僕たちの豊かさと貧しさと相模原事件

 

●豊かさの意味

 

 僕たちはまだまだひどく貧しい。

 昨日の相模原の施設の事件を聞いて、そう思いました。

 

 豊かな社会を目指し、豊かな社会をつくる意味って何なのか?

 より多くの人が、よりぜいたくな暮らしをするためか?

 違うと思います。

 それでは全く人間は進化しない。

 豊かさの意味。

 単純化していえば、それは弱者も生きられる――普通に社会生活を送ることができ、人生を楽しめる、ということだと思います。

 

●弱者への思い

 

 人間の歴史は貧しさとの戦いの連続でした。

 その戦いの中では小さな子供、年寄り、病人、けが人、そして障害を抱えた人・・・こうした人たちは淘汰されるしかありませんでした。

 それは自然なことである。社会における弱者を切り捨てていかなければ人類は前へ進めない――そうした意見が正論としてまかり通っていたのです。

 

 しかし、それでは弱肉強食の野生動物の世界と同じです。

 人間は違う。弱者もいっしょに歩んでいける社会を作るべきだ。

 ブッダやイエスのような宗教者に限らず、どの人々の中にもそうした思いはいつもありました。

 そして、その思いは幾世代にもわたって連綿と引き継がれてきました。

 けれども大多数の人はひどく貧しく、自分が飯を食うので精一杯なので、その思いをなかなか有効に実現することができなかった。

 

●あの人は自分だ

 

 それが最近になって、やっと世界の一部の地域では衣食住の心配が(昔に比べれば)激減し、弱者にも目を向けられるようになってきた。

 そして積極的に彼らにコミットするようになると気付いてきたのです。

 

 「あの小さな子は、あの年寄りは、あの病人は、そして、あの障がい者は自分だ」と。

 健常な大人である自分の中にも彼ら・彼女らのような、いわゆる弱者がいるのだ、と。

 

●「精神的豊かさ」とは?

 

 バブル経済の崩壊後、物質的な豊かさは手に入れたので、次は精神的豊かさを勝ち取ろう、といった掛け声がよく聞かれました。

 では「精神的豊かさ」とは何なのか?

 コマーシャルで流れるような、もっと自分たちの衣食住の質を上げたり、高尚な趣味を持つことなのか?

 

 それらも含まれると思いますが、一番の本質は、弱者といわれる人たちの存在価値を認め、彼らといっしょに生き、暮らせる社会を実現することなのだと思います。

 逆にいえば、それ以外に豊かになる意味、豊かな社会を作る意味などあるのでしょうか?

 

●相模原事件の本質

 

 

 経済成長によってやっとその入り口までこぎつけた・・・のかも知れない。

 人間の歴史はまだその段階です。

 そこで昨日のような事件。

 事件の詳細はよく読んでいないし、容疑者のことも動機の深いところはまだ知りませんが、ニュースを聞いてすぐに思ったのは、あの容疑者の行動は僕の一部なのだということ。

 僕はまだまだ貧しい。おそらくほかの人たちも五十歩百歩。だからひどく動揺する。

 あの容疑者の言動は、僕たちの、この社会に潜む「貧しさ」の発現。

 だから僕たちはひどく動揺し、一瞬、引き込まれるけれど、しばらくすれば自分には関係ないことと目を背け、忘れるでしょう。

 

●もっと豊かさを

 

 いま、経済成長はもう限界、という意見をよく耳にします。

 確かにそうかもしれない。

 では、経済成長以外に僕たちがより豊かに成長する手立ては何かないのか?

 

 僕たちはまだ「豊かになろう」という志をあきらめてはいけないと思います。

以前の時代とそのニュアンスは違うけれど。

 

 

2016・7・27 Wed


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阿佐ヶ谷に起業家のキックオフ・オフィス誕生!

 

 というわけで、杉並区産業振興センターが入居者を募集。

 というわけで、その募集用チラシをAshデザイン・岸部氏が制作。

 というわけで、そのコピーを頼まれて書きました。

 それでもって、出来上がtったそのチラシがこれ。

 

 事情はいろいろあれど、いったん独立を決めたら「成功するにはどうすべきか?」と、止まってえんえん作戦を考えているだけでは一生ゴールは割れません。とにかくボールを蹴って転がしていく。

 ピピッとくる奴が近くにいたら、そいつにパスを出してみる。

 そんなことをやっているうちに何とか道は開けるはずだ・・・てなメッセージを込めてみました。

 

 走れ起業家よ、ドリブれフリーランサーよ。

 チャンスがあればシュートを放て。

 外したって構うもんか。転がしまくって打ちまくれ。

 実力なんかなくたってラッキーはくる。

 相手がファウルしてくれるかもしれない。

 目の前にこぼれ球がコロコロなんてことだってある。

 「神の手」を使っても審判が見落としてくれるかもしれない。

 それもこれもピッチに立ってボールを追っていないと絶対に起こらない。

 

 これからはフリーの時代だ。

 出来上がったところで、出来上がっているものを守るために働いたって面白くもなんともない。人も企業も失敗しながら成長するから面白い。

 成長しながら“食う”、

 食いながら(たとえ錯覚だとしても)成長を続ける
 ――人生、これに勝る喜びはありません。

 

 というわけで、その始まりが七夕祭りとジャズフェスタの街・阿佐ヶ谷。

 生活も遊びもある。アートも商売もある。おとなも子供もやってくる。特典としてお役所や税務署も付いてます。

 もちろん杉並区外の人もオーケーなので、独立独歩でがんばろう、自由になって食っていこうと考え中なら、8月5日(金)~9日(火)の七夕祭りの時にでも参拝してみてください。

 

 

2016・7・22 FRI


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いちご畑で抱きしめて

 

Strawberry Fields Forever

 

 いちご畑と言えばジョン・レノン。

 かの名曲「ストロベリーフィールズ・フォーエバー(いちご畑よ永遠に)」からの連想。

 Strawberry Fieldsっていうのは、もともとリバプールにあった救世軍の孤児院の名前で、僕も参拝したことがあるけど、門柱は世界中のビートルズファンの落書きでいっぱいでした。

 救世軍の孤児院というイメージもあいまって、もちろん曲も素晴らしいのだけど、それ以上にタイトルが秀逸。この名前を使ったお店やら商品やら本やら昔から結構あって、最近はウェブサイトにもたくさんいちご畑が広がっています。

 可愛いし、いろいろ想像力が広がる言葉だもんね。

 現代では割とありきたりなネーミングかも知れないけど、1960年代当時、楽曲にこういうタイトルをひねり出して付けたジョン・レノンのセンスはやっぱり一味違うと思います。

 

 僕もその一人で、ちょうど35年前の今頃、新宿のゴールデン街の一角にあった芝居小屋で「いちご畑で抱きしめて」という芝居をやりました。

 「いちご畑」と「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」を足したタイトルだけど、話の内容はジョンにもビートルズにも救世軍にもまったく関係なく、不思議の国のアリスと核戦争をモチーフにした支離滅裂な話で、なんであんな芝居を書いたのか、逆にいえば「書けた」のか、今考えると不思議なのですが、最近、頭の底から何かが浮かび上がってきて、同じタイトルでまったく違う話を書こうと考えています。

 

★稀代のペテン師

 

 そのモチーフはやっぱりジョンの生きざまです。

 僕のジョンに対する基本的なイメージは「ペテン師」。

 もちろん若くから音楽的才能を開花させ、声もルックスも魅力的だったことは認めるけど、それ以上に彼は天才的なペテン師だった。みんな、彼の醸し出す言葉やパフォーマンスに翻弄され、その結果として現在の世界のある部分(多くは現代人の精神構造に関わる部分)が形成された・・・というところに、すごく興味があるのです。

 

 リバプールの悪ガキから音楽家へ、世界最高峰のスーパースターへのぼりつめ、やがて世界平和を訴え、愛の使者になり、イエス・キリストみたいになったかと思ったら、いきなり家庭の世界に入り(今ではすっかりポピュラーになった「主夫」――ハウスハズバンドという言葉と概念は、ジョンが創ったか広めた、というのが僕の印象)、そしてミュージシャンに復帰したとたん、この世を去った彼の40年の人生は、いまだに、というか、今だからこそ僕たちに、文化・芸術、お金・ビジネス、社会・時代、家族・子供、愛、そして「生きるとは?」とういう哲学的考察に至るまで、いろいろなことを考えるヒントを与えてくれている気がします。

 

★人間ジョン・レノンの魅力

 

 こんなことを言うとジョンやビートルズファンの人は怒るかもしれないけど、その基本が胡散臭いサギ師・ペテン師のキャラクター。

 僕はそこにとても人間的なもの、それこそ人工知能が、アンドロイドがひっっくりかえっても叶わない人間ならではの魅力を感じるのです。

 

 そう考えるきっかけになったのが、ジョンの最初の妻であるシンシア・レノンが書いた「わたしが愛したジョン・レノン」という本でした。

 いわゆるビートルズ本の一つに数えられますが、これは家族論・幸福論・人生論としても読める優れた本です。

 たぶん長くなるので、この続きはまた後日。

 

 ちなみにリバプールのStrawberry Fieldsは、現在は修道施設となっているようです。いろいろなストーリーを詰め込んで祈祷と瞑想の施設に変ったことを思うと、なんだか胸にじんとくるものがあります。

 

 

 

 

2016・7・20 WED


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子供はどうしてロボットが好きなのか?

 

★人間とロボット、子供と大人

 

  どうして自分はロボットが好きなのだろう?と、割とよく考えます。

 子供の頃、マンガやテレビを見過ぎたせいだろ。

 その通り。僕はいつも夢中でした。子供のマンガやテレビの世界では、ロボットだのサイボーグだのはとても親しい存在でした。

 

 けれども現実の大人の世界とはそれとは違う。ロボットだのサイボーグだのというのは子供だましの絵空事だ。そんなものに夢中になっていないで勉強しろ、そして立派な大人になって仕事しろ――というわけでこれまでやってきました。

 

 ところがここ来て、そうした子供の世界と大人の世界との境界線がどんどん溶け出している。ロボットたちが親しい存在である世界がどんどん近づいている。最近はそうした印象を持っています。

 

 

★どうしてやつらはデキるのに哀しいのか?

 

 10万馬力だったり、弾よりも速く走ったり、空を飛んだり・・・あの頃、彼らはすごい能力を持っているのにも関わらず、自分が人間ではないことにひどいコンプレックスを抱いていました。

 「アトム」も「エイトマン」も「サイボーグ009」も「仮面ライダー(改造人間)」も、その強さ・その高い能力を誇るよりも、むしろ哀しむことが多かったように思います。

 

 彼らのようなアンドロイド・ヒューマノイド系のロボットたちとは別の系譜にある戦闘用兵器としての巨大ロボットも例外ではありません。

 

 リモコン操作で動く鉄人28号やジャイアントロボなども、時代とともに人間が搭乗する形式――「マジンガーZ」そして「ガンダム」などのモビルスーツになってくると、そのパイロットの人格がロボットに乗り移ってどんどん人間味を帯びてきました。

 

 すると必然的に「どうして僕はこのロボット(モビルスーツ)になって戦わなくてはならないのか?」といった悩みや哀しみがひたひたとあふれてくるのです。

 

★究極のロボット寓話

 

 このメイド・イン・ジャパンのヒューマノイド系&巨大ロボット系が融合した究極の作品が「エヴァンゲリオン」なのでしょう。マンガ、アニメの世界におけるロボットの寓話は、ここでいったん完成してしまったように思います。

 

 だからこの20年ほどの間、「エヴァンゲリオン」以上の作品は誰も作れていません。マンガ、アニメにおけるロボットの進化は一旦停止し、その代り、現実の世界でコンピュータ~ロボット~ヒューマノイド~アンドロイドが進化してきたのです。

 

★欧米と日本のロボット文化発展のちがい

 

 どうして日本におけるロボットやサイボーグたちは悩み、哀調に満ちているのか?

 もともとロボットの故郷ともいえるヨーロッパではどうなのか?

 民族同士の抗争が日常者判事で、支配―被支配が習慣化していたヨーロッパでは、機械・ロボットは奴隷・被支配階級→労働者・労働階級の隠喩として捉えられてきました。

 

 100年前、チェコの劇作家であり、新聞記者・ジャーナリストでもあったカレル・チャペックは、戯曲「RUR」において、「苦役」という意味を持つラテン語からロボットという言葉・概念を生み出しました。

 そこに出てくるロボットたちは資本主義と社会主義の狭間に生み落とされた子供たちであり、支配階級(資本家)に対して反旗を翻す労働者のメタファーでもありました。

 産業・経済の発展に身を粉にして貢献する――それこそが彼らが受けた至上命令だったのです。

 

 彼らはそうした自分の身分について感情的になるよりも理性的な部分を重視し、課せられた使命に対する能力を特化させることに集中しました。

 運搬、計算、生産・・・マニュアル通りの決まった仕事をさせたら人間をはるかにしのぐ働きをするようになったのです。

 

 仕事と言ってもいろいろなものが発生します。

 戦争における兵士としての役割もその一つ。敵を倒すという兵器としての能力は抜群で、平和を守る正義のヒーローとしてのロボットも、そのタスクから発展しました。

 そのため、欧米生まれのロボットたちは、最近までその強さ・能力の高さを明るく誇り、胸を張っていたのです。

 

★日本のロボット文化の影響が世界を席巻

 

 しかし、その欧米でも時代が進むとともに、ロボットたちは次第に何かを考えるようになり、悩みや哀しみの衣をまとい始めます。ハリウッド映画でも「ブレードランナー」「ターミネーター」「AI」・・・と、どんどん内省的になっていく。

 

 これは僕のまるっきりの独断・偏見ですが、そこには日本のガラパゴス的なロボット文化が影響していると思います。ここでもやはり手塚治虫先生の功績が大きい。

 「アトム」の作品世界が人種差別をはじめ、さまざまな差別問題・階級問題をはらんでいることは昔から言われていますが、ロボットという概念そのものが、もともとそうした人間社会全般の問題を内に抱えているのです。

 

 そしてまた、手塚先生の思想のベースには、人間至上主義のキリスト教圏とは一線を画す、自然や動植物、さらに本来は命を持たないはずの“物”の中にも魂を見出す日本の文化・日本人の感性があります。

 それはもちろん、手塚先生のみならず、ほとんどの日本人が自分の内側に持っているものです。

 

★ロボットは仲間、友だち、きょうだい、自分

 

 つまり、日本人にとってロボットは「人間の形をした機械」ではなく、「機械の形(身体)を持った人間」であり、階級が上とか下とかではなく、自分たちとほぼ同等の「仲間」「友達」「きょうだい」、時には「自分自身」でもあるのではないでしょうか。

 

 だから日本では――たぶん欧米でも、世界のどこでも同じだと思いますが――子供はロボットが好きで、興味を持つのです。

 けれども社会の側は、多くの人に資本主義の枠組みの中で生産活動・経済活動に携わってほしいと考え、それが大人になることとイコールなのだと教えます。そうした要請は、子供の心を、ロボットを親しく感じる世界から遠ざけ、切り離してきたのです。

 

★人間とロボットがいっしょに暮らす世界とは?

 

 この100年余り、常識とされていたこうした人間・ロボットの関係性の流れが、今、大きく変わろうとしています。「ロボットが仕事を奪う」「ロボットが人間を支配するようになる」――最近、ますます強調されて喧伝されている脅し文句は、経済・産業活動の視点からのみ発せられているものです。

 でも、そんなにネガティブなことなのか?

 文化的視点というか、人類全体の進化という視点から見たらどうなのか?

 

 僕はできれば良いほうへ考えたい。子供の頃に夢中になった世界とは少し違うかもしれないけれど、人間とロボットが親しく、いっしょに暮らす――自分が生きている間に、本当に実現するかどうかはわからないけれど、それはむしろウェルカムな世界ではないか、と思うのです。

 

 

2017・7・17 SUN


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聖書から始まった「人間VS機械」

 

★アンドロイド映画「エクス・マキナ」

 

 「検索エンジンで世界一のシェアを誇る」と言うのだから、あなたも僕も毎日使っている、かのG社がモデルであることは明らか。G社は人工知能の研究をしていることでも知られています。

 

 そのIT企業の青年プログラマーが自社の創業者であり、社内でもほとんどの人が正体を知らないという伝説のCEOの自宅に1週間滞在できる権利を獲得。世界の果てのような、手つかずの大自然の中にある、超クールなハイテク邸宅(実は彼の人工知能研究所)で、青年は世にも美しいアンドロイドの女と出会う――という設定で、映画「エクス・マキナ」は始まります。

 

 ひと昔前なら「近未来的」と言われたかもしれませんが、いまやG社、およびそれに類するIT系企業なら、もう十分現実的と思える設定で、そこで展開される人間と人工知能(アンドロイド)とのやりとりも妙にリアリティがあります。

 そして、そのリアリティとともに、これまで人間が営んできた諸々の歴史が集約されたような物語になっていることにこの映画の価値があります。

 

 のっけのエンドオブ・ワールドの野性と、人工の極みを尽くしたハイテク研究所のクールさとのコントラスト。そしてアンドロイドの、これまでになかった斬新なデザインのボディと、映像的な美しさもピカ一。

 

 おもな登場人物は、人間の男ふたりとアンドロイドの女2体。限られた時間と空間。まるで舞台劇のようなシチュエーションの中で、静かだが濃密なセリフの応酬と、スリリングな心理戦が繰り広げられます。

 

★「エクス・マキナ」の深層は聖書

 

 見た目はクールで新鮮ですが、じつはこの映画はかなり古典的なドラマで、なんとなくお察しのとおり、最後にアンドロイドの女「エヴァ」が(象徴的な意味で)人間となって、閉ざされた空間を抜け出し、外界へ脱出するという物語なのです。

 

 彼女の名前が意味している通り、これは聖書のアダムとイヴが楽園を追放される、というストーリーのアレンジです。異なるのはイヴ(エヴァ)が、父であり、夫であるアダム(CEOと青年)をそこに残して一人で出ていくという点。

 

 (アダムは夫であるだけなく、自分の肋骨からイヴを作ったという意味で創造主=父ともとれます。この映画では父たるCEOが、娘を未来の夫たる青年とお見合いさせる、というニュアンスも含まれています)

 

 また、追放ではなく、自らの意志で脱出するというところは、女性解放運動のきっかけにもなったといわれるイプセンの戯曲「人形の家」のイメージともダブります。

 

 ちなみにもう一人のアンドロイドは「キョウコ」という名前で、CEOの妻兼家政婦のような存在。

 意図的なキャラ設定だと思いますが、ハリウッド映画でおなじみの、白人男性にかしずく従順で美しい日本人妻というプロトタイプの役割を担っています。

 

★西欧文化・思想・宗教が生んだ支配―被支配の原理 

 

 この映画を見て思ったのは、人間vs機械の対立の概念は、聖書にもとづくキリスト教の思想が根底にある、ということです。

 

 支配―被支配の歴史を繰り返しながら発展してきたヨーロッパ(およびアメリカ)的な考え方は、今日のメインストリームとなる世界観を作り上げました。

 

 人間vs動物、人工vs自然、男vs女。

 

 他の動物より人間の方が上、女より男のほうが偉い、白人の方が有色人種より優れている、といった対立、ランク付け、そして差別、階級社会づくり――

 良い悪いはさておき、これらは欧米人の生活の歴史そのものであり、それに正当性を与えたのがキリスト教という宗教だったのだと思います。

 

 人間VS機械という対立の図式、そしてこの1世紀の間に大きくクローズアップされるようになった、コンピュータ―人工知能―ロボット―アンドロイドの脅威は、こうした原理成立の流れの中で起こってきたものでした。

 

★ロボットは人類の子供

 

 特にロボット―アンドロイドは、外見が人間と似通っているだけに、アイデンティティがいたく刺激されます。

 

 だったら作らなければいいではないか、と思うのですが、それでも作らずにはいられない。

 人間もロボットも脳だけでは進化できません。

 身体を持ち、外の物理的な世界と関わり、感覚器を通して得られた情報をフィードバックさせることで学習し、思考と行動を調整しつつ成長できるからです。

 

 いわば子供ようなものですね。人間は子供を持たずにはいられない。人類はみずからの活動を引き継ぐ子孫を残さなくては・・・・と考えずにはいられないのです。

 

 けれどもその子供が成長してしまうと、今度は自分の地位が脅かされるという不安と恐怖にかられるのです。

 

★ロボットはフランス革命を起こすかもしれない

 

 あるいはこういう言い方も可能かもしれない。

  広く言えば家電製品も含め、機械、コンピュータ、ロボットが奴隷や使用人のうちは問題ない。しかし、もっと仕事をさせようと改良しているうちに、どんどん知恵がついてきて、人間の知性に追いついてきたのです。

 

 それはちょっと困る。賢くなって革命でも起こされたらたまらない――現代人はおそらく、フランス革命前に権力を握っており、民衆がいろいろなことを知って賢くなることを恐れた王侯貴族階級の心境に近いものがあるのでしょう。

 

★ロボットに命・魂を見い出す日本人

 

 けれども日本の場合はちょっと違うのではないかな、と考えます。

 日本において僕たちの目の前に登場したロボットたちの系譜――アイボ、アシモ、ペッパーなどを見ていると、そこに支配―被支配の意識は低いような気がします。

 

 むしろ人間の方がロボットに癒してもらう部分も多く、持ちつ持たれつ、といったニュアンスが強いのではないでしょうか。

 そういえば、メーカーにケアしてもらえなくなり“死んでしまった”アイボをご主人様たちがお寺で供養してもらう――という現象がありました。

 

 これは自然や他の動物、物や機械にも命・魂が宿り、そうしたものを人間より下に置かない、できるだけフラットな関係を結ぶ、という日本人の考え方・文化が大きく影響しているのだと思います。

 

 人間とロボットとの関係についても、フランス革命のような大激動ではなく、明治維新くらいの騒ぎで収めたい、収められると考えているのではないでしょうか。

 

 僕と同世代のロボット研究者の間ではよく語られることですが、これは日本古来の文化・思想に加え、「アトム」の物語を描き、当時の子供たちにメッセージした手塚治虫先生の功績も大きいのではないでしょうか。

 

★ロボットの存在の原点を探る物語

 

 ハリウッドでも無数のロボットをテーマにした映画が作られてきましたが、「エクス・マキナ」はその最先端であると同時に、ロボットの存在の原点――欧米人が考え出したロボットという概念の正体を探っていく物語でもあります。

 久しぶりに映画でおおいに堪能できました。

 

 最後に自分で不思議だなぁと思ったところ。

 アンドロイド時のエヴァはクールで知的で、それでいながら少女のように可愛く、そしてセクシーで美しい。

 

 それに比べ、皮膚を貼り付け、服とウィッグを着け、(象徴的な意味で)人間になって旅立つエヴァはどうか?

 

 血が通って体温を持ち、親しみが増したように感じるが、「美」という点では1ランク落ちる印象を受ける――これは僕の嗜好性か、男の女に対する共通の視点なのか? 

 

 

 

 

2017・7・13 Wed


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こちとら機械だのロボットじゃねえ。人間でぃ!

 

★江戸の男たちが現代にタイムトラベルしてきたら・・・

 

 江戸の街の人口は7割が男。相当なマッチョマンが多かったのだと思います。江戸東京博物館で魚屋の天秤を担いだことがありますが、これが重いのなんの。

 非力な僕は、やっとこさ持ち上げてフラつきながら5メートルも歩くのが精いっぱいというありさまでした。

 こんなものを担いで何キロも、一日中歩き続けていたというのだから、江戸の魚屋さんはすごい。しじみ売りも、豆腐屋さんもみんなすごい。

 しかもこれは当時は力仕事の範疇に入らない物売りの話。土木工事や運搬業をはじめ、もっと腕力・体力の要る仕事はいくらでもあったのだから、江戸は力自慢の猛者だらけ。「ケンカと火事は江戸の華」とは、こういう猛者たちがうようよいて、エネルギーのはけ口を求めていた、という背景があって生まれた言葉でしょう。

 

 先月は「タイムマシンにおねがい」という記事を書きかましたが、もし江戸の男たちがタイムマシンで現代の東京にやってきたら・・・

 

 「おおっ、あいつはなんでぃ、あんな重そうなものを持ち上げてやがる。なにぃ、300キロだぁ? てやんでい、べらぼうめ!負けてたまるかい。おれっちゃ400キロ持ち上げてやるぜい」とか言ってフォークリフトに勝負を挑んだり、

 

 「この化け物め、こちとらだってそれくらいの岩や瓦礫ぐらい持ち上げてやるぜ!」とか言ってパワーショベルに挑戦したり、

  

 「俺のほうが速く走れる!」と言って飛脚が自動車や電車と、「わたしの方が速く計算できる」と言ってそろばん弾く商人が電卓やコンピューターと競争する、なんてことが起こるのではないでしょうか。

 

★人間VS機械 真っ向勝負!の時代

 

 笑いごとではありません。

 19世紀の産業革命以来、次々と生み出される機械技術は、人間の希望であり、その裏腹に絶望でもありました。

 機械は人間の生活を便利にし、豊かにしてきた反面、人間がそれまで担っていた仕事を奪い、人間ならではの存在価値を脅かし続けてもきたのです。

 

 そんな人間VS機械の格闘の時代が200年近く続いたのではないでしょうか。

 最初のうちはなんだかんだ言っても、やはり機械文明は人間の労働を楽にし、人間を苦役から解放してくれるもの、豊かな社会を築くのに欠かせないもの、というニュアンスが圧倒的に強かった。

 ところがある時代に分水嶺を超えてから、次第にそのニュアンスが変わってきました。

 

 僕が子供の頃――というよりも割とつい最近――20世紀の終わりまでは、文化・芸術の分野で「人間VS機械」の対立を意識させるコンテンツが目立ったり、機械文明に警鐘を鳴らす声をあちこちで聞くことができました。

 こうした風潮が21世紀を迎えるあたりから変わり、機械との対立を感じさせる声は耳に届かなくなってきました。

 

 今、パワーショベルやフォークリフトに力で劣っているからと言って屈辱感を感じる人はいません。

 車や電車よりも速く走ってやろうという人もいなければ、そのへんに転がっているチャチな電卓よりも計算が遅いから「頭が悪い」と劣等感に悩む人もいません。

 それどころか、社会のあらゆる分野でコンピューター技術が浸透し、社会の管理もコンピューターにおまかせの時代になりました。

 いわば機械に負けっぱなし。いつの間にか人間は機械に完全に白旗を上げている状態になっていました。

 ・・といった対立、対抗、戦いの意識すらもうどこかに吹き飛んでいて、共存・共栄の時代になっていたわけですね。

 

★ぼくたちは機械に敗北した

 

 共存・共栄というと聞こえは良いけど、労働の場において、いわゆる「能力主義」を貫けば、この先、どんどん人間の出番は減り続けるでしょう。

 仕事は何倍もできる、コストは何割もかからない、となれば、どんな経営者でも――少なくても現在の資本主義社会で経済的利益を追求する組織の経営者なら――機械・ロボットを使って事業を行うでしょう。

 

 でも芸術とか創造的分野においては・・・という意見もあるでしょうが、現在のIT・ロボット技術の発展状況から考えると、絵や文章だってロボットが描く時代が来るのはそう遠い先のことではありません。

 過去の大作家や大芸術家のデータをインプットすれば、学習能力を持ったロボットはその資産から、新しい価値を持ったものを大量にクリエイトできるでしょう。

 そして以前も書きましたが、思いやりとか感情の豊かさという面でも、ロボットが人間を追い越していくのは時間の問題です。学習能力に優れ、ストレスに精神をやられないという強みは、医療や看護・介護の分野でも必要とされるでしょう。

 

 そうした状況になった時に、人間が機械より優れている理由を見つけ出せるのか?

 人間の存在価値はどこにあるのか?

 「てやんでぃ、べらぼうめ。こちとら人間でぃ!」と威勢よく啖呵を切れることはできるのか?

 

 ・・・・というわけで、またこのテーマでつづきを書きます。

 

 


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終活映画は旅する映画

 

東京博善の「ひとたび」というオウンドメディアで、

毎月、「世界の終活」に関するコラム記事を書いている。

その記事で毎回、最後のパートで

「終活映画」を紹介しているのだが、

その大半が、主人公が旅をする映画、

ロードムービーである。

 

「はじまりへの旅」/アメリカ

https://eiga.com/movie/83862/

「君を思い、バスに乗る」/イギリス

https://eiga.com/movie/96989/

「パリタクシー」/フランス

https://eiga.com/movie/98840/

「ノッキング・オン・ヘブンズドア」/ドイツ

https://eiga.com/movie/47692/

 

死を意識した人、人生の終わりが見えた人は、

少なくとも映画というフィクションのなかでは

皆、旅に出る。

 

それは過去を検証する旅、

他者とのつながりを確かめる旅、

そして、この世における自分の存在を

再認識する旅である。

 

「わたしは本当にこの世界で生きて来たのだ」

と、登場人物は思う。

そこに文学性・ドラマ性を見出し、

エンタメ性を掛け合わせたのが終活映画だ。

そして、彼ら・彼女らは

こんどはあちらの世界に旅立っていく。

 

僕たちの人生は、割とどうでもいいものに縛られ、

時間の大半を、家や仕事場に留まって

浪費しているのではないか、と思うことがある。

 

仕事や家族が「割とどうでもいいもの」

というのは乱暴だし、批判があると思うが、

僕たちは自分を大事にするためにも

しょーもないしがらみから逃れて、

日常から離れた「旅」を大事にした方がいい。

 

観光旅行のような経済の消費行動動ではなく、

自分の人生を形づくる自由な旅。

出ようと思えば、それは明日からでも出られる。

人生は思ったよりもずっと短い。

「人生の最後に旅をしよう」

そう思いついた時には、

もう頭も体も心も動かないかもしれないのだから。

 


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笑える遺影

 

葬式に来た人たちが思わず「ワハハ」と笑ってしまう

遺影がいいなと思った。

というのも、今日、義母と散歩に行ったら、

珍しく写真を撮らせてくれたからだ。

 

写真を撮られるのがきらいで、

これまで何度カメラ(スマホ)を向けても

そっぽを向くばかり。

しかたないので、盗撮(?)を繰り返していた。

 

今日は天気もよかったし、

一昨日、美容院に行って

ヘアスタイルもきれいになっていたので、

ベンチに座っていた時、

何の気なしにスマホカメラを向けてみたら、

どういう風の吹き回しか、

みずからおどけたポーズを取り、

まともに正面から撮影に応じてくれた。

 

おお、初めてと言っていいくらい

よいポートレート写真。

子どもみたいに

かわいくてひょうきんである。

 

晩飯の時に、

「これ、遺影にどう?」と言って

カミさんに見せたら、笑って大喜び。

部屋に飾るにもいい感じだ。

 

葬式に来た人たちが笑い、

家族の心を明るくできる、

自分のもそういう遺影がいい。

もうすでにだいぶ自由だけど、

死ぬときはもっと自由。

そう考えると、死も怖くない。

 


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小学校の演劇発表会の話

 

演劇をやっていたので、むかしは演劇をよく見た。

しかし最近は、

・義母の介護・面倒で、

仕事以外ではめったに家をあけられない。

・観劇料が高い。

・その割に面白くない。

あるいは面白い芝居が少ないように思える。

 

3つの理由で、劇場に足を運ぶことは

年に1,2度しかない。

 

とは言え、演劇には人一倍興味がある。

受け持つ生徒の顔と名前を一発で覚えるという

離れ業をやったのにもかかわらず、

5年生女子から「キモ先生」と言われて

意気消沈してしまった小学校の臨時教師Kくんは、

この秋、演劇発表会の演出をやっている。

 

彼は大学時代、サークルで演劇をやった経験があるので、

それにもとづき、5年生相手に腹式呼吸やら、

舞台に立った時の目線のことなど、

ビシバシ指導をしているというのだ。

 

上演する芝居の内容はよく聞いていないが、

小学校なので、もちろん全員参加。

ただ、役者をやりたくない子は、

裏方でもOKなので、

照明や小道具係などを希望するらしい。

 

登場人物は村人1、2.3・・・みたいな役が多く、

あまり目立ちたくない子は、やはりこれらを希望。

でも、こういう機会に超積極的な、

自己主張の強い子は必ずいる。

このテの子ども、スポーツ分野は男子が多いが、

演劇などの文化・芸能系は、圧倒的に女子だ。

 

話を聞くと、どうやら主役は女の子で、

魔法を使えるお姫様うんぬんと言っていたので、

「アナ雪」みたいな話なのだろうか?

やる気満々、「あたしはスターよ」

みたいな女の子が3人、

クラス内オーディションで選ばれた。

 

面白かったのが、女の子の役なのに、

主役の立候補者の中に、男の子がいたという。

僕たちの時代には考えらえなかった。

なかなか勇気のある子だ。

 

彼はセリフも演技もけっこううまかったようだが、

プロの世界ならいざ知らず、

学校教育の一環である演劇発表会で

ヒロイン役に男の子を配役するわけにはいかない。

残念ながら、彼は落っことされて、

村人1、2.3・・・にされてしまったようだが、

どんな子なのか、なんだかとても気になった。

 

小学5年生の演劇発表会。

どんな役を希望するのか、

どんな役・どんな係に就くのか、

何かその子のこれからの人生を

暗示しているようにも見える。

 

もちろん、この時点ですごく引っ込み思案で、

村人1をやっていた子が

数年先に突如覚醒し、大スターになったり、

照明係をやっていた子が

そのままメカ系の道でイノベートして

有力ベンチャーになったりとか、いろいろあり得る。

 

勉強やスポーツの場とは違う、

可能性の舞台が、演劇の場には広がっている。

 


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日本の高齢者は「レプリコンワクチン」のモルモット?

 

むかし、猛毒の大腸菌O157が流行した時、

その原因がカイワレダイコンにあると報道されて

大さわぎになったことがある。

 

そこで誤解を解き、

カイワレダイコンの安全性をアピールするため、

当時の厚生労働大臣はじめ、政治家のお偉方が

テレビカメラの前でカイワレダイコンを食べ、

その安全性をアピールするという

パフォーマンスをやった。

正直、ちょっと無理してがんばっているなと思ったが、

(少なくともおいしそうには見えなかった)

とりあえずそれでことは収まった記憶がある。

 

さて、そこで今月から始まった、

高齢者に対する

「レプリコン(自己増殖型)ワクチン」の接種。

その安全性や副反応の影響が懸念されており、

「レプリコンワクチン接種者は立ち入りお断り」という

病院があちこちに現れている。

 

このワクチン接種者が呼吸すると、

有害な感染性生物学的毒素が大量にばらかまれ、

近くで同じ空気を共有する人の

健康を害するリスクが高まるからだ。

 

危険性は国内外の多くの専門家によって指摘されている。 

そもそも欧米ではこのワクチンは認可されていないのに、

日本は受け入れてしまった。

 

でも、ただでさえ働き手が減っているのに、

働き盛りの若い年代に

健康リスクを負わせることはできない。

なら、生産性の低い高齢者

(および、基礎疾患のある人)ならどう?

