なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?

 

 「かえるくん、東京を救う」というのは村上春樹の短編小説の中でもかなり人気の高い作品です。

 主人公がアパートの自分の部屋に帰ると、身の丈2メートルはあろうかというカエルが待っていた、というのだから、始まり方はほとんど恐怖小説。

 ですが、その巨大なカエルが「ぼくのことは“かえるくん”と呼んでください」と言うのだから、たちまちシュールなメルヘンみたいな世界に引き込まれてしまいます。

 

 この話は阪神大震災をモチーフにしていて、けっして甘いメルヘンでも、面白おかしいコメディでもないシリアスなストーリーなのですが、このかえるくんのセリフ回しや行動が、なんとも紳士的だったり、勇敢だったり、愛らしかったり、時折ヤクザだったりして独特の作品世界が出来上がっています。

 

 しかし、アメリカ人の翻訳者がこの作品を英訳するとき、この「かえるくん」という呼称のニュアンスを、どう英語で表現すればいいのか悩んだという話を聞いて、さもありなんと思いました。

 

 このカエルという生き物ほど、「かわいい」と「気持ち悪い」の振れ幅が大きい動物も珍しいのではないでしょうか。

でも、その振れ幅の大きさは日本人独自の感覚のような気もします。

 

 欧米人はカエルはみにくい、グロテスクなやつ、場合によっては悪魔の手先とか、魔女の使いとか、そういう役割を振られるケースが圧倒的に多い気がします。

 

 ところが、日本では、けろけろけろっぴぃとか、コルゲンコーワのマスコットとか、木馬座アワーのケロヨンとか、古くは「やせガエル 負けるな 一茶ここにあり」とか、かわいい系・愛すべき系の系譜がちゃんと続いていますね。

 

 僕が思うに、これはやっぱり稲作文化のおかげなのではないでしょうか。

 お米・田んぼと親しんできた日本人にとって、田んぼでゲコゲコ鳴いているカエルくんたちは、友だちみたいな親近感があるんでしょうね。

 そして、彼らの合唱が聞こえる夏の青々とした田んぼの風景は、今年もお米がいっぱい取れそう、という期待や幸福感とつながっていたのでしょう。

 カエル君に対するよいイメージはそういうところからきている気がします。

 

 ちなみに僕の携帯電話はきみどり色だけど、「カエル色」って呼ばれています。

 茶色いのも黄色っぽいもの黒いのもいるけど、カエルと言えばきれいなきみどり色。やっぱ、アマガエルじゃないとかわいくないからだろうね、きっと。

 雨の季節。そういえば、ここんとこ、カエルくんと会ってないなぁ。ケロケロ。

 


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家族ストーリーを書く仕事② 個の家族

 

  「これから生まれてくる子孫が見られるように」

 ――今回の家族ストーリー(ファミリーヒストリー)を作った動機について、3世代の真ん中の息子さん(団塊ジュニア世代)は作品の最後でこんなメッセージを残しています。

 彼の中にはあるべき家族の姿があった。しかし現実にはそれが叶わなかった。だからやっと安定し、幸福と言える現在の形を映像に残すことを思い立った――僕にはそう取れます。

 

 世間一般の基準に照らし合わせれば、彼は家庭に恵まれなかった人に属するでしょう。かつて日本でよく見られた大家族、そして戦後の主流となった夫婦と子供数人の核家族。彼の中にはそうした家族像への憧れがあったのだと思います。

 

 けれども大家族どころか、核家族さえもはや過去のものになっているのでないか。今回の映像を見ているとそう思えてきます。

 

 団塊の世代の親、その子、そして孫(ほぼ成人)。

 彼らは家族であり、互いに支え合い、励まし合いながら生きている。

 けれど、その前提はあくまで個人。それぞれ個別の歴史と文化を背負い、自分の信じる幸福を追求する人間として生きている。

 

 むかしのように、まず家があり、そこに血のつながりのある人間として生まれ、育つから家族になるのではなく、ひとりひとりの個人が「僕たちは家族だよ」という約束のもとに集まって愛情と信頼を持っていっしょに暮らす。あるいは、離れていても「家族だよ」と呼び合い、同様に愛情と信頼を寄せ合う。だから家族になる。

 

 これからの家族は、核家族からさらに小さな単位に進化した「ミニマム家族」――「個の家族」とでもいえばいいのでしょうか。

 比喩を用いれば、ひとりひとりがパソコンやスマホなどのデバイスであり、必要がある時、○○家にログインし、ネットワークし、そこで父・母・息子・娘などの役割を担って、相手の求めることに応じる。それによってそれぞれが幸福を感じる。そうした「さま」を家族と呼称する――なかなかスムーズに表現できませんが、これからはそういう家族の時代になるのではないでしょうか。

 

 なぜなら、そのほうが現代のような個人主義の世の中で生きていくのに何かと便利で快適だからです。人間は自身の利便性・快適性のためになら、いろいろなものを引き換えにできます。だから進化してこられたのです。

 

 引き換えに失ったものの中にももちろん価値があるし、往々にして失ってみて初めてその価値に気づくケースがあります。むかしの大家族しかり。核家族しかり。こうしてこれらの家族の形態は、今後、一種の文化遺産になっていくのでしょう。

 好きか嫌いかはともかく、そういう時代に入っていて、僕たちはもう後戻りできなくなっているのだと思います。

 

 将来生まれてくる子孫のために、自分の家族の記憶を本なり映像なりの形でまとめて遺す―― もしかしたらそういう人がこれから結構増えるのかもしれません。

 

 

2016・6・27 Mon


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家族ストーリーを書く仕事① 親子3世代の物語

 

 親子3世代の物語がやっと完成一歩手前まで来ました。

 昨年6月、ある家族のヒストリー映像を作るというお仕事を引き受けて、台本を担当。

足掛け1年掛かりでほぼ完成し、残るはクライアントさんに確認を頂いて、最後にナレーションを吹き込むのみ、という段階までこぎつけたのです。

 

 今回のこの仕事は、ディレクターが取材をし、僕はネット経由で送られてくるその音源や映像を見て物語の構成をしていきました。そのディレクターとも最初に1回お会いしただけでご信頼を頂いたので、そのあとはほとんどメールのやり取りのみで進行しました。インターネットがあると、本当に家で何でもできてしまいます。

 ですから時間がかかった割には、そんなに「たいへん感」はありませんでした。

 

 取材対象の人たちともリアルでお会いしたことはなく、インタビューの音声――話の内容はもとより、しゃべり方のくせ、間も含めて――からそれぞれのキャラクターと言葉の背景にある気持ちを想像しながらストーリーを組み立てていくのは、なかなかスリリングで面白い体験でした(最初の下取材の頃はディレクターがまだ映像を撮っていなかったので、レコーダーの音源だけを頼りにやっていました)。

 

 取材対象と直接会わない、会えないという制限は、今までネガティブに捉えていたのですが、現場(彼らの生活空間や仕事空間)の空気がわからない分、余分な情報に戸惑ったり、感情移入のし過ぎに悩まされたりすることがありません。

 適度な距離を置いてその人たちを見られるので、かえってインタビューの中では語られていない範囲まで自由に発想を膨らませられ、こうしたドキュメンタリーのストーリーづくりという面では良い効果もあるんだな、と感じました。

 

 後半(今年になってから)、全体のテーマが固まり、ストーリーの流れが固まってくると、今度は台本に基づいて取材がされるようになりました。

 戦後の昭和~平成の時代の流れを、団塊の世代の親、その息子、そして孫(ほぼ成人)という一つの家族を通して見ていくと、よく目にする、当時の出来事や風俗の記録映像も、魂が定着くした記憶映像に見えてきます。

 これにきちんとした、情感豊かなナレーターの声が入るのがとても楽しみです。

 

 

2016・6・26 Sun


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ゴマスリずんだ餅と正直ファンタじいさん

 

おもちペタペタ伊達男

 

  今週日曜(19日)の大河ドラマ「真田丸」で話題をさらったのは、長谷川朝晴演じる伊達政宗の餅つきパフォーマンスのシーン。「独眼竜」で戦国武将の中でも人気の高い伊達政宗ですが、一方で「伊達男」の語源にもなったように、パフォーマーというか、歌舞伎者というか、芝居っけも方もたっぷりの人だったようです。

 

 だから、餅つきくらいやってもおかしくないのでしょうが、権力者・秀吉に対してあからさまにこびへつらい、ペッタンコとついた餅にスリゴマを・・・じゃなかった、つぶした豆をのっけて「ずんだ餅でございます」と差し出す太鼓持ち野郎の姿に、独眼竜のカッコいいイメージもこっぱみじんでした。

 

 僕としては「歴人めし」の続編のネタ、一丁いただき、と思ってニヤニヤ笑って見ていましたが、ファンの人は複雑な心境だったのではないのでしょうか。(ネット上では「斬新な伊達政宗像」と、好意的な意見が多かったようですが)。

 

 しかし、この後、信繁(幸村=堺雅人)と二人で話すシーンがあり、じつは政宗、今はゴマスリ太鼓持ち野郎を演じているが、いずれ時が来れば秀吉なんぞ、つぶしてずんだ餅にしてやる・・・と、野心満々であることを主人公の前で吐露するのです。

 で、これがクライマックスの関ヶ原の伏線の一つとなっていくわけですね。

 

裏切りのドラマ

 

 この「真田丸」は見ていると、「裏切り」が一つのテーマとなっています。

 出てくるどの武将も、とにかくセコいのなんのttらありゃしない。立派なサムライなんて一人もいません。いろいろな仮面をかぶってお芝居しまくり、だましだまされ、裏切り裏切られ・・・の連続なのです。

 

 そりゃそうでしょう。乱世の中、まっすぐ正直なことばかりやっていては、とても生き延びられません。

 この伊達政宗のシーンの前に、北条氏政の最後が描かれていましたが、氏政がまっすぐな武将であったがために滅び、ゴマスリ政宗は生き延びて逆転のチャンスを掴もうとするのは、ドラマとして絶妙なコントラストになっていました。

 

 僕たちも生きるためには、多かれ少なかれ、このゴマスリずんだ餅に近いことを年中やっているのではないでしょうか。身過ぎ世過ぎというやつですね。

 けれどもご注意。

 人間の心とからだって、意外と正直にできています。ゴマスリずんだ餅をやり過ぎていると、いずれまとめてお返しがやってくるも知れません。

 

人間みんな、じつは正直者

 

 どうしてそんなことを考えたかと言うと、介護士の人と、お仕事でお世話しているおじいさんのことについて話したからです。

 そのおじいさんはいろんな妄想に取りつかれて、ファンタジーの世界へ行っちゃっているようなのですが、それは自分にウソをつき続けて生きてきたからではないか、と思うのです。

 

 これは別に倫理的にどうこうという話ではありません。

 ごく単純に、自分にウソをつくとそのたびにストレスが蓄積していきます。

 それが生活習慣になってしまうと、自分にウソをつくのが当たり前になるので、ストレスが溜まるのに気づかない。そういう体質になってしまうので、全然平気でいられる。

 けれども潜在意識は知っているのです。

 「これはおかしい。これは違う。これはわたしではな~い」

 

 そうした潜在意識の声を、これまた無視し続けると、齢を取ってから自分で自分を裏切り続けてきたツケが一挙に出て来て、思いっきり自分の願いや欲望に正直になるのではないでしょうか。

 だから脳がファンタジーの世界へ飛翔してしまう。それまでウソで歪めてきた自分の本体を取り戻すかのように。

 つまり人生は最後のほうまで行くとちゃんと平均化されるというか、全体で帳尻が合うようにできているのではないかな。

 

自分を大事にするということ

 

 というのは単なる僕の妄想・戯言かも知れないけど、自分に対する我慢とか裏切りとかストレスとかは、心や体にひどいダメージを与えたり、人生にかなりの影響を及ぼすのではないだろうかと思うのです。

