブなワードを多発し、
きれいにまとめようとする傾向が強いからだ。
いわば「模範解答」みたいな文章ばかりで面白くない。
もちろん、プロンプトで「もっと柔らかい表現で」とか、
「もっと砕けて」とか指示すれば、
代案を出してくるのだが、
何度もやり直しさせるのがめんどくさいので、
結局、自分で書き直すことになる。
でも、AIのNG案を見て、
新しいアイデアがひらめくこともあるので、
AIの作業が無駄とか、使う意味ないとは思わない。
ようは付き合い方しだいだ。
AIは人間より神様に近いかもしれないが、
日本は多神教の国。
神様はヒューマンタッチで愛嬌があって、
ときどき悩んだり、ズッコケたりしている。
だからアトムやドラえもんみたいなマンガも生まれた。
来年以降、AIがどれだけ進化するかはわからないが、
当分の間は、できるだけ、マンガのロボットに見立て、
優秀だけど可愛くて楽しい
仕事の相棒にしていきたいと思っている。
今年はブログで3年半連載した
「週末の懐メロ」を終えて、6冊の本にまとめた。
第1回「5年間/デビッド・ボウイ」から
最終回「オールウェイズ・リターニング/
ブアイアン・イーノ」まで、
国内外を問わず、自分が好きだった
楽曲・ミュージシャンについて
トータル180のエッセイを書いた。
最初は手抜きコンテンツとして始めたのだが、
やっていくうちにどんどん面白くなって、
自分の記憶・当時の時代状況や
音楽雑誌で読んだこと、個人的エピソード、
そして、YouTubeをはじめ、
各種ネット情報などをかけ合わせ、
ネタにした楽曲・ミュージシャンによっては
2千字、3千字におよぶこともしばしばあった。
20世紀の頃には知り得かなった
歌詞の詳しい内容、ミュージシャンの来歴、
その楽曲が生まれたエピソードなども
発見・深掘りできて、毎週とても楽しかった。
あの頃、心を満たしてくれ、
神秘の世界・感情の世界に誘ってくれ、
普通に生きているだけでは感じられないものを
体験をさせてくれた20世紀の
ロック・ポップカルチャーに感謝の念が尽きない。
人間が生きている限り、
音楽がこの世からなくなることはないが、
栄華を極めた音楽産業は、
この先、衰退の一途を辿るだろう。
今後はAIが進化して、誰でも簡単に、
いくらでも良い曲がつくれると言われている。
しかし結局、
それらはこの20世紀ロック・ポップカルチャーの
膨大なデータがあるからこそ生まれるものだ。
1950年代~90年代の天才たち、
そうでなくても、この時代、
幸運にも音楽の神とコンタクトできた者たちの
感性・知性から生まれた音楽の価値は、
これからも、いささかも下がることはないだろう。
アーカイブ文化が発達して、
僕の息子のような若い人たちでも、
僕などよりははるかに
20世紀ロック・ポップカルチャーに
詳しい人たちがいっぱいいる。
そうした人たちの勉強になるようなものではないが、
当時のリスナーの私的な感想・意見を交えた
雑文として読んでもらえたらいいなぁと思っている。
先日、テレビのニュースで
闇バイトに関わってしまった
大学生の母親のインタビューを見た。
印象に残ったのは、同じ家で暮らす家族でも、
一人一人、何をしているのか・考えているのか、
どんな人間と付き合っているか、
まったくわからないという点である。
そんなこと今に始まったことではなく、
昔からそうではないかという声が
聞こえてきそうだが、
昔と違うのは、今はスマートフォン、
インターネットがあることだ。
僕が子どもの頃は、
テレビが「1億総白痴化装置」とディスられていたが、
それでもテレビは、家庭の暖炉の役割を果たしていた。
冬は特にそういった印象が強く、
みんなで居間で炬燵に入り、みかんなどを食べながら
テレビを見る時間は、
かけがえのない一家だんらんのひと時だった。
令和の時代において、そうした風景は、
ほとんど失われてしまったように思える。
たびたび書いているが、
「サザエさん」も「ちびまる子ちゃん」も、
もはや現実とかけ離れた
昭和ファンタジーの世界になっている。
子も親もオンラインの中に潜り込んで、
自分で様々な情報を収集して知識を蓄え、
SNSなど通じて、自分だけのコミュニティを持ち、
個々で楽しめる娯楽や心の拠り所を育てている。
同じ家に住んでいても、もはや、
昔の意味での家族ではなく、
個人個人がなりゆきで同棲し、
家をシェアして暮らしているという感じだ。
それぞれの人生の半分は、オンラインにあるのだ。
それでも大人はまだいいが、
子どもはどうだろう?
件の母親は、いっしょに暮らしている息子が
オンラインのギャンブルにはまり、
依存症になって多額の借金をつくり、
焦って闇バイトに引っ掛かってしまったという経緯に、
まったく気づけなかったという。
父親も同様だ。
大学生だから、へたに干渉すべきでない。
ある程度は自己責任で・・・
という親の気持ちはわかる。
ただ、今の子供はかなり高い割合で、
オンラインの世界に脳を乗っ取られていると
思ったほうがいい。
「デジタル・ネイティブ」という言葉は、
どちらかというとポジティブな意味合いで
使われることが多かった。
これからの世の中は、ITが発達するので、
そうした仕組みをよく理解し、
使いこなせる人間が活躍する。
僕たちは漠然とそう思っていた
(思わされていたのかもしれない)。
実際、街中でスマホに子守をさせ、
自分もスマホを見ている親にしばしば出くわす。
でも、子どもは大人と同じではない。
親(大人)は、リアル体験を重ね、
アナログ時代の情報取得のプロセスを経て、
オンラインと向き合っているので、まだいい。
でも、子どもは大人と同じではない。
リアル体験も、アナログ時代のプロセスも乏しい。
大人と違って、小さな子どもの脳には、
魑魅魍魎が混じり合っている情報のカオスに対し、
自分を守るシールドがまだ出来ていないのだ。
文字でも映像でも、情報の弾丸や刃が、
柔らかい肌をブスブスと簡単に突き破って、
むき出しの脳に、心臓に突き刺さってくる。
それらは人間性を著しく歪め、
破壊するほどの威力を持っている。
そうしたオンラインの脅威を感じ取ったのか、
先月、オーストラリアでは
未成年のSNS使用を禁止にする法案が通り、
施行されることになった。
いま一度、僕たちの人生の、少なくとも半分が
オンラインに移行している現状を考え、
子どもにどうこの装置を使わせればいいのか、
検討することも必要になるだろう。
ITが普及しようが、AIが発達しようが、
人間は人間のまま、変わるはずがない。
そう考えていると僕たちは安心できる。
けれども、その安心感が、じつは危険を孕んでいる。
テクノロジーの急激な進化によって、
いま、人間は変わり始めている。
あとの時代になって、
あの21世紀の最初の四半世紀の頃が
その変わり目だったのだ・・・
という歴史が生まれるかもしれない。
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