高齢者なら「感染症の理数を減らせますよ」と、

理由づけられるし。

そこでなんかあっても「お齢ですから」と、

原因特定されにくいし。

ちょうどいいモルモットになるんじゃね?

それでどうなるか、様子を見ましょう。

というわけで、高齢者への接種が決まったらしい。

 

というのは僕が勝手にでっちあげた

バックストーリーだけど、

そんなに間違っているとは思えない。

 

うちにも義母のところにご案内が来たが、

受けさせるつもりはない。

 

これだけあちこちで「ヤバイ」と言われているので、

先に挙げたカイワレのように、

政治家のお偉方がテレビカメラの前で

ワクチンを接種して「安全・安心です」

とアピールでもすればいいのに、

その気配すらない。

ということは???

 

打つ・打たないを決めるのはその人自身だが、

ワクチンの毒素が周囲に

ばらまかれるという話を聞いては、

「どうぞご自由に」とはいえない。

高齢者の皆さん、モルモットになっていいですか?

人類の役に立つのなら、

子どもたちの明日への礎になるなら、いいですか?

 


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エビゾーリ・ウオゾーリ北千住

 

ギョギョッ!

昼食で入った居酒屋のスリッパは、

エビゾーリとウオゾーリ。

今日は北千住で営業する映像制作会社

「ブルーオーシャンスターズ」の取材。

 

北千住は江戸時代。日光街道の宿場町。

その名残か、赤線地帯があって、

昭和まではけっこうヤバイ街だった。

このあたりは新宿や池袋も同様。

 

しかし、今はきれいに開発され、

おいしいお店も多く、

賑やかで楽しい街になっている。

それでもちょっと垢抜けなさ、

庶民らしさがあるのがいいね。

 


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僕たちの豊かさと貧しさと相模原事件

 

●豊かさの意味

 

 僕たちはまだまだひどく貧しい。

 昨日の相模原の施設の事件を聞いて、そう思いました。

 

 豊かな社会を目指し、豊かな社会をつくる意味って何なのか?

 より多くの人が、よりぜいたくな暮らしをするためか?

 違うと思います。

 それでは全く人間は進化しない。

 豊かさの意味。

 単純化していえば、それは弱者も生きられる――普通に社会生活を送ることができ、人生を楽しめる、ということだと思います。

 

●弱者への思い

 

 人間の歴史は貧しさとの戦いの連続でした。

 その戦いの中では小さな子供、年寄り、病人、けが人、そして障害を抱えた人・・・こうした人たちは淘汰されるしかありませんでした。

 それは自然なことである。社会における弱者を切り捨てていかなければ人類は前へ進めない――そうした意見が正論としてまかり通っていたのです。

 

 しかし、それでは弱肉強食の野生動物の世界と同じです。

 人間は違う。弱者もいっしょに歩んでいける社会を作るべきだ。

 ブッダやイエスのような宗教者に限らず、どの人々の中にもそうした思いはいつもありました。

 そして、その思いは幾世代にもわたって連綿と引き継がれてきました。

 けれども大多数の人はひどく貧しく、自分が飯を食うので精一杯なので、その思いをなかなか有効に実現することができなかった。

 

●あの人は自分だ

 

 それが最近になって、やっと世界の一部の地域では衣食住の心配が(昔に比べれば)激減し、弱者にも目を向けられるようになってきた。

 そして積極的に彼らにコミットするようになると気付いてきたのです。

 

 「あの小さな子は、あの年寄りは、あの病人は、そして、あの障がい者は自分だ」と。

 健常な大人である自分の中にも彼ら・彼女らのような、いわゆる弱者がいるのだ、と。

 

●「精神的豊かさ」とは?

 

 バブル経済の崩壊後、物質的な豊かさは手に入れたので、次は精神的豊かさを勝ち取ろう、といった掛け声がよく聞かれました。

 では「精神的豊かさ」とは何なのか?

 コマーシャルで流れるような、もっと自分たちの衣食住の質を上げたり、高尚な趣味を持つことなのか?

 

 それらも含まれると思いますが、一番の本質は、弱者といわれる人たちの存在価値を認め、彼らといっしょに生き、暮らせる社会を実現することなのだと思います。

 逆にいえば、それ以外に豊かになる意味、豊かな社会を作る意味などあるのでしょうか?

 

●相模原事件の本質

 

 

 経済成長によってやっとその入り口までこぎつけた・・・のかも知れない。

 人間の歴史はまだその段階です。

 そこで昨日のような事件。

 事件の詳細はよく読んでいないし、容疑者のことも動機の深いところはまだ知りませんが、ニュースを聞いてすぐに思ったのは、あの容疑者の行動は僕の一部なのだということ。

 僕はまだまだ貧しい。おそらくほかの人たちも五十歩百歩。だからひどく動揺する。

 あの容疑者の言動は、僕たちの、この社会に潜む「貧しさ」の発現。

 だから僕たちはひどく動揺し、一瞬、引き込まれるけれど、しばらくすれば自分には関係ないことと目を背け、忘れるでしょう。

 

●もっと豊かさを

 

 いま、経済成長はもう限界、という意見をよく耳にします。

 確かにそうかもしれない。

 では、経済成長以外に僕たちがより豊かに成長する手立ては何かないのか?

 

 僕たちはまだ「豊かになろう」という志をあきらめてはいけないと思います。

以前の時代とそのニュアンスは違うけれど。

 

 

2016・7・27 Wed


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阿佐ヶ谷に起業家のキックオフ・オフィス誕生!

 

 というわけで、杉並区産業振興センターが入居者を募集。

 というわけで、その募集用チラシをAshデザイン・岸部氏が制作。

 というわけで、そのコピーを頼まれて書きました。

 それでもって、出来上がtったそのチラシがこれ。

 

 事情はいろいろあれど、いったん独立を決めたら「成功するにはどうすべきか?」と、止まってえんえん作戦を考えているだけでは一生ゴールは割れません。とにかくボールを蹴って転がしていく。

 ピピッとくる奴が近くにいたら、そいつにパスを出してみる。

 そんなことをやっているうちに何とか道は開けるはずだ・・・てなメッセージを込めてみました。

 

 走れ起業家よ、ドリブれフリーランサーよ。

 チャンスがあればシュートを放て。

 外したって構うもんか。転がしまくって打ちまくれ。

 実力なんかなくたってラッキーはくる。

 相手がファウルしてくれるかもしれない。

 目の前にこぼれ球がコロコロなんてことだってある。

 「神の手」を使っても審判が見落としてくれるかもしれない。

 それもこれもピッチに立ってボールを追っていないと絶対に起こらない。

 

 これからはフリーの時代だ。

 出来上がったところで、出来上がっているものを守るために働いたって面白くもなんともない。人も企業も失敗しながら成長するから面白い。

 成長しながら“食う”、

 食いながら(たとえ錯覚だとしても)成長を続ける
 ――人生、これに勝る喜びはありません。

 

 というわけで、その始まりが七夕祭りとジャズフェスタの街・阿佐ヶ谷。

 生活も遊びもある。アートも商売もある。おとなも子供もやってくる。特典としてお役所や税務署も付いてます。

 もちろん杉並区外の人もオーケーなので、独立独歩でがんばろう、自由になって食っていこうと考え中なら、8月5日(金)~9日(火)の七夕祭りの時にでも参拝してみてください。

 

 

2016・7・22 FRI


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いちご畑で抱きしめて

 

Strawberry Fields Forever

 

 いちご畑と言えばジョン・レノン。

 かの名曲「ストロベリーフィールズ・フォーエバー(いちご畑よ永遠に)」からの連想。

 Strawberry Fieldsっていうのは、もともとリバプールにあった救世軍の孤児院の名前で、僕も参拝したことがあるけど、門柱は世界中のビートルズファンの落書きでいっぱいでした。

 救世軍の孤児院というイメージもあいまって、もちろん曲も素晴らしいのだけど、それ以上にタイトルが秀逸。この名前を使ったお店やら商品やら本やら昔から結構あって、最近はウェブサイトにもたくさんいちご畑が広がっています。

 可愛いし、いろいろ想像力が広がる言葉だもんね。

 現代では割とありきたりなネーミングかも知れないけど、1960年代当時、楽曲にこういうタイトルをひねり出して付けたジョン・レノンのセンスはやっぱり一味違うと思います。

 

 僕もその一人で、ちょうど35年前の今頃、新宿のゴールデン街の一角にあった芝居小屋で「いちご畑で抱きしめて」という芝居をやりました。

 「いちご畑」と「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」を足したタイトルだけど、話の内容はジョンにもビートルズにも救世軍にもまったく関係なく、不思議の国のアリスと核戦争をモチーフにした支離滅裂な話で、なんであんな芝居を書いたのか、逆にいえば「書けた」のか、今考えると不思議なのですが、最近、頭の底から何かが浮かび上がってきて、同じタイトルでまったく違う話を書こうと考えています。

 

★稀代のペテン師

 

 そのモチーフはやっぱりジョンの生きざまです。

 僕のジョンに対する基本的なイメージは「ペテン師」。

 もちろん若くから音楽的才能を開花させ、声もルックスも魅力的だったことは認めるけど、それ以上に彼は天才的なペテン師だった。みんな、彼の醸し出す言葉やパフォーマンスに翻弄され、その結果として現在の世界のある部分(多くは現代人の精神構造に関わる部分)が形成された・・・というところに、すごく興味があるのです。

 

 リバプールの悪ガキから音楽家へ、世界最高峰のスーパースターへのぼりつめ、やがて世界平和を訴え、愛の使者になり、イエス・キリストみたいになったかと思ったら、いきなり家庭の世界に入り(今ではすっかりポピュラーになった「主夫」――ハウスハズバンドという言葉と概念は、ジョンが創ったか広めた、というのが僕の印象)、そしてミュージシャンに復帰したとたん、この世を去った彼の40年の人生は、いまだに、というか、今だからこそ僕たちに、文化・芸術、お金・ビジネス、社会・時代、家族・子供、愛、そして「生きるとは?」とういう哲学的考察に至るまで、いろいろなことを考えるヒントを与えてくれている気がします。

 

★人間ジョン・レノンの魅力

 

 こんなことを言うとジョンやビートルズファンの人は怒るかもしれないけど、その基本が胡散臭いサギ師・ペテン師のキャラクター。

 僕はそこにとても人間的なもの、それこそ人工知能が、アンドロイドがひっっくりかえっても叶わない人間ならではの魅力を感じるのです。

 

 そう考えるきっかけになったのが、ジョンの最初の妻であるシンシア・レノンが書いた「わたしが愛したジョン・レノン」という本でした。

 いわゆるビートルズ本の一つに数えられますが、これは家族論・幸福論・人生論としても読める優れた本です。

 たぶん長くなるので、この続きはまた後日。

 

 ちなみにリバプールのStrawberry Fieldsは、現在は修道施設となっているようです。いろいろなストーリーを詰め込んで祈祷と瞑想の施設に変ったことを思うと、なんだか胸にじんとくるものがあります。

 

 

 

 

2016・7・20 WED


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子供はどうしてロボットが好きなのか?

 

★人間とロボット、子供と大人

 

  どうして自分はロボットが好きなのだろう?と、割とよく考えます。

 子供の頃、マンガやテレビを見過ぎたせいだろ。

 その通り。僕はいつも夢中でした。子供のマンガやテレビの世界では、ロボットだのサイボーグだのはとても親しい存在でした。

 

 けれども現実の大人の世界とはそれとは違う。ロボットだのサイボーグだのというのは子供だましの絵空事だ。そんなものに夢中になっていないで勉強しろ、そして立派な大人になって仕事しろ――というわけでこれまでやってきました。

 

 ところがここ来て、そうした子供の世界と大人の世界との境界線がどんどん溶け出している。ロボットたちが親しい存在である世界がどんどん近づいている。最近はそうした印象を持っています。

 

 

★どうしてやつらはデキるのに哀しいのか?

 

 10万馬力だったり、弾よりも速く走ったり、空を飛んだり・・・あの頃、彼らはすごい能力を持っているのにも関わらず、自分が人間ではないことにひどいコンプレックスを抱いていました。

 「アトム」も「エイトマン」も「サイボーグ009」も「仮面ライダー(改造人間)」も、その強さ・その高い能力を誇るよりも、むしろ哀しむことが多かったように思います。

 

 彼らのようなアンドロイド・ヒューマノイド系のロボットたちとは別の系譜にある戦闘用兵器としての巨大ロボットも例外ではありません。

 

 リモコン操作で動く鉄人28号やジャイアントロボなども、時代とともに人間が搭乗する形式――「マジンガーZ」そして「ガンダム」などのモビルスーツになってくると、そのパイロットの人格がロボットに乗り移ってどんどん人間味を帯びてきました。

 

 すると必然的に「どうして僕はこのロボット(モビルスーツ)になって戦わなくてはならないのか?」といった悩みや哀しみがひたひたとあふれてくるのです。

 

★究極のロボット寓話

 

 このメイド・イン・ジャパンのヒューマノイド系&巨大ロボット系が融合した究極の作品が「エヴァンゲリオン」なのでしょう。マンガ、アニメの世界におけるロボットの寓話は、ここでいったん完成してしまったように思います。

 

 だからこの20年ほどの間、「エヴァンゲリオン」以上の作品は誰も作れていません。マンガ、アニメにおけるロボットの進化は一旦停止し、その代り、現実の世界でコンピュータ~ロボット~ヒューマノイド~アンドロイドが進化してきたのです。

 

★欧米と日本のロボット文化発展のちがい

 

 どうして日本におけるロボットやサイボーグたちは悩み、哀調に満ちているのか?

 もともとロボットの故郷ともいえるヨーロッパではどうなのか?

 民族同士の抗争が日常者判事で、支配―被支配が習慣化していたヨーロッパでは、機械・ロボットは奴隷・被支配階級→労働者・労働階級の隠喩として捉えられてきました。

 

 100年前、チェコの劇作家であり、新聞記者・ジャーナリストでもあったカレル・チャペックは、戯曲「RUR」において、「苦役」という意味を持つラテン語からロボットという言葉・概念を生み出しました。

 そこに出てくるロボットたちは資本主義と社会主義の狭間に生み落とされた子供たちであり、支配階級(資本家)に対して反旗を翻す労働者のメタファーでもありました。

 産業・経済の発展に身を粉にして貢献する――それこそが彼らが受けた至上命令だったのです。

 

 彼らはそうした自分の身分について感情的になるよりも理性的な部分を重視し、課せられた使命に対する能力を特化させることに集中しました。

 運搬、計算、生産・・・マニュアル通りの決まった仕事をさせたら人間をはるかにしのぐ働きをするようになったのです。

 

 仕事と言ってもいろいろなものが発生します。

 戦争における兵士としての役割もその一つ。敵を倒すという兵器としての能力は抜群で、平和を守る正義のヒーローとしてのロボットも、そのタスクから発展しました。

 そのため、欧米生まれのロボットたちは、最近までその強さ・能力の高さを明るく誇り、胸を張っていたのです。

 

★日本のロボット文化の影響が世界を席巻

 

 しかし、その欧米でも時代が進むとともに、ロボットたちは次第に何かを考えるようになり、悩みや哀しみの衣をまとい始めます。ハリウッド映画でも「ブレードランナー」「ターミネーター」「AI」・・・と、どんどん内省的になっていく。

 

 これは僕のまるっきりの独断・偏見ですが、そこには日本のガラパゴス的なロボット文化が影響していると思います。ここでもやはり手塚治虫先生の功績が大きい。

 「アトム」の作品世界が人種差別をはじめ、さまざまな差別問題・階級問題をはらんでいることは昔から言われていますが、ロボットという概念そのものが、もともとそうした人間社会全般の問題を内に抱えているのです。

 

 そしてまた、手塚先生の思想のベースには、人間至上主義のキリスト教圏とは一線を画す、自然や動植物、さらに本来は命を持たないはずの“物”の中にも魂を見出す日本の文化・日本人の感性があります。

 それはもちろん、手塚先生のみならず、ほとんどの日本人が自分の内側に持っているものです。

 

★ロボットは仲間、友だち、きょうだい、自分

 

 つまり、日本人にとってロボットは「人間の形をした機械」ではなく、「機械の形(身体)を持った人間」であり、階級が上とか下とかではなく、自分たちとほぼ同等の「仲間」「友達」「きょうだい」、時には「自分自身」でもあるのではないでしょうか。

 

 だから日本では――たぶん欧米でも、世界のどこでも同じだと思いますが――子供はロボットが好きで、興味を持つのです。

 けれども社会の側は、多くの人に資本主義の枠組みの中で生産活動・経済活動に携わってほしいと考え、それが大人になることとイコールなのだと教えます。そうした要請は、子供の心を、ロボットを親しく感じる世界から遠ざけ、切り離してきたのです。

 

★人間とロボットがいっしょに暮らす世界とは?

 

 この100年余り、常識とされていたこうした人間・ロボットの関係性の流れが、今、大きく変わろうとしています。「ロボットが仕事を奪う」「ロボットが人間を支配するようになる」――最近、ますます強調されて喧伝されている脅し文句は、経済・産業活動の視点からのみ発せられているものです。

 でも、そんなにネガティブなことなのか?

 文化的視点というか、人類全体の進化という視点から見たらどうなのか?

 

 僕はできれば良いほうへ考えたい。子供の頃に夢中になった世界とは少し違うかもしれないけれど、人間とロボットが親しく、いっしょに暮らす――自分が生きている間に、本当に実現するかどうかはわからないけれど、それはむしろウェルカムな世界ではないか、と思うのです。

 

 

2017・7・17 SUN


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聖書から始まった「人間VS機械」

 

★アンドロイド映画「エクス・マキナ」

 

 「検索エンジンで世界一のシェアを誇る」と言うのだから、あなたも僕も毎日使っている、かのG社がモデルであることは明らか。G社は人工知能の研究をしていることでも知られています。

 

 そのIT企業の青年プログラマーが自社の創業者であり、社内でもほとんどの人が正体を知らないという伝説のCEOの自宅に1週間滞在できる権利を獲得。世界の果てのような、手つかずの大自然の中にある、超クールなハイテク邸宅(実は彼の人工知能研究所)で、青年は世にも美しいアンドロイドの女と出会う――という設定で、映画「エクス・マキナ」は始まります。

 

 ひと昔前なら「近未来的」と言われたかもしれませんが、いまやG社、およびそれに類するIT系企業なら、もう十分現実的と思える設定で、そこで展開される人間と人工知能(アンドロイド)とのやりとりも妙にリアリティがあります。

 そして、そのリアリティとともに、これまで人間が営んできた諸々の歴史が集約されたような物語になっていることにこの映画の価値があります。

 

 のっけのエンドオブ・ワールドの野性と、人工の極みを尽くしたハイテク研究所のクールさとのコントラスト。そしてアンドロイドの、これまでになかった斬新なデザインのボディと、映像的な美しさもピカ一。

 

 おもな登場人物は、人間の男ふたりとアンドロイドの女2体。限られた時間と空間。まるで舞台劇のようなシチュエーションの中で、静かだが濃密なセリフの応酬と、スリリングな心理戦が繰り広げられます。

 

★「エクス・マキナ」の深層は聖書

 

 見た目はクールで新鮮ですが、じつはこの映画はかなり古典的なドラマで、なんとなくお察しのとおり、最後にアンドロイドの女「エヴァ」が(象徴的な意味で)人間となって、閉ざされた空間を抜け出し、外界へ脱出するという物語なのです。

 

 彼女の名前が意味している通り、これは聖書のアダムとイヴが楽園を追放される、というストーリーのアレンジです。異なるのはイヴ(エヴァ)が、父であり、夫であるアダム(CEOと青年)をそこに残して一人で出ていくという点。

 

 (アダムは夫であるだけなく、自分の肋骨からイヴを作ったという意味で創造主=父ともとれます。この映画では父たるCEOが、娘を未来の夫たる青年とお見合いさせる、というニュアンスも含まれています)

 

 また、追放ではなく、自らの意志で脱出するというところは、女性解放運動のきっかけにもなったといわれるイプセンの戯曲「人形の家」のイメージともダブります。

 

 ちなみにもう一人のアンドロイドは「キョウコ」という名前で、CEOの妻兼家政婦のような存在。

 意図的なキャラ設定だと思いますが、ハリウッド映画でおなじみの、白人男性にかしずく従順で美しい日本人妻というプロトタイプの役割を担っています。

 

★西欧文化・思想・宗教が生んだ支配―被支配の原理 

 

 この映画を見て思ったのは、人間vs機械の対立の概念は、聖書にもとづくキリスト教の思想が根底にある、ということです。

 

 支配―被支配の歴史を繰り返しながら発展してきたヨーロッパ(およびアメリカ)的な考え方は、今日のメインストリームとなる世界観を作り上げました。

 

 人間vs動物、人工vs自然、男vs女。

 

 他の動物より人間の方が上、女より男のほうが偉い、白人の方が有色人種より優れている、といった対立、ランク付け、そして差別、階級社会づくり――

 良い悪いはさておき、これらは欧米人の生活の歴史そのものであり、それに正当性を与えたのがキリスト教という宗教だったのだと思います。

 

 人間VS機械という対立の図式、そしてこの1世紀の間に大きくクローズアップされるようになった、コンピュータ―人工知能―ロボット―アンドロイドの脅威は、こうした原理成立の流れの中で起こってきたものでした。

 

★ロボットは人類の子供

 

 特にロボット―アンドロイドは、外見が人間と似通っているだけに、アイデンティティがいたく刺激されます。

 

 だったら作らなければいいではないか、と思うのですが、それでも作らずにはいられない。

 人間もロボットも脳だけでは進化できません。

 身体を持ち、外の物理的な世界と関わり、感覚器を通して得られた情報をフィードバックさせることで学習し、思考と行動を調整しつつ成長できるからです。

 

 いわば子供ようなものですね。人間は子供を持たずにはいられない。人類はみずからの活動を引き継ぐ子孫を残さなくては・・・・と考えずにはいられないのです。

 

 けれどもその子供が成長してしまうと、今度は自分の地位が脅かされるという不安と恐怖にかられるのです。

 

★ロボットはフランス革命を起こすかもしれない

 

 あるいはこういう言い方も可能かもしれない。

  広く言えば家電製品も含め、機械、コンピュータ、ロボットが奴隷や使用人のうちは問題ない。しかし、もっと仕事をさせようと改良しているうちに、どんどん知恵がついてきて、人間の知性に追いついてきたのです。

 

 それはちょっと困る。賢くなって革命でも起こされたらたまらない――現代人はおそらく、フランス革命前に権力を握っており、民衆がいろいろなことを知って賢くなることを恐れた王侯貴族階級の心境に近いものがあるのでしょう。

 

★ロボットに命・魂を見い出す日本人

 

 けれども日本の場合はちょっと違うのではないかな、と考えます。

 日本において僕たちの目の前に登場したロボットたちの系譜――アイボ、アシモ、ペッパーなどを見ていると、そこに支配―被支配の意識は低いような気がします。

 

 むしろ人間の方がロボットに癒してもらう部分も多く、持ちつ持たれつ、といったニュアンスが強いのではないでしょうか。

 そういえば、メーカーにケアしてもらえなくなり“死んでしまった”アイボをご主人様たちがお寺で供養してもらう――という現象がありました。

 

 これは自然や他の動物、物や機械にも命・魂が宿り、そうしたものを人間より下に置かない、できるだけフラットな関係を結ぶ、という日本人の考え方・文化が大きく影響しているのだと思います。

 

 人間とロボットとの関係についても、フランス革命のような大激動ではなく、明治維新くらいの騒ぎで収めたい、収められると考えているのではないでしょうか。

 

 僕と同世代のロボット研究者の間ではよく語られることですが、これは日本古来の文化・思想に加え、「アトム」の物語を描き、当時の子供たちにメッセージした手塚治虫先生の功績も大きいのではないでしょうか。

 

★ロボットの存在の原点を探る物語

 

 ハリウッドでも無数のロボットをテーマにした映画が作られてきましたが、「エクス・マキナ」はその最先端であると同時に、ロボットの存在の原点――欧米人が考え出したロボットという概念の正体を探っていく物語でもあります。

 久しぶりに映画でおおいに堪能できました。

 

 最後に自分で不思議だなぁと思ったところ。

 アンドロイド時のエヴァはクールで知的で、それでいながら少女のように可愛く、そしてセクシーで美しい。

 

 それに比べ、皮膚を貼り付け、服とウィッグを着け、(象徴的な意味で)人間になって旅立つエヴァはどうか?

 

 血が通って体温を持ち、親しみが増したように感じるが、「美」という点では1ランク落ちる印象を受ける――これは僕の嗜好性か、男の女に対する共通の視点なのか? 

 

 

 

 

2017・7・13 Wed


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こちとら機械だのロボットじゃねえ。人間でぃ!

 

★江戸の男たちが現代にタイムトラベルしてきたら・・・

 

 江戸の街の人口は7割が男。相当なマッチョマンが多かったのだと思います。江戸東京博物館で魚屋の天秤を担いだことがありますが、これが重いのなんの。

 非力な僕は、やっとこさ持ち上げてフラつきながら5メートルも歩くのが精いっぱいというありさまでした。

 こんなものを担いで何キロも、一日中歩き続けていたというのだから、江戸の魚屋さんはすごい。しじみ売りも、豆腐屋さんもみんなすごい。

 しかもこれは当時は力仕事の範疇に入らない物売りの話。土木工事や運搬業をはじめ、もっと腕力・体力の要る仕事はいくらでもあったのだから、江戸は力自慢の猛者だらけ。「ケンカと火事は江戸の華」とは、こういう猛者たちがうようよいて、エネルギーのはけ口を求めていた、という背景があって生まれた言葉でしょう。

 

 先月は「タイムマシンにおねがい」という記事を書きかましたが、もし江戸の男たちがタイムマシンで現代の東京にやってきたら・・・

 

 「おおっ、あいつはなんでぃ、あんな重そうなものを持ち上げてやがる。なにぃ、300キロだぁ? てやんでい、べらぼうめ!負けてたまるかい。おれっちゃ400キロ持ち上げてやるぜい」とか言ってフォークリフトに勝負を挑んだり、

 

 「この化け物め、こちとらだってそれくらいの岩や瓦礫ぐらい持ち上げてやるぜ!」とか言ってパワーショベルに挑戦したり、

  

 「俺のほうが速く走れる!」と言って飛脚が自動車や電車と、「わたしの方が速く計算できる」と言ってそろばん弾く商人が電卓やコンピューターと競争する、なんてことが起こるのではないでしょうか。

 

★人間VS機械 真っ向勝負!の時代

 

 笑いごとではありません。

 19世紀の産業革命以来、次々と生み出される機械技術は、人間の希望であり、その裏腹に絶望でもありました。

 機械は人間の生活を便利にし、豊かにしてきた反面、人間がそれまで担っていた仕事を奪い、人間ならではの存在価値を脅かし続けてもきたのです。

 

 そんな人間VS機械の格闘の時代が200年近く続いたのではないでしょうか。

 最初のうちはなんだかんだ言っても、やはり機械文明は人間の労働を楽にし、人間を苦役から解放してくれるもの、豊かな社会を築くのに欠かせないもの、というニュアンスが圧倒的に強かった。

 ところがある時代に分水嶺を超えてから、次第にそのニュアンスが変わってきました。

 

 僕が子供の頃――というよりも割とつい最近――20世紀の終わりまでは、文化・芸術の分野で「人間VS機械」の対立を意識させるコンテンツが目立ったり、機械文明に警鐘を鳴らす声をあちこちで聞くことができました。

 こうした風潮が21世紀を迎えるあたりから変わり、機械との対立を感じさせる声は耳に届かなくなってきました。

 

 今、パワーショベルやフォークリフトに力で劣っているからと言って屈辱感を感じる人はいません。

 車や電車よりも速く走ってやろうという人もいなければ、そのへんに転がっているチャチな電卓よりも計算が遅いから「頭が悪い」と劣等感に悩む人もいません。

 それどころか、社会のあらゆる分野でコンピューター技術が浸透し、社会の管理もコンピューターにおまかせの時代になりました。

 いわば機械に負けっぱなし。いつの間にか人間は機械に完全に白旗を上げている状態になっていました。

 ・・といった対立、対抗、戦いの意識すらもうどこかに吹き飛んでいて、共存・共栄の時代になっていたわけですね。

 

★ぼくたちは機械に敗北した

 

 共存・共栄というと聞こえは良いけど、労働の場において、いわゆる「能力主義」を貫けば、この先、どんどん人間の出番は減り続けるでしょう。

 仕事は何倍もできる、コストは何割もかからない、となれば、どんな経営者でも――少なくても現在の資本主義社会で経済的利益を追求する組織の経営者なら――機械・ロボットを使って事業を行うでしょう。

 

 でも芸術とか創造的分野においては・・・という意見もあるでしょうが、現在のIT・ロボット技術の発展状況から考えると、絵や文章だってロボットが描く時代が来るのはそう遠い先のことではありません。

 過去の大作家や大芸術家のデータをインプットすれば、学習能力を持ったロボットはその資産から、新しい価値を持ったものを大量にクリエイトできるでしょう。

 そして以前も書きましたが、思いやりとか感情の豊かさという面でも、ロボットが人間を追い越していくのは時間の問題です。学習能力に優れ、ストレスに精神をやられないという強みは、医療や看護・介護の分野でも必要とされるでしょう。

 

 そうした状況になった時に、人間が機械より優れている理由を見つけ出せるのか?

 人間の存在価値はどこにあるのか?

 「てやんでぃ、べらぼうめ。こちとら人間でぃ!」と威勢よく啖呵を切れることはできるのか?

 

 ・・・・というわけで、またこのテーマでつづきを書きます。

 

 


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終活映画は旅する映画

 

東京博善の「ひとたび」というオウンドメディアで、

毎月、「世界の終活」に関するコラム記事を書いている。

その記事で毎回、最後のパートで

「終活映画」を紹介しているのだが、

その大半が、主人公が旅をする映画、

ロードムービーである。

 

「はじまりへの旅」/アメリカ

https://eiga.com/movie/83862/

「君を思い、バスに乗る」/イギリス

https://eiga.com/movie/96989/

「パリタクシー」/フランス

https://eiga.com/movie/98840/

「ノッキング・オン・ヘブンズドア」/ドイツ

https://eiga.com/movie/47692/

 

死を意識した人、人生の終わりが見えた人は、

少なくとも映画というフィクションのなかでは

皆、旅に出る。

 

それは過去を検証する旅、

他者とのつながりを確かめる旅、

そして、この世における自分の存在を

再認識する旅である。

 

「わたしは本当にこの世界で生きて来たのだ」

と、登場人物は思う。

そこに文学性・ドラマ性を見出し、

エンタメ性を掛け合わせたのが終活映画だ。

そして、彼ら・彼女らは

こんどはあちらの世界に旅立っていく。

 

僕たちの人生は、割とどうでもいいものに縛られ、

時間の大半を、家や仕事場に留まって

浪費しているのではないか、と思うことがある。

 

仕事や家族が「割とどうでもいいもの」

というのは乱暴だし、批判があると思うが、

僕たちは自分を大事にするためにも

しょーもないしがらみから逃れて、

日常から離れた「旅」を大事にした方がいい。

 

観光旅行のような経済の消費行動動ではなく、

自分の人生を形づくる自由な旅。

出ようと思えば、それは明日からでも出られる。

人生は思ったよりもずっと短い。

「人生の最後に旅をしよう」

そう思いついた時には、

もう頭も体も心も動かないかもしれないのだから。

 


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笑える遺影

 

葬式に来た人たちが思わず「ワハハ」と笑ってしまう

遺影がいいなと思った。

というのも、今日、義母と散歩に行ったら、

珍しく写真を撮らせてくれたからだ。

 

写真を撮られるのがきらいで、

これまで何度カメラ(スマホ)を向けても

そっぽを向くばかり。

しかたないので、盗撮(?)を繰り返していた。

 

今日は天気もよかったし、

一昨日、美容院に行って

ヘアスタイルもきれいになっていたので、

ベンチに座っていた時、

何の気なしにスマホカメラを向けてみたら、

どういう風の吹き回しか、

みずからおどけたポーズを取り、

まともに正面から撮影に応じてくれた。

 

おお、初めてと言っていいくらい

よいポートレート写真。

子どもみたいに

かわいくてひょうきんである。

 

晩飯の時に、

「これ、遺影にどう?」と言って

カミさんに見せたら、笑って大喜び。

部屋に飾るにもいい感じだ。

 

葬式に来た人たちが笑い、

家族の心を明るくできる、

自分のもそういう遺影がいい。

もうすでにだいぶ自由だけど、

死ぬときはもっと自由。

そう考えると、死も怖くない。

 


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小学校の演劇発表会の話

 

演劇をやっていたので、むかしは演劇をよく見た。

しかし最近は、

・義母の介護・面倒で、

仕事以外ではめったに家をあけられない。

・観劇料が高い。

・その割に面白くない。

あるいは面白い芝居が少ないように思える。

 

3つの理由で、劇場に足を運ぶことは

年に1,2度しかない。

 

とは言え、演劇には人一倍興味がある。

受け持つ生徒の顔と名前を一発で覚えるという

離れ業をやったのにもかかわらず、

5年生女子から「キモ先生」と言われて

意気消沈してしまった小学校の臨時教師Kくんは、

この秋、演劇発表会の演出をやっている。

 

彼は大学時代、サークルで演劇をやった経験があるので、

それにもとづき、5年生相手に腹式呼吸やら、

舞台に立った時の目線のことなど、

ビシバシ指導をしているというのだ。

 

上演する芝居の内容はよく聞いていないが、

小学校なので、もちろん全員参加。

ただ、役者をやりたくない子は、

裏方でもOKなので、

照明や小道具係などを希望するらしい。

 

登場人物は村人1、2.3・・・みたいな役が多く、

あまり目立ちたくない子は、やはりこれらを希望。

でも、こういう機会に超積極的な、

自己主張の強い子は必ずいる。

このテの子ども、スポーツ分野は男子が多いが、

演劇などの文化・芸能系は、圧倒的に女子だ。

 

話を聞くと、どうやら主役は女の子で、

魔法を使えるお姫様うんぬんと言っていたので、

「アナ雪」みたいな話なのだろうか?

やる気満々、「あたしはスターよ」

みたいな女の子が3人、

クラス内オーディションで選ばれた。

 

面白かったのが、女の子の役なのに、

主役の立候補者の中に、男の子がいたという。

僕たちの時代には考えらえなかった。

なかなか勇気のある子だ。

 

彼はセリフも演技もけっこううまかったようだが、

プロの世界ならいざ知らず、

学校教育の一環である演劇発表会で

ヒロイン役に男の子を配役するわけにはいかない。

残念ながら、彼は落っことされて、

村人1、2.3・・・にされてしまったようだが、

どんな子なのか、なんだかとても気になった。

 

小学5年生の演劇発表会。

どんな役を希望するのか、

どんな役・どんな係に就くのか、

何かその子のこれからの人生を

暗示しているようにも見える。

 

もちろん、この時点ですごく引っ込み思案で、

村人1をやっていた子が

数年先に突如覚醒し、大スターになったり、

照明係をやっていた子が

そのままメカ系の道でイノベートして

有力ベンチャーになったりとか、いろいろあり得る。

 

勉強やスポーツの場とは違う、

可能性の舞台が、演劇の場には広がっている。

 


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日本の高齢者は「レプリコンワクチン」のモルモット?