 

 みなさん、人生は一度きり。身過ぎ世過ぎばっかりやってると、それだけであっという間に一生終わっちゃいます。何が自分にとっての幸せなのか?心の内からの声をよく聴いて、本当の意味で自分を大事にしましょう。

 介護士さんのお話を聞くといろんなことを考えさせられるので、また書きますね。

 

 

 

2016/6/23 Thu


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死者との対話:父の昭和物語

 

 すぐれた小説は時代を超えて読み継がれる価値がある。特に現代社会を形作った18世紀から20世紀前半にかけての時代、ヨーロッパ社会で生まれた文学には人間や社会について考えさせられる素材にあふれています。

 

その読書を「死者との対話」と呼んだ人がいます。うまい言い方をするものだと思いました。

 

僕たちは家で、街で、図書館で、本さえあれば簡単にゲーテやトルストイやドストエフスキーやブロンテなどと向かい合って話ができます。別にスピリチュアルなものに関心がなくても、書き残したものがあれば、私たちは死者と対話ができるのです。

 

 もちろん、それはごく限られた文学者や学者との間で可能なことで、そうでない一般大衆には縁のないことでしょう。これまではそうでした。しかし、これからの時代はそれも可能なことではないかと思います。ただし、不特定多数の人でなく、ある家族・ある仲間との間でなら、ということですが。

 

 僕は父の人生を書いてみました。

 父は2008年の12月に亡くなりました。家族や親しい者の死も1年ほどたつと悲しいだの寂しいだの、という気持ちは薄れ、彼らは自分の人生においてどんな存在だったのだろう?どんなメッセージを遺していったのだろう?といったことを考えます。

 

父のことを書いてみようと思い立ったのは、それだけがきっかけではありませんでした。

死後、間もない時に、社会保険事務所で遺族年金の手続きをする際に父の履歴書を書いて提出しました。その時に感じたのは、血を分けた家族のことでも知らないことがたくさんあるな、ということでした。

じつはそれは当り前のことなのだが、それまではっきりとは気が付いていませんでした。なんとなく父のことも母のこともよく知っていると思いすごしていたのです。

実際は私が知っているのは、私の父親としての部分、母親としての部分だけであり、両親が男としてどうだったか、女としてどうだったか、ひとりの人間としてどうだったのか、といったことなど、ほとんど知りませんでした。数十年も親子をやっていて、知るきっかけなどなかったのです。

 

父の仕事ひとつ取ってもそうでした。僕の知っている父の仕事は瓦の葺換え職人だが、それは30歳で独立してからのことで、その前――20代のときは工場に勤めたり、建築会社に勤めたりしていたのです。それらは亡くなってから初めて聞いた話です。

そうして知った事実を順番に並べて履歴書を作ったのですが、その時には強い違和感というか、抵抗感のようなものを感じました。それは父というひとりの人間の人生の軌跡が、こんな紙切れ一枚の中に納まってしまうということに対しての、寂しさというか、怒りというか、何とも納得できない気持ちでした。

 

父は不特定多数の人たちに興味を持ってもらえるような、波乱万丈な、生きる迫力に満ち溢れた人生を歩んだわけはありませんい。むしろそれらとは正反対の、よくありがちな、ごく平凡な庶民の人生を送ったのだと思います。

けれどもそうした平凡な人生の中にもそれなりのドラマがあります。そして、そのドラマには、その時代の社会環境の影響を受けた部分が少なくありません。たとえば父の場合は、昭和3(1928)に生まれ、平成元年(1989)に仕事を辞めて隠居していました。その人生は昭和の歴史とほぼ重なっています。

 

ちなみにこの昭和3年という年を調べてみると、アメリカでミッキーマウスの生まれた(ウォルト・ディズニーの映画が初めて上映された)年です。

父は周囲の人たちからは実直でまじめな仕事人間と見られていましたが、マンガや映画が好きで、「のらくろ」だの「冒険ダン吉」だのの話をよく聞かせてくれました。その時にそんなことも思い出したのです。

 

ひとりの人間の人生――この場合は父の人生を昭和という時代にダブらせて考えていくと、昭和の出来事を書き連ねた年表のようなものとは、ひと味違った、その時代の人間の意識の流れ、社会のうねりの様子みたいなものが見えてきて面白いのではないか・・・。そう考えて、僕は父に関するいくつかの個人的なエピソードと、昭和の歴史の断片を併せて書き、家族や親しい人たちが父のことを思い起こし、対話できるための一遍の物語を作ってみようと思い立ちました。

本当はその物語は父が亡くなる前に書くべきだったのではないかと、少し後悔の念が残っています。

生前にも話を聞いて本を書いてみようかなと、ちらりと思ったことはあるのですが、とうとう父自身に自分の人生を振り返って……といった話を聞く機会はつくれませんでした。たとえ親子の間柄でも、そうした機会を持つことは難しいのです。思い立ったら本気になって直談判しないと、そして双方互いに納得できないと永遠につくることはできません。あるいは、これもまた難しいけど、本人がその気になって自分で書くか・・・。それだけその人固有の人生は貴重なものであり、それを正確に、満足できるように表現することは至難の業なのだと思います。

 

実際に始めてから困ったのは、父の若い頃のことを詳しく知る人など、周囲にほとんどいないということ。また、私自身もそこまで綿密に調査・取材ができるほど、時間や労力をかけるわけにもいきませんでした。

だから母から聞いた話を中心に、叔父・叔母の話を少し加える程度にとどめ、その他、本やインターネットでその頃の時代背景などを調べながら文章を組み立てる材料を集めました。そして自分の記憶――心に残っている言葉・出来事・印象と重ね合わせて100枚程度の原稿を作ってみたのです。

 

自分で言うのもナンですが、情報不足は否めないものの、悪くない出来になっていて気に入っています。これがあるともうこの世にいない父と少しは対話できる気がするのです。自分の気持ちを落ち着かせ、互いの生の交流を確かめ、父が果たした役割、自分にとっての存在の意味を見出すためにも、こうした家族や親しい者の物語をつくることはとても有効なのではないかと思います。

 

 高齢化が進む最近は「エンディングノート」というものがよく話題に上っています。

「その日」が来た時、家族など周囲の者がどうすればいいか困らないように、いわゆる社会的な事務手続き、お金や相続のことなどを書き残すのが、今のところ、エンディングノートの最もポピュラーな使い方になっているようだ。

もちろん、それはそれで、逝く者にとっても、後に残る者にとっても大事なことです。しかし、そうすると結局、その人の人生は、いくらお金を遺したかとか、不動産やら建物を遺したのか、とか、そんな話ばかりで終わってしまう恐れもあります。その人の人生そのものが経済的なこと、物質的なものだけで多くの人に価値判断されてしまうような気がするのです。

 

けれども本当に大事なのは、その人の人生にどんな意味や価値があったのか、を家族や友人・知人たちが共有することが出来る、ということではないでしょうか。

そして、もしその人の生前にそうしたストーリーを書くことができれば、その人が人生の最期の季節に、自分自身を取り戻せる、あるいは、取り戻すきっかけになり得る、ということではないでしょうか。

 

 


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赤影メガネとセルフブランディング

 ♪赤い仮面は謎の人 どんな顔だか知らないが キラリと光る涼しい目 仮面の忍者だ

赤影だ~

 というのは、テレビの「仮面の忍者 赤影」の主題歌でしたが、涼しい目かどうかはともかく、僕のメガネは10数年前から「赤影メガネ」です。これにはちょっとした物語(というほどのものではないけど)があります。

 

 当時、小1だか2年の息子を連れてメガネを買いに行きました。

 それまでは確か茶色の細いフレームの丸いメガネだったのですが、今回は変えようかなぁ、どうしようかなぁ・・・とあれこれ見ていると、息子が赤フレームを見つけて「赤影!」と言って持ってきたのです。

 

 「こんなの似合うわけないじゃん」と思いましたが、せっかく選んでくれたのだから・・・と、かけてみたら似合った。子供の洞察力おそるべし。てか、単に赤影が好きだっただけ?

 とにかく、それ以来、赤いフレームのメガネが、いつの間にか自分のアイキャッチになっていました。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいもの。

 独立・起業・フリーランス化ばやりということもあり、セルフブランディングがよく話題になりますが、自分をどう見せるかというのはとても難しい。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいのです。

 とはいえ、自分で気に入らないものを身に着けてもやっぱり駄目。できたら安心して相談できる家族とか、親しい人の意見をしっかり聞いて(信頼感・安心感を持てない人、あんまり好きでない人の意見は素直に聞けない)、従来の考え方にとらわれない自分像を探していきましょう。

 


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ベビーカーを押す男

 

・・・って、なんだか歌か小説のタイトルみたいですね。そうでもない?

 ま、それはいいんですが、この間の朝、実際に会いました。ひとりでそそくさとベビーカーを押していた彼の姿が妙に心に焼き付き、いろいろなことがフラッシュバックしました。

 BACK in the NEW YORK CITY。

 僕が初めてニューヨークに行ったのは約30年前。今はどうだか知らないけど、1980年代のNYCときたらやっぱ世界最先端の大都会。しかし、ぼくがその先端性を感じたのは、ソーホーのクラブやディスコでもなでもなく、イーストビレッジのアートギャラリーでもなく、ブロードウェイのミュージカルでもなく、ストリートのブレイクダンスでもなく、セントラルパークで一人で子供と散歩しているパパさんたちでした。

 

 特におしゃれでも何でもない若いパパさんたちが、小さい子をベビーカーに乗せていたり、抱っこひもでくくってカンガルーみたいな格好で歩いていたり、芝生の上でご飯を食べさせたり、オムツを替えたりしていたのです。

 

 そういう人たちはだいたい一人。その時、たまたま奥さんがほっとその辺まで買い物に行っているのか、奥さんが働いて旦那がハウスハズバンドで子育て担当なのか、はたまた根っからシングルファーザーなのかわかりませんが、いずれにしてもその日その時、出会った彼らはしっかり子育てが板についている感じでした。

 

 衝撃!・・というほどでもなかったけど、なぜか僕は「うーん、さすがはニューヨークはイケてるぜ」と深く納得し、彼らが妙にカッコよく見えてしまったのです。

 

 

 そうなるのを念願していたわけではないけれど、それから約10年後。

 1990年代後半の練馬区の路上で、僕は1歳になるかならないかの息子をベビーカーに乗せて歩いていました。たしか「いわさきちひろ美術館」に行く途中だったと思います。

 向こう側からやってきたおばさんが、じっと僕のことを見ている。

 なんだろう?と気づくと、トコトコ近寄ってきて、何やら話しかけてくる。

 どこから来たのか?どこへ行くのか? この子はいくつか? 奥さんは何をやっているのいか?などなど・・・

 

 「カミさんはちょっと用事で、今日はいないんで」と言うと、ずいぶん大きなため息をつき、「そうなの。私はまた逃げられたと思って」と。

 おいおい、たとえそうだとしても、知らないあんたに心配されたり同情されたりするいわれはないんだけど。

 

 別に腹を立てたわけではありませんが、世間からはそういうふうにも見えるんだなぁと、これまた深く納得。

 あのおばさんは口に出して言ったけど、心の中でそう思ってて同情だか憐憫だかの目で観ている人は結構いるんだろうなぁ、と感じ入った次第です。

 

 というのが、今から約20年前のこと。

 その頃からすでに「子育てしない男を父とは呼ばない」なんてキャッチコピーが出ていましたが、男の子育て環境はずいぶん変化したのでしょうか?

 表面的には イクメンがもてはやされ、育児関係・家事関係の商品のコマーシャルにも、ずいぶん男が出ていますが、実際どうなのでしょうか?

 

 件のベビーカーにしても、今どき珍しくないだろう、と思いましたが、いや待てよ。妻(母)とカップルの時は街の中でも電車の中でもいる。それから父一人の時でも子供を自転車に乗せている男はよく見かける。だが、ベビーカーを“ひとりで”押している男はそう頻繁には見かけない。これって何を意味しているのだろう? と、考えてしまいました。

 

 ベビーカーに乗せている、ということは、子供はだいたい3歳未満。保育園や幼稚園に通うにはまだ小さい。普段は家で母親が面倒を見ているというパターンがやはりまだまだ多いのでしょう。

 

 そういえば、保育園の待機児童問題って、お母さんの声ばかりで、お父さんの声ってさっぱり聞こえてこない。そもそも関係あるのか?って感じに見えてしまうんだけど、イクメンの人たちの出番はないのでしょうか・・・。

 

2016年6月16日


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インターネットがつくるフォークロア

 

インターネットの出現は社会を変えた――ということは聞き飽きるほど、あちこちで言われています。けれどもインターネットが本格的に普及したのは、せいぜいここ10年くらいの話。全世代、全世界を見渡せば、まだ高齢者の中には使ったことがないという人も多いし、国や地域によって普及率の格差も大きい。だから、その変化の真価を国レベル・世界レベルで、僕たちが実感するのはまだこれからだと思います。

それは一般によくいわれる、情報収集がスピーディーになったとか、通信販売が便利になったとか、というカテゴリーの話とは次元が違うものです。もっと人間形成の根本的な部分に関わることであり、ホモサピエンスの文化の変革にまでつながること。それは新しい民間伝承――フォークロアの誕生です。

 

“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承

 

最初はどこでどのように聞いたのか覚えてないですが、僕たちは自分でも驚くほど、昔話・伝承をよく知っています。成長の過程のどこかで桃太郎や浦島太郎や因幡の白ウサギと出会い、彼らを古い友だちのように思っています。

 

家庭でそれらの話を大人に読んでもらったこともあれば、幼稚園・保育園・小学校で体験したり、最近ならメディアでお目にかかることも多い。それはまるで遺伝子に組み込まれているかのように、あまりに自然に身体の中に溶け込んでいるのです。

 

調べて確認したわけではないが、こうした感覚は日本に限らず、韓国でも中国でもアメリカでもヨーロッパでも、その地域に住んでいる人なら誰でも持ち得るのではないでしょうか。おそらく同じような現象があると思います。それぞれどんな話がスタンダードとなっているのかは分かりませんが、その国・その地域・その民族の間で“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承の類が一定量あるのです。

 

それらは長い時間を生きながらえるタフな生命エネルギーを持っています。それだけのエネルギーを湛えた伝承は、共通の文化の地層、つまり一種のデータベースとして、万人の脳の奥底に存在しています。その文化の地層の上に、その他すべての情報・知識が積み重なっている――僕はそんなイメージを持っています。

 

世界共通の、新しいカテゴリーの伝承

 

そして、昔からあるそれとは別に、これから世界共通の、新しいカテゴリーの伝承が生まれてくる。その新しい伝承は人々の間で共通の文化の地層として急速に育っていくのでないか。そうした伝承を拡散し、未来へ伝える役目を担っているのがインターネット、というわけです。

 

ところで新しい伝承とは何でしょう? その主要なものは20世紀に生まれ、花開いた大衆文化――ポップカルチャーではないでしょうか。具体的に挙げていけば、映画、演劇、小説、マンガ、音楽(ジャズ、ポップス、ロック)の類です。

 

21世紀になる頃から、こうしたポップカルチャーのリバイバルが盛んに行われるようになっていました。

人々になじみのあるストーリー、キャラクター。

ノスタルジーを刺激するリバイバル・コンテンツ。

こうしたものが流行るのは、情報発信する側が、商品価値の高い、新しいものを開発できないためだと思っていました。

そこで各種関連企業が物置に入っていたアンティーク商品を引っ張り出してきて、売上を確保しようとした――そんな事情があったのでしょう。実際、最初のうちはそうだったはずです。

だから僕は結構冷めた目でそうした現象を見ていました。そこには半ば絶望感も混じっていたと思います。前の世代を超える、真に新しい、刺激的なもの・感動的なものは、この先はもう現れないのかも知れない。出尽くしてしまったのかも知れない、と……。

 

しかし時間が経ち、リバイバル現象が恒常化し、それらの画像や物語が、各種のサイトやYouTubeの動画コンテンツとして、ネット上にあふれるようになってくると考え方は変わってきました。

 

それらのストーリー、キャラクターは、もはや単なるレトロやリバイバルでなく、世界中の人たちの共有財産となっています。いわば全世界共通の伝承なのです。

僕たちは欧米やアジアやアフリカの人たちと「ビートルズ」について、「手塚治虫」について、「ガンダム」について、「スターウォーズ」について語り合えるし、また、それらを共通言語にして、子や孫の世代とも同様に語り合えます。

そこにボーダーはないし、ジェネレーションギャップも存在しません。純粋にポップカルチャーを媒介にしてつながり合う、数限りない関係が生まれるのです。

 

また、これらの伝承のオリジナルの発信者――ミュージシャン、映画監督、漫画家、小説家などによって、あるいは彼ら・彼女らをリスペクトするクリエイターたちによって自由なアレンジが施され、驚くほど新鮮なコンテンツに生まれ変わる場合もあります。

 

インターネットの本当の役割

 

オリジナル曲をつくった、盛りを過ぎたアーティストたちが、子や孫たち世代の少年・少女と再び眩いステージに立ち、自分の資産である作品を披露。それをYouTubeなどを介して広めている様子なども頻繁に見かけるようになりました。

 

それが良いことなのか、悪いことなのか、評価はさておき、そうした状況がインタ―ネットによって現れています。これから10年たち、20年たち、コンテンツがさらに充実し、インターネット人口が現在よりさらに膨れ上がれば、どうなるでしょうか? 

 

おそらくその現象は空気のようなものとして世の中に存在するようになり、僕たちは新たな世界的伝承として、人類共通の文化遺産として、完成された古典として見なすようになるでしょう。人々は分かりやすく、楽しませてくれるものが大好きだからです。

 

そして、まるで「桃太郎」のお話を聞くように、まっさらな状態で、これらの伝承を受け取った子供たちが、そこからまた新しい、次の時代の物語を生みだしていきます。

 

この先、そうした現象が必ず起こると思う。インターネットという新参者のメディアはその段階になって、さらに大きな役割を担うのでしょう。それは文化の貯蔵庫としての価値であり、さらに広げて言えば、人類の文化の変革につながる価値になります。

 

 

2016年6月13日


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地方自治体のホームページって割と面白い

 

 

 ここのところ、雑誌の連載で地方のことを書いています。

書くときはまずベーシックな情報(最初のリード文として使うこともあるので)をインターネットで調べます。

 これはウィキペディアなどの第3者情報よりも、各県の公式ホームページの方が断然面白い。自分たちの県をどう見せ、何をアピールしたいかがよくわかるからです。

なんでも市場価値が問われる時代。「お役所仕事云々・・・」と言われることが多い自治体ですが、いろいろ努力して、ホームページも工夫しています。

 

 最近やった宮崎県のキャッチコピーは「日本のひなた」。

 日照時間の多さ、そのため農産物がよく獲れるということのアピール。

 そしてもちろん、人や土地のやさしさ、あったかさ、ポカポカ感を訴えています。

 いろいろな人たちがお日さまスマイルのフリスビーを飛ばして、次々と受け渡していくプロモーションビデオは、単純だけど、なかなか楽しかった。

 

 それから「ひなた度データ」というのがあって、全国比率のいろいろなデータが出ています。面白いのが、「餃子消費量3位」とか、「中学生の早寝早起き率 第3位」とか、「宿題実行率 第4位」とか、「保護者の学校行事参加率 第2位」とか・・・
 「なんでこれがひなた度なんじゃい!」とツッコミを入れたくなるのもいっぱい。だけど好きです、こういうの。 

 取材するにしても、いきなり用件をぶつけるより、「ホームページ面白いですね~」と切り出したほうが、ちょっとはお役所臭さが緩和される気がします。

 

 「あなたのひなた度は?」というテストもあって、やってみたら100パーセントでした。じつはまだ一度も行ったことないけれど、宮崎県を応援したくなるな。ポカポカ。

 

2016年6月12日


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タイムマシンにおねがい

 

 きのう6月10日は「時の記念日」でした。それに気がついたら頭の中で突然、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」が鳴り響いてきたので、YouTubeを見てみたら、1974年から2006年まで、30年以上にわたるいろいろなバージョンが上がっていました。本当にインターネットの世界でタイムマシン化しています。

 

 これだけ昔の映像・音源が見放題・聞き放題になるなんて10年前は考えられませんでした。こういう状況に触れると、改めてインターネットのパワーを感じると同時に、この時代になるまで生きててよかった~と、しみじみします。

 

 そしてまた、ネットの中でならおっさん・おばさんでもずっと青少年でいられる、ということを感じます。60~70年代のロックについて滔々と自分の思い入れを語っている人がいっぱいいますが、これはどう考えても50代・60代の人ですからね。

 でも、彼ら・彼女らの頭の中はロックに夢中になっていた若いころのまんま。脳内年齢は10代・20代。インターネットに没頭することは、まさしくタイムマシンンに乗っているようなものです。

 

 この「タイムマシンにおねがい」が入っているサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」というアルバムは、1974年リリースで、いまだに日本のロックの最高峰に位置するアルバムです。若き加藤和彦が作った、世界に誇る傑作と言ってもいいのではないでしょうか。

 中でもこの曲は音も歌詞もゴキゲンです。いろいろ見た(聴いた)中でいちばんよかったのは、最新(かな?)の2006年・木村カエラ・ヴォーカルのバージョンです。おっさんロッカーたちをバックに「ティラノサウルスおさんぽ アハハハ-ン」とやってくれて、くらくらっときました。

 

 やたらと「オリジナルでなきゃ。あのヴォーカルとあのギターでなきゃ」とこだわる人がいますが、僕はそうは思わない。みんなに愛される歌、愛されるコンテンツ、愛される文化には、ちゃんと後継ぎがいて、表現技術はもちろんですが、それだけでなく、その歌・文化の持ち味を深く理解し、見事に自分のものとして再現します。中には「オリジナルよりいいじゃん!」と思えるものも少なくありません。(この木村カエラがよい例)。

 この歌を歌いたい、自分で表現したい!――若い世代にそれだけ強烈に思わせる、魅力あるコンテンツ・文化は生き残り、クラシックとして未来に継承されていくのだと思います。

 

 もう一つおまけに木村カエラのバックでは、晩年の加藤和彦さんが本当に楽しそうに演奏をしていました。こんなに楽しそうだったのに、どうして自殺してしまったのだろう・・・と、ちょっと哀しくもなったなぁ。

 

2016年6月11日


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「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


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歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


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歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


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「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


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歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


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「パーフェクトデイズ」 どうせ死ぬのに、なぜ一生懸命生きるのか? を考える映画

 

青く晴れわたった空を見ていると、

なぜか胸が切なくなり、涙が出てくる。

 

歌だったか、小説だったか、忘れてしまったが、

誰かがそんなことを書いていた。

ヴィム・ヴェンダーズ監督、役所広司主演の映画

「パーフェクトデイズ」の感想を一口で言うなら、

そんな映画だ。

 

たんにエンタメとして楽しませてくれるよりも、

いろいろなことを考えさせてくれるのがいい映画、

あるいは、きょうはそういう気分になっている

人にとっては、これほどいい映画はない。

 

役所広司演じる主人公は、トイレの清掃員・平山。

朝、夜明け前に起き出し、支度して仕事に出かけ、

終わると安い飲み屋で一杯ひっかけ、

夜はふとんで本を読んで寝る。

 