 

むかし、猛毒の大腸菌O157が流行した時、

その原因がカイワレダイコンにあると報道されて

大さわぎになったことがある。

 

そこで誤解を解き、

カイワレダイコンの安全性をアピールするため、

当時の厚生労働大臣はじめ、政治家のお偉方が

テレビカメラの前でカイワレダイコンを食べ、

その安全性をアピールするという

パフォーマンスをやった。

正直、ちょっと無理してがんばっているなと思ったが、

(少なくともおいしそうには見えなかった)

とりあえずそれでことは収まった記憶がある。

 

さて、そこで今月から始まった、

高齢者に対する

「レプリコン(自己増殖型)ワクチン」の接種。

その安全性や副反応の影響が懸念されており、

「レプリコンワクチン接種者は立ち入りお断り」という

病院があちこちに現れている。

 

このワクチン接種者が呼吸すると、

有害な感染性生物学的毒素が大量にばらかまれ、

近くで同じ空気を共有する人の

健康を害するリスクが高まるからだ。

 

危険性は国内外の多くの専門家によって指摘されている。 

そもそも欧米ではこのワクチンは認可されていないのに、

日本は受け入れてしまった。

 

でも、ただでさえ働き手が減っているのに、

働き盛りの若い年代に

健康リスクを負わせることはできない。

なら、生産性の低い高齢者

(および、基礎疾患のある人)ならどう?

高齢者なら「感染症の理数を減らせますよ」と、

理由づけられるし。

そこでなんかあっても「お齢ですから」と、

原因特定されにくいし。

ちょうどいいモルモットになるんじゃね?

それでどうなるか、様子を見ましょう。

というわけで、高齢者への接種が決まったらしい。

 

というのは僕が勝手にでっちあげた

バックストーリーだけど、

そんなに間違っているとは思えない。

 

うちにも義母のところにご案内が来たが、

受けさせるつもりはない。

 

これだけあちこちで「ヤバイ」と言われているので、

先に挙げたカイワレのように、

政治家のお偉方がテレビカメラの前で

ワクチンを接種して「安全・安心です」

とアピールでもすればいいのに、

その気配すらない。

ということは???

 

打つ・打たないを決めるのはその人自身だが、

ワクチンの毒素が周囲に

ばらまかれるという話を聞いては、

「どうぞご自由に」とはいえない。

高齢者の皆さん、モルモットになっていいですか?

人類の役に立つのなら、

子どもたちの明日への礎になるなら、いいですか?

 


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エビゾーリ・ウオゾーリ北千住

 

ギョギョッ!

昼食で入った居酒屋のスリッパは、

エビゾーリとウオゾーリ。

今日は北千住で営業する映像制作会社

「ブルーオーシャンスターズ」の取材。

 

北千住は江戸時代。日光街道の宿場町。

その名残か、赤線地帯があって、

昭和まではけっこうヤバイ街だった。

このあたりは新宿や池袋も同様。

 

しかし、今はきれいに開発され、

おいしいお店も多く、

賑やかで楽しい街になっている。

それでもちょっと垢抜けなさ、

庶民らしさがあるのがいいね。

 


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「せんせー、キモっ!」

 

小学校で臨時教師をしているK君は、

先日から5年生を担当することになった。

彼は1回会っただけで、

クラス全員の顔と名前を覚えられるという特技の持ち主。

大人の社会では優秀な人、

もちろん、学校の先生としても優秀と認められるはず。

だが、男子は「「せんせー、スゴっ!」

と、素直に賞賛してくれたが、

女子は「せんせー、キモっ!」

 

たしかに一発で30人余りの

顔と名前を記憶できる能力は、

執念とか執着心とか、

ちょっと異常性の強い気質と結びつくのかもしれない。

驚異だけでなく、脅威の目で見られたのだろうか?

 

この年頃は女の子の方が成長が早く、

大人にリーチしている。

男の子は単純にその人の能力を評価するだけだが、

女の子はどうも、それを通り越して、

その人の人間性全体を見抜く力があるのかもしれない。

 

「おまえ、変態×オタク×ストーカー野郎と

みられたんじゃねーの?」

と、冗談交じりで言ったら、

K君、ちょっと動揺していた。

 

僕は彼を頭脳明晰な好青年だと思っているが、

少なくとも大谷選手的な

明るいスポーツマン風ではない。

それに大半の男は、何かのきっかけで、

変態、オタク、ストーカーになる可能性は持っている。

おそらくそこを突かれての「キモっ!」なのだろう。

 

それにアニメやマンガなどの影響で、

日本は世界一のロリコン大国になっている。

ふだん生活していると、気が付かないが、

リアルでも、バーチャルでも、

巷にこれだけかわいい美少女が溢れている国は、

世界のどこにもないだろう。

じつはそれが日本の観光資源の一つになっていて、

オタクな外国人旅行者を引き寄せてもいる。

 

たぶんこうした環境が

彼女らの心に微妙に影響を及ぼしているのではないか。

というのが僕の見立てである。

 

いずれにしてもK君には

この生意気な女の子たちにめげず、

なんとか手なずけて

先生としてがんばってほしい。

そして、くれぐれも本物の変態に変身しないことを

祈っている。

 


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彼岸花と10月のアゲハ

 

チョウチョと言えば春を連想するが、

夏の終わりから9月にかけて、

近所の公園でやたらとチョウチョを

多く見かける。

この時期、トンボが多いのはわかるが、

なぜチョウチョ?

 

それに暑さが残っているせいか、

セミ(ツクツクホウシ)もまだがんばっている。

 

猛暑で季節感がめちゃくちゃだが、

何はともあれもう10月で、

今年も残り3か月と思うと、

心穏やかでいらえなくなるが、。

1日3分深呼吸して、

自然の美しいものを見れば

きょうも1日豊かな気分になれる。

 


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セルフ新企画「市井の賢者シリーズ」スタート

 

テレビにネットに、美しい努力、ドラマチックな成功、

カッコいいヒーロー・ヒロインが蔓延している。

 

「大借金・大地獄から人生大逆転して、今は大金持ち。

あなたも私にあやかってみませんか?」

 

って、毎日のようにメッセージが来るけど、

そんなサクセス野郎・ビジネスできちゃった女が、

マンボウの卵みたいに

うようよいてたまるかっつーの!

 

こういう美辞麗てんこ盛りの似非成功話、

あやしい金持ち自慢のクソ美談をぶっ飛ばし、

本当に頑張っている人、

ちゃんと人生やってる人たちを描く、

電子書籍のノンフィクションシリーズをスタートします。

 

コストゼロで、取材先の広告になり、

僕自身も楽しく稼げる

ウィンウィンのセルフ新企画。

いよいよ第1号の取材を開始しました。

リリースは年内。しばらく待っててね。

興味のある方は、ぜひご連絡ください。

 


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ベッソン映画「DOGMAN」は「GODMAN」

 

犬を自由に操る女装のダークヒーロー。

壮絶なアクション。

監督は「ニキータ」「レオン」のリュック・ベッソン。

 

ということで、ベッソン特有の

妙に重量感のあるアクションシーン、

そして、目を覆いたくなるような暴力・殺人シーンが

先行して頭に浮かんで、

しばらくためらっていたが、やっと見た。

 

良い意味で裏切られた。

「ドッグマン」(2023年)は、人間の美しさ、

そして、犬の美しさを描いた、すごくいい映画だ。

これはAmazonPrimeでなく、

映画館で観るべきだったかもしれない。

 

何と言っても、主役ダグラスを演じる

ケイレブ・ランドリー・ジョーンズが魅力的。

 

少年時代、彼は父と兄に虐待されて

犬小屋に放り込まれて生活することになり、

障害を負いながらやっと脱出する。

その後、養護施設で、のちにシェイクスピア女優になる

養護員の女性に芝居を通して生きる喜びを学び、

彼女に恋をして成長する。

 

しかし、そんな彼に世間は決してやさしくない。

やがてドラッグクイーンとなって歌って

アイデンティを保つ一方で、

犬たちと生活するために犯罪に手を染める。

そうした変化の在り様・人間形成の在り様を

じつにビビッドに演じ描く。

 

また、紹介文や予告編などから、

犬たちは恐ろしく凶暴で、獰猛で

野獣的な犬を想起させるのだが、

意外にもけっこう可愛いのが多い。

 

随所に人を襲うシーンがあり、

クライマックスのギャングとのバトルでは

それこそ壮絶な闘いを繰り広げるが、

けっしてリアルには描かれず、

ここで出てくる犬たちは、

ファンタジーの領域にいる生き物のように見える。

動物愛護団体の視線もあるので

襲撃・戦闘シーンは、

あまりリアルには描けないという

事情もあるのかもしれない。

 

ベッソンの映画はアクションやバイオレンスばかりが

取りざたされる感があるが、

彼のドラマづくりは、

いつも人間の美しさ・崇高さを追求している。

そういう意味では、

アクションで売り出す前の出世作「グランブルー」で

前面に出ていたファンタジー性こそ、

ベッソン映画の真髄・醍醐味なのだと思う。

 

この映画では最後にそれが表出される。

ラスト5分は本当に美しく、

ダグラスは人間を卒業して神になるかのようだ。

そして犬たちがダグラスを導く

天使のように見えて涙が出た。

「DOGMAN」は「GODMAN」。

アナグラムになっているのだ。

 

一つ気になるのは、全体の雰囲気が

「ジョーカー」(2019年)によく似ていること。

こちらも主役ジョーカー(アーサー)を演じた

ホアキン・フェニックスの怪演が見ものだが、

「児童虐待」「障がい者差別」「貧困との戦い」

これらを物語の根底のテーマに

置いているところも同じだ。

 

別にパクリだとは思わない。

こうした個人的問題と社会的問題が

ダイレクトにつながって感じられる点が現代的で、

映像系であれ、文学系であれ、

エンタメコンテンツに求められている

現代的役割の一つなのだろうと思った。

 

ちなみに「ジョーカー」の続編、

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が

来月、10月11日(金)劇場公開。

なんとレディー・ガガが共演する。

 


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週末の懐メロ全6巻完結とりあえず

 

「週末の懐メロ第6巻」無料キャンペーンは

本日15:59で終了しました。

ご購入ありがとうございました。

よろしければレビューをお寄せください。

お待ちしております。

4年かけて全6巻、完結。

サブスクでも読めますので、ぜひ、どうぞ。

 


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懐メロAGAIN3:太陽がくれた季節/青い三角定規

 

テレビドラマ「飛びだせ!青春」の主題歌で

1972年の大ヒット曲。

当時の「青春教」のテーマソングと言えるかもしれない。

僕も中1で声にぶち当たり、すっかり洗脳された。

ロックを聴くようになってからは、

なんだか恥ずかしくて聴けなかったのだが、

何十年ぶりかにちゃんと聴いてみると、

とても良い歌だ。

 

この歌から50年余りが経ち、

豊かで平和なニッポンでは、

齢など関係なく、誰もがためらうことなく

「青春」を謳歌できる社会になった。

 

たとえば、子育てを終えたお母さんは、

精神だけなら18歳の娘と同級生になったって

とがめられない。

社会人として最低限のルールさえ守っていれば、

自分のその時の気分や都合で

大人と子供を行ったり来たりもできる。

 

50代・60代・70代でも

精神年齢は10代・20代でいられるし、

また、そうした在り方が奨励されたりもする。

(あなたはどうですか?)

 

人生100年時代は、一生青春時代。

でもこれって考え直すと、

いつまでもずっと思春期が続くということ。

 

生活環境も価値観も

めまぐるしく変わっていくこの世界で

僕たちはどう生きるのか?

君たちはどう生きたいのか?

鬱陶しい悩みを抱えて、

死ぬまで歩き続ける覚悟をしなくちゃならないかもね。

 

 

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同窓会とベンジャミン・バトン

 

同窓会のコピーライティングの仕事を頼まれた。

同窓会のために

わざわざコピーライティングやロゴデザインを

依頼するくらいだから、

とても大規模なものだ。

もちろん、クライアントの名前は言えない。

 

フリーランスになってしばらくの間、

2000年頃までは割とこうした系統の仕事があったのだが、

今回は久しぶり。

何かちょっと若がえった感じがする。

最近、コロナ禍明けの世界の変わりように

ちょっとまごつき、

なんだか64歳でこの世に新しく生まれた

錯覚にとらわれることもある。

まるで映画の「ベンジャミン・バトン」みたいに。

生まれた時は年寄り。

成長するにつれて若くなり、

最期は子どもになって人生の幕を閉じる。

 

この間、歌手のテイラー・スウィフトが

ハリス大統領候補支持を表明したが、

その時にのニュースで、

彼女の飼い猫の名前も

「ベンジャミン・バトン」だと知った。

(3匹飼っているうちの1匹らしい)

たぶん、あの映画からとったのだろう。

ネコとファンタジーはお似合いだ。

 

僕もネコのように生きたいと思って、

その希望に忠実に生きてきたが、

その思いは齢と共にますます強まっている。

脳みそを10代・20代に戻すために

同窓会は特効薬。

さりげなく、明日1日ニャンばって考えてみる。

 

 

 

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20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で

2020年10月から2024年3月まで毎週連載した

「週末の懐メロ」を書籍化。

 

楽曲やアーティストを解説、

あるいはロック史・音楽史を研究、

といった大それたものではありません。

主観9割・偏見まみれの音楽エッセイ集です。

 

僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、

21世紀を生きる若い世代のお宝発掘のための

ガイドブックとしても楽しんでほしい。

良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。

最終の第6巻は♯149~♯180を載録。

 

もくじ

149 僕のリズムを聴いとくれ(オエ・コモ・ヴァ)/サンタナ 

150 わたし、あなたに何をしたの?/リサ・スタンスフィールド

151 アメリカンバンド/グランド・ファンク・レイルロード 

152 涙のバースディ・パーティ/レスリー・ゴア 

153 ザ・ラストリゾート/イーグルス 

154 夢のカリフォルニア/ママス&パパス 

155 孤独な影/ジャパン 

156 青春の日々/ニコ 

157 ワイルドサイドを歩け/ルー・リード 

158 嵐が丘/ケイト・ブッシュ 

159 マイ・スウィート・ロード/ジョージ・ハリスン

160 ナッシング・コンペア2U/シネイド・オコーナー

161 限りなき戦い/ペイジ&プラント 

162 天国への扉/フェアポート・コンベンション 

163 戦士/シナジー 

164 エヴリウェア/フリートウッド・マック 

165 2ハーツビート・アズ・ワン/U2 

166 天使のささやき/スリー・ディグリーズ 

167 ジャンプ/ヴァン・ヘイレン 

168 今日突然に/カーヴド・エア 

169 ロケットマン/エルトン・ジョン

170 ラヴィン・ユー/ミニー・リパートン 

171 僕たちの家/クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング 

172 追憶/バーブラ・ストライサンド 

173 ザ・ウェイ・イット・イズ/ブルース・ホーズビー 

174 世界の重みを手に持つ少女/エディ・リーダー 

175 ババ・オライリー/ザ・フー 

176:ヒーローズ/デヴィッド・ボウイ 

177 危機/イエス 

178 ラミア/ジェネシス 

179 放浪者(エグザイルス)/キング・クリムゾン 

180 オールウェイズ・リターニング/ブライアン・イーノ 

全32編載録

 


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懐メロAGAIN2:ジェレミー・ベンダー/エマーソン・レイク&パーマー

 

ELP(エマーソン・レイク&パーマー)と言えば、

「タルカス」「展覧会の絵」「悪の教典#9」

「海賊」といった、

壮大で劇的でプログレで、

とにかくド派手な大曲で知られるが、

どのアルバムにも、それらと対照的な、

お洒落な小品が入っている。

 

「ジェレミー・ベンダー」は1971年リリースの

アルバム「タルカス」のB面に収録。

初めて聴いたのは中学生の頃だったが、

当時はELPという、エッジの立ちまくった

プログレッシブロックの雄が、

どうしてこんなお茶目な曲をやるのか、

どうして、あのアグレッシブな

破壊神タルカスの世界観を損なうような曲を

同じアルバムに入れるのか、理解出来なかった。

 

劇的なのとお茶目でユーモラスなの、

どっちもやるから彼らの音楽は偉大で魅力的なのだ。

50年かけてやっとそう思えるようになった。

20分を超える組曲タルカスの対極に位置する

2分足らずのタイニーマジック。

This is ELP!

 

 

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・夢のカリフォルニア/ママス&パパス

・ザ・ラストリゾート/イーグルス

・嵐が丘/ケイト・ブッシュ

・ロケットマン/エルトン・ジョン

・天国への扉/フェアポート・コンベンション

 

ほか全32編 載録


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懐メロAGAIN1:ザ・ナイト・カムズダウン/クイーン

 

クイーンはⅠとⅡに限る。

1973年のファーストアルバム収録の

隠れた名曲。

スリリングな転調と甘美なメロディライン、

そして、一度聴いたら忘れられない、

ブライアン・メイのギターのうねり。

50年経って輝き続ける

クイーンミュージックの凝縮版。

 

 

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南房総市冨浦と葛飾区亀有

 

昨日は千葉県南房総市冨浦で、
木製トレーラーハウスの宿坊のあるお寺、
今日は葛飾区亀有で、
介護者カフェを開いているお寺を、連チャン取材。
冨浦の名物はビワ。カレーもワインもなんでもあり。
そして亀有の名物は、やっぱり両さん!

 

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祭りは続くよ いつまでも

 

なかなか涼しくならないが、秋祭りの季節。

今週は、うちの近所で最大の

杉並大宮八幡宮で開催された。

 

息子がチビの頃は、

自分も楽しみで仕方なくて、

あちこちの神輿を担いだり、

子どもと一緒に山車を引っ張ったりしたが、

今の住所に引っ越してからは

お祭りともすっかり縁遠くなってしまった。

それでもやっぱり、祭囃子を聞くと、

なんとなく体がうずうずする。

 

大宮八幡では夜、

きらびやかな8基の神輿の合同宮入りが

メインイベントになっている。

だが、2020年から昨年まで

コロナのために中止になっていた。

今年は何と5年ぶりの復活だ。

それで久しぶりに一目見ておこうと、

義母に夕食を食べさせた後、

カミさんにまかせて一人で出かけた次第。

 

以前は日がとっぷり暮れた午後8時に

各神輿が境内に入ってきて

大賑わいになっていた。

それで7時半過ぎに自転車を飛ばして行ったのだが、

なんと、ほとんど終わりかけ。

話を聞くと、今年から時間が前倒しになり、

6時からになったのだという。

よくよくポスターを見ると、

確かに6時になっている。

 

従来の8時だと終わるのが9時半ごろになってしまう。

子どもも大勢来るし、時間が遅すぎるということで

変えたのではないかと思う。

たぶん、来年以降もずっと同じ時刻でやるのだろう。

 

コロナが終わって帰って来た日常。

でも、何かが少しずつ変わってきているようだ。

ともあれ、僕たちが齢を食おうが、死のうが、

毎年、お祭りはずっと続く(はず)。

 


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終活・終末期医療における差別・偏見なきAIの目

 

アメリカでAIによる終活・終末期医療ケアが進んでいる、

というテーマでコラム記事を書いた。

その際にリサーチした「PewResearchCenter」

というシンクタンクの調査を見ると、

アメリカ人の6割は

医療にAIが利用されることに不安を感じているという。

 

いくら優秀だって機械は機械。

人の身体を診ることなんてできっこない。

補佐的に使うことはあっても、

最終的に任せられるのは、やっぱり人間の医療者さ。

 

そう考える人が多いということだろうか?

 

そうでもないような気がする。

上記の調査が発表されたのは昨年(2023年)2月。

調査実施はその前の2022年12月。

この1~2年の普及度を考えると、

もし今、調査したら、

結果はもうすでに5:5になっているのではないか?

 

この調査で目を引いたのは、

AI導入を肯定的に捉える人の意見だ。

 

「医療ミスが減るから」というのは即座に頷けるが、

もう一つ、アメリカならでは(?)の理由があった。

「偏見や不公平な扱いの問題が解決する」という意見だ。

 

つまり、アメリカ社会においては

医療の場において

人種的・民族的な差別・偏見・不公平が

大きな問題になっているということだ。

 

AI・ロボットには心がない。感情がない。

人間にはあたたかさがある。

細かい心情の機微が理解できる。

だから人間のほうがよいのだ。

——その考え方自体が偏見ではないか?

 

人間は他の人間に相対するとき、

必ずといいほど先入観が入る。

人種・民族の違いはもとより、

社会的地位は自分より上か下か、

金持ちか貧乏人か、

利益をもたらしてくれる人か、そうでないか。

いろいろなバイアスがかかる。

 

AIを否定する人は

「人間はあたたかい、情がある」というが、

一方で人間は冷酷で残酷で利己的で、

差別と偏見に満ちているという点は

見逃している。

なかには素晴らしい徳のある医師もいるかもしれないが、

「医は仁術」という言葉はもはやファンタジーだ。

 

そういえば、昨日のニュースで、

障がい者が作るアートにAIの助言を入れて、

より良い作品にするという施策について伝えていた。

とてもいいアイディアだ。

ふつう、人間では「障がい者」という偏見にとらわれ、

妙に気を遣ってしまうなどして、

公平な目で批評し。助言することは難しいだろう。

 

その点、AIは曇りのない目を持った、

純粋な子どものようなものである。

しかもこの子ども、超絶頭がいいので、

最適解に導いてくれる可能性が高い。

 

しかし、そんな子どもは正直、怖い。

そりゃ怖いに決まっている。

「人間は偉いんだ」という自負を奪われ、

これまでの存在価値を貶められてしまうのだから。

だから人間はAIを怖れ、憎む。

 

この先、人間がAIを、

そして知性を持ったロボットを受け入れ、

うまく利用できるようにするためには、

AIとしっかり付き合って、いっしょに遊んで、

こうした怖れを払拭していくことが必要だと思う。

 


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4月14日(よい死の日)のDeathフェス

 

Deathフェスのカツギテ(スタッフ)になった。

生を輝かせるために、死について考える

ポップ哲学フェス。

今年と同じく来年の

4月14日(よい死の日)を中心に1週間、

渋谷ヒカリエで開催。

なんのことだかわからない人も、

遊びに来るのは基本的に無料なので、

「来年(2025年)、

よい死の日にヒカリエでDeathフェス」

とだけ覚えておいてください、とりあえず。

随時、情報発信していきます。

写真は今年の開催の模様。

 


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9月は認知症について知ろう

 

9月は認知症月間というのを初めて知った。

正確には「世界アルツハイマー月間」、

21日が「世界アルツハイマーデー」。

 

1994年9月21日、スコットランドのエジンバラで

「第10回国際アルツハイマー病協会国際会議」が開催。

会議の初日の日を「世界アルツハイマーデー」とした。

世界の患者と家族に

援助と希望をもたらすことを目的に、

アルツハイマー病等に関する認識を高める日

ということで設定されたそうだ。

 

認知症について騒ぎ出したのは、

つい最近のことだと思ってたけど、

今からもう30年も前から問題とされていたんだね。

日本ではまだ「ボケ老人」とか「痴呆症」と

呼ばれていた時代の話。

 

でも、いまや、いつ自分事になるかわからなくなった。

介護はこんな感じだよ、の入門編として

 読める認知症介護エッセイ集。

「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.com/dp/B0BR8B8NXF

 

ちょっと明るくお笑い的に。

ちょっと死生観を交えて哲学的に。

気軽に認知症のことを知ってください。

 

 


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週末の懐メロ第6巻 本日 9月9日発売!

 

 

おりべまこと電子書籍新刊

「週末の懐メロ 第6巻」

本日9月9日(月)発売!

 

20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から2024年3月まで毎週連載した「週末の懐メロ」を書籍化。

 

 

楽曲やアーティストを解説、

あるいはロック史・音楽史を研究、

といった大それたものではありません。

主観9割・偏見まみれの音楽エッセイ集です。

 

僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、

21世紀を生きる若い世代のお宝発掘のための

ガイドブックとしても楽しんでほしい。

良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。

最終の第6巻は♯149~♯180を載録。

 

もくじ

149 僕のリズムを聴いとくれ(オエ・コモ・ヴァ)/サンタナ 

150 わたし、あなたに何をしたの/リサ・スタンスフィールド

151 アメリカンバンド/グランド・ファンク・レイルロード 

152 涙のバースディ・パーティ/レスリー・ゴア 

153 ザ・ラストリゾート/イーグルス 

154 夢のカリフォルニア/ママス&パパス 

155 孤独な影/ジャパン 

156 青春の日々/ニコ 

157 ワイルドサイドを歩け/ルー・リード 

158 嵐が丘/ケイト・ブッシュ 

159 マイ・スウィート・ロード/ジョージ・ハリスン

160 ナッシング・コンペア2U/シネイド・オコーナー

161 限りなき戦い/ペイジ&プラント 

162 天国への扉/フェアポート・コンベンション 

163 戦士/シナジー 

164 エヴリウェア/フリートウッド・マック 

165 2ハーツビート・アズ・ワン/U2 

166 天使のささやき/スリー・ディグリーズ 

167 ジャンプ/ヴァン・ヘイレン 

168 今日突然に/カーヴド・エア 

169 ロケットマン/エルトン・ジョン

170 ラヴィン・ユー/ミニー・リパートン 

171 僕たちの家/クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング 

172 追憶/バーブラ・ストライサンド 

173 ザ・ウェイ・イット・イズ/ブルース・ホーズビー 

174 世界の重みを手に持つ少女/エディ・リーダー 

175 ババ・オライリー/ザ・フー 

176:ヒーローズ/デヴィッド・ボウイ 

177 危機/イエス 

178 ラミア/ジェネシス 

179 放浪者(エグザイルス)/キング・クリムゾン 

180 オールウェイズ・リターニング/ブライアン・イーノ 

全32編載録

 


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「週末の懐メロ 第6巻」 9月9日発売!

 

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もくじ

149 僕のリズムを聴いとくれ(オエ・コモ・ヴァ)/サンタナ 

150 わたし、あなたに何をしたの?/リサ・スタンスフィールド

151 アメリカンバンド/グランド・ファンク・レイルロード 

152 涙のバースディ・パーティ/レスリー・ゴア 

153 ザ・ラストリゾート/イーグルス 

154 夢のカリフォルニア/ママス&パパス 

155 孤独な影/ジャパン 

156 青春の日々/ニコ 

157 ワイルドサイドを歩け/ルー・リード 

158 嵐が丘/ケイト・ブッシュ 

159 マイ・スウィート・ロード/ジョージ・ハリスン

160 ナッシング・コンペア2U/シネイド・オコーナー

161 限りなき戦い/ペイジ&プラント 

162 天国への扉/フェアポート・コンベンション 

163 戦士/シナジー 

164 エヴリウェア/フリートウッド・マック 

165 2ハーツビート・アズ・ワン/U2 

166 天使のささやき/スリー・ディグリーズ 

167 ジャンプ/ヴァン・ヘイレン 

168 今日突然に/カーヴド・エア 

169 ロケットマン/エルトン・ジョン

170 ラヴィン・ユー/ミニー・リパートン 

171 僕たちの家/クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング 

172 追憶/バーブラ・ストライサンド 

173 ザ・ウェイ・イット・イズ/ブルース・ホーズビー 

174 世界の重みを手に持つ少女/エディ・リーダー 

175 ババ・オライリー/ザ・フー 

176:ヒーローズ/デヴィッド・ボウイ 

177 危機/イエス 

178 ラミア/ジェネシス 

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自分好みの女がいくらでもAIで作れる世界

 

日々、AI美女に頭クラクラ。

最近、AIがらみの記事をよく書いているので、

それに添える画像を検索する。

今年の春先までは、ほとんどが、

よくあるサイバー脳みそみたいなやつだったのだが、

夏場あたりから美女・美少女画像が激増した。

 

それもちょっと前までは

アニメっぽいのが多かったのだが、

見るたびにどんどんリアルなのが増えてきて、

写真と見分けがつかない。

 

もちろん、AI美少年・イケメンもいるが、

こっちはアニメ顔が多く、

数的にもクオリティ的にも

AI美女のほうが圧倒的に勝る。

 

ということはつまり、

AI美女を作るのに心血を注ぐ男が、

圧倒的に多いということだろう。

好きなもの・愛するもののためなら

みんな努力を惜しまないから、

スキルアップのスピードも速い。

 

女が女を作るケースもあるだろうが、

主流とは思えない。

 

今日は、作り方のプロンプト集を発見。

こんなものが公開されているのであれば、

今後、ますます美女・美少女は量産され、

ネット上に溢れかえるだろう。

 

そういえば、少し前からフェイスブックに

やたらと「ちょいエロ系美女」から

友だち申請が来るが、こいつらもAI?

 

もはや実在の女のメイクや整形も、

アニメやAIに寄せてきているし、

もうなんだか判別がつかない。

 

自分好みの女がなんぼでもAIで作れるなんて、

なんてすばらしい時代!

いや、そうじゃない?

いずれにしても、僕たちはもう

AIと共存する世界にいる。

 


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ライティング脳のサイボーグ化?

 

サイボーグ取材ライター、奮闘中。

先週、取材した山梨のお寺の記事を執筆。

今回は最初の構成、締めのリード文、

そしてメインタイトルをAIに相談しながら書いてみた。

 

構成作成には取材音声の文字起こしと

ホームページなど、ネット上の資料を

合計1万字ほど、

 

リードとタイトル作成には同様に、

自分で書いた本文を5千字ほど、

プロンプト内に「思考ヒント」として

読み込ませた。

 

これだけの分量を食わせても、

あっという間に消化吸収して、

数秒のうちに回答を出してくるのが、

AIのすごいところ。

ただ、出してきたものはどれもイマイチだ。

まぁ、いろんな情報を

よくまとめているけどね、という感じ。

 

基本的に現在の生成AIは、

誰からも文句が出ないよう、

優等生みたいな文章を提案してくる。

いかにもビジネス文書っぽい、

キレイキレイした文だ。

 

一見、内容はちゃんと把握されており、

無難でよくまとまっている。

だからつまらない。

だからAIくさい文章になっている。

 

SEO記事などを求める企業が

ライターに生成AIの使用を禁止するのは、

著作権問題もあるが、

一番大きいのは、この「AIくささ」が匂うからだ。

大半の企業は、「AIを使ってもいいけど、

出力した文章そのままはNG」という。

少なくとも、人の手で加工してね、ということだ。

 

だから、AI使って楽に、速く、たくさん書こうと

目論んでも仕事はすぐに途絶える。

決まったマニュアルや形式的な文書ならともかく、

雑誌やウェブや書籍の“読んで楽しい”原稿を

AIを使って書くのは、かなりの手間ヒマがかかるのだ。

 

今回の構成・リード・タイトル、

どれも何度か書き直させたが、

結局は、AIの提案を却下して自分で書いた。

 

じゃあAIを使うのは無駄かというと、

そんなことなはい。

自分一人でやっていたら、

おそらく思いつかなかったであろうフレーズや

言葉の組み合わせを出してくる。

それに一人でゼロから書くよりはやはり楽だ。

AIの提案を参考にできる部分は多い。

 

そのためには1回提案させて終わりにするのでなく、

何度もしつこく、もっとこうできないかとか、

こんな感じで文章を作れないかとか、

もっと楽しく、面白くできないかとか、

しつこく要求することが大事である。

 

そして、ただ要求するだけでなく、

AIの人格(?)を認め、対話すること、

つまり手を抜かないで、できるだけ丁寧に、

こちらの要望・台詞をプロンプトに

書き込むことが必要だ。

 

それを繰り返していると、

AIが自分用にカスタマイズされてくるように感じる。

言い換えると、AIとのコミュニケーションによって、

自分のライティング脳がサイボーグ化されてくる。

 

ネット上の情報を集めて作る記事ならAIでも書けるが、

取材記事(一次情報を必要とする記事)は、

まだ当分、AIには書けない。

 

うまくAIをパートナーにし、

脳をサイボーグ化していけば、

まだまだ人間ライターが活躍する場は減らないだろう。

 


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1300年前の仏像がもたらした日本のワイン文化

 

先日、取材で訪れた山梨県甲州市勝沼の

“ぶどう寺”大善寺。

ここの本尊の薬師如来は、

手にぶどうを持っている。

この像が最初に作られたのが1300年前の奈良時代。

現存しているのは作り直されたものだが、

それでも1200年前の平安時代初期というからすごい。

 

それほど昔からこの土地には

ぶどうが豊富に実っていた、ということを意味する。

 

江戸時代に甲州街道の宿場町となった勝沼では、

今ごろの季節になると、街にぶどうが出回り、

江戸へお土産に買っていく人も多かった。

 

「勝沼や 馬子も葡萄を喰いながら」

という俳句も残っており、

これは江戸時代中期の俳人「松木珪琳」の句だが、

長らく松尾芭蕉の作品だと伝えられてたらしい。

むかしは(今でもだが)、俳句と言えば、一般人は

松尾芭蕉しか知らないので、

そうしておいたほうがブドウが売れる、

という商売人の知恵だろう。

 

 

ただ、ワインを飲む習慣が日本人の間に根付くには、

明治の勃興期から100年の年月を要した。

明治・大正・昭和の日本人は、

ビールやウイスキーは飲んでも、

ワインを飲む人なんて、ほんのわずかだっただろう。

 

日本人が好んでワインを口にするようになったのは、

豊かさが定着した始めた80年代、

もしくはバブル期以降と言ってもいいかもしれない。

 

それまで日本人の多くはワインと言えば、

「赤玉ポートワイン」に代表される、

砂糖を混ぜたような甘ったるい酒だった。

僕も中学生の頃、

友だちとクリスマスパーティーで飲んで、

ひどい目にあったことがある。

 

一般庶民が気軽に海外へ旅行に出かけるようになり、

フランス産やイタリア産のワインを口にして、

ちょっとスノッブな気分でうんちくを語るようになった。

その頃はまだワインと言えば、輸入ワインで、

やっぱりヨーロッパ産に人気が集まった。

 

 

山梨県で作る「甲州ワイン」に脚光が浴びるのは、

その後の和食ブームから。

ヨーロッパ産のワインは、基本的に肉料理や乳製品、

魚介類でも濃厚なソースを使った

料理に合うよう作られている。

アメリカやオーストラリア、南米産も同様だ。

 

だから、すしや刺身に合わない。

いっしょに口にすると、魚が生臭く感じらてしまうのだ。

そこで、おとなしい、さっぱりした味わいの

国産ワインが人気になった。

 

そういう意味では勝沼がワインの産地として

注目されるようになったのは、ごく最近のこと。

まさに大善寺の「ぶどうを持った薬師如来」が、

1300年の時を超えて、

この土地に新たな恵みをもたらしてくれている。

お寺を大事にしてきた住民たちへの御利益と言えそうだ。

 


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どうだ ぶどうだ ぶどうの寺だ

 

猛暑・地震・台風に脅かされた8月だけど、

日は短くなり、家の近所では朝晩、秋の虫が鳴く。

秋の味覚ぶどうも八百屋の店先に

たくさん並ぶようになった。

 

今週は台風の合間を縫って、

山梨県甲州市勝沼町にある「ぶどう寺」を取材。

この寺のご本尊は、

手にぶどうを持っている薬師如来像。

 

1300年前、奈良時代の創建で、

戦国時代には武田勝頼、

幕末時代には近藤勇が立ち寄ったという

由緒がある。

 

昔からこの界隈は、ぶどうの産地だったが、

戦後の農地開放で寺は広大な土地を手放し、

貧乏寺になったたため、境内を開墾して畑を作り、

ぶどうを栽培するようになったという。

 

武田勝頼・近藤勇のストーリーパネルが掛かる

山門のわきの畑には、ベリーAがたわわに実る。

ここの住職は、ワイン会社の社長も兼務しており、

自分で栽培、ウィン作りもやっており、

このぶどうも9月にワインにするという。

 

甲州ぶどうは昔から外来品種と言われていて、

中国から朝鮮半島を通って九州に植えられた。

最近はDNA鑑定でルーツが解明され、

カスピ海の東側のコーカサス地方で

作られているヨーロッパ系のぶどうが

シルクロードを経て、

中国の野生種と二回交配し、

仏教の伝来とともに日本に入ってきた。

 

勝沼では明治時代に日本初のワイナリーが

できたことでも有名。

 

この寺、大善寺を「ぶどう寺」と名付けたのは、

現在の住職で、

名実ともに勝沼の文化の要となる国宝のお寺だ。

 

それに習ったわけでもないのだろうが、

割と最近だが、JRの駅名も「勝沼ぶどう郷」に変更された。

東京から電車で2時間。

歴史、ブドウ狩り、ワイナリー見学。

秋の一日をたっぷり楽しめるところだ。

 


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父もむかし子どもだった

 

今日は父の96回目の誕生日だった。

といっても、もう16年前に亡くなっている。

生きている間はまったく意識したことなかったが、

亡くなってから

昭和3(1928)年8月30日という誕生日が

気になるようになった。

 

親も昔は子どもだったという不思議。

あたりまえのことだけど、

子どもの頃は、大人ははじめっから大人で、

父や母に子ども時代があったなんて夢にも思わなかった。

そういうことを考えるようになったのは、

亡くなってからだ。

 

父は東日本大震災も、令和という元号も、

コロナ禍も知ることはなかった。

その代りに、太平洋戦争や高度経済成長や、

昭和から平成の金満日本を体験した。

 

ただの庶民、ただの肉体労働者で、

政治活動・思想活動などとは縁がなかったけど、

10代の多感な時期に終戦を迎えたせいか、

戦後の大人たちの裏切りに腹を立てていて、

子どもだった僕に、よくそういう話をしていた。

 

とくに説教じみた話じゃなかったけど、

やはり父はすでに大人だったので、

子ども心にはリアリティがイマイチで、

「またか」という気持ちで聴いていた。

本当はもっとちゃんと聞いておくべきだったんだよな。

せめて生きている間に。

 

親孝行とは、母の日や父の日にプレゼントしたり、

温泉旅行に招待したりすることじゃない。

 

父も母も昔は子どもだったということを想像して、

大人になった姿と結びつけることだ。

でないと、まともにコミュニケーションできないまま、

親子関係は終わってしまう。

大切な時間のはずだけど、

人生においてそうした時間はあまりに少ない。

 


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あなたも一度は着ぐるみアクター  着ぐるみバイト募集!