その単調な生活、同じような毎日の繰り返しを淡々と描く。

周囲の人たちとの、小さなエピソードはいくつかある。

そして、彼が毎朝、若木に水をやったり、

公園の木々の写真をフィルムカメラで撮ったりする描写も、

そうした命を愛する人だということを伝える。

 

しかし、それだけだ。

平山の生き方を変えてしまうような劇的な展開、

物語らしい物語はいっさいない。

テーマらしいテーマもないように見える。

 

でも、僕はこの映画の秘密めいたテーマを見つけた。

まだ序盤のあたり、同じ清掃員仲間の若い男が

平山の丁寧な仕事ぶりをちょっとくさすように、

「どうせ汚れるんですから」という。

トイレだから当然だ。

どうせ汚れるのに、汚されてしまうのに、

どうしてそんなに一生懸命になって掃除するんだ。

僕もそう思う。

きっと誰もが、若い男のセリフを借りれば、

「10人のうち9人は」、いや、もしかしたら10人が

そう思うと思う。

誰もが豊かで便利で平和に生活できる、この社会では。

 

「どうせ汚れるのに、どうして一生懸命掃除するのか」

これは言い換えれば、

「どうせ死ぬのに、どうして一生懸命生きるのか」

につながる。

平山はきっとそうしたことを考えながら、

毎日のトイレ清掃に励んでいる。

 

それがどんな仕事でも、

ていねいに仕事をすることは、

ていねいに生きることにながる。

ていねいに生きれば、一日一日がきれいに輝く。

そんなメッセージが流れている。

 

平山は現代社会に取り残されてしまったような人だ。

孤独だし、もう若くないし、カネも持っていなさそうだ。

スマホもパソコンも使わなければ、

ボロアパートの部屋にはテレビさえ置いていない。

車は持っているので、ラジオは聴くかもしれないが、

彼がラジオを聴くシーンは出てこない。

車内で聴くのはもっぱら古いカセットテープ。

1960年代から70年代の音楽だ。

 

彼の年齢は60歳前後と察せられる。

要は、学生だった40年ほど前の時代と

ほとんど変わらない生活を送っているのだ。

 

そんな取り残され、落ちこぼれた、

高齢者に近い孤独な男だが、

なぜか周囲の人たちを励まし、

元気づける存在になっている。

先述の若い男もそうだし、

その男が好きになった女も平山にキスをする。

 

極めつけは、中盤で彼のアパートにやってくる姪だ。

高校生らしき彼女は、伯父である平山を慕って、

仕事についてきたり、いっしょに銭湯に行ったりする。

 

この姪との会話のなかで、平山は、

「みんな一緒の世界に住んでいるようで、

じつは別々の世界に住んでいるんだ」

といった意味のことをいう。

 

彼のバックストーリーは一切語られないが、

この姪を連れ戻しに来た母親=彼の妹との短い会話は、

平山の人生を想像させる。

妹は高級そうな車に乗っており、

彼とは段違いの裕福風な暮らしを送っていることが

見て取れる。

また、彼の父親は高齢で認知症らしく、

施設に入っているようだ。

 

実家はかなりの資産家で、

長男である平山は、父の生き方に反発し、

家を出たまま、齢を重ねてしまったのかもしれない。

妹とは同じ家庭で育ちながら、

互いにまったく違う価値観を持った人間になってしまった。

けれども、きょうだい仲は悪くない。

姪の家出もそんなに深刻なものではなく、

母親に素直に従って帰っていく。

けれども彼女にとって、伯父の持っている世界は、

一種の憧れに満ちた世界として映っている。

 

この姪や、仕事仲間の男、そのガールフレンドらは、

みんな若く、軽やかに、

面白おかしく生きているように見える。

けれどもその裏側に漂う切なさは何だろう?

彼女らは、平山の存在に何を感じていたのだろう?

それはきっとこういう予見だ。

 

わたしも、おれも、いずれ齢を取り、死ぬ。

それまでどう生きればいいのか?

 

そうした思いにあまり齢は関係ないのかもしれない。

 

映画の終盤、彼が最後に励ますのは、

行きつけの飲み屋のママのもとを訪れた男である。

平山と同年代らしいこの男は、ママの元夫で、

ガンでもう寿命があまりない。

それで別れた妻に最後に会いに来たという経緯だ。

「結局、何もわからないまま終わっていく」

という男のセリフは胸に刺さる。

そんな男をやさしく励ます平山のふるまいは、

ひどく感動的だ。

 

平山の人生はこの先、劇的に展開する気配はなく、

きっと彼はこのアパートの一室の片隅で、

野良猫のように一生を閉じるのだろう。

 

社会に置き去りにされた、底辺のエッセンシャルワーカー。

高齢者に近い孤独で無口な男。

そんな彼の存在にも価値がある。

1本1万円で売れる、

聴きつぶした中古のカセットテープのように。

 

彼の人生は輝いている。

一日一日がパーフェクト・デイ=完璧な日だ。

 

このタイトルは、ルー・リードが、

1972年に発表した同名曲から取ったものだろう。

晴れわたった青空を想起させるような、

美しいが、ひどく物悲しい旋律に乗せて、

意味深な歌詞が繰り返される。

 

Just a perfect day 

ただただ完璧な一日

 

You just keep me hanging on 

君は僕をかろうじて生かしてくれている

 

You're going to reap just what you sow 

自分の蒔いた種は、すべて刈り取らなくてはいけない

 

2023年のカンヌ映画祭など、

世界的に評価された作品であることは

あまり意識せず、

素直にありのままの気持ちで見た方がいい。

そうでないと、この映画の真価は見えてこない。

 

ヴェンダースの作品はむかし何本か見たが、

若い頃の自分にとっては退屈だった。

たぶんヴェンダース映画を見るのがイケてる、

カッコいいといった意識が入っていたからだろう。

 

これはシニアの自分には面白く見られたが、

若い人には退屈かもしれない。

でも、自分の目で見てほしいと思う。

 

「ベルリン天使の詩」「パリ、テキサス」など、

かつてはつまらないと思ったヴェンダース作品も

齢を取った目でもう一度、見てみたいと思う。

新しい何かを発見できるかもしれない。

 


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「世界に一つだけの花」がテレビの懐メロ特集から消えた話

 

年明け間もなく話題を提供してくれた中居正広君の

9千万円示談金問題。

事実関係がよくわからず、

例によって憶測ばかりが飛び交って、

たぶん2月になる頃には、

みんな忘れてしまうだろうから一切触れませんが、

それよりちょっと気になったのが、

彼が所属してたSMAPの歌のこと。

 

年末のテレビにおいて恒例のように、

あちこちのチャンネルで懐メロ特集をやっていましたが、

ゼロ年代、国民的流行歌と言われた、

SMAPの「夜空ノムコウ」や

「世界に一つだけの花」がまったく出てこない。

なんだかあのグループ、あのヒット曲の数々が

エアポケットに落っこちて、

この世から消え去ってしまった感じでした。

 

いや、いろいろ権利の問題があるのは知っています。

そして、天下御免だったジャニーズ事務所が

あんなことになってしまった今となっては、

とてもテレビでは放送できないのでしょう、きっと。

 

けれども僕たちのようないい齢をしたおとなはともかく、

当時、SMAPの歌(或いは嵐など、

他のジャニーズグループの歌)を

聴きながら育った世代の子どもたち・若者たちの心情は

どうなるのでしょうか?

 

とくに「世界に一つだけの花」などは、

学校をはじめ、全国さまざまな地域イベントなどで使われ、語られ、彼らの子ども時代・青春時代の記憶とも

強く結びついているはず。

それが一切なかったことにされてしまうのは、

なんとも寂しいこと・悲しいことだと言わざるを得ません。

 

テレビや芸能界のルールとやらは、

そうした人びとの思い出や、

あの時、音楽がもたらした感動をチャラにしてしまうほど、ご大層なものなのか?

これでは若者はテレビにそっぽを向くわけだ、

と思わざるを得ず、考えれば考えるほど、

腹立たしくなりました。

「おとなの事情」なんてくそくらえ!

もっと懐メロを大事にしろ!

 

そんなわけで、AmazonKidleから

電子書籍「週末の懐メロ」全6巻を出版しています。

これは、2000年10月からブログ「DAIHON屋のネタ帳」で

3年半にわたって連載した文章をまとめたエッセイ集。

 

20世紀の、自分の好きなミュージシャン・楽曲について、

個人的な思いや体験、

あるいはその曲を聴いていた時代の状況、

当時のロック・ポップミュージック、

日本の歌謡曲やニューミュージックを取り巻く状況などを好きなように書き綴ったもので、1960~90年代の音楽を体験した人にとっては面白く読めるのではないかと思います。2000年リリースの「夜空ノムコウ」についてもスガシカオの楽曲として、第5巻に載録しています。

 

また、旧世代にだけでなく、

20世紀当時を知らない若い世代にとっても

きっと面白いに違いないと自負しています。

いまや 年代関係なく、インターネットを通して、

20世紀のポップ・ロック・歌謡曲などを

みんなが楽しめる時代になりました。

 

僕の20代の息子もキング・クリムゾンや

ブラック・サバスを聴いています。

僕よりよほど精通した、ロック博士みたいな若者もいます。若い人たちもネットでいろいろ調べて、

聴いて、懐メロを楽しむ時代。

その参考書、ガイドブックとしても、

役に立ててほしいと思っています。

 


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ペットロスから人生観・死生観が変わる

 

ペットロスによって人生観が変わった

という人の話を聞いた。

飼っていた柴犬が目の前で車に跳ねられたという。

 

話によると、散歩中、首輪がすっぽ抜けてしまい、

その犬が走り出した。

彼は追いかけたが、犬は面白がってグングン走り、

大量の車が行き交う大通りの交差点に飛び出した。

信号は赤。車が停まれるはずがない。

 

衝突した瞬間、犬は空中に高くはね上げられた。

歩道にいた彼の視界からは、交差点の風景は消え、

空の青をバックに、スローモーションで踊るように3回、

からだが回転する犬の姿だけが見えていたという。

 

「僕、赤信号渡ってましたね。

よく自分も跳ねられなかったと思います。

道路に落ちた犬を抱き上げました。

病院に連れて行こうと思って、

まず家に帰ったんですけど、

ちょうど玄関までたどり着いた時に、かくって死んだ。

よくドラマなんかで「かくっ」って死ぬでしょ。

あれだったよ。かくっとなってね。

口からすんごい色の血が出てきて」

 

この飼い主というのは、坊さんだ。

お寺の坊さんなので、それまで葬式や法事でお経を唱え、

何百回とご供養のお勤めをしている。

しかしというか、だからというか、

死は坊さんにとっては日常的なことであり、

他人事でもある。

ビジネスライクになっていたところは否めない。

 

けれども、犬の死はこの坊さんに大きな衝撃を与えた。

彼は精神的におかしくなって仕事が出来なくなり、

本山に行って一週間、

引きこもり状態で法話を聴き続けたという。

 

「あんなに真剣に、

仏様についての話を聞くことはなかったです。

そのきっかけを犬がくれましたね。

だから僕は仏様が犬の姿となって現れて

僕をまとも坊主に導いてくれたんだと今でも思ってます」

 

彼は今、自分の寺を持ち、

そこにはペットロスの人たちが自然と集まってくる。

 

ペットが死んだからと言って、

誰もが彼のような経験をすることはないと思うが、

それでもペットロスがきっかけとなって、

人生観・死生観が変わるといった話は時々聞く。

 

いっしょに暮らす、命ある生き物は、

僕たちが通常送っている

人間の社会生活とは違った角度から、

生きること・死ぬことについて、

考えさせてくれるのは確かなようだ。

 

死について考えることは、

よりよい生について考えること。

 

Deathフェス|2025.4.12-17 渋谷ヒカリエで開催

 

「死」をタブー視せずに人生と地続きのものとして捉え、

そこから「今」をどう生きるかを考える 。

新たに死と出会い直し、

生と死のウェルビーイングを考える「Deathフェス」を、

毎年4月14日(よい死の日)を中心に開催。 

 


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著名人の死2024とDeathフェス2025 

 

1月4日:篠山紀信(83)写真家

1月16日:庄司歌江(94)漫才師

2月6日:小澤征爾(88)指揮者

2月20日:山本陽子(81)俳優

3月1日:鳥山明(68)漫画家

3月4日:TARAKO(63)声優

3月14日:寺田農(81)俳優

4月8日:宗田理(95)作家

4月10日:曙太郎(54)力士

4月21日:フジ子・ヘミング(92)ピアニスト

4月26日:桂由美(94)デザイナー

5月2日:小山内美江子(94)脚本家

5月4日:唐十郎(84)劇作家

5月16日:中尾彬(81)俳優

5月27日:今くるよ(76)漫才師

6月9日:久我美子(93)俳優

7月4日:赤塚真人(73)俳優

7月26日:園まり(80)歌手

8月1日:桂米丸(99)落語家

8月28日:宇能鴻一郎(90)作家

9月3日:ピーコ(79)タレント

9月29日:大山のぶ代(90)声優

9月30日:山藤章二(87)イラストレーター

10月4日:服部幸應(78)料理評論家

10月17日:西田敏行(76)俳優

10月23日:せなけいこ(91)絵本作家

10月25日:楳図かずお(88)漫画家

11月12日:北の富士勝昭(82)力士

11月13日:谷川俊太郎(92)詩人

11月14日:火野正平(75)俳優

11月15日:崇仁親王百合子(101)皇族

12月6日:中山美穂(54)俳優

12月9日:小倉智昭(77)フリーアナウンサー

12月19日:渡辺恒雄(98)実業家

 

昨年(2024年)亡くなった著名人を書き出してみた。

上記は僕が知っている人たちだが、

どの世代の人も、このうち半分くらいは

ご存知なのではないだろうか。

 

彼ら・彼女らの活動・作品・発言・パフォーマンスの数々は、

僕たちの心の形成に何かかしらの影響を及ぼしてきた。

少なくとも何十年も会っていない親戚よりは、

かなり身近に感じるはずだ。

 

テレビなどで、このように

身近に感じて来た人たちが亡くなるたびに、

僕たちは、日本が超高齢化社会であるとともに、

超多死社会であることを思い知る。

 

死について考えることは、

よりよい生について考えること。

 

Deathフェス|2025.4.12-17 渋谷ヒカリエで開催

 

「死」をタブー視せずに人生と地続きのものとして捉え、

そこから「今」をどう生きるかを考える 。

新たに死と出会い直し、

生と死のウェルビーイングを考える「Deathフェス」を、

毎年4月14日(よい死の日)を中心に開催。 

 


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息子の安上がり正月リゾート

 

 

暮れから正月にかけて、足掛け1週間、

息子が泊まっていった。

別々に暮らすようになって以来、

こんなに長くいたのは初めてだ。

元旦が映画の日だから、ということで、

一人で池袋に「マッドマックス怒りのデスロード」と

「地獄の黙示録」を観に行ったのと、

昨日(4日)にいっしょに初詣に行った以外は、

家でゴロゴロしていた。

うちをリゾート施設扱いしているのかもしれない。

ずいぶん安上がりなリゾートだ。

 

その代金というわけではないが、

自分ではなかなかアプローチしない

マンガのこと、小説のこと、映画のことなど、

若い世代のトレンド的なものについて、

いろいろ教えてもらった。

 

会うたびにそういう話をして、

彼のおすすめをあれこれ見たり読んだりするのだが、

いつもなかなか消化しきれない。

今年こそはと思い、

本はいくつか手配したが、

どこまで読めるか。

 

今日の昼飯を食って帰ったが、

しばらくいっしょにいたので、

なんだかちょっと寂しくなった。

かといって、すっかり大人になった息子に

帰ってきてほしいとは思わない。

子供に戻ってもらっても困るし。

 

ただ、齢を重ねた親というのは、

こういう微妙な気分も味わうのだぁなと、

しみじみした。

というところで今年の正月はお終い。

 


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なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?

 

 「かえるくん、東京を救う」というのは村上春樹の短編小説の中でもかなり人気の高い作品です。

 主人公がアパートの自分の部屋に帰ると、身の丈2メートルはあろうかというカエルが待っていた、というのだから、始まり方はほとんど恐怖小説。

 ですが、その巨大なカエルが「ぼくのことは“かえるくん”と呼んでください」と言うのだから、たちまちシュールなメルヘンみたいな世界に引き込まれてしまいます。

 

 この話は阪神大震災をモチーフにしていて、けっして甘いメルヘンでも、面白おかしいコメディでもないシリアスなストーリーなのですが、このかえるくんのセリフ回しや行動が、なんとも紳士的だったり、勇敢だったり、愛らしかったり、時折ヤクザだったりして独特の作品世界が出来上がっています。

 

 しかし、アメリカ人の翻訳者がこの作品を英訳するとき、この「かえるくん」という呼称のニュアンスを、どう英語で表現すればいいのか悩んだという話を聞いて、さもありなんと思いました。

 

 このカエルという生き物ほど、「かわいい」と「気持ち悪い」の振れ幅が大きい動物も珍しいのではないでしょうか。

でも、その振れ幅の大きさは日本人独自の感覚のような気もします。

 

 欧米人はカエルはみにくい、グロテスクなやつ、場合によっては悪魔の手先とか、魔女の使いとか、そういう役割を振られるケースが圧倒的に多い気がします。

 

 ところが、日本では、けろけろけろっぴぃとか、コルゲンコーワのマスコットとか、木馬座アワーのケロヨンとか、古くは「やせガエル 負けるな 一茶ここにあり」とか、かわいい系・愛すべき系の系譜がちゃんと続いていますね。

 

 僕が思うに、これはやっぱり稲作文化のおかげなのではないでしょうか。

 お米・田んぼと親しんできた日本人にとって、田んぼでゲコゲコ鳴いているカエルくんたちは、友だちみたいな親近感があるんでしょうね。

 そして、彼らの合唱が聞こえる夏の青々とした田んぼの風景は、今年もお米がいっぱい取れそう、という期待や幸福感とつながっていたのでしょう。

 カエル君に対するよいイメージはそういうところからきている気がします。

 

 ちなみに僕の携帯電話はきみどり色だけど、「カエル色」って呼ばれています。

 茶色いのも黄色っぽいもの黒いのもいるけど、カエルと言えばきれいなきみどり色。やっぱ、アマガエルじゃないとかわいくないからだろうね、きっと。

 雨の季節。そういえば、ここんとこ、カエルくんと会ってないなぁ。ケロケロ。

 


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家族ストーリーを書く仕事② 個の家族

 

  「これから生まれてくる子孫が見られるように」

 ――今回の家族ストーリー(ファミリーヒストリー)を作った動機について、3世代の真ん中の息子さん(団塊ジュニア世代)は作品の最後でこんなメッセージを残しています。

 彼の中にはあるべき家族の姿があった。しかし現実にはそれが叶わなかった。だからやっと安定し、幸福と言える現在の形を映像に残すことを思い立った――僕にはそう取れます。

 

 世間一般の基準に照らし合わせれば、彼は家庭に恵まれなかった人に属するでしょう。かつて日本でよく見られた大家族、そして戦後の主流となった夫婦と子供数人の核家族。彼の中にはそうした家族像への憧れがあったのだと思います。

 

 けれども大家族どころか、核家族さえもはや過去のものになっているのでないか。今回の映像を見ているとそう思えてきます。

 

 団塊の世代の親、その子、そして孫(ほぼ成人)。

 彼らは家族であり、互いに支え合い、励まし合いながら生きている。

 けれど、その前提はあくまで個人。それぞれ個別の歴史と文化を背負い、自分の信じる幸福を追求する人間として生きている。

 

 むかしのように、まず家があり、そこに血のつながりのある人間として生まれ、育つから家族になるのではなく、ひとりひとりの個人が「僕たちは家族だよ」という約束のもとに集まって愛情と信頼を持っていっしょに暮らす。あるいは、離れていても「家族だよ」と呼び合い、同様に愛情と信頼を寄せ合う。だから家族になる。

 

 これからの家族は、核家族からさらに小さな単位に進化した「ミニマム家族」――「個の家族」とでもいえばいいのでしょうか。

 比喩を用いれば、ひとりひとりがパソコンやスマホなどのデバイスであり、必要がある時、○○家にログインし、ネットワークし、そこで父・母・息子・娘などの役割を担って、相手の求めることに応じる。それによってそれぞれが幸福を感じる。そうした「さま」を家族と呼称する――なかなかスムーズに表現できませんが、これからはそういう家族の時代になるのではないでしょうか。

 

 なぜなら、そのほうが現代のような個人主義の世の中で生きていくのに何かと便利で快適だからです。人間は自身の利便性・快適性のためになら、いろいろなものを引き換えにできます。だから進化してこられたのです。

 

 引き換えに失ったものの中にももちろん価値があるし、往々にして失ってみて初めてその価値に気づくケースがあります。むかしの大家族しかり。核家族しかり。こうしてこれらの家族の形態は、今後、一種の文化遺産になっていくのでしょう。

 好きか嫌いかはともかく、そういう時代に入っていて、僕たちはもう後戻りできなくなっているのだと思います。

 

 将来生まれてくる子孫のために、自分の家族の記憶を本なり映像なりの形でまとめて遺す―― もしかしたらそういう人がこれから結構増えるのかもしれません。

 

 

2016・6・27 Mon


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家族ストーリーを書く仕事① 親子3世代の物語

 

 親子3世代の物語がやっと完成一歩手前まで来ました。

 昨年6月、ある家族のヒストリー映像を作るというお仕事を引き受けて、台本を担当。

足掛け1年掛かりでほぼ完成し、残るはクライアントさんに確認を頂いて、最後にナレーションを吹き込むのみ、という段階までこぎつけたのです。

 

 今回のこの仕事は、ディレクターが取材をし、僕はネット経由で送られてくるその音源や映像を見て物語の構成をしていきました。そのディレクターとも最初に1回お会いしただけでご信頼を頂いたので、そのあとはほとんどメールのやり取りのみで進行しました。インターネットがあると、本当に家で何でもできてしまいます。

 ですから時間がかかった割には、そんなに「たいへん感」はありませんでした。

 

 取材対象の人たちともリアルでお会いしたことはなく、インタビューの音声――話の内容はもとより、しゃべり方のくせ、間も含めて――からそれぞれのキャラクターと言葉の背景にある気持ちを想像しながらストーリーを組み立てていくのは、なかなかスリリングで面白い体験でした(最初の下取材の頃はディレクターがまだ映像を撮っていなかったので、レコーダーの音源だけを頼りにやっていました)。

 

 取材対象と直接会わない、会えないという制限は、今までネガティブに捉えていたのですが、現場(彼らの生活空間や仕事空間)の空気がわからない分、余分な情報に戸惑ったり、感情移入のし過ぎに悩まされたりすることがありません。

 適度な距離を置いてその人たちを見られるので、かえってインタビューの中では語られていない範囲まで自由に発想を膨らませられ、こうしたドキュメンタリーのストーリーづくりという面では良い効果もあるんだな、と感じました。

 

 後半(今年になってから)、全体のテーマが固まり、ストーリーの流れが固まってくると、今度は台本に基づいて取材がされるようになりました。

 戦後の昭和~平成の時代の流れを、団塊の世代の親、その息子、そして孫(ほぼ成人)という一つの家族を通して見ていくと、よく目にする、当時の出来事や風俗の記録映像も、魂が定着くした記憶映像に見えてきます。