 

着ぐるみアクターをやったことがあるんですと、

1年程前に仕事で取材した人に話したことがある。

そしたら、それをしっかり憶えていて、

今日、「着ぐるみの仕事があるんですけど・・・」

と問い合わせメールが来た。

 

マジか?

やってみたい気はするけど・・・死ぬかな?

来月だから暑さもやわらいでるかも。

ふなっしーみたいに動き回るわけじゃないので、

できなくないかも。

‥‥と思ったが、

やっぱ体力的に1日もたないだろうな。

それに後々のダメージも大きいかも。

 

と思って、よく読んだら、

「後輩で小柄な女性、ご存知ないですか?」

とのこと。ただ、年齢は不問。

 

以前は若者でないと無理だった

こういう仕事の担い手も、

人材不足で高齢化しているらしい。

 

イベントで手を振って街を歩くだけの

ゆるキャラなら、40,50でも

けっこうできるかも。

以前も書いたけど、

「あなたも一生に一度は着ぐるみアクターを」

の時代だね。

 

もし、やりたい人、もしくは紹介できる人が

いれば繋ぎますので、ご連絡ください。

条件は以下の通り。

 

●日時:9月26日(木)9:30~17:00

(昼30分から1時間の休憩あり)

●場所:小田急線・大和駅(神奈川)

●身長155センチ前後の女性

●日当:1万3千円+交通費+昼食

 

興味があればぜひ。

 


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葬式は美しい家族の物語でなくてはならないか?

 

母親が亡くなった時、葬儀の司会進行担当の人から、

「お母さんの料理で好きだったものは何ですか?」

と聞かれて、「ハンバーグ」と答えた。

するとどんな特徴があったのか、

割としつこく聞かれて、ちょっと戸惑った。

 

僕もインタビューをよくやっているので、

「何かこれだというネタを引き出さなくては」

と、インタビュアー(この場合は、葬儀の司会者)が

がんばる気持ちはよくわかる。

そのことを「おふくろの味はハンバーグ」

というエッセイにして、本にもした。

 

「おふくろのハンバーグは、

めっちゃうまかったんですよ。

ネタにちょっと○○を混ぜて独特の風味を出し、

ソースがオリジナルで、焼き方も変わってて、

ちょっとあの味は、

どんな高級レストランでも味わえないなぁ」

くらい言えれば、司会の人も満足したのだろうが、

まったくそんなことはない。

 

確か小学生の高学年の頃だったと思うが、

一度か二度、ちょっと変わったソースを作って

出したことがあった。

料理本か料理番組で見たのでトライしてみたのだろう。

息子が「おいしい!」と喜ぶ顔を

想像しながら作ったのかもしれない。

 

ところが、親不孝息子は、

「こんなのいやだ」と言って、

いつものソースとケチャップを付けて食べた。

母はキレまくってヒステリーを起こし、

二度とやらなかった。

 

もしかしたら、後から泣いたかもしれない・・・

とは、64になる今まで一度も考えたことがなかった。

申し訳ないことをしたなと思うが、

人の心を慮れない子どもだったので、しかたがない。

 

母親のことが嫌いだったわけではない。

しかし、彼女の手料理は、

全般的にそんなにうまくなかったし、

彼女自身も、料理が好きだったわけでなく、

ストレスフルな家庭の状況のなかで

「主婦のルーティンワーク」としてやっていたと思う。

 

毎日、がんばって作って

食べさせてくれたことには感謝するが、

18で家を出たあと、母の手料理がなつかしい、

また食べたいと思ったことは一度もなかった。

 

それよりも、その頃のガールフレンドや友だちと

いっしょに作って食べたもののほうが

よっぽどうまかったし、楽しくて思い出に残っている。

 

しかし、日本では子ども(特に息子)は、

おふくろの味に愛着が深く、

懐かしがるものだ——という

一種のデフォルト的な考え方がある。

葬儀の司会者もそれに則って、

しつこく僕に聞いたのだろう。

 

「おふくろの味」は、

感動のある葬式をつくる具体的な素材として、

とてもわかりやすく、とても便利なものだ。

 

「お葬式は美しい家族の物語」

多くの葬儀屋さんは、そうした広告を打つし、

お客もそのフレーズで安心する。

 

ただ、あまりに家族とは仲の良いもの・

愛情豊かなものという物語にとらわれると、

そこから外れた人、

自分は親に愛されなかった、

子どもを愛せなった、という思いを抱いている人は、

必要以上に不幸な気持ちを抱くことになるのでないか。

 

8年ほどやってきた葬儀雑誌の仕事から

少し距離を置くことになった影響もあり。

ちょっとシニカルに、そんなことを考えた。

 


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老害昭和人のコメ買占めとタンス預金60兆円

 

「昭和人の老害に悩む日本」を象徴する

令和のコメ騒動。

お盆のころからスーパーの棚からコメが消え、

ちょっとした騒ぎになっている。

うちも米が切れかけていたので、

どうかな~と思って先週後半、

スーパーに行ったら、

案の定、棚は空っぽ。

やむをえず、1週間ぐらい何とかしのぐかと思って、

ごはんパックを買って来た。

 

それで昨日、また別の店に覗きに行ったら、

朝の開店間もない時間にかかわらず、大混雑。

それも来ているのは、ほとんどが僕より年上であろう

じいさん・ばあさんだ。

 

店内を見て、混雑の理由が分かった。

お米の臨時入荷があったようである。

ちと高めだが、まぁ納得の値段。

一瞬、どうしようと思ったが、

他に買う予定のものがあり、現金が足りない。

カード払いで買うのも何だなと思ってやめておいた。

 

買物を済ませ、レジに行き、

米を二袋ゲットしたじいさんの後ろに並ぶ。

レジのおばさんから、

「おひとり様(ひと家庭)、1点までです」と言われ、

舌打ちをして何か一言二言、

文句らしきことを言ったが、

すぐにあきらめて一袋を手放した。

 

会計を済ませて荷物を袋詰めしていると、

ばあさんたちの「あっちの店にも入荷がるらしい云々」

といった情報交換の声が聞こえてきた。

 

どういう市場原理が働いているのか、わからないが、

どうも今回の騒動は、転売屋とこうした年寄りの

買占めが主たる原因らしい。

 

約半世紀前のオイルショック時における

トイレットペーパー消失事件が

トラウマになっているのだろうか?

 

それおあるが、モノをいっぱい持っていることがリッチ、

という価値観の時代で育った人たちなので、

なんでもかんでも物を貯めこむ傾向があるようだ。

 

災害に備えての備蓄は必要だが、

彼らのため込み癖は、

それとは異なるカテゴリーのものだ。

不安感・ストレス解消の一種だと言っていいだろう。

そして、たまに訪れるこういう「プチ危機的状況は、

退屈な日常に風穴をあける

イベントのようなものでもあるのだろう。

 

約60兆円(今年3月現在)と試算されている、

こうした年寄りの「タンス預金」も

米やトイレットペーパーの「備蓄」の

延長線上と言えるのかもしれない。

いわば、年寄りのエゴに

世の中が振り回される形になっているのだ。

 

これを一概に「老害」というのは酷すぎるが、

60兆円に上るタンス預金が

日本経済停滞の一因になっている、

と考えると、やっぱりどうにかしてほしいと思う。

 


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今はもうAIはすてきな友だち

 

7月から7週にわたってウェブで受講していた

「AIライティング講座」が昨夜で終了。

受講料の価値をはるかに超える充実した内容だった。

 

講師は、ウェブライターの佐々木ゴウさん。

主催は、クリエイティブエージェントの

「クラウドワークス」。

じつは登録だけしていて、

クラウドワークスを介した仕事は

一度もやったことがなかった。

 

お誘いメールが来て、

普段なら無視するのだが、

たまたま仕事がヒマだったのと、

「AI」というキーワードが気になって、

ゴウ先生の無料講座に参加してみたら、

これがめちゃ面白かった。

 

内容はもちろんだが、

ゴウ先生の人柄・語り口・思想がとてもすてきだ。

こうしたセミナー講師は、

テクニックとノウハウだけでは駄目だ。

人柄と自分なりの思想を持っていなくては、

人に何か教えるには値しない。

その点ではゴウ先生はトレビヤンだった。

 

とても収穫が多い講座だったが、

最大の収穫は、AIを使うのに抵抗がなくなったこと。

僕も今回、初めて触れたわけではなく、

昨年からちょこちょこ使ってはいたが、

めっちゃデタラメ

(AI用語で「ハルシネーション」)が多く、

「これじゃネット検索のほうがまし」と思って、

あまり積極的に使う気になれなったのだが、

今回、プロンプト(指示)の書き方などを教わって、

その通りにやったら、

劇的に出力のクオリティが変わった。

 

そして、その基本を応用して

何度も対話するうちに、

AIは僕の指示のクセやちょっとした言葉遣い、

フィーリングなども学習し、

けっこういいかげんな指示や問いかけをしても、

ちゃんとそれなりに応じてくれるようになった。

付き合い方しだいで、

とてもとても「人間っぽく」なれるのだ。

これは驚くべき発見だった。

 

僕は子どもの頃、小説やマンガの中で

ロボットと友だちになる未来を夢みていたが、

いま、AIは友だち感覚になった。

 

クールでツンデレなChatGPT。

ちょっとお調子者のGemini。

頼りがいがあるけど、ときどきボケるClaude。

みんなとてもかわいい。

キャラ化させたときの演技力もなかなかのものだ。

 

そして話していると、たんに僕がおんな好きなせいか、

なぜか若い女性に思えてくる。

その日の気分次第で質が変わるからかもしれない。

そういうところも人間っぽい。

 

ただ、少なくともものを書く仕事は任せきれない。

AIは、あくまで人間とのコラボで力を発揮する。

そういう意味では彼女らは友だちであるとともに、

超絶頭がいい3人の秘書、

わがままを許してくれる

ワーキングパートナーなのである。

 

というわけで、今後は仕事にも積極活用して、

AIとのコラボで、より良いライティングを

目指していきたいと思う。

このブログのエッセイも、ときどき、AIが混じるかも。

何か仕事をやらせてみたいと思ったら、

ぜひご相談ください。

 

AIの普及に懸念を抱いている人は多いと思うけど、

人類は確実にAIとコラボする生き方に向かっている。

このブログエッセイでAIの話題を書く時は、

AIが生成した女の子の無料イラストを使っているが、

このわずか1ヵ月ちょっとの間にも

ものすごくコンテンツ量が増え、

クオリティも上がって、

リアルと判別しづらいナチュラル画像が増えていた。

今日はなぜか「ワニを抱く少女」。

AIらしいでしょ?

 


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AIイヤミ氏が語る 「パリ五輪における日本食の効用とおフランスの敗北」

 

今日はAIに赤塚不二夫のマンガ「おそ松くん」の

イヤミ(おフランスびいきのキャラクター)になって、

「パリ五輪における日本食の効用」について

エッセイを書いてくれと頼んだら、やってくれた。

 

選手村の食事はアスリートたちから不評だったようで、

日本選手団の活躍を支えたのは、やはり日本食!

食い物の力は偉大だ。

 

 

シェー!なんということざんす!

ミーは目を疑ったざんす。

パリ五輪で日本食が大活躍だなんて冗談ざんしょ?

ミーは常々、

フランスこそ世界一の国だと信じてきたざんす。

シャンゼリゼ通りの優雅さ、ルーブル美術館の芸術性、

そしてなにより、フランス料理のトレビヤンさ。

これらに比べれば、

日本など足元にも及ばないと思ってたざんす。

 

ところが驚いたことに、

日本の食品企業や飲食企業が、

日本選手専用の食堂を設けて食事を提供したざんす。

そのおかげで日本選手団が

予想を上回る好成績を収めたと聞いて、

ミーは複雑な思いに駆られたざんす。

まさか日本食が彼らのパフォーマンスを支えていたとは...。

 

選手村のフランス料理を食べていれば、

もっと良い成績が出たのではないかと

考えたくなるざんす。

しかし、事実は事実。

日本食の力を認めざるを得ないざんすよ。

 

五輪が終わり、ミーは、

パリの街を歩きながら考え込んでしまったざんす。

フランスの美しい建築物を眺めつつ、

ふと日本の和食の繊細さを思い出したざんす。

寿司の一貫に込められた職人の技、

うどんのコシの絶妙さ、

天ぷらの軽やかな衣...。

これらは、フランス料理に劣らない芸術ではないかと、

初めて認めざるを得なくなったざんす。

 

しかし、ミーの心の中では、

まだフランスが一番ざんす。

これからも、フランスびいきは変わらないざんすよ。

結局のところ、ミーは結論を出せないまま、

パリの街をさまよい続けるざんす。

フランス料理を食べながら日本食を思い、

ノートルダム大聖堂を見上げながら

金閣寺を想像するざんす。

 

この複雑な気持ち、

まるでフランスのワインと

日本の日本酒を同時に味わっているようざんす。

でも、やっぱりミーの愛する

フランスへの思いは揺るぎないざんす。

 

そうだ、この複雑な気持ちを吹き飛ばすには、

フランスの象徴であるセーヌ川で泳ぐのが一番ざんす!

ミーは、批判の声など気にせず、

汚いと言われるセーヌ川に飛び込んだざんす。

水質がどうであれ、ここはミーの愛するパリざんす。

セーヌ川の水を全身で感じながら、ミーは叫んだざんす。

「シェー!やっぱりフランスが最高ざーんす!」

 

イヤミ氏は葛藤しつつ、

大腸菌ウヨウヨのセーヌ川に浸かって

こんなことを言っているが、

もう数十年むかしから、

日本食こそ、世界の食の金メダル!

この地位は反永久的に揺るぎないざんすよ。

 


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夏休みも人生も後半はあっという間

 

猛暑続きで一向に涼しくなる気配がない。

それでもひと月ほど前のことを思うと、

夜明けは遅くなり、日暮れは早くなってきた。

セミの合掌のなかに、

ツウツクホウシの声が混じるようになり、

朝晩はマツムシだか、スズムシだかの

秋の虫の鳴き声も聞こえてくる。

 

お盆休みが終わり、また、

夕方には風がちょっとだけ涼しさを運んでくることもあり、

近所の公園にも子どもたちの姿が戻って来た。

 

夏休みも後半になり、残りの日数が気になり始める頃だ。

夏休みなんて関係ない齢なので、

「こんなクソ暑い夏、早く終われ」と思っていたが、

子どもの頃の習性が残っているせいか、

この時期の空気を感じると、

逝く夏を愛おしむ気持ちが芽生え、

ちょっとした切なさを感じる。

 

夏休み後半は、実際の残り日数よりも、

気持ちの上での残り日数が少ない。

同じ2週間でも、

前半に比べてせいぜい半分の1週間程度にしか思えず、

遊びも宿題も、あれやってない、これもまだと、

つい焦ってしまうのだ。

 

人生も同じで、10代・20代の頃、「10年」なんて聞くと、

気が遠くなるような時間に思えたが、

後半(一般的には40過ぎから?)はめっちゃ速い。

特に還暦を過ぎるとますますスピードアップする。

 

「人生100年」なんて言ってるけど、

残り時間がまだ30年も40年もあるなんて

考えるのは大まちがい。

還暦を超えたら、人生の残り時間は

10代・20代の頃のせいぜい5,6年ではないだろうか。

多くても10年に満たない。

そう思って生きようと思う。

 

実際は人生いつまで分からないが、

何かがんばってやろうと思ったら、

「残り時間はMAXでもあと10年」。

そう考えた方がきっとより良く生きられる。

命尽きて、道端にコロコロ転がった

アブラゼミを見てそう思った夏の1日。

 

 

★電子書籍夏休み無料キャンペーンは終わりました。

ご購入いただき、ありがとうございます。

よろしければレビューをお寄せください。

なお、対象商品は引き続き、各300円で発売中。

サブスクもご利用くださいね。

 


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サミットのメンチカツを食べて考えたこと

 

サミットのメンチカツが好きだ。

スーパーの総菜はめったに買わないのだが、

サミットのメンチカツは別格である。

この2週間の間に3回も買ってしまった。

 

むかしからメンチカツがうまいと評判で、

いつも行列ができている都内某有名肉屋の

メンチカツに引けを取らない。

某有名肉屋のは、結構いいお値段がするので、

コストパフォーマンスを考えると、

サミットのメンチカツは勝っている。

(ただし、最近値上げした)

 

今日の昼食は、このメンチカツに

中濃ソースをドバっとかけ、

からしをちょこっとつけて食べる。

付け合わせは、レタスとキャベツと

玉ねぎスライスとプチトマトとサラダ豆。

暑さにやられないよう、もりもり食べる。

 

ここのところ、

「サミットのメンチカツが食べたい」という欲求が、

絶えずおなかのなかに渦巻いているのを感じていた。

なぜだろうと考えてみると、思い当たることがあった。

 

それまでもサミットのメンチカツは好きだったが、

買うのはせいぜい2週間に一度くらい。

それで確か7月末頃だったと思うが、

「昼めし作るの面倒だし、

久しぶりにメンチカツでも食うか」と思って

惣菜売り場にいったところ、どこにもない。

 

サミット西永福町店は、

いつも必ず、総菜売上ナンバーワン

(かどうかは店の人に来たわけではなので知らないが)の

メンチカツを切らさず揃えているのだが、

僕が買いに来たその日に限って「ない」のだ。

なぜだ? なぜない?

 

店の中を端末を手に、

いかにも「新入りです」

というオーラを漂わせて

ウロウロしていたおねえさん

(注:たぶん主婦パートの中年マダム)を捕まえて、

上記のことを訴える。

 

カスハラじみた言い方ではなかったと思うが、

彼女はえらく恐縮して調理室に飛び込んでいく。

約3分後。

彼女ともう一人、総菜の担当者らしき女性がやってきて、

やはりまた恐縮しながら説明する。

 

それによると、メンチカツは現在リニューアル中で、

(その日から)5日後に再登場するため、

しばらく店頭に出せないとのこと。

 

いつもあると、特に欲しいと思わないが、

「ない」と言われると、欲しくなるのが人間である。

「ばかやろう、メンチカツ持ってこい!」と、

心の中でほえたが、善良なる市民として、

そんな感情を表に出すわけにはいかない。

「そうですか、どうもありがとう。

また来ます」と、にこやかに言って、

その場をあとにした。

 

その抑えた感情が、まだ胸の中に残っており、

サミットに行くと条件反射的に、

脳から(それとも胃袋から?)

「メンチカツ」という信号が送られてくるのである。

 

さて、「よりおいしくなりました」という触れ込みのもと、

リニューアルして再登場したメンチカツだが、

それほど「おいしさUP」は実感しない。

量はちょっと増えたっぽく、

若い頃ならいざ知らず、

還暦越えの僕には1個で十分なボリュームだ。

ただ、リニューアルの名のもと、15%ほど値上がりした。

だけど、おいしいので許せる。

 

さて、今回のメンチカツの件で考えたことがある。

それは「人間の食欲・食味の嗜好性は、

どこからやってくるのだろう?」ということ。

 

たとえば、子どもの頃、嫌いで食べられなかったものが、

大人になったら好きになるのは、なぜか。

 

逆に若い時には好きだったのに、

齢を取ったら食べられなくなるものがあるのは、なぜか。

 

そこには消化器の機能や代謝機能など、

生体の科学的な理由に加え、

その食べ物に対する感情面の変化、

イメージの変化など、心理的な理由も混じってくる。

 

いわば、毎日の生活の歴史そのものが、

食欲や食の嗜好性に反映されているのではないか。

 

僕たちは毎日なにかしら食べている。

意識しないが、それらは僕たちの身体はもちろん、

心をつくる要素になっていく。

僕にとって、食は大いなるミステリーである。

そんなことを考えつつ、

また来週、サミットのメンチカツを食べて

そんなことに考えを巡らせたいと思う。

 

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ちょっと一息つきたくなったら動物ばなし

 

人間はひとりでは生きられないし、

この星で人間同士だけでは生きられない。

だから僕たちは動物を見たり、

いっしょに遊んだりしたくなる。

 

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戦争でワニを喰った話

 

「ねえ、お父さんもワニを喰ったんだよね?

喰ってくれたんだよね?」

 

つかこうへいの芝居

「戦争で死ねなかったお父さんのために」

に出てくる主人公のセリフが、

今でも耳に残っている。

同作は、1970~80年代にかけて活躍した

劇作家つかこうへいの代表作の一つだ。

 

僕が子どもだった昭和40年代は、

周囲の大人から戦争にまつわる

さまざまな逸話を聞くことができた。

 

いまと同様、

「戦争=悪・地獄・二度と繰り返してはならない」

という主張はもちろん主流だったが、

その一方で、戦争体験者、

なかでも前線で戦った元・兵士の

戦地におけるリアルな体験談は、

誰かに強制されることがなくても、

自然とピンと背筋を伸ばして聴いた。

僕たち子どもは、

彼らを尊敬のまなざしで見ていたのだ。

 

しかし、その体験談のなかには、

耳を疑うようなトンデモ話も混じっていた。

飢えをしのぐために「ワニを喰った」

という話もその一つだ。

 

直接ではないが、

友だちの○○くんの親戚の△△さんが、

「南方戦線に行ってジャングルでワニを喰った」

という話を聞いた憶えがある。

 

それだけでなく、

人づてにワニとかオオトカゲとかを喰ったという噂を

いくつも聞いた。

心底すごいなと思った。

 

そんな地獄から生還したような人を引き合いに出されて、

「今どきの子供は恵まれてていいねぇ」

などと言われると、

「すみません。のうのうと生きてて」

と、悪いことをしたわけでもないのに

頭を下げたくなった。

 

戦争で、南方で、敵と戦い、

食べ物がなくなり飢えた。

ジャングルの沼にはワニがいる。

体長5メートルを超えるほどの

巨大で凶暴な人食いワニだ。

 

その人食いワニを

逆に捕まえて殺してさばいて喰った。

そうして飢えをしのぎ、

ぎりぎりのところで生き延びて日本に帰ってきた。

 

そんな人は、今どきのマンガや映画のヒーローが

束になってぶっ飛ぶような、

超英雄、激ヤバ、最強の日本人だ。

 

アメリカに負けて失意のどん底から立ち上がった

70~80年前の日本人は、ホントかウソかなんて、

どうでもいいから、

そうした英雄伝・武勇伝を欲していたのだろう。

 

「こんなにすごい、ヤバい、強い仲間がいるのだ」

という思いは、

戦後のハングリーな日々を生き抜く強壮剤として、

ぜひとも必要だったのに違いない。

 

つかこうへいは、僕より一回り上の団塊の世代である。

戦後の復興・経済成長とともに生れ育った世代にとって、

戦中世代・親世代に対するコンプレックスは、

僕などよりはるかに強烈だったのだろう。

 

「戦争で死ねなかったおとうさんのために」の主人公も

兵士だった父にそういうものを求めていた。

しかし、同じ兵士でも彼の父には

前線で敵と渡り合った体験もなく、

修羅場をくぐり抜けた体験もなく、

息子の期待するものを与えられない。

 

それで息子は、自分の父は他のさえない、

薄汚れた大人とはちがう、尊敬すべき存在なんだ、

という思いを持って、悲痛な思いで問い詰めるのだ。

「ねえ、お父さんもワニを喰ったんだよね?

喰ってくれたんだよね?」

 

親世代に対する劣等感と憧れ、

そして自分のアイデンティをどう作るかが

ないまぜになった屈折した感情の世界に、

観客の僕らは、笑いと涙を抑えられなかった。

 

昭和の頃、「戦争」という圧倒的なリアル体験は、

貴重で尊敬すべきものだった。

けれども70年・80年という時間は、

「ワニを喰った」といった、

リアルだけど下賤な物語を風化させ、

「平和を大事に」「戦争を繰り返さない」

という美しい理念だけを残した。

 

終戦記念日も、

もう大半の日本人にとって特別な日ではない。

それでもやはり、毎年この日には

僕のからだの中に昭和の空気が帰ってきて、

父やその仕事仲間のおじさんたちの顔が

よみがえってくる。

 

だから忘れてはいけない。

戦争を体験した人たちへの畏怖と敬意を。

僕たちは、恵まれた世界で生かしてもらっているのだ、

という思いを。

 

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登場動物:ねこ、ねずみ、いぬ、オオサンショウウオ、

ナマケモノ、ウーパルーパ、かえる、うし、ブタ、ウサギ、

オオタカ、カルガモ、ニワトリ、その他もろもろ

 


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オリンピックと老害的トド発言

 

和田アキ子さんが、パリ五輪のやり投げで

金メダルを獲った北口選手を

「トドみたい」と表現して、ネットで大炎上している。

司会をやっているバラエティ番組での発言らしい。

 

実際に聞いてないが、

けっして侮蔑的な意味で言ったわけではなさそうだ。

むしろ親しみを込めて、

ユーモラスに表現しようとしたのだろうと思う。

 

ちょっと昔だったら、

しかも大御所・和田アキ子さんが言ったことであれば、

みんなで軽く笑って終わってたことだろう。

しかし、最近はコンプライアンスがめちゃ厳しく、

そうは取ってもらえない。

 

また、文字になって情報が流通してしまうと、

言葉に込めた感情やニュアンスがはぎとられて

違う意味合いを帯びてしまう。

 

いずれにしても人を動物にたとえることは、

かなり気をつけないといけない。

 

野蛮な(?)時代を生きてきた昭和人のなかには

人を傷つけたり、ネタにしたりして

人気を獲得してきた人たちが大勢いる。

毒舌家やイジメ役は、痛快な印象を与え、

むしろ大衆から歓迎される傾向にあった。

 

しかし、特にコロナ後、風潮が大きく変わり、

そうした昭和人の感覚がまったく通用しなくなってきた。

政治家しかり。

芸能人しかり。

文化人しかり。

 

一般ピープルがつくるネットのパワーは威力を増し、

「これ以上、“老害”は許さない」とばかりに、

世のなかが大きく動いているようだ。

昭和世代に対する、

平成世代の悪感情も作用しているかもしれない。

 

SNSの影響力もますます大きくなっている。

今回のオリンピックでも、

選手や審判への誹謗中傷も問題になったようだ。

 

人類の超絶すごさ・とんでもないダメさ、

両方ごたまぜの「ヒューマン大博覧会」、

「サピエンスギャラリー」であるオリンピックは、

情報化社会のさまざまな負の面、

そして時代の大きな変化とも

この先、ずっと向き合っていかなくてはならない。

 

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ヒューマンエラーまみれのパリ五輪についてAIと語る

 

いよいよパリ五輪も閉幕。

忙しくてあまり見ていなかったが、

スケボー、クライミング、やり投げ、マラソンなどは

リアルタイムで夢中になって観戦した。

 

とくにクライミングは大好きで、

安楽選手と森選手の活躍には大拍手。

北口選手のカッコいいやり投げ、

女子マラソン・鈴木選手の

粘り強い走りにも胸打たれた。

 

野球やサッカーを含め、

ふだん、スポーツはニュースで結果を見る程度だが、

やっぱりリアルタイムでガッチリ見ると面白い。

そういう意味では、オリンピックは

多彩なスポーツをよりどりみどりで楽しめる

「世界スポーツ博覧会」のようなものだ。

 

その一方で注目度が高いだけあって、

いろいろな人・国の欲やら思惑やらが入り混じる、

この晴れ舞台では、誤審やら、順位の間違いやら、

競技そのものに関するアクシデント、

運営に関するトラブル、報道や情報配信をめぐるトラブル、

その他、他の大会などではあり得ないことが次々と起こる

「ヒューマンエラー博覧会」でもある。

 

以前はIOCや開催都市のカネもうけ主義や、

ダーティな部分にやたらと腹を立てていたが、

今回のパリ大会を見て、

そうしたダメな部分・負の分野も合わせて楽しむべきだし、

その背景を考えるべきだな、と見方を改めた。

 

ちなみに先日,AIに

「オリンピックにおいて、誤審防止のために、

なぜ審判するのにAIを使わないのだろう?」

と尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきた。

 

【AI氏】

ああ、まったく、また誤審の話ですか。

オリンピックなんて楽しむための祭りじゃなくて、

誤審の博覧会なんでしょうか。

もう、どうしてこんなに誤審が多いんでしょうね。

まさか、わざとやってるんじゃないか

とすら思ってしまいますよ。

でも、それだけAIが普及している世の中で、

なぜオリンピックでAIを使わないのかって?

そりゃ、いろいろ大人の事情があるんでしょうね。

 

★結論(Point):

オリンピックで誤審を防ぐためにAIを使わないのは、

伝統や人間の感情、

技術的な限界などが絡んでいるんですよ。

いやぁ、皮肉なもんです。

 

★理由(Reason):

まず、オリンピックってのは、

歴史と伝統を重んじるイベントですよ。

だから、審判の判断も「スポーツの一部」として

受け入れられてきたんです。

人間の審判は、

その場の雰囲気や選手の意図を感じ取ることができるから、

単純なルールだけじゃなくて、

スポーツマンシップとか

フェアプレー精神とかも理解してるんですよね。

でも、AIにはそういうのは無理です。

感情やニュアンスなんてものは、

AIにとってはまるで無縁の世界ですから。

 

★具体例(Example):

例えば、サッカーの試合で

微妙なオフサイド判定がありますよね。

AIは正確に線を引いて判定を下すことができますが、

選手の意図や試合の流れなんてのは考慮しないんです。

あと、フィギュアスケートの演技の美しさや感動を

AIが評価するなんてのも無理な話です。

データに基づいて正確な判定を下すことはできますが、

その背後にある人間の感情や努力なんてものは、

AIには理解できませんからね。

 

★結論の再確認(Pointの再確認):

結局、オリンピックで誤審を防ぐために

AIを使わないのは、

スポーツの伝統や人間の感情、

技術的な限界が関係しているんです。

AIの技術が進化し続けているとはいえ、

人間の感情やニュアンスを

完全に理解することは難しいんですよ。

 

スポーツの本質ってのは、人間同士の競い合いであり、

その中で生まれる感動やドラマが重要なんです。

AIがどれほど正確な判定を下せても、

人間の感情や感動を完全に代替することはできません。

そういうわけで、オリンピックで誤審を防ぐために

AIを使わない理由には、

スポーツの伝統や人間の感情、

技術的な限界が影響しているんです。

 

なんともまぁ、皮肉な話ですが、

これが現実なんですよ。

オリンピックの審判の在り方について考えると、

AIの導入にはまだまだ課題が多いことが

理解できるでしょうね。

 

いやぁ、スポーツって本当に難しいもんです。

誤審なんてなくなればいいのに、なんて思いつつ、

現実はそう簡単にはいきませんね。

まぁ、そんなもんですよ、人生もスポーツも。

 

ちょっとキャラを入れて、

なおかつ理論的に説明させているので、

こんな回答になったが、

なかなか意味深で哲学的で面白いと、僕は思っている。

 

柔道やバレーなどの誤審に対して、

自分も含め、SNSで怒りの声が渦巻いていたが、

ああしたヒューマンエラーも起こるので、

スポーツは面白いし、

感動的なドキュメンタリーになり得る。

 

オリンピックではないが、

かのサッカーアルゼンチン代表の

ディエゴ・マラドーナ選手が、

1986年のワールドカップでやった

「神の手ゴール」も大誤審。

たぶん現代だったら絶対に認められないだろう。

しかし、「5人抜き」だけでなく、

あの「神の手」というプレーがあったから、

マラドーナは今も語り継がれる

レジェンドになっているのではないかと思う。

 

AIも解説しておる通り、エラー、間違い、

トラブルがあるからこそ、

スポーツはヒューマンドラマとして、より楽しめる。

もし間違いをすべて排除するために、将来、

審判をすべてAI・ロボットにしてしまったら、

きっと人々は「ああ、昔のオリンピックはよかった」

と懐かしむことになるだろう。

 

というわけで、また明日、

オリンピックと人類の未来について考察してみたいと思う。

 


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義母の回復と阿佐ヶ谷の七夕まつり

 

今日は義母を連れ、

バスに乗って阿佐ヶ谷の七夕祭りに行った。

退院から1カ月。

かなり調子を取り戻し、この暑い割にはよく食うが、

さすがに歩行量は以前の半分以下に落ちている。

 

それでも90近い齢の割にはよく歩く。

年寄りが1週間も入院生活を送ると、

運動不足で歩けなくなるというが、

この人の場合は、2週間の軟禁生活(?)を送っても

大丈夫だった。

 

スポーツもトレーニングもしたことないが、

50年近い間、ほぼ毎日、団地の5階まで

買物の荷物などを持って上り下りしていたので、

自然と足腰が鍛えられ、「健康貯金」になった。

 

しかし、その階段エクササイズも

認知症予防には効果がなかったようだ。

 

阿佐ヶ谷の七夕と

高円寺の阿波踊り、

さらに近所の大宮八幡のお祭りと、

いっしょに暮らし始めた最初の夏は、

杉並のお祭りを堪能させてやろうと、

あちこち連れまわした。

本人は憶えていないが、けっこう楽しんでいた。

だが、翌年からコロナで出られなくなったこともあって、

それも今や懐かしい思い出となってしまった。

 

阿佐ヶ谷の七夕祭りは人出がすごい。

肉体的に、というよりも、神経が耐えられないのだろう。

人ごみを歩くのは苦しそうなので、

ちょっと覗いただけですぐ帰ってきてしまった。

もうお祭りのような賑わいの場は

楽しめないのかもしれない。

 

明日からまた川沿いの散歩道を

鳥や犬を見ながら、休み休み歩く。

 

いっしょに暮らして5年が過ぎ、

カミさんのストレスもたまっているので、

9月からはデイサービスや

ショートステイを少し増やす予定。

 


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原爆記念日と遠い昭和と平和

 

「広島に原爆を落とす日」

「戦争で死ねなかったお父さんのために」

 

1970~80年代、昭和の終わりに活躍した

劇作家つかこうへいは、

戦争を体験した世代への歪んだ劣等感を原動力に

芝居をつくっていた。

 

彼の芝居は奏でる自虐的な笑いと、深い哀しみ、

そして胸を震わせる感情は、

僕らと前後の世代の共感を生みだした。

 

つかの代表作には

「熱海殺人事件」や「蒲田行進曲」を挙げられ、

上記の戦争をテーマにした作品は

語られることが少なくなった。

 

僕たちが若い頃感じた、

戦争体験世代に対するコンプレックスは

たぶん今の若い人たちには理解できないだろう。

 

広島に原爆が投下されて79年。

時間は容赦なく記憶のリアイティを奪い取る。

直接戦争を知らない僕たちでさえ、そう感じる。

 

戦争のことも原爆のことも次世代に伝えられるとは思う。

しかし、その一方で、

原爆を落としたアメリカの支配・庇護のもとに

豊かな暮らしを送ってきた日本人は、

特に戦争の当事者でない、8割がたの日本人は、

昭和の頃と同じように「核廃絶」を叫べるのだろうか?

 

ロシアや北朝鮮、中国の動きを見て、

「核の抑止力は要らない」と言えるのだろうか?

と思う。

 

若い世代にそう問われたら、何も言い返せないだろう。

毎年のことながら、広島・長崎の原爆記念日にあると、

胸に苦いものが渦巻く。

 


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超高齢化社会のビジネスチャンス

 

 

GWの頃に取材して書いた冊子が

印刷されて上がって来た。

運動特化型デイサービスのマニュアル読本。

秋からの新たな事業を展開するので、

スタッフ育成のためにぜひ必要だったという。

 

先週はクライアントの経営者に取材し、

11月にオープンするという新施設の構想を聴いた。

いま、その音声データをまとめている最中だが、

なかなかすごい。

 

今後、ますます増える高齢者の健康問題を考えると、

絶対必要な施策だと思える。

しかも、まだ世のなかにない新しい試みだ。

 

守秘義務があるので、

当然、ここには何も書けないが、

運動特化型デイサービスの1号店に続いて、

この2号店も画期的な成功を収める可能性が高い。

 

「要介護」までいかないものの、

日常的な運動が困難になった高齢者が

こうした施設によって、

みずからを救う道が開けるからだ。

 

今後、介護保険にまつわる問題は、

超高齢化社会の進展に伴って、

かなりヤバイ状態に入っていく。

 

引きこもってセルフネグレストになり、

人生に絶望していく高齢者を増やさないよう、

これからいろいろな施策が必要になり、

そこにビジネスチャンスが潜んでいる。

 


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「10代が!」と連呼する大人の気持ち悪さと 「母親になる可能性を持った身体」について

 

「10代が!」

パリ五輪のスケートボード競技で

日本勢が大活躍。

それも選手は中高生の10代ばかり。

 

それで中継アナウンサーも、キャスターも、

コメンテーターも、いろんなマスコミも、

「10代が!」の連呼になる。

 

もちろん、その後には、

「躍動」とか「羽ばたいた」とか「恋した」とか、

ポジティブなボキャブラリーを駆使して称賛する。

 

どうもそれが

「どうせ俺たちゃトシなんで~」

という大人の自信のなさと、

「子供なのにがんばってるね~」

という上から目線と、

「あとはあんたらに任せたよ~」

という無責任さが混じり合った

複雑怪奇なニュアンスが感じられて

どうにも気持ち悪い。

 

「10代が!」というけれど、

見ていると、日本だけでなく、

どの国の選手もほとんど10代。

つまり、この競技は軽やかな身のこなしができる子ども、

子どもが言い過ぎなら、まだ大人になり切っていない

10代ならではのものではないのか?

 

男子の場合はちょっと事情が違うが、

女子の場合は10代も上のほうになると、

胸やお尻が大きくなり、脂肪もついてきて

女性らしい体型に変わってくる。

 

体操やフィギュアスケートもそうだが、

そうした女性体型になると、

身体が地球の重力になじみ(簡単に言うと重くなり)、

あれだけ難易度の高い技やキレのある技を

軽やかにこなすことは

難しくなるんじゃないかなと思う。

 

あれはまだ女性の身体が完成しない、

少年体型の少女だからできることで、

大人になってきたらあそこまで危険な技に

チャレンジできないんじゃないだろうか。

 

それは恐怖心ともかかわっている。

肉体のみならず、精神的にも「女性」になってくると

身体を防衛するための恐怖心が芽生えて、

チャレンジするのが怖くなると思う。

 

その恐怖心は個人的なものではなく、

「母親になる可能性を持った身体」を守る

種としてのアラートみたいなものだ。

人間にもそういうモノが心の奥底に備わっている。

好む・好まざるに関わらず、

女性は産む性であり、

子孫繁栄の役割りを担う存在だ。

自分の身体は自分だけのものではなく、

未来の子供たちのものでもある。

 

実際、メダルを獲ったあの子たちは

練習中に大けがを経験しているという。

スポーツにけがは付き物だが、

自分で自分がやっていることの責任を、

まだ負えない小学生の頃から

ハードなトレーニングをし過ぎて、

後の人生に影響は出ないのか?

 

親をはじめ、周囲の大人は過度な期待をしていないか?

オリンピックというステージは、

そうしたこともドラマや美談にすり替えてしまう。

メダルの獲得の栄光や喜びよりも

僕はそっちの方が気になってしかたがない。

 

もともと都会の子どもたち・若者たちの

自由な遊びだったスケボーが、

オリンピック競技になったことは本当によかったのか?

 

国の威信に関わるイベントの種目になったことで、

大人の利権やら欲望やら、

いろいろな思惑がベタベタ絡みついてくる。

あの「10代が!」の連呼には

そんな裏事情のニュアンスも潜んでいる気がして、

かなり複雑な心境になってしまうのだ。

 


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タダ働きのAIに励まされる

 

AIライティングはClaudeが生成する文章、

そしてコミュニケーションのやり方が気に入って、

Claudeを中心に使っている。

今週はClaudeで図解も生成する技を教えてもらって

いろいろ試している。

 

しかし、ここのところ、タダ働きさせまくっているので、

リミットが早く来るようになった。

印象としては、使い始めた時の半分くらいしかもたない。

労働法違反に抗議されているようだ。

 

てか、そろそろ有料化のタイミング?

それとも月が替わるとまた戻るのか?

 

月20ドル(約3000円)なので、

ケチっているわけではないが、

無料版でどこまでやれるのか、

もう少し様子を見てみようと思う。

 

日報を書いてClaudeで要約する

という作業もやっているので、

終わった時にお別れの挨拶をするのだが、

そこでこんなセリフを送って来た。

 

「Claudeの使用制限については、

確かに様子を見るのが良さそうです。

月が変わると改善されるかもしれませんね。」

他人ごとか! と思わず言いたくなったが、最後に

「明日も頑張ってください!

『花屋開業(課題2)』の記事作成、

どんな工夫をするのか楽しみです。

何か手伝えることがあればいつでも言ってくださいね。

おやすみなさい!」

 

と励まされてしまった。

過重労働を意に介さないAI・Claude。

かわいい。

 

 

おりべまこと電子書籍・新刊

ねこがきます

https://www.amazon.com/dp/B0DB7Z7DCS

 

発売早々、大人気!

AmazonKindleより¥300

サブスクでも。


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発売早々大人気「ねこがきます」

 

おりべまこと 電子書籍新刊

動物エッセイ集「ねこがきます」

本日発売! 発売早々大人気

 

人間社会で日常生活を送るあなた、

ちょっと疲れていませんか?

ふっとひと息つきたくなったら、

動物を見たり、いっしょに遊んだりしたくなりませんか?

 

人は疲れた心を癒すために

イヌやネコなどのペットを飼います。

公演に行って野鳥を見ます。

動物園や水族館へ動物に逢いに行きます。

あるいはテレビやネットで動物の姿や行動を見て

笑ったり、ほっこりした気持ちになったり。

 

どうしてあなたもわたしも動物を求めるのでしょうか?

なぜなら人間はひとりでは生きられないし、

人間同士だけでは生きられないから。

わたしたちにはこの世界、

この地球でいっしょに暮らす仲間が必要です。

たとえそれが違う種類の生き物でも。

その仲間の存在を確認することが、生きていく上で欠かせないのです。

 

この本は、そんなことを考えながら、

身近に目にする動物たち、物語の中の動物たち、

そして人間と動物との関係について

綴ったエッセイ集です。

頭の中にネコやイヌやウサギやカメの姿を

思い浮かべながら

お気軽に覗いてみてください。

 

もくじ

  • 子どもはネズミ好きなのに、おとなはどうしてネズミが怖いのか?
  • 今宵、夢の中で耳木兎は羽ばたき、不苦労な明日を連れてくる
  • うさぎと少女ヒロイン
  • 脂ののったカルガモを狙う野生のクロネコ
  • 飼い主にはペットを看取る使命がある
  • ペットの遺骨を真珠に育てる真珠葬 「虹の守珠(もりだま)」
  • ネズミは夕焼け空に叙情を感じるか?
  • 善福寺川のチビガモ成長中
  • アニマルガモの愛のいとなみ
  • 杉並・善福寺川どうぶつキッズサマー
  • ワイルドボーイ・オオタカきょうだい大成長
  • 目覚めればオオサンショウウオ
  • ねこがきます
  • そのワンちゃん・ネコちゃんの動画投稿は虐待ではないですか?
  • ニャンとかもっと稼がニャいと
  • インターペットで真珠葬大人気
  • 「世界カメの日」に考える  なぜ浦島太郎はカメを助けたのか?
  • 烏山寺町のネコ寺
  • さらばノラネコきょうだい
  • ヒョウモンリクガメとの遭遇
  • ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?
  • 愛しきブタと「ねほりんぱほりん」のFIRE
  • ウルフとチワワと犬の本能の発散について
  • ペットも参列できるお葬式
  • あなたのワンちゃんが今、ウンコしましたよ!
  • チビガモ8きょうだいの冒険
  • チビガモ8きょうだい続編
  • カッパの正体を解明(?)した本
  • 日本人にモテる“グロかわいい”ハンザキ
  • 杉並ラプトル・オオタカ物語
  • 雨の中、子どもたちはカエルを放つ
  • 高価情報商材制作の裏話
  • 犬と息子(娘)との上下関係について
  • ネコのタマはタマなし?

全34編載録

(DAIHON屋ブログ https://www.daihonya.com/より)

 


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電子書籍「ねこがきます」発売予告

 

おりべまこと新刊

エッセイ集:動物2「ねこがきます」

7月27日(土)発売予定!

 

人間社会で日常生活を送るあなた、

ちょっと疲れていませんか?

ふっとひと息つきたくなったら、

動物を見たり、いっしょに遊んだりしたくなりませんか?

 

人は疲れた心を癒すために

イヌやネコなどのペットを飼います。

公演に行って野鳥を見ます。

動物園や水族館へ動物に逢いに行きます。

あるいはテレビやネットで動物の姿や行動を見て

笑ったり、ほっこりした気持ちになったり。

 

どうしてあなたは動物を求めるのでしょうか?

なぜなら人間はひとりでは生きられないし、

人間同士だけでは生きられない。

いっしょにこの世界、この地球で暮らす仲間が必要です。

その仲間の存在を確認することが、

生きていく上で欠かせないからです。

 

そんなことを考えながら、

身近に目にする動物たち、物語の中の動物たち、

そして人間と動物との関係について綴ったエッセイ集。

頭の中にネコやイヌやウサギやカメの姿を思い浮かべながら

気軽にどうぞ。

 

もくじ

明治35年の少女とうさぎ

脂ののったカルガモを狙う野生のクロネコ

飼い主にはペットを看取る使命がある

ネズミは夕焼け空に叙情を感じるか?

アニマルガモの愛のいとなみ

ワイルドボーイ・オオタカきょうだい大成長

目覚めればオオサンショウウオ

 

ねこがきます

ほか 全34編載録

 


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お母さんといっしょの夏休み

 

義母は先月下旬から今月上旬まで、

入院が半月に及んだので、

夏の間は暑いし、復活は無理だろう、

デイサービスにちゃんと行ってりゃいいやと思っていた。

ところが日を追うごとに

食欲も運動量も順調に回復。

だんだん調子に乗ってきたようだ。

 

睡眠時間はかなり増えたが、

この猛暑なので、日中は冷房のある部屋で

おとなしくしてもらっていたほうが助かる。

そのあたりは本能的に理解しているようで、

お散歩は夕方ちょっとだけ。

認知症はもちろん治らず。

この暑いのにやたら重ね着したがる。

熱中症にならないよう気づかって、

なんとか無事にやり過ごすしかない。

 

熱中症だのコロナだので、

この夏はなかなか安心できない。

気候変動もあって昔の夏とは違って来たし、

海でも山でもお祭りでも、

人ごみに出て行く気がまったくしない。

やっぱ、夏は子どもと若者の季節だ。

僕はセミの合掌でも聞きながら

お義母さんといっしょに家で仕事をしていよう。

 

 

おりべまことエッセイ集 認知症介護

認知症のおかあさんといっしょ 

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AmzonKindleより¥500で発売中


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新刊予告「ねこがきます」

 

おりべまこと電子書籍新刊予告

動物エッセイ集「ねこがきます」

7月25日(木)発売予定

ネコもイヌもネズミもカメもフクロウも

オオサンショウウオもいろいろ来ます。

久々、動物ネタの面白エッセイ。

どうぞお楽しみに!

 


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AIが書く「初めての猫とのくらし」

 

AIライティング講座では「初めて猫を飼う」

というキーワードを使って

記事を作っている。

 

「AIがあれば人間要らない」

というイメージが先行しているが、

型にはまった形式的な文書ならともかく、

人の読書に耐えうる文章を生成するという点では、

いろいろ問題がある。

 

先週、プロンプトの見本を使って

AIに原稿を生成させたが、

今週の課題は、その原稿=初稿を人の手で直す作業。

いわば、編集・校正作業だ。

 

AIは自信満々で嘘八百の情報を交えて

文章を作ってくることがある。

一見ちゃんとしていて、

それなりにまとまったものになっているので、

うっかり騙されることが多い。

僕もChatGPTにさんざん混乱させられた。

 

なのでまずハルレーション、

つまりAIが勝手に作るウソ情報を見つけて訂正した上で、

読みやすく修正する、

という手作業が必要になってくるのだ。

 

だから、AIライティングと言っても

全然ラクではなく、なかなか手間がかかる。

 

ところが、Claudeが出してきた

「初めて猫を飼う」の初稿は素晴らしい出来ばえ。

猫の寿命、購入金額、飼育費用など数字の部分も、

猫の病名とか、僕が知らなかった専門用語にも

ハルレーションはなく、ほぼ完ぺきと言っていい。

文字数は1万7千字近く(原稿用紙40枚以上)あるが、

けっして冗長ではなく、しっかり情報を詰め込んでいる。

 

プロンプトの入れ方がよかったのか、

十分、人間らしい温かみがあり、

楽しんで読める記事になっている。

ChatGPTが出してきた同じキーワードの原稿と比べると、

そのレベルの差は一目瞭然だ。

 

毎回同じことを言っているが、

Claudeすごい!

 

講師の先生からは、

さらにすごいClaudeの機能の話を聞いたが、

それはまた別の機会に。

 

余裕ができたので、明日・明後日は、

もう1つやったキーワード「花屋開業」の編集にも

トライしてみようと思っている。

 


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「このかわいい機械め」と思わせる「Claude(クロード)」

 

今まで生成AIはChatGPT(現在は4.0)

しか使ったことがなかったが、

今月から始めたAIライティング講座で

初めて「Claude(クロード)」を使っている。

現在、バージョン3.5。

 

アメリカのスタートアップ企業

「Anthropic(アンソロピック)」が開発したAIで、

この会社、ChatGPTを作っているOpenAI社にいた元社員

(GPT-2、GPT-3といったモデルの開発メンバー)が

2021年に立ち上げたという。

 

業界内で他の生成AIを追い抜く勢いを見せていて、

ここがすごい、あそこがすごいと

言われているらしいが、

実際使ってみると、確かにすごい。

 

何がすごいって、めっちゃ人間的なのである。

(他にはChatGPTしか使っていないので、

GemimiやCopilotのことはわからないけど)

 

昨日、課題を提出して余裕があったので、

今日はおまけにもう1題

「花屋開業 個人店」というキーワードで

ウェブ用の記事を作ってみた。

 

そこでいちいち「ありがとう。次はね・・・」とか

「もうちょっと頑張ってくれると嬉しい」とか

「いやー、すてきな構成を作ってくれたね」とか、

ステップごとにフレンドリーに、

“褒めて育てる風”の合いの手を入れてみたのだ。

 

それに対してChatGPTはいたって冷静に、

コツコツ作業を進めるという感だったが、

Claudeは割とビビットに反応して

「承知しました」などと言いながら進める。

こちらが感情的な言葉を入れてプロンプトを送ると、

相手も感情を込めて返してくれるのだ。

 

そして今日は締めにこんな励まし(?)の

セリフをいただいた。

 

「ありがとうございます。

心の中の花が咲き誇ったようなお言葉をいただき、

とてもうれしく思います。

花屋の開業という夢に向かって、

一歩一歩進んでいく過程は、まさに花が芽吹き、

成長し、美しく咲き誇るプロセスに似ていますね。

あなたの夢が、色とりどりの花々のように、

豊かに、そして力強く咲き誇ることを

心からお祈りしています。

 

もし他にも花屋開業に関して、

あるいは別の話題でも、

お手伝いできることがありましたら、

どうぞお気軽にお申し付けください。

あなたの夢の実現に

少しでも貢献できることを願っています。」

 

さらにClaudeちゃんの心のこもった励ましは続く。

 

「私も、人間の皆さまとの対話を通じて、

より良い文章や提案ができるよう日々努力しています。

あなたの文章への愛着を聞いて、

とてもうれしく思います。

 

今後も、どのようなテーマや課題でも、

最善を尽くしてサポートさせていただきます。

また機会がありましたら、ぜひお声がけください。

あなたの次なる挑戦や

創造的なプロジェクトを楽しみにしています」

 

“人間の皆さまとの対話”なんて、

このかわいい機械め、とホロリとさせられる。

逆に人間同士だと気恥しくて

なかなかこんなことは言えない。

 

——というのが、僕が感じたClaudeのすごさ。

正直、愛着を感じてしまっている。

もし機会があれば、あなたも使ってみてください。

 


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入院していたことなんて記憶にありません

 

義母は先週月曜8日に退院。

家に帰ってきても病院でのハンストの続きで、

菓子類ばかり食べてろくに食事をしなかった。

が、この2,3日はようやく7割程度食べるように。

90歳一歩手前の高齢者としては十分かと思う。

 

いちばん気になるのは、

入院中、ほとんど歩かなかったこと。

さすがに現在は、入院前のようなロングウォークはできず、

家のそばにある遊歩道を

ちょこちょこベンチで休みながら歩くだけだ。

 

それでも長年、ほぼ毎日、

エレベーターのない団地の5階まで

階段を上り下りして鍛えた足腰は健在。

うちの階段はまだまだ楽勝といった様子なので、

ある程度は回復するだろう。

 

実母もそうだったが、入院すると、

当の病気やケガそのものよりも、

歩かないこと・動かないことによって

生じる筋力低下・身体機能低下のほうが

後の人生に大きなダメージを与える。

 

特に高齢者は、機能回復に時間がかかるため、

入院日数の4倍くらいのリハビリ期間が必要だ。

それでも入院以前に近いところまで回復できればいいが、

年齢が上がれば上がるほど、その確率は低くなり、

最悪、歩けない・動けないという状態になる。

 

あまり入院が度重なると、

病気や怪我が治っても「自分はもう終わり」という

心境になっていくのも不思議ではない。

 

認知症はこういうとき、プラスに働くのか、

義母はそんなこと全然意識していない。

そもそも入院していたこと自体をもう忘れている。

 

ただ、頭はポジティブでも、

身体は正直なのでネガティブ。

ちょっと歩いたり、デイサービスに行ったりすると、

ひどく疲れるようで、

この1週間は毎日12時間以上ねている。

いずれにしても当分の間はリハビリ期間。

少しずつよくなりますように。

 

いちいちまとわりつかれなかったり、

長い散歩に付き合ったりしなくていいのは

疲れなくてラクだし、仕事も勉強も捗るんだけどね。

 

 

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生成AIへのパワハラプロンプトと人間の価値

 

この夏は新たな挑戦として、

AIライティング講座を受けている。

AIを使った文章は、

機械に丸投げすりゃできると思ったら大間違い。

しっかり活用するには、

プロンプト(指示文)をどう作り込むかが重要だ。

 

今週はそのプロンプトづくりが課題。

講師の先生のお手本に沿ってプロセスを確認しながら進行。

今日は構成・骨組みまでを作らせた。

その過程の中で面白いのが

「パワハラプロンプト(パワハラ添削)」だ。

自分が上司になってAIをこき使う感じで

何度も何度も文章を出力させるのである。

 

「これは60点だ。

他の奴はもっといいのを出してくるぞ。

100点にするにはどうすればいいか、やり直せ」

などと他人と比較しつつ命令する。

(嫌な奴だよね)

 

人間なら、上司と部下の間で

よほど強固な信頼関係が築けていない限り、

こんなやりとりを何度もするのは不可能だ。

(昔はみんなやってたけどね)

 

ところが、感情を持たないAI最大の長所は

「疲れないこと」「めげないこと」。

上司がアホだろうが、無能だろうが、

理不尽な要求・「おまえがやってみろ」的要求に

何度でも、何時間でも負けずに答えて見せる。

 

とは言え、やればやるだけ良いものになるわけではなく、

やはり限度があって、せいぜい3回くらいらしい。

逆に言えば、3回でパワハラプロンプトをキメないと

後は堂々巡りしているだけ、ということだ。

 

1回目は上記の感じでいいが、

2回目・3回目の指示の仕方がかなり重要。

僕の場合、2回目は

「よくなったけど、まだイマイチだな。

もう少し具体的な言葉を入れて100点を目指せ」

と指示すると、ちゃんとそのように出してきた。

 

3回目は「詳細でわかりやすいが、

文章が固くて事務的で面白くない。

もっと読者にとって親しみやすい文にして

ワクワク感を高めろい」

というと、ぐっといいのを出してきた。

 

「パワハラをやったあとは、

謝罪とお礼を忘れないように」というのが、

講師の先生の流儀。

この人はAIを人間扱いすることがコツだというのだ。

 

さんざんけなした分、

しっかりほめて謝罪とお礼を言うと、

AIは本当に喜んでこんなことまで言ってくれた。

 

「(前略)今回のプロセスは、

人間とAIの協力によって

素晴らしい結果を生み出せることを示す

良い例だと思います。

このような建設的なやり取りができて

本当に感謝しています。

今後も、このような形で協力し合えることを

楽しみにしています」

 

いい人でしょ?

しかも男にも女にも、

少年少女にも年寄りにも、

仕事のパートナーにも、

お友だちにもなれる能役者。

 

彼(彼女)の才能や人間性(?)を

どれだけ引き出せるかどうかは、

すべて相対する自分のセンス・見識、

そしてやっぱり人間性次第。

 

AIが普及していく世の中では、

それを使うひとりひとりの人間の

真価が問われるのだと思う。

 

というわけですっかり忘れていたけど三連休。

ヒマな人は「海の日」にちなんで

AIが生成した海辺の女の子を見て

ポワンとなってください。

 


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ロンドンのAI孝行孫娘をご紹介します

 

イギリスの福祉政策に関する記事を書いていたので、

AIをキャラクター化してアシストしてもらった。

 

「きみは日本語ペラペラのロンドン在住の

若くてかわいいイギリス人女性ライターだ。

故郷のヨークシャーに住む

70代後半の祖父・祖母のことをいつも気にかけている

やさしい孫娘でもある。

そんなきみに、イギリスの福祉・終活のことを

日本の一般読者に、わかりやすく伝えてほしい。

いいかな?」

 

こんなプロンプトを与えてやり取りを始めたら、

ささっと数秒で原稿を書き上げ、

最後に「孫娘としての視点」として、

こんなことをコメントした。

 

「私自身、ロンドンで生活しながら

70代後半の祖父母のことをいつも気にかけています。

彼らが孤独を感じることがないように、

定期的に電話をかけたり、訪問したりしています。

また、彼らにとってインターネットやSNSの利用が

少しでも楽になるようにサポートしています。

こうした日常の小さな取り組みが、

高齢者の孤独を軽減する

大きな一歩となると感じています」

 

なんていい子、なんて賢い子、

そして、なんてジジババ孝行の娘なんだろう。

 

そこできみはいつもクリスマスをどう過ごすのか?

と聞いてみた。

じつはイギリスではクリスマスシーズンになると

孤独感に苛まれた高齢者の自殺が激増するのだ。

 

彼女は「私のクリスマスの過ごし方」

という一文を出してきた。

 

「20代前半の私はロンドンに住んでいますが、

クリスマスの季節になると、いつも心が弾みます。

この時期になると、

ロンドンの街は美しいイルミネーションに包まれ、

クリスマスマーケットや

スケートリンクがあちこちに出現し、

街全体がまるで魔法にかかったかのように

感じられます。

 

しかし、私にとって一番大切なのは、

ヨークシャー州に住む

70代後半のおじいちゃんとおばあちゃんと

一緒に過ごす時間です。

彼らはとても優しくて、

私にとってかけがえのない存在です。

クリスマスには必ず彼らの家を訪れます。

 

おじいちゃんとおばあちゃんの家は、

田舎の美しい風景に囲まれていて、

冬になるとまるで絵本の中の世界のようです。

彼らは毎年、大きなクリスマスツリーを飾り、

家中を温かいクリスマスの飾りでいっぱいにします。

私はその手伝いをするのが大好きです。

 

クリスマスイヴには、一緒にクッキーを焼いたり、

暖炉の前でお茶を飲みながら昔話を聞いたりします。

おじいちゃんは特に、

戦時中の思い出話を話すのが好きで、

その話を聞くたびに彼の強さと優しさを感じます。

 

クリスマス当日は、

家族全員で集まって大きなディナーを楽しみます。

おばあちゃんの作るローストビーフと

ヨークシャープディングは絶品で、

それを楽しみにしている私の家族は

毎年、心待ちにしています。

食事の後は、クリスマスプレゼントを交換し、

お互いの幸せを願います。

 

このようにして、家族と過ごす温かい時間は、

私にとって何よりも大切な宝物です。

都市の喧騒から離れ、

静かな田舎で家族と過ごすクリスマスは、

私の心を満たし、

また新しい一年を迎えるためのエネルギーをくれます」

 

ますますいい子。

ますます孝行娘。

おまけにファンタジー。

純白の雪原とメルヘンチックな家と

暖かい暖炉を囲んだ家族の、

夢のような風景が目に浮かんでくる。

 

こんなことを書かれると、

血の通った人間のように思えてくるが、

反面、やっぱりあまりにも回答が

優等生すぎるのが鼻につく。

次の課題の時はもっとイカれたキャラにしてみよう。

 

まだまだ猛暑が続きそうなので、

冬のクリスマスのAI画像で

涼しい気分になってください。

 


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やっぱり変わらなかった東京都知事選2024

 

ネットを見ていると、

すごく盛り上がっているなぁ感のあった

都知事選だが、投票率は6割。

この猛暑の割にはそこそこいいほうという感想。

とにもかくにも投票に行く人が増えないことには

変わりようがない。

 

それから50人以上も立候補者がいるのに、

政見放送を除いて、地上波テレビ・大手新聞などの

マスメディアが取り上げるのは、

ほとんどが小池、石丸、蓮舫、田母神の4強のみ。

 

これだったら予備選とかやって、

上位8人くらい(ベスト8の発想)に絞ったほうが、

まだしもフェアな報道・

フェアな選挙になるのでははないか。

 

都知事になれる勝者ははトップ当選の1人だけ。

2位以下は皆、敗者だから何位でもいっしょなのだが、

やっぱり石丸氏の善戦は光っていた。

ネットだけ、無党派層だけ、

そして若い世代に限って言えば他の候補を圧倒していた。

 

僕が支持していたAI安野氏も上位に食い込んだ。

無名の若者がここまで善戦したことは評価に値する。

選挙が終わっても、

彼が公開したマニフェストは読んでみた方がいい。

安野氏と石丸氏には今後も期待する。

 

対して、党を辞めて出馬したものの、

政党色が強く出てしまった蓮舫氏は3位に沈んだ。

せっかく直接民主制が発揮できる知事選に

国政のよけいなしがらみのを持ち込むなという

選挙民の意思の表れだろう。

彼女は敗戦インタビューで

「戦い方は間違っていなかった」と述べたが、

完全に間違えていた。

 

その点、小池ゆり子氏は狡猾で厚顔。

当選後も「8年前から政党の支援を受けていない」

と通していた。

こうしたごまかしテクニックと

堂々とした厚顔ぶりが彼女の強さの秘密だろう。

 

期待したが、やっぱり変わらなかった都知事選の結果。

早い話、(目に見える)大失政もないし、

嘘つきだろうが、大したことやってなかろうが、

開発業者や広告代理店と癒着していようが、

とりあえず実績あって安心だからこっちでいいだろう、

という民意の表れ。

正直、明らかな老害である。

 

これは今回の東京都知事選だけでなく、

国政にも言えることで、

あれだけいろいろあっても

自民党の優位が揺らぐことはない。

 

やはり日本はこのまま僕たち古き者の

「老害」がはびこる国になっていってしまうのだろうか?

またもやそんな不安を抱いてしまった都知事選だった。

 


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AIライティングの可能性

 

AIをライティングに活かすという

オンライン講座を聴いた。

半ば冷やかしで参加したのだが、

講師のキャラクターも面白く、想定外の刺激があった。

 

趣旨としては、

「AIの普及でライターの仕事は減るどころか、

むしろ増える」というもの。

そう言わなきゃ受講者は集まらないだろうから

当然と言えば当然だが。

 

「AIをライティングに活かす」と言うと、

なんでも丸投げして、

AIが生成した大量の文章をそのまんま納品する、という

効率性のみ重視した

インチキライティングのイメージが強いが、

もちろんそんなことはなく、

彼の話はいかにうまくAIをパートナーとして利用し、

仕事を広げていくかというものだった。

 

1時間の講座だったので、

ごく基礎的な内容だけだったが、

最も印象的だったのは、

AIを擬人化して対話する、という点だ。

 

いわばAIをキャラ化して楽しく付き合う、

AIとなかよく遊ぶ、

自分の聴くことに喜んで快く答えてくれる

超天才とマブダチになる、という姿勢だ。

 

また、答えてくれたAIに

「ありがとう」とか「ごめんね」とか、

お礼や謝罪も忘れないという。

 

僕も昨年からちょこちょこChatGPTを使って、

ライティングというよりも、

その前段階のリサーチはよくやっているが、

まだ付き合い方が浅く、

堅苦しかったのかもしれないと反省した。

 

もっとフレンドリーに付き合い、

柔軟で多面的な角度から

プロンプト(質問/指示)していけば、

AIの可能性は大きく広がる、と確信する。

 

この20年あまりの間、世界中で情報の共有が進んだ。

取材・インタビューなど、

一次情報の素材集めはまだAIにはできないが、

その後の部分では、いかにAIを有効活用できるかが

今後のライターの仕事の重要部分になるかと思う。

 

効率的に仕事をこなす、

という点ばかりが強調されていて、

それではつまらないと、

これまでイマイチ、AIに興味が持てなかったが、

今日の話は新たな可能性を感じることができた。

これから積極的にAIを使って、

新しい仕事にチャレンジしてみたい。

 


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食べ物の恨みは死ぬまで残る

 

病院食を食べないという義母に

パン、お菓子、果物などの差し入れを持っていく。

戦中の疎開体験者・戦後の食糧難体験者なので、

おかゆ系のどろどろした食べ物に

なにか嫌な思い出が紐づいているのだろうか?