 これにきちんとした、情感豊かなナレーターの声が入るのがとても楽しみです。

 

 

2016・6・26 Sun


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ゴマスリずんだ餅と正直ファンタじいさん

 

おもちペタペタ伊達男

 

  今週日曜(19日)の大河ドラマ「真田丸」で話題をさらったのは、長谷川朝晴演じる伊達政宗の餅つきパフォーマンスのシーン。「独眼竜」で戦国武将の中でも人気の高い伊達政宗ですが、一方で「伊達男」の語源にもなったように、パフォーマーというか、歌舞伎者というか、芝居っけも方もたっぷりの人だったようです。

 

 だから、餅つきくらいやってもおかしくないのでしょうが、権力者・秀吉に対してあからさまにこびへつらい、ペッタンコとついた餅にスリゴマを・・・じゃなかった、つぶした豆をのっけて「ずんだ餅でございます」と差し出す太鼓持ち野郎の姿に、独眼竜のカッコいいイメージもこっぱみじんでした。

 

 僕としては「歴人めし」の続編のネタ、一丁いただき、と思ってニヤニヤ笑って見ていましたが、ファンの人は複雑な心境だったのではないのでしょうか。(ネット上では「斬新な伊達政宗像」と、好意的な意見が多かったようですが)。

 

 しかし、この後、信繁(幸村=堺雅人)と二人で話すシーンがあり、じつは政宗、今はゴマスリ太鼓持ち野郎を演じているが、いずれ時が来れば秀吉なんぞ、つぶしてずんだ餅にしてやる・・・と、野心満々であることを主人公の前で吐露するのです。

 で、これがクライマックスの関ヶ原の伏線の一つとなっていくわけですね。

 

裏切りのドラマ

 

 この「真田丸」は見ていると、「裏切り」が一つのテーマとなっています。

 出てくるどの武将も、とにかくセコいのなんのttらありゃしない。立派なサムライなんて一人もいません。いろいろな仮面をかぶってお芝居しまくり、だましだまされ、裏切り裏切られ・・・の連続なのです。

 

 そりゃそうでしょう。乱世の中、まっすぐ正直なことばかりやっていては、とても生き延びられません。

 この伊達政宗のシーンの前に、北条氏政の最後が描かれていましたが、氏政がまっすぐな武将であったがために滅び、ゴマスリ政宗は生き延びて逆転のチャンスを掴もうとするのは、ドラマとして絶妙なコントラストになっていました。

 

 僕たちも生きるためには、多かれ少なかれ、このゴマスリずんだ餅に近いことを年中やっているのではないでしょうか。身過ぎ世過ぎというやつですね。

 けれどもご注意。

 人間の心とからだって、意外と正直にできています。ゴマスリずんだ餅をやり過ぎていると、いずれまとめてお返しがやってくるも知れません。

 

人間みんな、じつは正直者

 

 どうしてそんなことを考えたかと言うと、介護士の人と、お仕事でお世話しているおじいさんのことについて話したからです。

 そのおじいさんはいろんな妄想に取りつかれて、ファンタジーの世界へ行っちゃっているようなのですが、それは自分にウソをつき続けて生きてきたからではないか、と思うのです。

 

 これは別に倫理的にどうこうという話ではありません。

 ごく単純に、自分にウソをつくとそのたびにストレスが蓄積していきます。

 それが生活習慣になってしまうと、自分にウソをつくのが当たり前になるので、ストレスが溜まるのに気づかない。そういう体質になってしまうので、全然平気でいられる。

 けれども潜在意識は知っているのです。

 「これはおかしい。これは違う。これはわたしではな~い」

 

 そうした潜在意識の声を、これまた無視し続けると、齢を取ってから自分で自分を裏切り続けてきたツケが一挙に出て来て、思いっきり自分の願いや欲望に正直になるのではないでしょうか。

 だから脳がファンタジーの世界へ飛翔してしまう。それまでウソで歪めてきた自分の本体を取り戻すかのように。

 つまり人生は最後のほうまで行くとちゃんと平均化されるというか、全体で帳尻が合うようにできているのではないかな。

 

自分を大事にするということ

 

 というのは単なる僕の妄想・戯言かも知れないけど、自分に対する我慢とか裏切りとかストレスとかは、心や体にひどいダメージを与えたり、人生にかなりの影響を及ぼすのではないだろうかと思うのです。

 

 みなさん、人生は一度きり。身過ぎ世過ぎばっかりやってると、それだけであっという間に一生終わっちゃいます。何が自分にとっての幸せなのか?心の内からの声をよく聴いて、本当の意味で自分を大事にしましょう。

 介護士さんのお話を聞くといろんなことを考えさせられるので、また書きますね。

 

 

 

2016/6/23 Thu


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死者との対話:父の昭和物語

 

 すぐれた小説は時代を超えて読み継がれる価値がある。特に現代社会を形作った18世紀から20世紀前半にかけての時代、ヨーロッパ社会で生まれた文学には人間や社会について考えさせられる素材にあふれています。

 

その読書を「死者との対話」と呼んだ人がいます。うまい言い方をするものだと思いました。

 

僕たちは家で、街で、図書館で、本さえあれば簡単にゲーテやトルストイやドストエフスキーやブロンテなどと向かい合って話ができます。別にスピリチュアルなものに関心がなくても、書き残したものがあれば、私たちは死者と対話ができるのです。

 

 もちろん、それはごく限られた文学者や学者との間で可能なことで、そうでない一般大衆には縁のないことでしょう。これまではそうでした。しかし、これからの時代はそれも可能なことではないかと思います。ただし、不特定多数の人でなく、ある家族・ある仲間との間でなら、ということですが。

 

 僕は父の人生を書いてみました。

 父は2008年の12月に亡くなりました。家族や親しい者の死も1年ほどたつと悲しいだの寂しいだの、という気持ちは薄れ、彼らは自分の人生においてどんな存在だったのだろう?どんなメッセージを遺していったのだろう?といったことを考えます。

 

父のことを書いてみようと思い立ったのは、それだけがきっかけではありませんでした。

死後、間もない時に、社会保険事務所で遺族年金の手続きをする際に父の履歴書を書いて提出しました。その時に感じたのは、血を分けた家族のことでも知らないことがたくさんあるな、ということでした。

じつはそれは当り前のことなのだが、それまではっきりとは気が付いていませんでした。なんとなく父のことも母のこともよく知っていると思いすごしていたのです。

実際は私が知っているのは、私の父親としての部分、母親としての部分だけであり、両親が男としてどうだったか、女としてどうだったか、ひとりの人間としてどうだったのか、といったことなど、ほとんど知りませんでした。数十年も親子をやっていて、知るきっかけなどなかったのです。

 

父の仕事ひとつ取ってもそうでした。僕の知っている父の仕事は瓦の葺換え職人だが、それは30歳で独立してからのことで、その前――20代のときは工場に勤めたり、建築会社に勤めたりしていたのです。それらは亡くなってから初めて聞いた話です。

そうして知った事実を順番に並べて履歴書を作ったのですが、その時には強い違和感というか、抵抗感のようなものを感じました。それは父というひとりの人間の人生の軌跡が、こんな紙切れ一枚の中に納まってしまうということに対しての、寂しさというか、怒りというか、何とも納得できない気持ちでした。

 

父は不特定多数の人たちに興味を持ってもらえるような、波乱万丈な、生きる迫力に満ち溢れた人生を歩んだわけはありませんい。むしろそれらとは正反対の、よくありがちな、ごく平凡な庶民の人生を送ったのだと思います。

けれどもそうした平凡な人生の中にもそれなりのドラマがあります。そして、そのドラマには、その時代の社会環境の影響を受けた部分が少なくありません。たとえば父の場合は、昭和3(1928)に生まれ、平成元年(1989)に仕事を辞めて隠居していました。その人生は昭和の歴史とほぼ重なっています。

 

ちなみにこの昭和3年という年を調べてみると、アメリカでミッキーマウスの生まれた(ウォルト・ディズニーの映画が初めて上映された)年です。

父は周囲の人たちからは実直でまじめな仕事人間と見られていましたが、マンガや映画が好きで、「のらくろ」だの「冒険ダン吉」だのの話をよく聞かせてくれました。その時にそんなことも思い出したのです。

 

ひとりの人間の人生――この場合は父の人生を昭和という時代にダブらせて考えていくと、昭和の出来事を書き連ねた年表のようなものとは、ひと味違った、その時代の人間の意識の流れ、社会のうねりの様子みたいなものが見えてきて面白いのではないか・・・。そう考えて、僕は父に関するいくつかの個人的なエピソードと、昭和の歴史の断片を併せて書き、家族や親しい人たちが父のことを思い起こし、対話できるための一遍の物語を作ってみようと思い立ちました。

本当はその物語は父が亡くなる前に書くべきだったのではないかと、少し後悔の念が残っています。

生前にも話を聞いて本を書いてみようかなと、ちらりと思ったことはあるのですが、とうとう父自身に自分の人生を振り返って……といった話を聞く機会はつくれませんでした。たとえ親子の間柄でも、そうした機会を持つことは難しいのです。思い立ったら本気になって直談判しないと、そして双方互いに納得できないと永遠につくることはできません。あるいは、これもまた難しいけど、本人がその気になって自分で書くか・・・。それだけその人固有の人生は貴重なものであり、それを正確に、満足できるように表現することは至難の業なのだと思います。

 

実際に始めてから困ったのは、父の若い頃のことを詳しく知る人など、周囲にほとんどいないということ。また、私自身もそこまで綿密に調査・取材ができるほど、時間や労力をかけるわけにもいきませんでした。

だから母から聞いた話を中心に、叔父・叔母の話を少し加える程度にとどめ、その他、本やインターネットでその頃の時代背景などを調べながら文章を組み立てる材料を集めました。そして自分の記憶――心に残っている言葉・出来事・印象と重ね合わせて100枚程度の原稿を作ってみたのです。

 

自分で言うのもナンですが、情報不足は否めないものの、悪くない出来になっていて気に入っています。これがあるともうこの世にいない父と少しは対話できる気がするのです。自分の気持ちを落ち着かせ、互いの生の交流を確かめ、父が果たした役割、自分にとっての存在の意味を見出すためにも、こうした家族や親しい者の物語をつくることはとても有効なのではないかと思います。

 

 高齢化が進む最近は「エンディングノート」というものがよく話題に上っています。

「その日」が来た時、家族など周囲の者がどうすればいいか困らないように、いわゆる社会的な事務手続き、お金や相続のことなどを書き残すのが、今のところ、エンディングノートの最もポピュラーな使い方になっているようだ。

もちろん、それはそれで、逝く者にとっても、後に残る者にとっても大事なことです。しかし、そうすると結局、その人の人生は、いくらお金を遺したかとか、不動産やら建物を遺したのか、とか、そんな話ばかりで終わってしまう恐れもあります。その人の人生そのものが経済的なこと、物質的なものだけで多くの人に価値判断されてしまうような気がするのです。

 

けれども本当に大事なのは、その人の人生にどんな意味や価値があったのか、を家族や友人・知人たちが共有することが出来る、ということではないでしょうか。

そして、もしその人の生前にそうしたストーリーを書くことができれば、その人が人生の最期の季節に、自分自身を取り戻せる、あるいは、取り戻すきっかけになり得る、ということではないでしょうか。

 

 


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赤影メガネとセルフブランディング

 ♪赤い仮面は謎の人 どんな顔だか知らないが キラリと光る涼しい目 仮面の忍者だ

赤影だ~

 というのは、テレビの「仮面の忍者 赤影」の主題歌でしたが、涼しい目かどうかはともかく、僕のメガネは10数年前から「赤影メガネ」です。これにはちょっとした物語(というほどのものではないけど)があります。

 

 当時、小1だか2年の息子を連れてメガネを買いに行きました。

 それまでは確か茶色の細いフレームの丸いメガネだったのですが、今回は変えようかなぁ、どうしようかなぁ・・・とあれこれ見ていると、息子が赤フレームを見つけて「赤影!」と言って持ってきたのです。

 

 「こんなの似合うわけないじゃん」と思いましたが、せっかく選んでくれたのだから・・・と、かけてみたら似合った。子供の洞察力おそるべし。てか、単に赤影が好きだっただけ?