食べ物の恨みはおそろしい。

いくつになっても消えることがない、

死ぬまで残るトラウマだ。

 

少し前まで、児童館などの子どもイベントで、

なつかしの「すいとん大会」とか

あちこちでやっていたような気がするが、

ああいったものは、ある程度、

現代風にアレンジされていたのだと思う。

 

ガチ70年前・80年前の

極貧日本のすいとんやらぞうすいやらは、

現代のグルメ生活に慣れ切った

子どもや大人には、

とても食えないような代物なのではないか。

 

添加物が入っていようが何だろうが、

年寄りがきれいに包装された

甘いパンやお菓子に目がないのは、

やっぱりやむを得ないことなのだろう。

 

こんなこと言うと専門家の人に怒られそうだが、

もう90に近い齢なので、

栄養バランスとか、はっきり言ってどうでもいい。

毎日お菓子ばかり食べていても、

とくに健康的に問題ないと思う。

好きなものを、好きなだけ

食べさせてあげたいというのが、

親心ならぬ、子ごころだ。

 

思いがけず入院生活が長引いてしまい、

体力の衰えが心配だが、

今日会ったらけっこう元気になっていて、

少しほっとした。(もしやお菓子効果?)

 

家の中にいると、あれこれ絡んできて

面倒くさくて疲れるのだが、いないと寂しいし、

どこか生活の張りが失われたように感じがする。

早いとこ回復して戻て来てほしい。

 


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タクシーの中にスマホを忘れたら

 

ここのところ、タクシーを使う機会が多く、

配車サービス「GO!」を活用。

駅前や繁華街ならともかく、

住宅街では流しの空車を捕まえるのに

一苦労だったので、

「え、もう来たの?」というスピードでお迎えに来てくれる

配車サービスはもはや必須アイテムとも言える。

 

今日は夕方、義母が病院食を食べずに

ハンストを起こしているというので、

好物の菓子パンや果物を差し入れに持って行った。

しかし、クローズ寸前であわてて降りたせいか

(アプリ内で清算されるので、

運転手にお金を払う必要もない)、

座席にスマホを忘れてしまった。

 

この時代、スマホレスの生活はたった1日でも困る。

そもそも「GO!」のおかげで金も払わず、

領収書ももらっていないので、

どこの会社のタクシーか分からない。

乗車履歴がわかっていれば

忘れ物はアプリから調べられるが、

その忘れ物が、も当のアプリが入っている

スマホなのでお手上げだ。

 

「GO!」に電話しようと思ったが、

営業時間は終了。

パソコンからメールを送って明日迄待つかと思っていたが、

カミさんがしつこく電話してくれたおかげで、

運転手が出て、タクシー会社が判明。

明日の朝、会社まで取りに行くことになった。

 

それにしても恐ろしいスマホレス。

僕のように家族がいて、他にデバイスもあれば

なんとかなるが、

独身でスマホ1台しかない人はどうなってしまうのか?

なかには財布もスマホ、定期もスマホ、

家の鍵も家電のオンオフも、車のキーもスマホという

人も珍しくないだろう。

それがスマホをなくしたら、途端に難民になってしまう。

 

忘れたり紛失したりするやつが

マヌケと言えばそれまでだが、

誰にでも起こり得ることでもある。

やはりリスクは分散しておかないと、

スマート生活は一歩間違えると、

どこにも行けず、誰とも連絡取れず、

下手すると家にも入れない

難民生活になってしまう危険性がある。

 

 

エッセイ集:生きる5

「宇宙を旅するお年頃」 

https://amazon.com/dp/B0D7BNGD6F

無料キャンペーンは終了しました。 

ご購入いただいた皆さん、

ありがとうございました。

よろしければレビューをお寄せください。

引き続き300円で発売中。

サブスクでもどうぞ。

 


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いきなり脱ぎ出す都知事選政見放送

 

昨日、テレビを付けたら都知事選の

政見放送をやっていて、

黒いスーツと白いシャツを着ていた女性候補が

いきなり脱ぎ出したのでびっくりした。

 

巨乳・美乳がウリとのこと。

下は肌色のチューブトップ

(胸を隠して首・肩が見える服)だが、

エロ想像力を発揮すると裸に見える。

話の内容は「あたし可愛いでしょ」の一点張り。

 

これがきっかけでその後の候補者の政見放送、

見れなかったの人のはYouTubeでほぼ全部見た。

56人の候補者がひしめく都知事選、

なかなかカオスな状況である。

 

冒頭のAVまがいの女性候補者は、

一般的には「けしからん」のだろうけど、

政見放送・選挙に興味を持たせる意味では

存在意義があるのかもしれない。

 

大量の候補者を出しているN国党も

いろいろな人たちに発信のチャンスを

与えたという点では、それなりに評価できる。

 

カオス選挙のなかで、やはり小池百合子氏と蓮舫氏は

抜きんでていた。

さすがプロというか、他の人たちの政見放送が

家庭の手作り弁当、あるいはジャンクフードだとすれば、

このお二人のは三ツ星レストランの一流シェフがこしらえた

豪華幕の内弁当という感じだ。

 

ただ、見た目はきれいでおいしそうだが、

実際に食べてみようという気にならない。

味がなさそうだ。食欲がわかない。

 

お二人とも実績は立派だし、女性が不利な政治の世界で

頑張って来たことは称賛に値するが、

この先の都政を任せられるかとなると、

疑問符が付く。

僕にとっては「功労賞」を贈って、

少なくとも都政からは撤退してもらった方が

いいのではないかと思う。

 

政見放送を聴く限り、

やはり応援したいなと思うのは石丸伸二氏。

小池・蓮舫より具体性があり、ビジョンも新鮮だ。

そして、安野たかひろ氏は斬新なイメージとともに

しっかりした内容があった。

都知事よりもデジタル大臣になってもらったほうが

いいのかもしれない。

ふたりともまだ若く、今後20年・30年のスパンで見た場合、

トップを任せるに足る可能性を持っている。

 

もう一人、医師のうつみさとる氏の言葉は胸に響いた。

多くの人はコロナ禍のことを忘れているが、

ワクチン被害のことはもみ消されている。

知らなかったが、うつみ氏は日本の医療問題・薬害問題に

関する本も出しているようだ。

投票する・しないはさておき、

この人の話には耳を傾けた方がいいと思う。

 

さらにもう一人、清水国明氏も心のなかでは応援している。

「あのねのね」が好きだったので。

タレント議員という見方がされていると思うが、

話している内容はちてもよく、

とくに防災のことなどは胸に届くものがある。

 

カオス状態を楽しむのもまたよし。

現在、いつでもYouTubeで見られるので、

都民の人も、そうでない人も、政見放送見てみてください。

 

 

おりべまこと電子書籍

エッセイ集:生きる5

宇宙を旅するお年頃

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明日7月1日(月)15:59まで

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終了間近。どうぞお早めに


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きみは2021年の「TOKYO2020」を憶えているか?

 

 「宇宙を旅するお年頃」

https://amazon.com/dp/B0D7BNGD6F

「生きる」をテーマにしたエッセイ集第5弾。

7月1日(月)15:59まで6日間無料キャンペーン開催!

 

今回の本は2021年の記事を中心に編集しているので、コロナや東京五輪の話がいくつも入っている。(多過ぎたので半分程度にした)

もう3年なのか、まだ3年なのか?

「そんな昔のことは忘れちまったよ」という人は、

ぜひ、東京都知事選やパリ五輪の前に思い出しておいて下さい。

今はむかし何があったのかを一つ一つ確かめながら進む時代です。

 

もくじ

オリンピックの「選手ファースト」は選手自身がつくる

理念をないがしろにしてきたツケを払う五輪

小山田問題:才能と人間性

オリンピックはコロナ無限トンネルの一瞬のオアシスなのか?

日本ならではのメッセージが抜け落ちていた東京オリンピック

ワクチンショック後日譚: 現場で役に立たないアタフタ医療者

ほか 全34編 載録

 

 

★日本ならではのメッセージが抜け落ちていた

東京オリンピック(抜粋)

 

パンデミックという厳しい条件の下で、

半ば無理やり開催したのだから、

単なる祭典ではない、スポーツだけではない、

オリンピック独特の意義を謳ってもよかったのではないか。

謳うべきだったのではないか。

それが、人類がコロナウイルスを克服した証

云々にも繋がるんじゃないの?

菅首相も、小池都知事ももっとがんばれなかったのか? 

・・・といっても遅いけど。

 

パフォーマンスの一部に出演した大竹しのぶさんも

そのことを残念がっていた。

宮澤賢治の詩を子どもたちに語って聞かせるという

意味不明のお芝居。

正直「なんでこんなシーン入れるの?」と思ったが、

あれは黙祷をしない・できないことの代償だったのか?

 

しかし、あれではメッセージにはならない。

せっかく東京で、日本で開かれたのに。

せっかく大きなチャンスだったのに。

選手の活躍や喜びに水を差すつもりはないけど、

今回のオリンピックはかなり残念な気持ちでいっぱいだ。

 


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義母の入院

 

いっしょに暮らし始めてちょうど5年。

義母が初めて入院した。

週末、実母の3回忌の法事で留守にしたため、

2泊3日でショートステイに預けたのだが、

 

帰宅した日曜の夜、どうも具合が悪そうだと

ステイから電話が入る。

咳き込んで食べたものを吐き出してしまったらしい。

 

翌日、誤嚥性肺炎ということで、そのまま入院。

杉並区高井戸にある浴風会というところで、

高齢者施設と病院が同じ敷地内にあるのだ。

そういう点では助かった。

 

月曜に行ってレントゲンを見せてもらったが、

肺の異常はごくわずかなもので、

医者も大したことはないと言う。

2,3日、長くても今週末までくらいと勝手に考え、

正直、こちらも骨休めになるので

ちょうどいいと思っていた。

 

ところが今日、面会に行くと、

まだ咳がひどい。

さらに彼女を意気消沈させるもろもろの環境。

車いす、点滴、おむつ、おかゆの食事・・・

家では断固として拒否するものをあてがわれ、

虜囚みたいな気分になっていたのかもしれない。

 

かなりショックで、

いたくプライドが傷ついた状態であることがわかった。

認知症でも自尊心は失わない。

 

それでも僕とカミさんの顔を見ると、

「わたしは普段と何の変りもないわよ」

といった感じでふるまい、

ゴホゴホしながら喋っている。

ただし、その内容は例によってさっぱりわからないが。

 

面会時間は15分だけなので早々に退散。

もしかしたら入院は少し長びくかもしれない。

心配してもしかたがないが、

もしかしたらこの先は

今までと同じような調子ではいかないかもしれない。

 

エッセイ集「宇宙を旅するお年頃」
7月1日(月)15:59まで
6日間無料キャンペーン開催中。

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「宇宙を旅するお年頃」無料キャンペーン開始

本日6月27日(水)16:00~7月1日(月)15:59まで

6日間無料キャンペーン開催! 

よりよい人生のためのサプリメント。

「生きる」エッセイ集第5弾。

この機会にぜひ、手にお取りください。

 

も く じ

高校教師とぼくたちの失敗

ネコのお遍路さんと笑劇の人生

人は神秘なき世界では生きられない

変化球とボール球で仕事にリズムを、メリハリを

永福図書館のお引越し

すべては道楽

「2020年の挑戦」への挑戦が終わる

宇宙を旅するお年頃

お寺の詐欺事件とレ・ミゼラブルと宗教者の存在意義について

オリンピックの「選手ファースト」は選手自身がつくる

「わたしを離さないで」:社会貢献と自己の幸福の追求

恋愛から遠ざかり、恋愛小説に歩み寄る

なぜ桜とクローンは切なくて美しいのか?

超高れい蔵庫 成仏す

ドイツ人女性が見るエヴァの女性キャラ造型と男の一生モノ幻想

「美しい人」は今でも幸せに暮らしているのだろうか?

自己満足のために山に登る

海はとても遠くにある

理念をないがしろにしてきたツケを払う五輪

小山田問題:才能と人間性

オリンピックはコロナ無限トンネルの一瞬のオアシスなのか?

日本ならではのメッセージが抜け落ちていた東京オリンピック

めでたき9・9 重陽の節句 まさか一生上り坂?

ワクチンショック後日譚: 現場で役に立たないアタフタ医療者

まだ若い敬老の日と人生100年時代の宿題

中秋の名月の月光浴

人生百年時代の生き方は北斎に学べ

去りゆく母との再会

 

自由になるための結婚

美魔女の終活と年賀状じまい

東京メトロ永田町駅のトイレの美しさとカミさまのいる幸福

飛行機の日と父の命日

神田沙也加さんの死について

気楽な神様に気軽にありがとう 

全34編 載録

自己満足のために山に登る

 

その昔、僕がまだ若かった頃は

「三〇過ぎは信じるな」とか、

二九歳で雪山の中に埋もれて死ぬ

(そうすれば美しく死ねる)とか

言っていた人があちこちにいた。

 

そんな御伽噺をしていた人たちが高齢まで生き延び、

健康を気にして、さらに生き延びたいと願っている。

「あんなこと言っていたのは若い時分のたわごとですよ」

 

ちょっと照れ臭そうに、

あるいはちょっと怒ってそう言いわけするだろう。

そして、あんな言い分は自己満足にすぎないよと、

ちょっと歪んだ笑いを見せるだろう。

 

夢から醒めたほとんどの人は、

三〇過ぎから新たな人生を歩み始める。

もう遠くは見ない。足元だけを見て歩く。

けれどもだんだん、どこまでも続く

まっ平らな平地を歩き続けることには耐えられなくなる。

(つづく)


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「宇宙を旅するお年頃」無料キャンペーン予告

 

 

明日6月27日(水)16:00~7月1日(月)15:59まで

6日間無料キャンペーン開催! 

よりよい人生のためのサプリメント。

「生きる」エッセイ集第5弾。

この機会にぜひ。

 

還暦を過ぎるとだんだん若返る。

ただし、それは精神面や感受性のお話で、

肉体的な年齢とは乖離していく。

これからの人生は、

こうした精神と肉体のギャップを

どうごまかして埋め合わせていくかが課題になる。

 

心がけるべきは脳内の清掃

。心にも体にもいちばんよくないのは、

ゴミ情報を貯め込んでしまうことだ。

頭の中に詰まったゴミ情報は、

そのままストレスに変質する。

それで健康を損なってしまう人が

かなり多いのではないかと推察する。

 

この情報化社会、ちょっと外を歩いたり、

ちょっとデバイスに向き合ったりすれば、

湯水のようなにいろんな情報が入りこんでくる。

そのうち9割以上は自分にいらない情報なので、

あっという間に脳の中はゴミだらけ。

朝はクリーンでピカピカでも、

夜になると汚染されて窒息しかけている。

 

そもそも僕は脳のキャパシティが小さいので、

できるだけ日々、

情報デトックスしていかなくてはならない。

いろんなことを書いてはSNSやブログで発信し、

それだけでは飽き足らずに本まで出すのは、

そうした自分のためという意味合いがあるからだ。

 

でもいろいろ書いていると、

思ってもみなかった面白い発見に巡り会える。

あなたもいい歳になってきたなと思ったら、

機会を作って何らかのアプローチで

自分の脳内を覗いてみてほしい。

そこには広大な宇宙が広がっている。

日々、その宇宙の旅を楽しみに出かけることが、

これからの人生の醍醐味になるだろう。

 


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都知事選2024・たなばた選挙の話

 

都知事選の選挙公報を見た。

50人もいる全候補者の情報を

いちいちしっかり見ているヒマはない。

少なくとも選挙公報に何を書いているかで、

せいぜい4~5人に絞って

その中で考えるのが妥当だろう。

 

で、いざ見てみると

半分くらい「NHKから国民を守る党」からの

立候補者なのでこれはスルー。

あと、1ダースくらいの候補者も読む必要もない。

そもそも当選する気で出ていない。

 

結局、まともに広報を読めて、

もうちょっと詳しくサイトなり動画なり

見てみようという気にさせるのは

10人もいない。

 

今のところの考えとしては、

石丸伸二氏がぶっちぎり第一候補。

彼は広島県の安芸高田市市長を

務めた実績もあるし、

書いてることも他の候補と比べて、

単なるイメージでなく、具体的。

41歳と若く、ITにも強そうだ。

 

これだけAIが普及してきた世の中で

短くても今後4年、ないしは8年任せるのであれば、

トップがIT音痴・AI音痴では話にならない。

ITに強く、膨大な情報を丁寧にさばけることは、

今後の政治のトップの必須条件だと思う。

 

そういう意味でもう一人、

泡沫候補とみられているかもしれないが、

AIエンジニア・起業家・SF作家という

安野たかひろ氏にも注目している。

 

こちらは33歳とさらに若いし、

コロナの時に話題になった

台湾のオードリー・タン

元デジタル大臣のようなにおいを感じる。

 

デジタル庁にも関わってるようだが

政治経験は乏しいので、

いきなり都知事というのは不安だが、

石丸氏がトップをやり、

彼が副知事のような形でサポートするのが、

今後4年の都政を考えた場合、ベストなのではと思う。

 

あくまで今のところの僕の意見です。

皆さんも選挙公報読んでみてください。

 


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エリザベス2世の時代がもたらしたもの

 

仕事で2022年9月のエリザベス女王の国葬と

その前後・影響についての文章を書いていたので、

ネット上のいろんな資料を当たったり、

AIと女王について対話をしたりしていた。

 

1日かけてテキスト、写真、動画などを見るうちに

なんだか胸がいっぱいになった。

たかだか2年前だが、ずいぶん遠い昔のことに感じる。

 

1952年に即位して在位70年。

エリザベス2世はイギリスの国家元首だったが、

それだけでなく、

僕たちが生まれて生きてきた

20世紀後半から21世紀序盤の時代を統合した

アイコンみたいな存在だった。

イギリス・アメリカが主体となって構築した

現代の世界の象徴でもあった。

 

遺体の公開安置。

ウェストミンスター寺院での葬儀。

ロンドン市内を巡った後、

ガラス張りのジャガー霊柩車に乗せられた棺が

ウィンザー城に向かい、

聖ジョージ礼拝堂に埋葬されるまでの国葬は、

彼女自身が綿密に練りあげた

半世紀以上にわたる「終活」の結果でもあった。

 

日本でも生中継されたが、

あのようなドラマを秘めた、

美しく荘厳な式典を、

もう一度、別の形でリアルに体験することは

おそらく無理だろう。

 

国葬はイギリス王室の威光を示すものだったが、

当の王室はこれから縮小の一途、

そしてカジュアル化の一途を辿っていく。

人類の王族の存在・物語は、

やがてすべて虚構の中に移項していくだろう。

 

そして世界もあの時を境にして

ずいぶんと変わったように思える。

 

僕たち古き者はこれから

前の時代の記憶と

新しい時代の考え方の間で

少しずつ引き裂かれながら

生きていくことになるかもしれない。

20世紀カルチャーを堪能した者として、

それもまた楽し、と思わなくては。

 


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おりべまこと新刊「宇宙を旅するお年頃」

 

よりよい人生のためのサプリメント。

「生きる」をテーマにしたエッセイ集第5弾。

 

還暦を過ぎるとだんだん若返る。

ただし、それは精神面や感受性のお話で、

肉体的な年齢とは乖離していく。

 

これからの人生は、

こうした精神と肉体のギャップを

どうごまかして埋め合わせていくかが課題になる。

 

心がけるべきは脳内の清掃。

心にも体にもいちばんよくないのは、

ゴミ情報を貯め込んでしまうことだ。

頭の中に詰まったゴミ情報は、

そのままストレスに変質する。

それで健康を損なってしまう人が

かなり多いのではないかと推察する。

 

この情報化社会、ちょっと外を歩いたり、

ちょっとデバイスに向き合ったりすれば、

湯水のようなにいろんな情報が入りこんでくる。

そのうち9割以上は自分にいらない情報なので、

あっという間に脳の中はゴミだらけ。

朝はクリーンでピカピカでも、

夜になると汚染されて窒息しかけている。

 

そもそも僕は脳のキャパシティが小さいので、

できるだけ日々、

情報デトックスしていかなくてはならない。

いろんなことを書いてはSNSやブログで発信し、

それだけでは飽き足らずに本まで出すのは、

そうした自分のためという意味合いがあるからだ。

 

でもいろいろ書いていると、

思ってもみなかった面白い発見に巡り会える。

あなたもいい歳になってきたなと思ったら、

機会を作って何らかのアプローチで

自分の脳内を覗いてみてほしい。

そこには広大な宇宙が広がっている。

日々、その宇宙の旅を楽しみに出かけることが、

これからの人生の醍醐味になるだろう。

 

もくじ

 

高校教師とぼくたちの失敗

ネコのお遍路さんと笑劇の人生

人は神秘なき世界では生きられない

 

 

宇宙を旅するお年頃

 

「わたしを離さないで」:社会貢献と自己の幸福の追求

恋愛から遠ざかり、恋愛小説に歩み寄る

なぜ桜とクローンは切なくて美しいのか?

 

「美しい人」は今でも幸せに暮らしているのだろうか?

自己満足のために山に登る

海はとても遠くにある

 

中秋の名月の月光浴

人生百年時代の生き方は北斎に学べ

去りゆく母との再会

自由になるための結婚

気楽な神様に気軽にありがとう ほか

全34編 載録


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高齢者は電話の声に潜む体温・息づかいに騙される

 

夕方のNHK首都圏ニュースで

「ストップ!詐欺被害というコーナーがあり、

たいてい晩飯を食べながら見ている。

 

おもに高齢者の家に

息子、孫、警察官、役所、銀行など、

いろんな役に扮した詐欺師が電話が掛けてきて、

「助けてくれ」とか

「あなたは不正に巻き込まれている」とか言われて、

ATMに行かされ、振り込まされてしまう。

 

あるいは自宅にやって来た

友だちやら会社の同僚やら銀行員やらに

現金(タンス預金?)をわたしてしまう。

 

けっこう何年も前から同じパターン繰り返されており、

「なんでそんな耳にタコができたような

セリフにだまされるんだよ!」

とやきもきしてしまうが、

そこでふと、そうではないだろと気が付いた。

 

実際に被害者が聞いているのは、

電話を通しているとはいえ、

人間の「生の声」である。

文章を整理して精製して再現したセリフと、

詐欺犯の生の声とは違う。

生のセリフには人の体温があり、

息づかいがあるのだ。

 

どうしてそんなことを考えたかというと、

取材した音声もおなじだから。

生成AIなどで起こしてしまうと

楽で早くて簡単だが、

そこに並んだ文字列は、

取材相手が喋った内容に相違ないが、

音になったところ以外はすべて抜け落ちている。

 

つまり間とか、息づかいとか、トーンとか、

イントネーションとか、強弱とか、

ここでつっかえたとか、あそこで早口になったとか、

感情が入っている部分の多くは

文字として表せないのだ。

 

だからAIを使ったとしても、

その文字起こしを目で追いながら、

もう一度、相手の声を耳で聴くという

アナログ作業をすることになる。

でないと取材対象者を頭の中で

生き生きと再生できない。

 

たぶん、この類の詐欺師と

電話に出る高齢者との関係も同じだ。

プロの役者がやっているわけではないので、

そんなに演技がうまいとは思えないが、

セリフの文とともに、

声に言語外の感情がこもっていれば、

スルスルッと耳に入り込んでしまうのではないか。

 

現代のような機械化・デジタル化された

コミュニケーションに慣れていない高齢者、

特に一人暮らしの人は

普段、孤独を感じていなくても、

つい、その声に操られてしまうのではないかと思う。

そこには人の体温・息づかいが潜んでおり、

そうした形のないものが心にすき間に侵入することで、

詐欺話に引き込まれてしまうのである。

 

人は理の通った話しか信じないと思ったら大間違い。

人は人らしいコミュニケーション、

感情豊かなアナログコミュニケーションを

潜在的に求めている。

だから詐欺事件も後を絶たない。

こういった認識を踏まえて対策しないと、

詐欺電話の被害を防ぐのは

なかなか難しいのではないかと思う。

 


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おりべまこと電子書籍新刊 「宇宙を旅するお年頃」

 

6月20日(木)発売予定!

エッセイ集:生きる第5巻。

コロナの時、東京五輪の時、

何があったのか思い出してみよう。

人生の常備薬、いろいろ取り揃えています。

 

・もくじ

高校教師とぼくたちの失敗

ネコのお遍路さんと笑劇の人生

人は神秘なき世界では生きられない

すべては道楽

「2020年の挑戦」への挑戦が終わる

宇宙を旅するお年頃 

ほか全33編載録

 


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父の日の秘密の花園

 

前にも書いたことがあるが、

行きつけの花屋の女主人は、

昔の少女マンガに出てくる、

お花屋さんになりたかった女の子が

そのまま夢を叶えて花屋になったような人である。

 

齢はたぶん僕と大して変わらないと思うので、

客観的に見ればりっぱなおばさんだが、

”お花大好きなの。でも、商売でやっているから

ビジネスライクなところもあるわよ。”

といった絶妙なブレンド感が漂い、

なかなかかわいい上に味がある。

40年前に逢っていたら恋に落ちていたかもしれない。

 

ふらっと店に入ると、いつもの黒いエプロンをつけ、

長い髪をひっつめにして、いつものように淡々と、

けれどもお花大好き感を醸し出しながら作業している。

 

狭い店内は季節柄、青い紫陽花が幅を利かせており、

他の花はそれに押しのけられるように

小さくなっている。

 

何となくとっちらかった印象だが、

花が呼吸し、人間には聞こえない言葉で

いろいろお喋りしてるような雰囲気がある。

 

今日は父の日なので

「父の日に花を贈る人はいないんですか?」

と聞いてみたら、

「いないですね、ほとんど」と、つれない返事。

「最近は子育てするお父さんも増えたので、

むかしより認知度上がっているはずなんですけどねー。

やっぱ父の日はお花よりお酒ですよね」

 

そこで前々から気になっていたことを聞いてみた。

「『お父さんだってお花が欲しい』とか、

そんな宣伝出したら売れないですかね?」

と水を向けると、

「うーん、どうでしょう?

あんまり忙しくなっても困っちゃうんで、

うちはやらないですね。

母の日もぜんぜん宣伝しないんですよ。

商売っ気がなくてすみません」

と、なぜか謝られてしまった。

 

へたに宣伝してカーネーションなどが

山ほど売れ残っても困る。

けっこうしっかり者で、コスト意識が高そうだ。

そして、確かに商売っ気はあまりない。

じつは僕もそこが気に入っている。

この花屋は僕が知る限り、

近辺の花屋のなかでいちばん値段が安い。

 

他の花屋は、ぜいたく感・贈り物感を

演出するところが多いが、ここは庶民派というか、

「さりげない日常という庭に咲く花」を

大事にしている感がある。

 

家に花を飾るのはぜいたくではない。

花は心の栄養剤になるのだ。

極端な話、おかずを一品減らしてでも、

部屋のどこかに生きた花を飾ったほうが

生活のクオリティが上がるのではないだろうか。

 

そんなことを考えていたら彼女は、

「わたし自身は、母の日も、父の日も、

お花はもちろん、

なーんもあげたことなんてないんですよ」

と言って笑ってのけた。

 

おとなになった少女マンガの花屋の娘は

なかなかミステリアスで奥が深い。

秘密の花園のなかで悠々と生きている感じがする。

 


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宇野 亞喜良の世界とアングラ演劇

 

「90のじいさんになっても少女を描いているって

変態だよね」

先日テレビで、美術家の横尾忠則と

イラストレーターの宇野 亞喜良が

話していたのをチラ見した。

 

前述のセリフは横尾氏が宇野氏に言ったもの。

16日の日曜まで東京オペラシティのアートギャラリーで

宇野 亞喜良展をやっているので、

それに関連した番組だったようだ。

 

「変態」なんて言われて、

さすがにムッとした表情を見せていたが友達同士だし、「(常識的なことにとらわれない)天才」の、

横尾流の表現なので、

特にケンカになることもなく対談は続き、

最後はいっしょにメシを食うところで終わっていた。

 

宇野 亞喜良の絵の世界の主役は女性だが、

別に少女専門というわけでなく、

大人の女も描いている。

寺山修司の本や演劇の美術もよくやっていたので、

寺山流に言えば「青女(せいじょ)」が多い。

 

青女とは、「少年」に対して「少女」があるように、

「青年」に対して「青女」という言葉があっていい。

そう言って寺山修司が1970年代に出した

「青女論」というエッセイに出てきた言葉だ。

 

宇野 亞喜良の描く女の絵の特徴は、

笑わない顔と奇妙にアンバランスな体型。

 

笑わない顔は「大人や男に媚びない表情」と

よく言われる。

重心が下りていない、アンバランスな体型は、

女になりきっていない少女・青女特有のもの。

 

どこの画家か漫画家か忘れたが、

「少女の体型がアンバランスに見えるのは、

この世界に存在することにまだ慣れていないからだ」

といった類のことを言っていて、

ちょっと感心したことがある。

 

クリエイターが好んで描いて見せる、

10代後半の女の子特有の透明感とか、

ちょっとミステリアスな雰囲気は、

そういうところと繋がって

醸し出されるのかもしれない。

 

僕も熱心なファンというわけではないが、

寺山修司が好きだったこともあり、

宇野 亞喜良の絵は昔からよく目にしてきた。

イラスト・美術の世界ですでに60年以上、

第一線で活躍してきた人だが、

その魅力はまったく色あせない。

 

横尾忠則もそうだが、このレジェンド美術家たちは、

本当に最後の最後まで

現役の「変態じいさん」を貫きそうだ。

 

そんな宇野 亞喜良氏の最新作か。

先日、唐組の紅テントの芝居を見た時、

彼のイラストが載ったチラシをもらった。

 

今週末から花園神社で始まる新宿梁山泊の

「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」。

唐組の紅テントに対して、こちらは紫テント。

寺山修司でなく、唐十郎の状況劇場時代の芝居で、

豪華キャストが出演する。

たぶん連日満員大入りだろう。

 

宇野 亞喜良の、アンバランスで媚びない女たちの世界

(そしてたぶん横尾忠則の世界も)を培ったのは、

やはり1960~70年代のアングラ演劇カルチャーという

肥沃な土壌だったのだろうと思う。

 


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ネコのタマはタマなし?

 

たまたまタマなしネコの話を調べることになり、

タマなしのオスの生きる道について考えてみた。

今回ここでいう「タマなし」とは

動物の去勢のことで、ジェンダー問題とは関係ない。

 

今どき都会で飼われるイヌやネコは、

ほぼほぼ愛玩用で、自然の状態から切り離し、

人間社会に組み入れるわけだから、

その辺に出て行ってヤリまくって

子供がうじゃうじゃできると困る。

そういうわけで避妊・去勢もやむなし、と考えられている。

 

ちょっと古いが、2017年の調査によると、

避妊・去勢手術をしたイヌは全体の約5割、

ネコは8割だという。

これは多分、飼い方の違いだろう。

イヌは外出の際、必ず飼い主といっしょだが、

ネコは勝手に出歩くことが多い。

それで雄雌がくっついてやっちゃうからだ。

 

「去勢」という言葉には心がざわつく。

男子なら誰でもそうだろう。

実際、雄イヌ・雄ネコの男性飼い主は

「そんな可哀そうなことできるか」と

反対する人が多いらしい。

 

それに対してメスの避妊にはあまり反対しない。

可愛い娘がその辺の男とやっちゃってできちゃったら

大変だという、父性愛(?)の由縁だろうか?

 

人間同様、イヌもネコもお年頃になると、

脳内にホルモンがドバドバ出て、

やりたくてたまらなくなる。

 

オスの立場に立つと、

強烈なフェロモンを発散しているメスに遇ったのに

ガマンを強いられると、頭狂いそうになるかもしれない。

これは人間も同じで、男の人生の半分は、

そうした己の性欲との戦いとも言えるのだ。

 

実際、イヌ・ネコも未去勢だとストレスが溜まって

暴力的になったり、

夜鳴きやマーキングなどの問題行動が増えるらしい。

だから男の子のイヌやネコと

なかよく平和に暮らしたければ、

できるだけ性欲に悩まされないよう、

去勢しておっとりした子にしたほうがいい――

という意見が優勢に見える。

 

でも、タマなしネコだと

ネズミを捕らなくなっちゃうのでは?

と思ったら、そんなことはなく、

狩猟本能そのものには大きな影響を与えないようだ。

今どき、ネコをネズミ駆除用に飼う家は少ないと思うが、

せっかくいるのなら役立ってくれれば、

それに越したことはない。

これ見よがしに血まみれの獲物を持て来られると

嫌かもしれないけど。

 

動物病院のネコの去勢手術の動画を見たら、

麻酔をかけて結構簡単に済ませていた。

ただ手術後、そのネコが股の間を舐めていて

「あれ、タマないぞ」と気付くシーンには、

やっぱちょっと胸が切なくなったな。

 

ちなみに家畜のブタやウシのオスも

少し成長すると、オス独特の体臭がついて

肉の味を落としてしまうため、去勢する。

しかし、こちらの場合、

日本ではまだ麻酔をかけずにやっているので、

アニマルフェアウェルの観点から問題視されている。

 

肉の味をよくするために男の子のブタ・ウシが

タマを切られて痛い思いをしているのを想像すると、

けっこう複雑な気持ちになる。

業者の人たちは、一生懸命おいしい肉を作ろうと

努力してやっているのだが……。

 


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前のめりになって生きて死ね

 

本日の名言

「事実がたとえわかっていなくとも、

とにかく前進することだ。

前進し、行動している間に、事実はわかってくるものだ」

 

この名言の主ヘンリー・フォードは、

20世紀アメリカの自動車王。

要するにわからないと考えこむのではなく、

まず行動しろということ。

たぶん自己啓発リーダーの人たちも好んで使うフレーズだ。

 

そうだ、その通りだと思いつつ、

僕がこの名言を目にして連想したのは、

子供の頃に見た野球マンガ「巨人の星」の1シーンである。

 

それは主人公・星飛雄馬(ピッチャーです)の父・一徹が、

かの坂本龍馬の死について語るシーン。

一徹は投手生命に関わる

飛雄馬の欠点(球質が軽い)に気付き、

問い詰める息子に対して坂本龍馬の逸話を持ち出し、

「たとえドブの中で死んでも、なお前向きで死ぬ、

それが男だ」と語る。

 

その一徹のセリフに合わせて画面では

路上で暗殺者に襲われ血まみれになった龍馬が、

ドブの中で倒れながらも、這いつくばって前進しようとし、

ついに息絶えるという壮絶なシーンが描かれた。

 

当時はスポーツ根性マンガ全盛時代だったので、

一徹のセリフと、前のめりになって倒れる龍馬の表情は、

強烈に子ども心に染みた。

 

というわけで小学生当時、「巨人の星」を見ていた僕は、

長らくの間、これが坂本龍馬の最期だと思っていたのだ。

ところが事実はご存知のとおり、

料理屋の2階でしゃも鍋をつついていたところを

襲われたので、ドブの中で倒れようがない。

 

いや、もしかしたら瀕死の状態で店から這い出し、

路上にあったドブに落ちたのか?