 とにかく、それ以来、赤いフレームのメガネが、いつの間にか自分のアイキャッチになっていました。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいもの。

 独立・起業・フリーランス化ばやりということもあり、セルフブランディングがよく話題になりますが、自分をどう見せるかというのはとても難しい。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいのです。

 とはいえ、自分で気に入らないものを身に着けてもやっぱり駄目。できたら安心して相談できる家族とか、親しい人の意見をしっかり聞いて(信頼感・安心感を持てない人、あんまり好きでない人の意見は素直に聞けない)、従来の考え方にとらわれない自分像を探していきましょう。

 


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ベビーカーを押す男

 

・・・って、なんだか歌か小説のタイトルみたいですね。そうでもない?

 ま、それはいいんですが、この間の朝、実際に会いました。ひとりでそそくさとベビーカーを押していた彼の姿が妙に心に焼き付き、いろいろなことがフラッシュバックしました。

 BACK in the NEW YORK CITY。

 僕が初めてニューヨークに行ったのは約30年前。今はどうだか知らないけど、1980年代のNYCときたらやっぱ世界最先端の大都会。しかし、ぼくがその先端性を感じたのは、ソーホーのクラブやディスコでもなでもなく、イーストビレッジのアートギャラリーでもなく、ブロードウェイのミュージカルでもなく、ストリートのブレイクダンスでもなく、セントラルパークで一人で子供と散歩しているパパさんたちでした。

 

 特におしゃれでも何でもない若いパパさんたちが、小さい子をベビーカーに乗せていたり、抱っこひもでくくってカンガルーみたいな格好で歩いていたり、芝生の上でご飯を食べさせたり、オムツを替えたりしていたのです。

 

 そういう人たちはだいたい一人。その時、たまたま奥さんがほっとその辺まで買い物に行っているのか、奥さんが働いて旦那がハウスハズバンドで子育て担当なのか、はたまた根っからシングルファーザーなのかわかりませんが、いずれにしてもその日その時、出会った彼らはしっかり子育てが板についている感じでした。

 

 衝撃!・・というほどでもなかったけど、なぜか僕は「うーん、さすがはニューヨークはイケてるぜ」と深く納得し、彼らが妙にカッコよく見えてしまったのです。

 

 

 そうなるのを念願していたわけではないけれど、それから約10年後。

 1990年代後半の練馬区の路上で、僕は1歳になるかならないかの息子をベビーカーに乗せて歩いていました。たしか「いわさきちひろ美術館」に行く途中だったと思います。

 向こう側からやってきたおばさんが、じっと僕のことを見ている。

 なんだろう?と気づくと、トコトコ近寄ってきて、何やら話しかけてくる。

 どこから来たのか?どこへ行くのか? この子はいくつか? 奥さんは何をやっているのいか?などなど・・・

 

 「カミさんはちょっと用事で、今日はいないんで」と言うと、ずいぶん大きなため息をつき、「そうなの。私はまた逃げられたと思って」と。

 おいおい、たとえそうだとしても、知らないあんたに心配されたり同情されたりするいわれはないんだけど。

 

 別に腹を立てたわけではありませんが、世間からはそういうふうにも見えるんだなぁと、これまた深く納得。

 あのおばさんは口に出して言ったけど、心の中でそう思ってて同情だか憐憫だかの目で観ている人は結構いるんだろうなぁ、と感じ入った次第です。

 

 というのが、今から約20年前のこと。

 その頃からすでに「子育てしない男を父とは呼ばない」なんてキャッチコピーが出ていましたが、男の子育て環境はずいぶん変化したのでしょうか?

 表面的には イクメンがもてはやされ、育児関係・家事関係の商品のコマーシャルにも、ずいぶん男が出ていますが、実際どうなのでしょうか?

 

 件のベビーカーにしても、今どき珍しくないだろう、と思いましたが、いや待てよ。妻(母)とカップルの時は街の中でも電車の中でもいる。それから父一人の時でも子供を自転車に乗せている男はよく見かける。だが、ベビーカーを“ひとりで”押している男はそう頻繁には見かけない。これって何を意味しているのだろう? と、考えてしまいました。

 

 ベビーカーに乗せている、ということは、子供はだいたい3歳未満。保育園や幼稚園に通うにはまだ小さい。普段は家で母親が面倒を見ているというパターンがやはりまだまだ多いのでしょう。

 

 そういえば、保育園の待機児童問題って、お母さんの声ばかりで、お父さんの声ってさっぱり聞こえてこない。そもそも関係あるのか?って感じに見えてしまうんだけど、イクメンの人たちの出番はないのでしょうか・・・。

 

2016年6月16日


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インターネットがつくるフォークロア

 

インターネットの出現は社会を変えた――ということは聞き飽きるほど、あちこちで言われています。けれどもインターネットが本格的に普及したのは、せいぜいここ10年くらいの話。全世代、全世界を見渡せば、まだ高齢者の中には使ったことがないという人も多いし、国や地域によって普及率の格差も大きい。だから、その変化の真価を国レベル・世界レベルで、僕たちが実感するのはまだこれからだと思います。

それは一般によくいわれる、情報収集がスピーディーになったとか、通信販売が便利になったとか、というカテゴリーの話とは次元が違うものです。もっと人間形成の根本的な部分に関わることであり、ホモサピエンスの文化の変革にまでつながること。それは新しい民間伝承――フォークロアの誕生です。

 

“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承

 

最初はどこでどのように聞いたのか覚えてないですが、僕たちは自分でも驚くほど、昔話・伝承をよく知っています。成長の過程のどこかで桃太郎や浦島太郎や因幡の白ウサギと出会い、彼らを古い友だちのように思っています。

 

家庭でそれらの話を大人に読んでもらったこともあれば、幼稚園・保育園・小学校で体験したり、最近ならメディアでお目にかかることも多い。それはまるで遺伝子に組み込まれているかのように、あまりに自然に身体の中に溶け込んでいるのです。

 

調べて確認したわけではないが、こうした感覚は日本に限らず、韓国でも中国でもアメリカでもヨーロッパでも、その地域に住んでいる人なら誰でも持ち得るのではないでしょうか。おそらく同じような現象があると思います。それぞれどんな話がスタンダードとなっているのかは分かりませんが、その国・その地域・その民族の間で“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承の類が一定量あるのです。

 

それらは長い時間を生きながらえるタフな生命エネルギーを持っています。それだけのエネルギーを湛えた伝承は、共通の文化の地層、つまり一種のデータベースとして、万人の脳の奥底に存在しています。その文化の地層の上に、その他すべての情報・知識が積み重なっている――僕はそんなイメージを持っています。

 

世界共通の、新しいカテゴリーの伝承

 

そして、昔からあるそれとは別に、これから世界共通の、新しいカテゴリーの伝承が生まれてくる。その新しい伝承は人々の間で共通の文化の地層として急速に育っていくのでないか。そうした伝承を拡散し、未来へ伝える役目を担っているのがインターネット、というわけです。

 

ところで新しい伝承とは何でしょう? その主要なものは20世紀に生まれ、花開いた大衆文化――ポップカルチャーではないでしょうか。具体的に挙げていけば、映画、演劇、小説、マンガ、音楽(ジャズ、ポップス、ロック)の類です。

 

21世紀になる頃から、こうしたポップカルチャーのリバイバルが盛んに行われるようになっていました。

人々になじみのあるストーリー、キャラクター。

ノスタルジーを刺激するリバイバル・コンテンツ。

こうしたものが流行るのは、情報発信する側が、商品価値の高い、新しいものを開発できないためだと思っていました。

そこで各種関連企業が物置に入っていたアンティーク商品を引っ張り出してきて、売上を確保しようとした――そんな事情があったのでしょう。実際、最初のうちはそうだったはずです。

だから僕は結構冷めた目でそうした現象を見ていました。そこには半ば絶望感も混じっていたと思います。前の世代を超える、真に新しい、刺激的なもの・感動的なものは、この先はもう現れないのかも知れない。出尽くしてしまったのかも知れない、と……。

 

しかし時間が経ち、リバイバル現象が恒常化し、それらの画像や物語が、各種のサイトやYouTubeの動画コンテンツとして、ネット上にあふれるようになってくると考え方は変わってきました。

 

それらのストーリー、キャラクターは、もはや単なるレトロやリバイバルでなく、世界中の人たちの共有財産となっています。いわば全世界共通の伝承なのです。

僕たちは欧米やアジアやアフリカの人たちと「ビートルズ」について、「手塚治虫」について、「ガンダム」について、「スターウォーズ」について語り合えるし、また、それらを共通言語にして、子や孫の世代とも同様に語り合えます。

そこにボーダーはないし、ジェネレーションギャップも存在しません。純粋にポップカルチャーを媒介にしてつながり合う、数限りない関係が生まれるのです。

 

また、これらの伝承のオリジナルの発信者――ミュージシャン、映画監督、漫画家、小説家などによって、あるいは彼ら・彼女らをリスペクトするクリエイターたちによって自由なアレンジが施され、驚くほど新鮮なコンテンツに生まれ変わる場合もあります。

 

インターネットの本当の役割

 

オリジナル曲をつくった、盛りを過ぎたアーティストたちが、子や孫たち世代の少年・少女と再び眩いステージに立ち、自分の資産である作品を披露。それをYouTubeなどを介して広めている様子なども頻繁に見かけるようになりました。

 

それが良いことなのか、悪いことなのか、評価はさておき、そうした状況がインタ―ネットによって現れています。これから10年たち、20年たち、コンテンツがさらに充実し、インターネット人口が現在よりさらに膨れ上がれば、どうなるでしょうか? 