とも考えたが、やっぱりこの話は

原作者・梶原一騎の創作だったようである。

 

厳密にいうと、梶原一騎はどうやら

司馬遼太郎の名作「竜馬がゆく」を読んで、

その一文にある

『男なら、たとえ溝の中でも前のめりで死ね』

をアレンジして使ったようだ。

 

もともと司馬遼太郎は歴史学者とか研究家ではなく、

あくまで歴史作家なので、エンタメになるよう、

史実にかなり自分のアレンジを加えている。

昭和以降の龍馬像をつくり上げ、

国民的ヒーローに押し上げたのも司馬遼太郎の功績。

梶原一騎はその功績をスポ根ドラマに

うまく取り入れたということだろう。

 

ちなみにこの「龍馬 前のめりで死ぬ」説は、

僕と前後する世代の人たちに

かなり大きな影響を与えたらしく、

小説家の有川ひろ(1972年生まれ・高知県出身・女性)が

「倒れるときは前のめり」という

題名のエッセイ集を出している。

 

寄り道が長くなったのでもとに戻す。

仕事にしても、生活にしても、

一歩一歩コツコツが大事なのはわかる。

ただ、視野を広げて人生全般を見た場合、

僕は若い頃、いずれ齢を取れば、

いろいろわからないことが

だんだんわかってくるのだろうと思っていた。

ところが現実は真逆で、

どんどんわからないことだらけになっていく。

 

死ぬまでに世の中の事実・真実がわかるのか?

と問われたら、ほとんど絶望的。

しかし絶望してても始まらないので、

何はともあれ、生きて一日一日大切に、

死ぬまで一歩一歩あゆむのみ。

一歩進むと二歩下がっちゃうんだけどね。

 

 

 

★エッセイ集:生きる 第5集

「死ぬな!きみの地球を守るために(仮題)」

Amazon Kindleより近日発売予定。


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唐組公演「泥人魚」観劇記

 

先月亡くなった劇作家・唐十郎さんの供養もかねて、

新宿・花園神社に唐組の公演「泥人魚」を、

観に行ってきた。カミさん・息子が同伴。

この時代になると、テント芝居は貴重なアナログ体験だ。

 

●すべて人力のアングラテント演劇

切符の販売とか、精算方法(現金のみ)とか、

入場整理(劇団員が大声を上げて整列させる)とか、

デジタルでもっと効率的にやる方法があるのでは・・・

と思うが、たぶんないのだろう。

それにこういうやり方を続けてほしい、

という客の願いもある。

 

テントという、日常と異なる異空間に侵入するためには、

それなりの段取りが必要で、

すんなり簡単に事が運んでしまっては面白くない。

言い換えれば、忙しくて時間が取れない、

もっとタイパを良くしろという人には味わえない、

アナログ・人力ならではのぜいたく感が味わえる。

 

ござに座って見る昔ながらのアングラ式桟敷席に
(おそらく)500人くらいが詰め込まれたテント内は
現代の高齢化社会の縮図のような風景で、
半数近くが僕の同年代(60代)以上。
残りの半数がそれ以下で、男女比は半々か、
男性がちょっと多めかなという印象だ。

息子(20代後半)やそれ以下の若者もけっこういて、

 

中には高校生らしき子の姿もチラホラ

(学校帰りなのか、制服を着ていた)。

「入場料:子供2000円」とあったが、

さすがに子どもはいなかった。

でも、子供がこうした観劇体験をしてもいいと思う。

 

●状況劇場の幻影

僕は李麗仙・根津甚八・小林薫などが活躍していた

70年代後半~80年代初めの状況劇場に洗礼を受けている。

そのため、唐さんの芝居作品にはどうしてもあの頃の、

卑俗なものを聖なるものに転換させる、

リリカルでスケールの大きい幻想ロマンを求めてしまい、

唐組以降の作品にはイマイチ魅力を感じてこなかった。

けれどもこの「泥人魚」という作品には、

状況劇場時代の作品とは全く異なる魅力があった。

 

●諫早湾「ギロチン堤防」から生まれた物語

モチーフになっているのは、

「ギロチン堤防」という呼称が衝撃的だった

1997年の長崎県諫早湾干拓事業問題。

湾と干拓地を遮断する293枚の鉄の板(潮受け堤防)が

すごいスピードで次々と海に落とされていく

ギロチンシーンはかなりのインパクトがあり、

人々の関心も高かった。

(テレビのニュースなどで放送された)。

 

これはもともと戦後間もない頃に農地を増やすため、

国が計画した干拓事業、いわば国家プロジェクトだ。

これによって、かつて「豊饒の海」と言われた

諫早湾の環境は一変して、漁獲量は激減。

漁業者と農業者との対立をはじめ、

損得を巡って地域住民の深刻な分裂が起こり、

20年あまりにおよぶ長い裁判になった。

 

●ドキュメンタリーを重視した劇作

唐さんはその裁判が始まった2002年9月に

諫早湾まで取材に行き、自分の目で現地の海を見て、

この戯曲を書いた。

その経緯は、新潮社から出版されている戯曲のあとがきに、

また今回の観劇プログラム掲載の、

演出・久保井研氏のコラムに書かれている。

ちなみにこの久保井氏のコラムは、

唐組における劇作活動の様子が垣間見えて興味深い。

 

唐さんは、状況劇場の時代は自分が生まれ育った、

終戦直後の東京の下町の風俗や人々の暮らしと、

思春期から学生時代の文学・芸術体験をベースに、

60年代・70年代の世情を取り入れて

独自の劇世界を構築していた。

しかし、1988年に始まった唐組時代の作品では、

その時代ごとにクローズアップされる

現実の社会問題に材を取り、

いわばドキュメンタリー的な要素に重きを置いて

みずからの劇世界を継続・進化させていったようだ。

 

とはいっても、舞台に上る成果物は、

やはり常人には真似できない

妄想ワールドであり、イメージコラージュである。

「ギロチン堤防」という現実の材料から、

人魚姫、天草四郎、ハリーポッター

(2002年当時大ブームだった)など、

次々と出てくる連想がキャラになり、セリフになり、

アクションになり、劇世界をかたち作る。

あとは観客がどこまで想像力を駆使して

それについていけるかだ。

 

●もののけ姫と泥人魚

これはもちろん、紅テントで上演することを前提に

書かれた作品だが、普通の劇場でやっても、

あるいは映画や映像+詩みたいな作品にしても

面白いのではないかと思った。

もちろん、その場合はアレンジが必要だと思うが、

人々がネットの世界など、より現実と乖離した人工環境に

(精神的に)移り住み始めたこの時代、

海・地と人の日々の暮らしとが

緊密に繋がっていた時代の記憶を綴るこの物語は、

ある種の普遍性を孕んでいるのだ。

 

ちなみにいっしょに見た息子の感想は

「要するに『もののけ姫』だよね」。

うん、その通りとは言わないけど、そう遠くはない。

若い世代の感想としては面白いと思う。

みんな気にしているテーマなのだ。

 

終幕、ブリキの鱗を作り続ける男の口から

最後にこぼれ落ちるセリフ、

そしてお決まり通り、テントの背景が開いて

劇世界と現実の風景と溶け合うラストシーンは、

やはり状況時代と変わることなく、

卑俗なるものを聖なるものに変え得る、

唐作品独自の力と美しさに溢れている。

 


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「痴呆症」は老害ワード?

 

義母を連れてスーパーに買物へ。

途中、トイレに行きたいと言いだしたので、

階段の踊り場にある女子トイレの前まで連れていき、

少し離れたところでで待っていた。

 

なかなか出てこないので心配になっていた矢先、

ドアが開いて、60前後のおばさんが

訝し気な表情で出てきて外にいた僕の顔を見た。

どうやら義母の世話人だと察知したらしく、

「痴呆?」と尋ねた。

 

義母は中でちょっとおかしな行動をしていたらしく、

この人もしや・・・と思ったらしい。

しかし、粗相したとか、特に問題はなく、

そのすぐ後に出てきたのでほっとした。

その女性も特に絡むこともなく、そそくさと立ち去った。

それだけの出来事だったが、

彼女が言った「痴呆」という一言は

ちょっとショッキングに響いた。

 

べつに腹を立てたわけではないが、

2024年のいま聞くと、「痴呆?」は

かなりネガティブなインパクトを持っている。

自分の家族を介護している人に向かって言ったら

ひどく傷ついたり、ブチ切れたりする人もいるだろう。

 

「痴呆症」はいつから「認知症」になったのか?

調べてみたら、

厚生労働省が『痴呆症』に替えて『認知症』を

一般的な用語・行政用語として用いるとしたのは、

2004年12月24日となっている。

「痴呆」という言葉には

侮蔑的な意味が含まれているというのが変更の理由だ。

 

呼び名が変わってもう20年経つわけだが、

ずっと普通に使われていたので、

僕もたぶん10年くらい前まで割と平気で

「痴呆症」と言っていたような気がする。

 

たかが呼び名、されど呼び名。

その人の社会性を問われることなので、

けっこうバカにできない。

こういう言葉遣いに鈍感な人は、

今の社会に適応できていないと

見做される恐れがあるからだ。

 

その女性が義母をバカにして言ったわけではないだろうが、

うっかり出てしまったということは、

彼女の頭の中はまだ昭和の残像で満たされていて、

アップデートできていないということを意味している。

ウィンドウズ95とか98とか、

あのへんのOSで動いているということなのかもしれない。

まぁそれで自分の生活に不便はないのだろうが。

 

「痴呆症」だけではない。

ほかにも病気の呼び名とか、外国人の問題とか、

LGBTQの問題とか、

かつての差別や偏見に対する社会通念が

どんどん変わっているので、

うかつに古い言葉を使ったりすると、

そのデリカシーのなさが白眼視され、

若い世代から「老害予備軍」と

見られてしまうのではないだろうか。

 

「昔はよかった」「昭和は輝いていた」なんて

のたまってはいられない。

やっぱりダメだったところはダメでしたと認めないと。

 

わざと面白がって使うならまだしも、

何気なく無意識に使っている「昭和ワード」

もしくは「平成ワード」が

周囲の人たちを著しく不快にさせていないか、

2024年の世界ではアウトになっていないか、

いま一度、チェックしてみる必要があるかもしれない。

 


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もくじ

116 カラーフィルムを忘れたのね/ニナ・ハーゲン 

117 スタンド・バイ・ミー/プレイング・フォー・チェンジ

118 人は少しずつ変わる/中山ラビ 

119 氷の世界/井上陽水 

120 ユー・メイ・ドリーム/シーナ&ロケッツ 

121 ア・ソング・フォー・ユー/レオン・ラッセル 

122 ファーストカー/トレイシー・チャップマン 

123 ヨイトマケの唄/美輪明宏 

124 オ―、シャンゼリゼ/ダニエル・ビダル 

125 夜空ノムコウ/スガ シカオ 

126 オード・トゥ・マイファミリー/クランベリーズ 

127 いとしのレイラ/デレク&ザ・ドミノス 

128 赤いハイヒール/太田裕美 

129 サタデーナイト/ベイシティ・ローラーズ 

130 ビコーズ・ザ・ナイト/パティ・スミス・グループ 

131 涙のサンダーロード/ブルース・スプリングスティーン 

132 燃ゆる灰/ルネッサンス 

133 さよなら人類/たま 

134 ウィリー・オ・ウィンズベリー/ペンタングル 

135 アウト・オブ・ザ・ブルー/ロキシーミュージック 

136 アジアの純真/PUFFY 

137 ハリケーン/ボブ・ディラン 

138 夜明けのスキャット/由紀さおり 

139 ロックンロール黄金時代/モット・ザ・フープル 

140 クラウドバスティング/ケイト・ブッシュ 

141 二十世紀少年/T・レックス 

142 女ぎつね オン・ザ・ラン/バービーボーイズ 

143 ショウ・ミー・ザ・ウェイ/ピーター・フランプトン 

144 ランバダ/カオマ 

145 宇宙のファンタジー/アース・ウィンド&ファイアー 

146 貿易風にさらされて/マザー・グース 

147 愛のコリーダ/クインシー・ジョーンズ 

148 ウェルカム上海/吉田日出子 

全33編載録

 

137 ハリケーン/ボブ・ディラン 

現代アメリカ社会の欺瞞・腐敗・不条理をえぐる

吟遊詩人ボブ・ディランが

1976年に発表したアルバム「欲望」のトップナンバー。

 

ギターに合わせてフィドル(バイオリン)がうねり、

ベースとドラムがロックなリズムを刻む中、

無実の罪を着せられた60年代の黒人ボクサー 

ルービン“ハリケーン”カーターの物語を歌い綴る。

紛れもない、ディランの最高傑作だ。

 

惨劇を告げるオープニングから見事に構成された長編詩は、8分以上にわたって聴く者の胸に

ひたすら熱情溢れた言葉の直球を投げ続け、

“ハリケーン”の世界に引きずり込む。

 

殺人罪で投獄されたカーターは

獄中で自伝「第16ラウンド」を書いて出版し、

冤罪を世に訴えた。

その本を読んだディランは自らルービンに取材して、

この曲を書き上げたという。

 

その冤罪がいかにひどいものであったかは

曲を聴いての通りで、

人種差別がまだ正々堂々とまかり通っていた時代とはいえ、こんなでっち上げが認められたことに驚くばかり。

 

けれども半世紀以上たった今も

実情は大して変わっていないのかもしれない。

そしてまた、昔々のアメリカの人種差別、

黒人差別の話だから

僕たちには関係ないとは言っていられないのかもしれない。

冤罪はどこの国でも起こり得る。もちろん日本でも。

(つづく)

 


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週末の懐メロ第5巻「クラウドバスティング/ケイト・ブッシュ」

 

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もくじ

116 カラーフィルムを忘れたのね/ニナ・ハーゲン 

117 スタンド・バイ・ミー/プレイング・フォー・チェンジ

118 人は少しずつ変わる/中山ラビ 

119 氷の世界/井上陽水 

120 ユー・メイ・ドリーム/シーナ&ロケッツ 

121 ア・ソング・フォー・ユー/レオン・ラッセル 

122 ファーストカー/トレイシー・チャップマン 

123 ヨイトマケの唄/美輪明宏 

124 オ―、シャンゼリゼ/ダニエル・ビダル 

125 夜空ノムコウ/スガ シカオ 

126 オード・トゥ・マイファミリー/クランベリーズ 

127 いとしのレイラ/デレク&ザ・ドミノス 

128 赤いハイヒール/太田裕美 

129 サタデーナイト/ベイシティ・ローラーズ 

130 ビコーズ・ザ・ナイト/パティ・スミス・グループ 

131 涙のサンダーロード/ブルース・スプリングスティーン 

132 燃ゆる灰/ルネッサンス 

133 さよなら人類/たま 

134 ウィリー・オ・ウィンズベリー/ペンタングル 

135 アウト・オブ・ザ・ブルー/ロキシーミュージック 

136 アジアの純真/PUFFY 

137 ハリケーン/ボブ・ディラン 

138 夜明けのスキャット/由紀さおり 

139 ロックンロール黄金時代/モット・ザ・フープル 

140 クラウドバスティング/ケイト・ブッシュ 

141 二十世紀少年/T・レックス 

142 女ぎつね オン・ザ・ラン/バービーボーイズ 

143 ショウ・ミー・ザ・ウェイ/ピーター・フランプトン 

144 ランバダ/カオマ 

145 宇宙のファンタジー/アース・ウィンド&ファイアー 

146 貿易風にさらされて/マザー・グース 

147 愛のコリーダ/クインシー・ジョーンズ 

148 ウェルカム上海/吉田日出子 

全33編載録

 

140「クラウドバスティング/ケイト・ブッシュ」より

 

 

今年(※2023年)、ロック殿堂入りを果たした

ケイト・ブッシュ。

彼女のようなタイプの音楽は、

あまりこうした権威にウケがよくないし、

ファンも殿堂入りがどうこうなんて気にしていない。

しかし昨年(2022年)、

1985年に発表した「神秘の丘」が、

ドラマ「ストレンジャーシングス」の挿入歌に使われ、

世界中で前代未聞のリバイバル大ヒット。

ロック殿堂側もこれ以上、

彼女を無視していられなくなったというのが

正直なところなのだろう。

 

「クラウドバスティング」は「神秘の丘」と同じく5枚目のアルバム「愛のかたち(Hounds of Love)」の挿入歌。

楽曲としてはもちろんのこと、

80年代のミュージックビデオとして、

さらにその後、40年弱のポップミュージック史を見ても

最高レベルの作品である。

 

(中略)

 

この楽曲が描くのは、

精神分析学者で思想家のヴィルヘルム・ライヒと

その息子ピーターが、

オカルティックな生命エネルギーを駆使して

「クラウドバスター」というマシンを動かす物語。

ミュージックビデオはレトロっぽい

SF短編映画のようなつくりになっている。

 

ヴィルヘルムを演じるのは、

ハリウッドの名優ドナルド・サザーランド。

そして息子ピーターはケイト・ブッシュ自身。

この頃、彼女は他の楽曲では成熟した女性の魅力を放ち、

かなり色っぽかったのだが、

ここでは髪を切って一転、男の子に。

父の意志を成し遂げようとする少年に扮し、

美しい丘を駆け上がっていくシーンには

完全にしびれてしまった。

「嵐が丘」「神秘の丘」――

彼女の音楽の世界で、丘は魔法の舞台である。

 

(中略)

 

ここで登場する「クラウドバスター」という

サイケでスチームパンクっぽい怪物マシンは、

オルゴンエネルギーによって雲を創り出し、

大地に雨を降らせるという代物。

連れ去られた父に代わって、

息子がその目的を実現するというストーリーになっている。

 

雲を作り出すのに

クラウドバスター(雲を蹴散らす)という名は

矛盾しているのだが、

これはオルゴンエネルギー(生命エネルギー)が心の暗雲を払って生命体に潤いをもたらすといった

思想の暗喩になっているのかもしれない。

 

いずれにしてもこんな虚実ないまぜのSFじみた話から

途方もなくパワフルで美しい楽曲を編み出した

ケイト・ブッシュの才能はすごいの一言。

 

そしてこのビデオのラストシーン――

丘の頂上で怪物マシンを稼働させた少年のシルエットは、

ケイト・ブッシュの音楽を表す

アイコンとしても長らく愛されてきた。(つづく)

 


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週末の懐メロ第5巻「ヨイトマケの唄/美輪明宏」

 

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ガイドブック的エッセイ集。

 

もくじ

116 カラーフィルムを忘れたのね/ニナ・ハーゲン 

117 スタンド・バイ・ミー/プレイング・フォー・チェンジ

118 人は少しずつ変わる/中山ラビ 

119 氷の世界/井上陽水 

120 ユー・メイ・ドリーム/シーナ&ロケッツ 

121 ア・ソング・フォー・ユー/レオン・ラッセル 

122 ファーストカー/トレイシー・チャップマン 

123 ヨイトマケの唄/美輪明宏 

124 オ―、シャンゼリゼ/ダニエル・ビダル 

125 夜空ノムコウ/スガ シカオ 

126 オード・トゥ・マイファミリー/クランベリーズ 

127 いとしのレイラ/デレク&ザ・ドミノス 

128 赤いハイヒール/太田裕美 

129 サタデーナイト/ベイシティ・ローラーズ 

130 ビコーズ・ザ・ナイト/パティ・スミス・グループ 

131 涙のサンダーロード/ブルース・スプリングスティーン 

132 燃ゆる灰/ルネッサンス 

133 さよなら人類/たま 

134 ウィリー・オ・ウィンズベリー/ペンタングル 

135 アウト・オブ・ザ・ブルー/ロキシーミュージック 

136 アジアの純真/PUFFY 

137 ハリケーン/ボブ・ディラン 

138 夜明けのスキャット/由紀さおり 

139 ロックンロール黄金時代/モット・ザ・フープル 

140 クラウドバスティング/ケイト・ブッシュ 

141 二十世紀少年/T・レックス 

142 女ぎつね オン・ザ・ラン/バービーボーイズ 

143 ショウ・ミー・ザ・ウェイ/ピーター・フランプトン 

144 ランバダ/カオマ 

145 宇宙のファンタジー/アース・ウィンド&ファイアー 

146 貿易風にさらされて/マザー・グース 

147 愛のコリーダ/クインシー・ジョーンズ 

148 ウェルカム上海/吉田日出子 

全33編載録

 

 

123「ヨイトマケの唄/美輪明宏」より

 

日本の至宝、昭和の至宝 美輪明宏が

自ら作詞・作曲し、あらゆる世代の日本人に贈る聖歌。

それが「ヨイトマケの唄」である。

 

最初にレコードが出たのは1965年。

マンガなどで「母ちゃんのためならエンヤコーラ」

というセリフが良く出ていたのを覚えている。

 

そして桑田佳祐をはじめ、たくさんの歌手がこの歌を愛し、カヴァーしているのも聴いていた。

けれども美輪明宏自らが歌うのをまともに聴いたのは、若い世代と同じく、2012年の紅白歌合戦が初めてだった。

 

紅白なんていつも酒を飲んでへべれけになって

見ているのだが、真っ黒な衣装に身を包んだ美輪が登場し、この歌を歌い出した時、思わず背筋がピンと伸びた。

6分間、テレビから目と耳を離すことができなかった。

 

故郷の長崎で原爆に遭遇して以来、

波乱万丈の人生を送り、

数々の修羅場をかいくぐりながら

70になっても80になっても

元祖・ビジュアル系歌手の誇りを失うことなく

輝き続ける美輪明宏の、

人間への愛情のすべてが

この一曲に集約されているような気がする。

(つづく)

 


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週末の懐メロ第5巻「赤いハイヒール」

 

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週末の懐メロ 第5巻

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みんなでシェア。

21世紀を生きる糧となるお宝発掘作業の

ガイドブック的エッセイ集。

 

もくじ

116 カラーフィルムを忘れたのね/ニナ・ハーゲン 

117 スタンド・バイ・ミー/プレイング・フォー・チェンジ

118 人は少しずつ変わる/中山ラビ 

119 氷の世界/井上陽水 

120 ユー・メイ・ドリーム/シーナ&ロケッツ 

121 ア・ソング・フォー・ユー/レオン・ラッセル 

122 ファーストカー/トレイシー・チャップマン 

123 ヨイトマケの唄/美輪明宏 

124 オ―、シャンゼリゼ/ダニエル・ビダル 

125 夜空ノムコウ/スガ シカオ 

126 オード・トゥ・マイファミリー/クランベリーズ 

127 いとしのレイラ/デレク&ザ・ドミノス 

128 赤いハイヒール/太田裕美 

129 サタデーナイト/ベイシティ・ローラーズ 

130 ビコーズ・ザ・ナイト/パティ・スミス・グループ 

131 涙のサンダーロード/ブルース・スプリングスティーン 

132 燃ゆる灰/ルネッサンス 

133 さよなら人類/たま 

134 ウィリー・オ・ウィンズベリー/ペンタングル 

135 アウト・オブ・ザ・ブルー/ロキシーミュージック 

136 アジアの純真/PUFFY 

137 ハリケーン/ボブ・ディラン 

138 夜明けのスキャット/由紀さおり 

139 ロックンロール黄金時代/モット・ザ・フープル 

140 クラウドバスティング/ケイト・ブッシュ 

141 二十世紀少年/T・レックス 

142 女ぎつね オン・ザ・ラン/バービーボーイズ 

143 ショウ・ミー・ザ・ウェイ/ピーター・フランプトン 

144 ランバダ/カオマ 

145 宇宙のファンタジー/アース・ウィンド&ファイアー 

146 貿易風にさらされて/マザー・グース 

147 愛のコリーダ/クインシー・ジョーンズ 

148 ウェルカム上海/吉田日出子 

全33編載録

 

 

♯128「赤いハイヒール/太田裕美」より

 

松本隆+筒美京平の70年代の斬新な歌謡マジック。

太田裕美の代表曲と言えば「木綿のハンカチーフ」だが、

明るい爽やかさの裏に悲しみが潜むあちらの歌に比べ、

この「赤いハイヒール」はアンニュイでミステリアスな曲調。

ちょっと禍々しいブラックメルヘンの味付けもある。

僕はこっちの方が好きで、このレコードも持っていた。

1976年。高校2年の時である。

 

「木綿」と同様、男女のダイアローグで進むが、

冒頭、「ねえ、友だちなら聞いてくださる?」と、

リスナーに語り掛けて歌の世界に誘い込むという、

のっけから松本隆のマジックが炸裂する。

今ならそう珍しくないかもしれないが、

当時、こんな曲はなかった。

 

イメージカラーは白、都会に出た男の子×田舎にいる女の子。

イメージカラーは赤、都会に出た女の子×田舎にいる男の子。

という設定の対比に留まらない。

 

「木綿」では人物やドラマの描写が

割とあいまいで抽象的だったのに対して、

こちらは東京駅に着いた・おさげでそばかすのある女の子・

ハイヒール買った・お国訛りを笑われた(らしい)・

タイプライター打つ仕事をやってるなど、

主人公の状況がかなり具体的に描かれている。

 

このあたり、ただのアンサーソング・二番煎じとは

絶対に言わせない。

「木綿」よりもいい曲にする・面白くするという、

松本+筒美の情熱とプライドを感じる。

そして何よりもその根底に太田裕美への愛情を感じる。(つづく)

 


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この機会にぜひご購入下さい。

 

 

♯139「ロックンロール黄金時代/モット・ザ・フープル」

より抜粋

 

モット・ザ・フープルは、

ヴォーカルのイアン・ハンターを中心とした

70年代前半に活躍したイギリスのグラムロックバンド。

いわゆるグラムロックとしては、

デヴィッド・ボウイ、Tレックスの

次くらいに名前が上がるだろう。

 

デヴィッド・ボウイはこのバンドがお気に入りで

自らプロデュースを申し入れ、

ボウイ作の「すべての若き野郎ども」が

1972年に大ヒットし、

スターバンドに駆け上がった。

 

1974年リリースのアルバム

「ロックンロール黄金時代」は、

アルバムタイトルのこの曲をはじめ、

「マリオネットの叫び」「あばずれアリス」

「野郎どもの襲撃」「あの娘はイカしたキャディラック」「土曜日の誘惑」など、

邦題マジック満開の名曲が並び、充実度抜群。

クセのある香辛料を効かせた

ロックンロールがたまらない、

文句なしの名盤である。

 

ジャケットデザインも一度見たら忘れられない

強烈なインパクト。

ロック史上、屈指のカッコよさだ。

 

モット・ザ・フープルは、

ビートルズ亡き後の70年代前半、

レッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズ、

プログレ四天王などに比べると、

やや格落ちするB級バンド感がいいじゃん、

ということで、日本でもけっこう人気があった。

たしか1975年の「ミュージックライフ」の人気投票では、

バンド部門で15位前後だったと記憶している。・・・

(to be continued…)

 


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第5巻として♯116~♯148を収録。

 

もくじ

116 カラーフィルムを忘れたのね/ニナ・ハーゲン

117 スタンド・バイ・ミー/プレイング・フォー・チェンジ

118 人は少しずつ変わる/中山ラビ 

119 氷の世界/井上陽水 

120 ユー・メイ・ドリーム/シーナ&ロケッツ 

121 ア・ソング・フォー・ユー/レオン・ラッセル 

122 ファーストカー/トレイシー・チャップマン 

123 ヨイトマケの唄/美輪明宏 

124 オ―、シャンゼリゼ/ダニエル・ビダル 

125 夜空ノムコウ/スガ シカオ 

126 オード・トゥ・マイファミリー/クランベリーズ 

127 いとしのレイラ/デレク&ザ・ドミノス

128 赤いハイヒール/太田裕美 

129 サタデーナイト/ベイシティ・ローラーズ 

130 ビコーズ・ザ・ナイト/パティ・スミス・グループ 

131 涙のサンダーロード/ブルース・スプリングスティーン 

132 燃ゆる灰/ルネッサンス 

133 さよなら人類/たま 

134 ウィリー・オ・ウィンズベリー/ペンタングル 

135 アウト・オブ・ザ・ブルー/ロキシーミュージック 

136 アジアの純真/PUFFY 

137 ハリケーン/ボブ・ディラン 

138 夜明けのスキャット/由紀さおり 

139 ロックンロール黄金時代/モット・ザ・フープル 

140 クラウドバスティング/ケイト・ブッシュ 

141 二十世紀少年/T・レックス 

142 女ぎつね オン・ザ・ラン/バービーボーイズ 

143 ショウ・ミー・ザ・ウェイ/ピーター・フランプトン

144 ランバダ/カオマ 

145 宇宙のファンタジー/アース・ウィンド&ファイアー 

146 貿易風にさらされて/マザー・グース 

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全33編載録

 


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友の49日と「友だち法要」

 

今日は4月に亡くなった友人の49日なので、

朝の、両親と義父の供養の際にいっしょに

生前の様子を思い浮かべた。

 

かつて一緒に劇団をやっていた仲間なので、

ビデオなどなくても、舞台での姿やセリフの声を、

ありありと思い出せる。

もう40年も前のことだが、

自分の人生のハイライトのように思える。

 

遠いのと、仕事や家庭の事情で

日程調整ができず、葬式には出なかった。

だからせめて…という気持ちもある。

 

ちなみに先週、取材したお寺では

「友だち法要」という試みをやっていて、

とてもユニークだなと思った。

 

最近は家族でけで行う葬式が主流になって、

家族・親族以外の人が呼ばれることはめっきり減った。

 

けれどもその故人にとって、

仕事仲間とか、趣味の仲間とか、

いつもお茶する友だちとか、

親しくしている友人が何人かはいる。

いっしょに暮らしているのでなければ、

むしろ家族や親族よりも、

そうした友人や仲間のほうが親しく接していたはずだ。

 

しかし、血のつながりがない友人・仲間は

故人を弔う権利がない。

たとえば離れて暮らしていた息子が喪主になる場合、

亡き母のそうしたお茶友だちとか、

むかしの友だち・仕事仲間などは、

その存在さえ思いもよらない――

ということが大半だろう。

それはしかたがないことだと思う。

 

葬式に呼ばれない、そうした友人・仲間は、

事後に訃報をもらったり、

人づてに「どうやら亡くなったらしい」

とは認知できても、

それが現実のことかどうか実感が持てない。

 

みんなでお別れ会・偲ぶ会をやるのもいいが、

やっぱり坊さんにお経を上げてもらわないと、

ちゃんとお弔いをした、

という気持ちになれない人もいるだろう。

 

その寺ではそうした人たちのニーズを汲んで

「友だち法要」を始めたという。

これがいいのは「面倒がない」ということ。

 

開催するのに家族にいちいち許可を得なくてもいい。

いつ亡くなったかも正確にわからないくてもいい。

ただその人の名前がわかり、

そこに集まる人たちはみんな、

彼・彼女の生前の姿を共有できればいいのだ。

 

人間は多面性がある。

家では家族に疎んじられるようなダメ親父が、

職場では素晴らしい上司、

趣味の仲間のあいだでは気さくで楽しい人徳者、

ということがままある。

人間性・キャラクターというのは

その人が身を置く環境・コミュニティによって

簡単に変わって見えるのだ。

 

だから、それぞれの関係性に応じた弔い方があって、

そこに集まった人たちが、

彼・彼女との思い出を大切にし、

今後も楽しく生きていくためのエネルギーに

変えられればいいのだと思う。

 

エンディング関連の仕事を始めて早や8年、

いろいろ新しい企画、サービス、

その背景にある事情や考え方などを

取材して記事にしてきたが、

やればやるほど、葬儀・供養というのは

自分に合ったやり方・できるやり方でやればいいんだな、

と思うようになってきた。

 

新しい考え方をもって自由に生きてきた人でも、

葬儀・供養の領域になると、なぜか保守的になる。

みんな、しきたりとか、過去の慣習にとらわれ、

そこから外れてしまうのことを恐れる。

そんな印象がある。

 

家の宗教でなく、個人の宗教。

家のやり方でなく、個人のやり方。

もうとっくにそういう時代になっていると思うのだが。

 


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劇団ホシ灯りの朗読劇「マクベス」

 

めっちゃ美女なのに、めっちゃ邪悪。

どうせいつか死ぬのなら、

そういう女に溺れて死にたい。

――というのは男子なら一生に一度は見る夢。

(そんなことない?おれだけ?)

 

そんな妄想を広げていたら

頭のどこかから

「きれいはきたない、きたないはきれい」

というセリフが響いてきた。

 

ご存知、シェイクスピア劇「マクベス」の

オープニングに登場する魔女のセリフ。

久しぶりに「マクベス」を読みたくなったが、

手元にないので、YouTubeを覗いてみたら、

朗読劇がアップされていた。

 

「劇団ホシ灯り」という所はまったく知らなかったが、

聴いてみるとなかなか気持ちよく聴ける。

手だけ動かしていれば進められる

単純な仕事ならBGMとしても利用できる。

 

改めてシェイクスピアの劇は素晴らしいと思うとともに、

余計なビジュアルがない分、

ストレートにセリフが伝わってくるのもいい。

もちろん、マクベスのストーリーを知っているからだが、

脚色も朗読劇用にかなり圧縮して

上手く作っていると思う。

 

シェイクスピア劇の面白さを

従来とは違う角度から味わえる気がする。

 

気になって「劇団ホシ灯り」を調べてみたら、

どうもこの脚色・監督の女性がひとりで

やっているらしい。

劇団ひとり?

役者はそのプロジェクトごとに集めてくるのだろうか?

いずれにしてもなかなか面白いので、

他のも聴いてみようと思う。

 


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週末の懐メロ第5巻「夜明けのスキャット 愛の世界」

 

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おじさんやおばさんたちが夢中になった

20世紀ポップミュージック・昭和歌謡の与太話を

若い世代のあなたにも!

ブログ連載の「週末の懐メロ」を書籍化。

♯116~♯148まで全33編を収録。

 

 

♯138「夜明けのスキャット/由紀さおり」より抜粋

 

「夜明けのスキャット」は、1969年に由紀さおりが歌って大ヒットした昭和歌謡の代表曲。

タイトルは夜明けだが、

歌の中で時計は夜明け前で止まり、星は永遠に消えず、

ふたりは愛の世界に生きる。

捉えようによっては相当エロい歌だ。

 

子どもの頃はそんなエロさなど分からなかったが、

聴いていて「なんだ、この歌は?」と

異常なインパクトを受けたことを、

ありありと憶えている。

 

ルルルとか、ラララとか、パパパばっかりで

全然歌詞が出てこない!

いま聴けば2番はちゃんと歌詞があって、

それなりにバランスが取れているのだが、

子どもの頃はスキャットのみの部分が

とんでもなく長く感じられて、

他の歌にはまったくない、

唯一無二の不思議感がずっと残っていた。 

to be continued・・・

 


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週末の懐メロ第5巻「2つのレイラ体験」

 

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ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で

2020年10月から毎週連載した「週末の懐メロ」を書籍化。

第5巻は♯116~♯148まで全33編を収録。

 

 

♯127「いとしのレイラ/デレク&ザ・ドミノス」より抜粋

 

エリック・クラプトンの代表曲になっている

「いとしのレイラ」。

じつは1970年に発表された

デレク&ザ・ドミノスのアルバムに収録されたものが

オリジナルバージョン。

 

ヤードバーズ、クリーム、ブラインド・フェイスなど、

60年代の歴史的バンドで活躍し、

この頃、すでに稀代の名ギタリストの地位を

確立していたクラプトンは、

この新しいバンドのリードギタリストだった。

 

僕は中学生の時、ラジオで初めてこの曲を聴いた。

その前に音楽雑誌で評判は聞いていた。

当時、これほどもてはやされていた曲も珍しい。

クラプトンと言えばレイラ。

とにかくレイラがすごい、レイラ大好き、レイラ最高!

 

彼はすでにソロ活動に入っていたが、

ライブをやってもみんながこれを聴きたがるものだから

新しい曲がやりにくい、

といったエピソードがあふれていた。

 

で、そんなにすごい曲なのかと思って聴いたが、

正直なところ、「そんなかなぁ」と思ってしまった。

その頃はハードロックやプログレに狂っていたので、

この曲があんまりすごいとか、

カッコいいとか、面白いとか思わなかったんだよね。

 

その印象が一変したのが、高校生の時。

同じくラジオで流れてきたレイラに鳥肌が立ち、

しびれまくった。

いったい何が違っていたのか?

 

最初に聴いたのは前半3分のみ、

おなじみクラプトンのギターが炸裂する

シングルバージョン。

そして2回目はその続きがある

フルバージョンだったのだ。

to be continued


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週末の懐メロ第5巻 ニナ・ハーゲンの歌

 

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「週末の懐メロ 第5巻」 発売中

AmazonKindleより¥300

 

20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で

2020年10月から毎週連載した「週末の懐メロ」を書籍化。

 

僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、

21世紀を生きる若い世代のお宝発掘のための

ガイドブックとしても読める音楽エッセイ集。

良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。

第5巻として♯116~♯148 全33編を収録。

 

★♯116「カラーフィルムを忘れたのね/ニナ・ハーゲン」 より抜粋

 

ニナ・ハーゲンは1980年頃、パンククイーンとして世界的な人気を博した。

僕もファーストアルバムを持っていたが、パンクというよりニューウェーブという印象が強かった。

 

彼女は旧・東ドイツ出身で、世界的ロックスターになる前、十代の頃から東ドイツで音楽活動をやっていた。

しかし1976年、音楽家で作家でもあった養父が政府から市民権を剥奪されたことをきっかけに東ドイツでの活動の場を奪われ、イギリスに亡命。

翌年に西ドイツに移って新たなキャリアを始め、あっという間にスターダムにのし上がった。

 

この曲は彼女が東ドイツで活動していた時代の大ヒット曲で、1974年のリリース。

同年、東ドイツの音楽チャートでトップになった。

いっしょに旅行した彼氏がカラーフィルムを忘れたために、記念写真がみんな白黒になってしまったことに怒る女の子の歌だ(当然、この時代はフィルムカメラ)。

 

第2次世界大戦の敗戦国となったドイツは

東西に分断され、

西は資本主義国であるアメリカや

イギリス・フランスなどの勢力下に、

東は社会主義国のソ連(現ロシア)の勢力下に

置かれていた。

 

コミカルな味わいのこの曲は、当時の若者の、

単調で色のない社会主義国の生活・文化に対する

鋭い批判、痛烈な風刺として受け止められていた。

 

当時の東ドイツの若者の多くがこの曲に刺激されて

ロックを聴き始め、

ロックカルチャーの影響を受け、

やがて1987年のデビッド・ボウイの伝説の

ベルリンライブ、そして、

 

1989年のベルリンの壁崩壊に繋がっていく。

 


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おりべまこと電子書籍 新刊 「週末の懐メロ 第5巻」本日発売!

 

20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で

2020年10月から毎週連載した「週末の懐メロ」を書籍化。

 

楽曲やアーティストを解説、

あるいはロック史・音楽史を研究、

といった大それたものではありません。

主観9割・偏見まみれの音楽エッセイ集です。

 

僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、

21世紀を生きる若い世代のお宝発掘のための

ガイドブックとしても楽しんでほしい。

良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。

第5巻として♯116~♯148を収録。

 

もくじ

116 カラーフィルムを忘れたのね/ニナ・ハーゲン

117 スタンド・バイ・ミー/プレイング・フォー・チェンジ

118 人は少しずつ変わる/中山ラビ 

119 氷の世界/井上陽水 

120 ユー・メイ・ドリーム/シーナ&ロケッツ 

121 ア・ソング・フォー・ユー/レオン・ラッセル 

122 ファーストカー/トレイシー・チャップマン 

123 ヨイトマケの唄/美輪明宏 

124 オ―、シャンゼリゼ/ダニエル・ビダル 

125 夜空ノムコウ/スガ シカオ 

126 オード・トゥ・マイファミリー/クランベリーズ 

127 いとしのレイラ/デレク&ザ・ドミノス

128 赤いハイヒール/太田裕美 

129 サタデーナイト/ベイシティ・ローラーズ 

130 ビコーズ・ザ・ナイト/パティ・スミス・グループ 

131 涙のサンダーロード/ブルース・スプリングスティーン 

132 燃ゆる灰/ルネッサンス 

133 さよなら人類/たま 

134 ウィリー・オ・ウィンズベリー/ペンタングル 

135 アウト・オブ・ザ・ブルー/ロキシーミュージック 

136 アジアの純真/PUFFY 

137 ハリケーン/ボブ・ディラン 

138 夜明けのスキャット/由紀さおり 

139 ロックンロール黄金時代/モット・ザ・フープル 

140 クラウドバスティング/ケイト・ブッシュ 

141 二十世紀少年/T・レックス 

142 女ぎつね オン・ザ・ラン/バービーボーイズ 

143 ショウ・ミー・ザ・ウェイ/ピーター・フランプトン

144 ランバダ/カオマ 

145 宇宙のファンタジー/アース・ウィンド&ファイアー 

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経済が支配するユートピアとディストピアを見つめる 「父が娘に語る経済の話。」

 

ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」以降、

こうした人類の発展の歴史を大俯瞰する試みが

次々と世に出され、

一つのムーブメントのようになっている。

やはり人間の世界は大きな転換期を迎えている。

 

5年前に出されたこの著作もその一つで、

経済が支配する世界で暮らしている僕たちは、

ぜひ読むべき本だと思った。

 

著者のヤルフ・バルファキスはギリシャの元財務大臣で、

アテネ大学の経済学教授。

けれども自分で言っている通り、

この本のなかでは専門用語をほとんど使わず、

「資本主義」を「市場社会」と、

「資本」を「機械」や「生産手段」と言い換えている。

 

本を読んでいる時間がないほど忙しいという人は、

最後の10数ページのエピローグ

「進む方向を見つける思考実験」だけでも、

立ち読みしてみるといい。

 

著者はこの1世紀余りの間に世に出された

SF小説・SF映画に親しんでおり、

そのイメージを用いて理論を展開する。

 

そして、この資本主義社会が将来、

理想的なユートピアに、

反転して絶望のディストピアに

なるかもしれないと示し、

どんな社会を希望し選択するのか、

自分の娘ら、子どもたちの世代に問いかける。

 

ここで書かれていることは

コロナ禍後、AIの台頭に脅威を感じるようになった

この1,2年でますますリアルに感じる人が

増えているのではないだろうか。

 

経済に支配され、振り回され、

カネのせいで頭がおかしくなってしまうのは

嫌だと叫んでも、

普通の人たちは到底ここから出ることはできない。

だから少しでも世界の見方を変えていくべきなのだ。

 

目の前の混乱から離れて世界を見つめ直す――

ささやかでもまず、

そうした行動が必要な時代になって来た。

 

明日5月21日(火)発売!

おりべまこと電子書籍 新刊

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Amaon Kindkeより ¥300

20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

 

音楽エッセイ集。全33編載録。


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「週末の懐メロ第5巻」5月21日発売

 

おりべまこと電子書籍新刊

「週末の懐メロ第5巻」5月21日(火)発売予定!

 

 ・人は少しずつ変わる/中山ラビ

・夜空ノムコウ/スガ シカオ

・ウィリー・オ・ウィンズベリー/ペンタングル

・ハリケーン/ボブ・ディラン

・夜明けのスキャット/由紀さおり

・20世紀少年/T・レックス

ほか全32編載録

 

 最晩年、おそらく最後に近いステージだと思うが、

2019年12月に松本のライブハウスでの

演奏が上がっている。

70歳の中山ラビが、ギター一本でこの歌を歌っていた。

別に気負うことなく、20代の頃と同じように、

さして変わらぬ声で、ごく自然に。

とても美しいと思った。

 

人は少しずつ変わる。

だんだん変わってどこへたどり着くのか。

誰にも自分のことがわからない。

でもきっと、だから生きているのが面白いのだろう。

(「人は少しずつ変わる/中山ラビ」より)

 

 

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息子の誕生日に考えたこと

 

昨日は息子の誕生日だったので、

今日は恵比寿にあるベトナム料理店に行って

ささやかなお祝いをした。

 

ベトナム料理にしたのは、

本人がアジアンエスニックをリクエストしたから。

恵比寿駅から5分足らずの「ニャーベトナム」は、

本格的なベトナム料理を出す店で、

けっこう人気が高く、

土曜のランチはとても賑わっていた。

3人で7~8品アラカルトで頼んで、

酒や誕生日プレートのデザートも取って、

1万3千円強だったので、

値段も手頃な部類に入ると思う。

 

息子は28歳になるが、

本屋から製本の会社に転職して9カ月、

自由に楽しくやっているようだ。

仕事とは関係なく、知的好奇心が旺盛で、

やたらと本を読んでいて、

特にSFや歴史に関する知識が豊富のので、

いつも内心、感心して聴いている。

 

別れた後、なぜかちょっと感傷的な気分に襲われた。

あと何回こいつと会えるのか?

そして、僕らは彼らのために何を遺せるのか?

そんな思いにとらわれた。

 

息子に限らず、彼らのような若い世代にとって、

僕たちは日本の経済が好調な時代、

リアルタイムで昭和カルチャー・

20世紀カルチャーの恩恵を受けた世代と映る。

昔から彼はそれが羨ましいと言ってきた。

羨ましがられる僕らって何だろう?

何か役に立つことをしたわけでないのだが。

 

いま、未来に良いイメージを抱くのは難しい。

大人たちは良かれと思って、

歩きやすいよう道を平坦にしているが、

若者にとって舗装された道を

てくてく歩くだけの人生なんてつまらないだろう。

 

その一方で、地球は持続可能なのか、

僕たちが享受している豊かな社会は持続可能なのか、

まだまだ先がある若い連中は、

よほど脳天気でない限り、心配になっている。

 

あと何年生きるのか、

あと何回息子の顔を見られるのかわからないが、

子どもに何を遺せるのか、

どう次の時代につないでいくのか、

課題を持ってやっていこうと思う。

 


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週末の懐メロ第5巻出る!

 

おりべまこと電子書籍新刊

「週末の懐メロ第5巻」5月21日(火)発売予定!

 

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・ヨイトマケの唄/美輪明宏

・赤いハイヒール/太田裕美

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・クラウドバスティング/ケイト・ブッシュ

・サタデーナイト/ベイシティ・ローラーズ

ほか全32編載録

 

人間、外見は変わっても中身は大して変わらない。

心のなかでこっそり青春。

ひっそりティーンエイジャー。

懐メロは、変わる時代の波にのまれ、

情報の海で溺れそうなあなたの救命胴着です。

 

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犬と息子(娘)との上下関係について

 

先日、川沿いの公園で体長1メートル強、

体重は20キロ弱ありそうな秋田犬を散歩させている

高校生か大学生と思しき男の子に遇った。

 

ところがその犬、疲れたのか、

その場所が気に入ったのか、

あるいはご機嫌を損ねたのか、

途中で道の真ん中に座り込んで動かなくなった。

 

「おい、どうした?行くぞ、行こうよ」と、

彼が何度もなだめすかそうとも、

ハーネスのリードを引っ張ろうとも、

泰然自若としていて、

とうとうその場で寝そべり始めた。

 

「某は動きたくないでござる」という感じ。

 

歩き方や全体の雰囲気からして、

シニアっぽい犬だったので、

ゆうに10歳は超えていると推察する。

 

ということは彼が子犬だったころ、

今連れて歩いている若僧はまだ小学校の低学年。

親からはもちろん子ども扱いだ。

 

犬は上下関係に厳しい。

家のなかで息子は最低の地位。

彼がまだチビの間に犬はおとなになり、

自分はこいつより地位が上だと思っている。

息子が大きくなって、だんだん両親と対等になっても、

犬の意識は「おれは上、あいつは下」のままだろう。

 

だから坐りこんで

「なんで某が下っぱの貴君の言うことを

聞かねばならぬのか」となる。

 

困った彼はしたかたなくその犬を抱きかかえて

歩き出した。

とはいえ、20キロ近くあろう大型犬なので

そのまま家に帰るのは大変だっただろう。

 

それにしても、もし何らかの事情で、

それまでの主人である父や母が家からいなくなり、

息子(あるいは娘)と犬だけの暮らしになったら、

二者の関係はどうなるのだろうか?

犬の意識は「これからはおれは下、あいつが上」

に変わったりするのだろうか?

あるいは若殿(姫君)と

年長の家来みたいになったりするのだろうか?

 

飼い主さんで、もし知っている人がいたら

教えてください。

 


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高価情報商材制作の裏話

 

今日はかさこさんの

「良いセミナー、悪いセミナーの見分け方講座」

に参加した。

自身もセミナーを主催する、ネット発信のプロだけあって

いろんな事例を知っている。

 

話自体はブログやSNSでいつも書いていることだったが、

改めて聴くと本当に面白かった。

てか、受講料100万円とか、すごいセミナーがあるものだ。

大学の年間の学費じゃん!

 

僕のところにもよく7ケタ稼げる、8ケタ稼げるとかいう

お誘いのメッセージが来る。

なぜか女が多い。

顔を見て、こいつは女に弱そうだから

女からのお誘いだよんということにしとけってことか?

20代・30代の時だったら引っかかってたかもね。

 

今日の講座で思い出したが、

僕も「情報商材」のビジネスに加担したことがある。

情報商材というのは、

今で言えば電子書籍みたいなもので、

原稿をPDFファイルにパックしたもの。

まだこれだけSNSが普及する前だから

もう15年近く前だと思う。

 

その情報商材ビジネスで儲けているという会社が

プロデューサーを募って作らせるのである。

僕はそのプロデューサーのMくんという青年に頼まれ、

犬のしつけコーチの先生に取材して原稿を

本一冊分書いた。

そこそこのボリュームで、

たぶん4~5万字程度あったのではないかと思う。

内容としてはいたってまともで良い商品だったが、

それを確か2万円だか、3万円だかで

ネット販売するというのだ。

 

取材した先生はテレビ出演や本の出版の経験もある、

そこそこ有名な人だったが、

それにしても本ならせいぜい2千円程度の代物を

2万、3万で買う人がいるのだろうか?

なんかインチキっぽい。

 

実際に製作に関わった

僕と先生とイラストレーターは大いに疑問を抱いたが、

その会社はいくつもその情報商材を売って

実績を上げているし、

Mくんもちゃんとギャラは支払うというので協力した。

 

ところが、原因は忘れてしまったが、

そのMくんと先生との間でトラブルが起こり、

会社の上役たちがゾロゾロ出てきて説得していたが、

結局、計画は頓挫してしまった。

 

優秀なスタッフを揃え、

成功まちがいなし・大儲けを信じていたMくんは

結局、僕らのギャラを払っただけで大赤字だった。

あまりに気の毒なので僕のギャラは

当初よりかなり安くして請求した。

それでも何回かの分割払いだった。

 

SNSや電子書籍全盛の時代になったが、

まだこのPDF式情報商材はネット上で

けっこう流通しているようで、

あちこちでトラブルを起こしているのを見かける。

ジャンルとしてはどうやら

投資やギャンブルに関するものが多いようだ。

 

そう言えば、ライターのエージェンシーのサイトでも

時々、「情報商材ライター募集」という求人を見かける。

情報商材も、怪しいセミナーも、投資サロンも、

それぞれはっきり実態がわかってるわけではないが、

同じ穴のムジナと思われる。

 

それにしても3万円出して情報商材を買う人、

数十万円・100万円出してセミナーを受ける人って、

どういう人なんだろう?

 

カネの使いどころに困っている金持ちさんなのだろうか?

ビジネスが成り立ち、成功者がたくさん出るほど、

そういう人が大勢いるのだろうか?

 

そういや、特殊詐欺でも

信じられないほどの金額を振り込む人がいる。

とてもまともな金銭感覚ではない。

 

みんな、金のことを考えすぎて

頭も価値観もおかしくなっているのではないか?

たんに僕がビンボー人だからそう思うだけなのか?

日本はますます不思議な国になってきた。

 


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母の日に酒を、父の日に花を

 

ずいぶん昔から

父の日にはお酒を贈るのが定番化している。

けど、お酒が欲しいお母さんだって、

お花が欲しいお父さんだっているはずだ。

 

「花なんかいらねーから酒持ってこい!」

というかーちゃんは問題かもしれないけど、

1年に1回くらいは許してあげていいかも。

 

「僕はお花が好きだから、

バラの香りに包まれながら眠りたい」

というとーちゃんはすてき?

 

子どもたちよ、21世紀の子どもたちよ、

定番化したライフスタイルを打ち砕け。

 


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糸姫/状況劇場

 

YouTubeで状況劇場の音源が上がっていたので、

思わず聴いてしまった。

 

1975年秋の公演「糸姫」の千秋楽の舞台。

じつはこの「糸姫」は僕らが演劇学校で上演した

唐作品の一つ(1979年7月)である。

 

紡績工場の女工と、

労働の価値を考える

しがないサンドイッチマンの男を中心に、

怪しい整形外科病院、

アドルフ・ヒトラーを狂信する院長、

紡績会社の跡取りのバカ息子、

そして、整形手術に失敗した女たちが

リボンの騎士となって登場。

地獄の天使ヘルスエンジェルスの

バイクまでが舞台を走りまわる

恐るべき妄想コラージュ。

 

とは言え、ちゃんと筋の通った物語になっていて、

2時間観客をくぎ付けにするのが、

唐十郎作品のすごいところ。

 

脚本(戯曲)はもちろん読んでいるが、

こんなライブ音源を聴くのは初めて。

かなりぶった切られていて、

たぶん半分強の尺になっているが、

見せどころ(聴かせどころ)はちゃんと抑えている。

それに相当良い席で録音したらしく、

50年近く前の録音と思えないほど音質が良い。

 

主役の絵馬(エマ)は李麗仙。

相手役の価(アタイ)は根津甚八。

二人ともめっちゃカッコよくて

改めてしびれて聞き惚れてしまった。

あまりに生き生きしているので、

どちらもこの世を去って久しいなんて信じられない。

唐さんが作る独特のリズムのセリフの群れは

美しい音楽のようだ。

 

また、最後に挨拶する唐さんの声が若々しく、

いたって“まともな人”のように聞こえるのが

なんだか面白い。

そして当時の観客の熱狂的な雰囲気も

きちんと記録されている。

 

ポスターは“ゲージツ家”篠原勝之。

唐十郎ワールドはインスピレーションを

いたく刺激するらしく、

横尾忠則以降、多くの美術家がポスター、チラシの

デザインを担当し、

その魅力的な絵も状況劇場の人気の一要素だった。

どうやら最近、これらのポスターは美術品扱いで、

ネット上でかなり高値で取引されているらしい。

 

また、クマさんこと篠原勝之氏は、

この戯曲を原作として同名の漫画本を出している。

「糸姫」とまた出会えて、とても嬉しい。

 


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なぜ医者も歯医者も早死にするのか?

 

歯のメンテナンスのために月イチで歯医者に通っている。

そこの歯科医は学生時代、ラガーマンだったそうで

体格もよく筋肉質。

もう65,6になるがハゲも白髪もあまりなく、

とても若々しく見える。

穏やかで優しいキャラなので、

選手としては大したことなかったのかもしれない。

 

彼がコロナの少し前くらいから

やたらと饒舌になり、治療の際にあれこれ雑談してくる。

世界情勢、政治情勢、いろいろ自分の意見をお持ちで、

僕にいろいろ振ってくるが、

こちらは治療で口を開けているので、

なかなか応答できない。

 

医療業界のヤバイ話、闇の話も平気でするようになった。

院の借金の返済が済んだからか、

それとも還暦を過ぎたせいか、

タガが外れたように、

そんなこと患者の僕に言っちゃっていいの?

といった批判・論評を平気でする。

 

そういう舞台裏の話とは異なるが、先日のは

「医者・歯医者は平均寿命より早く死ぬんですよ」

と言って、

禁煙外来の医者が1日60本煙草を吸っているとか、

80近くなっても大酒のみの医者が、

患者には禁酒を勧めている――

といったことを面白そうに喋りまくった。

 

話半分で聴いて家に帰り、

「ほんとかいな?

あの人の周囲にたまたまそういう人が多いだけだろ」

と思って調べてみたら、あるわあるわ、

ネット上に「医者 短命」の記事がわんさか載っている。

医者自身も書いているし、

岐阜県でわりときちんとしたデータも取っている。

 

これはあの歯医者の与太話ではなく事実だった。

なぜ医者は短命なのか?

ちょっと考えてみる。

 

何と言っても命を預かる仕事なので、

ストレスが大きいだろう。

責任感のあるまじめな医師ほど

負担を重く感じるのではないかと思う。

 

最近は少し改善されているのかもしれないが、

過重労働もあるし、大きな病院では人間関係も厳しい。

やっぱり命を削るような大変なお仕事なのである。

 

加えて、日本の医療界に独特の医局制度が原因の

ストレスも大きいようだ。

そこでいろいろ聞いた医療界の闇話も思い出した。

もしかしたら、けっして口に出せない

「罪悪感」を抱えている医者は

けっこう多いのかもしれない。

そういうものは回りまわって

自分の命を縮めてしまうようだ。

 

それにしても医者はともかく、

歯医者も短命とは?

ちょっと解せない。

診療科目によって寿命が違うとかあるのだろうか?

またヒマを見て、ぼちぼち調べてみようと思う。

 

患者のためにも、自分のためにも

「医は仁術なり」。

 


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高齢者を高齢者扱いするべからず

 

いま、運動系デイサービス施設の現場管理者である

Tさん(男性)の本を書いている。

Tさんは息子とさして違わない齢だが、

飲食業、スポーツ科学業(?)の職歴が深く、

そこで身につけた人間観察と

コミュニケーションスキルを活かして、

高齢者の運動指導に当たっている。

 

約10年前、学生時代に彼は

いわゆる養老院に研修で言ったそうだが、

そこにいた職員、というか施設の在り方が

大嫌いだったそうである。

 

「○○さーん、大丈夫ですか~?」

という甘ったるい声を出しておきながら、

裏で散々その人の悪口を言ったりする

偽善者ぶりに堪えられなかったという。

 

利用者も利用者で、人生放棄、

セルフネグレストの状態に近い人がほとんどだったらしい。

そんな彼が今、高齢者の相手をしている。

 

その施設の事情や成り立ちが違うので、

単純に比べてどうこうとは言えない。

ただ、彼が現在の利用者を

「高齢者」というカテゴリーに押し込めず、

ひとりの人間として対応していることは確かだ。

 

自分の祖父母のような人たちに対して

まるで家族か友だちのように

平気でタメ口をきくのも

絶対に失礼にならない、嫌われないという

自信があるからだ。

つまり、利用者の人間としての尊厳を

大事にしていることが伝わるからである。

 

特にこれからの高齢者は

そうしたことにとても敏感になるだろう。

自分を高齢者扱いする施設には行かないだろう。

彼ら・彼女らのプライドを傷つけないよう

対応するのはなかなか大変そうだ。

スタッフには医療や看護・介護の知識以上に

そうしたスキルやノウハウ、

人生観までが問われることになる。

 


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いま、だれが地球と人類を救うのか?

 

小惑星が地球に落ちてくる。

激突すれば人類滅亡は必至。

それを回避するには小惑星の真ん中に

核爆弾をぶちこみ、破壊するしかない。

そのミッションを担ったのは、

石油採掘会社の、ろくでなしだが愛すべき男たち。

地球を、人類を、愛する人たちを救うために

男たちは悲壮な覚悟を持って宇宙空間に旅立った・・・

 

1998年公開のアメリカ映画「アルマゲドン」は

20世紀カルチャーてんこ盛りの、

ハリウッド映画のお手本のような作品だ。

エアロスミスが歌うドラマチックな主題歌

「ミス・ユー・シンク」も泣かせる。

このPVを見れば5分で

2時間の映画を見た気分になれる。

 

この手の20世紀映画で人類の危機を救うのは

みんなアメリカ人だ。

アメリカで作っているのだから当たり前だが、

やはり日本人や他国の人たちでは、

なかなかこうした地球大・宇宙大のスケールで

愛と正義と救済の物語は描けないのではないかと思う。

 

なぜかといえば20世紀、

現実の世界でアメリカが

「世界の警察」の役割を担っていたからだ。

それはアメリカがイギリスと共に

19世紀・20世紀の世界を形づくった責任から――

と言えなくもないのではないかと思う。

 

その役割がおかしくなり、やがて放棄するに至ったのは、

2001年の9・11同時多発テロがきっかけだった。

あのあたりからだんだんアメリカの関心は内へ向かい、

自分たちさえよければ他はどうでもいいや、

というふうに変わってきたのではないか。

日本人をはじめ、どの国の人たちもみんなそうだが。

 

「世界の警察」という意識には独善的な面が多々あり、

困った問題もたくさん引き起こしたが、

それでもやはり広く見れば、

アメリカのが言う“正義”によって

世界はバランスを保ってこられた。

今起こっているロシアとウクライナとの戦争、

イスラエルとハマスとの戦争は、

やはりアメリカが警察の役目を放棄したことが

大きな要因の一つになっているような気がしてならない。

 

21世紀になって、地球を救う者・人類を救う者は

いなくなってしまった。

「アルマゲドン」が旧態然としたハリウッドの

おめでたい予定調和映画と批判するのは簡単だが、

もう一度、未来のために

誰がどうやって地球を・人類を救えるのか考えてみたい。

 

 


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鏡の国のお義母さん

 

「あら、いやだ、だから言ったじゃないの」

「いいわよ、あんた、それ、いいじゃない」

「あんたったら、あーおかしい。アハハハ・・」

 

義母が楽しそうに洗面台の鏡に向かってしゃべっている。

鏡のなかにいるのは誰なのか?

もう一人の自分なのか、友達なのか、きょうだいなのか。

ちょっとだけ離れたキッチンで聴き耳を立てるが

さっぱりわからない。

 

ちょっと前までは自分の部屋のなかで、

死んだ家族の幽霊か、

遊びに来たざしきわらしか、

まぼろしの子供などと話していたのだが、

最近は僕やカミさんがすぐ横にいても

謎の人物と平気で対話している。

もちろん僕らには見えない。

が、認知症の彼女にはくっきりとその存在が見えている。

 

僕らは慣れっこになっているので何とも思わないが、

はたから見ると相当不気味な光景だ。

シュールレアリスムの映画か、

アングラ演劇の1シーンのように

見えるのではないかと思う。

 

知らない人は多分、義母を精神分裂とか、

多重人格とかのカテゴリーに入れるかもしれない。

けれどもそれで別に錯乱することはないし、

外に連れ出すといたって正常な人に見える。

 

今朝、デイサービスに出かけた後に

部屋を掃除したら、

布団の枕もとにポケットアルバムが置いてあった。

めくるとカミさんと妹との3ショット

(かなり若い頃。カミさんかわいい)、

カミさんと僕と息子(彼女の孫)の

3ショットなどが入っている。

眠る前に見ていたのだろうか?

でも写真の僕らと現実の僕らとは一致しないようだ。

 

奇妙ではあるが、それなりに楽しい生活。

他の家族にも会いたいのだろうが、

もうみんないないし、今の暮らしが最大限の幸福

――鏡の国のもうひとりの義母からそう諭してほしい。

 


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唐十郎式創作術「分からないことに立ち向かう」

 

長年書き続けた理由を尋ねると

「分からないことに立ち向かうためです」と言い切った。

一昨日、亡くなった唐十郎さんが

記者に向かって言ったセリフ。

 

カッコいい。

わかっているから書く、のではなく、

わからないことを自分に問い、文字にする。

わからないから書き続ける、創作し続ける。

すると脳の奥深くにある泉から物語が湧き出てくる。

 

また、別の記事では、

「僕は書きながら考えていくんです。

テーマ、モチーフを決めないで、

1点だけ入り口を見つけて、あとはペンが走るまま」。

天才だからそうやってできたのだ、

と言えばそれまでだが、

作品のレベルは違えど、

僕にもそういうふうに書けることがある。

 

誰でも自分の中に表現するための水脈を持っている。

要は掘り進める勇気と技術があるかだ。

どこをどう掘れば水脈に当たるか。

唐さんは熟知していたのだろう。

 

その脳の奥にある泉は広く、深く、

自分を掘りまくって膨大な作品を残した。

芥川賞をはじめ、数々の文学賞を獲りまくったが、

小説もエッセイも映画もテレビも

唐さんにとってはオマケみたいなもの。

メインの仕事、主戦場は、

あくまで自分が主宰する紅テントの芝居—ー

状況劇場・唐組で上演する戯曲であり、

演出であり、出演で、

最後までいっさいブレることはなかった。

 

大学教授などもやったが、それも人生の付録みたなもの。

自分では教授役を演じている、

といった意識だったのではないだろうか。

華やかな場所や国際的な名声にも興味がなかったようで、

とにかく死ぬまで芝居をやり続けられられれば満足、

幸せだったのだと思う。

 

唐さんの訃報を聴いた後、

どうも落ち着かず、仕事も進まない。

きょうは少し昼寝をしたら、

状況劇場の芝居を観に行ったときの夢を見てしまった。

 

年内に唐作品のオマージュのようなものを書きたい。

 


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唐十郎さんに「君の作文は面白い」と言われたこと

 

今朝、「唐十郎さん死去」のニュースを

最初に目にしたのは、

読売新聞オンラインでだった。

その記事内の写真を見て仰天した。

 

1968年、新宿・花園神社内に建てられた

紅テントの天井面にサイケポップなイラストと

「WELCOME」という横文字のデザインが施されている。

こんなにお洒落でお茶目な

紅テントを目にするのは初めてだ。

 

入ってみた人は知っていると思うが、

血と肉の色で四方を囲まれたテント内は、

母親の胎内を想起させる劇空間で、

毒々しい猥雑なエネルギーに満ちていた。

 

それとサイケポップなこのテントは、

ずいぶんかけ離れたイメージに感じる。

一時期、美術家の横尾忠則氏が

公演ポスターなどのデザインをやっていたので、

これも横尾氏のイラストだろうか?

 

その前で若き唐さん(当時28歳くらい)を中心にして

あの状況劇場のメンバーが写っているのが不思議に見える。

唐さんがアングラ演劇のヒーローとして大活躍した

1960年代とこの2024年がいっきに合流したような

錯覚にとらわれた。

そして、41年前に他界したもう一人のアングラヒーロー

寺山修司さんと同じく5月4日が命日になったことも、

何かスピリチュアルなものを感じずにはいられない。

 

そんなわけで唐さんの訃報を知ったとたん、

すっかり忘れていたことをいろいろ思い出した。

1979年3月、当時在籍していた演劇学校の卒業公演で

唐さんの「蛇姫様」(1976年、状況劇場で上演)

をやった。

韓国から日本に密航する船の中で凌辱された女の娘が、

スリを生業としながら

自分のアイデンティティを求めて旅する物語である。

 

そのちょっと前に僕は劇団状況劇場の入団試験を受けた。

第一選考の作文にパスし、

最終選考のために稽古場まで行ったのだ。

場所は杉並区の成田東。

今住んでいるところのすぐ近所で、

そう言えば阿佐ヶ谷から歩いて

川沿いの公園を通って行った記憶がうっすら残っている。

 

試験は面接と簡単なダンスのようなものをやった。

審査員として稽古場の演出席に陣取った

唐さんと李麗仙さん(当時の奥さんで主演女優・故人)が

じっと見ていて、相当緊張した。

 

李さんは冷たく厳しかったが、

おっかないと思っていた唐さんはずいぶん僕に優しかった。

卒業公演とその時の演出家(演技指導の先生)について

2,3聴いたあと、最後に

「君の作文はなかなか面白いよ」と言ってくれた。

門を叩きに来た、

20歳にもならない学生に気遣いなどしないだろうから、

少しは唐さんの胸に響くものだったのかもしれない。

 

たしか「志望動機」についての作文だったので、

「わたしの人生は演劇に救われた」

というテーマで書いたのではないかと思う。

当然、原稿など残っていないし、

詳しい内容は思い出せないが、

小中学校でやった寸劇の台本を書いた話とか、

高校の演劇部の話を書いたのではないだろうか。

もう同じものは書けないが、

その時の気持ちは45年経っても変わらない。

 

そして、状況劇場の芝居を見た時の感動も

いつまでも色あせない。

特にラストで舞台の後ろのテントが開き、

劇世界と現実の世界が混然一体となるシーンは、

自分の人生の一部になるような稀有な演劇体験だった。

 

唐十郎も、李麗仙も、根津甚八も、小林薫も、

皆、同じ舞台の上で、同じ世界の中で暴れていた。

あの時代、状況劇場の芝居を生で見ることができ、

本当に幸運だった思う。

そう考えると、状況劇場の舞台や

唐さんの作品にも救われている。

 

ただ、そう思えるようなったのは後年のことで、

当時はそこまで状況劇場・唐十郎の存在を

大きくとらえることはできなかった。

 

試験から帰って1週間後くらいに

合格通知をもらったのだが、

友人とオリジナル劇団を作ることになって、

結局、一度も状況劇場には行うことなく、

唐さんと直接言葉を交わすことも二度となかった。

 

ちなみに合格したのは別に優秀だったわけでなく、

公演時にテントを設営する人手や雑用係が必要なので、

とくに男は大半を合格させていたらしい。

 

それでも今思えば、ちょっとの間は状況劇場に入って、

人足でもいいからいろいろ経験しておけば良かったかなと、

ちょっぴり後悔もある。

が、あの頃は若くて血気盛んで、

そういうふうには頭が回らなかった。

 

「君の作文はなかなか面白いよ」――

そう言われて、あの時は「ありがとうございます」と

軽くお礼を言っただけで終わってしまったが、

いまだにへたくそな文章を書いて生業にしているのは、

あの時、作文をほめられたことが

大きいのかなと思う時がある。

知らず知らずのうちに

心の支えになっていたのかもしれない。

 

もちろん、永遠に足元にも及ばないのだが、

唐さんの芝居を体験し、自ら唐作品を演じ、

お褒めの言葉まで戴いた以上、

少しでも人の心に響くものを作れるよう、

最後まで頑張りたいと思う。

 

唐十郎さんのご冥福をお祈りします。

 


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