 

おそらくその現象は空気のようなものとして世の中に存在するようになり、僕たちは新たな世界的伝承として、人類共通の文化遺産として、完成された古典として見なすようになるでしょう。人々は分かりやすく、楽しませてくれるものが大好きだからです。

 

そして、まるで「桃太郎」のお話を聞くように、まっさらな状態で、これらの伝承を受け取った子供たちが、そこからまた新しい、次の時代の物語を生みだしていきます。

 

この先、そうした現象が必ず起こると思う。インターネットという新参者のメディアはその段階になって、さらに大きな役割を担うのでしょう。それは文化の貯蔵庫としての価値であり、さらに広げて言えば、人類の文化の変革につながる価値になります。

 

 

2016年6月13日


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地方自治体のホームページって割と面白い

 

 

 ここのところ、雑誌の連載で地方のことを書いています。

書くときはまずベーシックな情報(最初のリード文として使うこともあるので)をインターネットで調べます。

 これはウィキペディアなどの第3者情報よりも、各県の公式ホームページの方が断然面白い。自分たちの県をどう見せ、何をアピールしたいかがよくわかるからです。

なんでも市場価値が問われる時代。「お役所仕事云々・・・」と言われることが多い自治体ですが、いろいろ努力して、ホームページも工夫しています。

 

 最近やった宮崎県のキャッチコピーは「日本のひなた」。

 日照時間の多さ、そのため農産物がよく獲れるということのアピール。

 そしてもちろん、人や土地のやさしさ、あったかさ、ポカポカ感を訴えています。

 いろいろな人たちがお日さまスマイルのフリスビーを飛ばして、次々と受け渡していくプロモーションビデオは、単純だけど、なかなか楽しかった。

 

 それから「ひなた度データ」というのがあって、全国比率のいろいろなデータが出ています。面白いのが、「餃子消費量3位」とか、「中学生の早寝早起き率 第3位」とか、「宿題実行率 第4位」とか、「保護者の学校行事参加率 第2位」とか・・・
 「なんでこれがひなた度なんじゃい!」とツッコミを入れたくなるのもいっぱい。だけど好きです、こういうの。 

 取材するにしても、いきなり用件をぶつけるより、「ホームページ面白いですね~」と切り出したほうが、ちょっとはお役所臭さが緩和される気がします。

 

 「あなたのひなた度は?」というテストもあって、やってみたら100パーセントでした。じつはまだ一度も行ったことないけれど、宮崎県を応援したくなるな。ポカポカ。

 

2016年6月12日


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タイムマシンにおねがい

 

 きのう6月10日は「時の記念日」でした。それに気がついたら頭の中で突然、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」が鳴り響いてきたので、YouTubeを見てみたら、1974年から2006年まで、30年以上にわたるいろいろなバージョンが上がっていました。本当にインターネットの世界でタイムマシン化しています。

 

 これだけ昔の映像・音源が見放題・聞き放題になるなんて10年前は考えられませんでした。こういう状況に触れると、改めてインターネットのパワーを感じると同時に、この時代になるまで生きててよかった~と、しみじみします。

 

 そしてまた、ネットの中でならおっさん・おばさんでもずっと青少年でいられる、ということを感じます。60~70年代のロックについて滔々と自分の思い入れを語っている人がいっぱいいますが、これはどう考えても50代・60代の人ですからね。

 でも、彼ら・彼女らの頭の中はロックに夢中になっていた若いころのまんま。脳内年齢は10代・20代。インターネットに没頭することは、まさしくタイムマシンンに乗っているようなものです。

 

 この「タイムマシンにおねがい」が入っているサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」というアルバムは、1974年リリースで、いまだに日本のロックの最高峰に位置するアルバムです。若き加藤和彦が作った、世界に誇る傑作と言ってもいいのではないでしょうか。

 中でもこの曲は音も歌詞もゴキゲンです。いろいろ見た(聴いた)中でいちばんよかったのは、最新(かな?)の2006年・木村カエラ・ヴォーカルのバージョンです。おっさんロッカーたちをバックに「ティラノサウルスおさんぽ アハハハ-ン」とやってくれて、くらくらっときました。

 

 やたらと「オリジナルでなきゃ。あのヴォーカルとあのギターでなきゃ」とこだわる人がいますが、僕はそうは思わない。みんなに愛される歌、愛されるコンテンツ、愛される文化には、ちゃんと後継ぎがいて、表現技術はもちろんですが、それだけでなく、その歌・文化の持ち味を深く理解し、見事に自分のものとして再現します。中には「オリジナルよりいいじゃん!」と思えるものも少なくありません。(この木村カエラがよい例)。

 この歌を歌いたい、自分で表現したい!――若い世代にそれだけ強烈に思わせる、魅力あるコンテンツ・文化は生き残り、クラシックとして未来に継承されていくのだと思います。

 

 もう一つおまけに木村カエラのバックでは、晩年の加藤和彦さんが本当に楽しそうに演奏をしていました。こんなに楽しそうだったのに、どうして自殺してしまったのだろう・・・と、ちょっと哀しくもなったなぁ。

 

2016年6月11日


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「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


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歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


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歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


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「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


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歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


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「パーフェクトデイズ」 どうせ死ぬのに、なぜ一生懸命生きるのか? を考える映画

 

青く晴れわたった空を見ていると、

なぜか胸が切なくなり、涙が出てくる。

 

歌だったか、小説だったか、忘れてしまったが、

誰かがそんなことを書いていた。

ヴィム・ヴェンダーズ監督、役所広司主演の映画

「パーフェクトデイズ」の感想を一口で言うなら、

そんな映画だ。

 

たんにエンタメとして楽しませてくれるよりも、

いろいろなことを考えさせてくれるのがいい映画、

あるいは、きょうはそういう気分になっている

人にとっては、これほどいい映画はない。

 

役所広司演じる主人公は、トイレの清掃員・平山。

朝、夜明け前に起き出し、支度して仕事に出かけ、

終わると安い飲み屋で一杯ひっかけ、

夜はふとんで本を読んで寝る。

 

その単調な生活、同じような毎日の繰り返しを淡々と描く。

周囲の人たちとの、小さなエピソードはいくつかある。

そして、彼が毎朝、若木に水をやったり、

公園の木々の写真をフィルムカメラで撮ったりする描写も、

そうした命を愛する人だということを伝える。

 

しかし、それだけだ。

平山の生き方を変えてしまうような劇的な展開、

物語らしい物語はいっさいない。

テーマらしいテーマもないように見える。

 

でも、僕はこの映画の秘密めいたテーマを見つけた。

まだ序盤のあたり、同じ清掃員仲間の若い男が

平山の丁寧な仕事ぶりをちょっとくさすように、

「どうせ汚れるんですから」という。

トイレだから当然だ。

どうせ汚れるのに、汚されてしまうのに、

どうしてそんなに一生懸命になって掃除するんだ。

僕もそう思う。

きっと誰もが、若い男のセリフを借りれば、

「10人のうち9人は」、いや、もしかしたら10人が

そう思うと思う。

誰もが豊かで便利で平和に生活できる、この社会では。

 

「どうせ汚れるのに、どうして一生懸命掃除するのか」

これは言い換えれば、

「どうせ死ぬのに、どうして一生懸命生きるのか」

につながる。

平山はきっとそうしたことを考えながら、

毎日のトイレ清掃に励んでいる。

 

それがどんな仕事でも、

ていねいに仕事をすることは、

ていねいに生きることにながる。

ていねいに生きれば、一日一日がきれいに輝く。

そんなメッセージが流れている。

 

平山は現代社会に取り残されてしまったような人だ。

孤独だし、もう若くないし、カネも持っていなさそうだ。

スマホもパソコンも使わなければ、

ボロアパートの部屋にはテレビさえ置いていない。

車は持っているので、ラジオは聴くかもしれないが、

彼がラジオを聴くシーンは出てこない。

車内で聴くのはもっぱら古いカセットテープ。

1960年代から70年代の音楽だ。

 

彼の年齢は60歳前後と察せられる。

要は、学生だった40年ほど前の時代と

ほとんど変わらない生活を送っているのだ。

 

そんな取り残され、落ちこぼれた、

高齢者に近い孤独な男だが、

なぜか周囲の人たちを励まし、

元気づける存在になっている。

先述の若い男もそうだし、

その男が好きになった女も平山にキスをする。

 

極めつけは、中盤で彼のアパートにやってくる姪だ。

高校生らしき彼女は、伯父である平山を慕って、

仕事についてきたり、いっしょに銭湯に行ったりする。

 

この姪との会話のなかで、平山は、

「みんな一緒の世界に住んでいるようで、

じつは別々の世界に住んでいるんだ」

といった意味のことをいう。

 

彼のバックストーリーは一切語られないが、

この姪を連れ戻しに来た母親=彼の妹との短い会話は、

平山の人生を想像させる。

妹は高級そうな車に乗っており、

彼とは段違いの裕福風な暮らしを送っていることが

見て取れる。

また、彼の父親は高齢で認知症らしく、

施設に入っているようだ。

 

実家はかなりの資産家で、

長男である平山は、父の生き方に反発し、

家を出たまま、齢を重ねてしまったのかもしれない。

妹とは同じ家庭で育ちながら、

互いにまったく違う価値観を持った人間になってしまった。

けれども、きょうだい仲は悪くない。

姪の家出もそんなに深刻なものではなく、

母親に素直に従って帰っていく。

けれども彼女にとって、伯父の持っている世界は、

一種の憧れに満ちた世界として映っている。

 

この姪や、仕事仲間の男、そのガールフレンドらは、

みんな若く、軽やかに、

面白おかしく生きているように見える。

けれどもその裏側に漂う切なさは何だろう?

彼女らは、平山の存在に何を感じていたのだろう?

それはきっとこういう予見だ。

 

わたしも、おれも、いずれ齢を取り、死ぬ。

それまでどう生きればいいのか?

 

そうした思いにあまり齢は関係ないのかもしれない。

 

映画の終盤、彼が最後に励ますのは、

行きつけの飲み屋のママのもとを訪れた男である。

平山と同年代らしいこの男は、ママの元夫で、

ガンでもう寿命があまりない。

それで別れた妻に最後に会いに来たという経緯だ。

「結局、何もわからないまま終わっていく」

という男のセリフは胸に刺さる。

そんな男をやさしく励ます平山のふるまいは、

ひどく感動的だ。

 

平山の人生はこの先、劇的に展開する気配はなく、

きっと彼はこのアパートの一室の片隅で、

野良猫のように一生を閉じるのだろう。

 

社会に置き去りにされた、底辺のエッセンシャルワーカー。

高齢者に近い孤独で無口な男。

そんな彼の存在にも価値がある。

1本1万円で売れる、

聴きつぶした中古のカセットテープのように。

 

彼の人生は輝いている。

一日一日がパーフェクト・デイ=完璧な日だ。

 

このタイトルは、ルー・リードが、

1972年に発表した同名曲から取ったものだろう。

晴れわたった青空を想起させるような、

美しいが、ひどく物悲しい旋律に乗せて、

意味深な歌詞が繰り返される。

 

Just a perfect day 

ただただ完璧な一日

 

You just keep me hanging on 

君は僕をかろうじて生かしてくれている

 

You're going to reap just what you sow 

自分の蒔いた種は、すべて刈り取らなくてはいけない

 

2023年のカンヌ映画祭など、

世界的に評価された作品であることは

あまり意識せず、

素直にありのままの気持ちで見た方がいい。

そうでないと、この映画の真価は見えてこない。

 

ヴェンダースの作品はむかし何本か見たが、

若い頃の自分にとっては退屈だった。

たぶんヴェンダース映画を見るのがイケてる、

カッコいいといった意識が入っていたからだろう。

 

これはシニアの自分には面白く見られたが、

若い人には退屈かもしれない。

でも、自分の目で見てほしいと思う。

 

「ベルリン天使の詩」「パリ、テキサス」など、

かつてはつまらないと思ったヴェンダース作品も

齢を取った目でもう一度、見てみたいと思う。

新しい何かを発見できるかもしれない。

 


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「世界に一つだけの花」がテレビの懐メロ特集から消えた話

 

年明け間もなく話題を提供してくれた中居正広君の

9千万円示談金問題。

事実関係がよくわからず、

例によって憶測ばかりが飛び交って、

たぶん2月になる頃には、

みんな忘れてしまうだろうから一切触れませんが、

それよりちょっと気になったのが、

彼が所属してたSMAPの歌のこと。

 

年末のテレビにおいて恒例のように、

あちこちのチャンネルで懐メロ特集をやっていましたが、

ゼロ年代、国民的流行歌と言われた、

SMAPの「夜空ノムコウ」や

「世界に一つだけの花」がまったく出てこない。

なんだかあのグループ、あのヒット曲の数々が

エアポケットに落っこちて、

この世から消え去ってしまった感じでした。

 

いや、いろいろ権利の問題があるのは知っています。

そして、天下御免だったジャニーズ事務所が

あんなことになってしまった今となっては、

とてもテレビでは放送できないのでしょう、きっと。

 

けれども僕たちのようないい齢をしたおとなはともかく、

当時、SMAPの歌(或いは嵐など、

他のジャニーズグループの歌)を

聴きながら育った世代の子どもたち・若者たちの心情は

どうなるのでしょうか?

 

とくに「世界に一つだけの花」などは、

学校をはじめ、全国さまざまな地域イベントなどで使われ、語られ、彼らの子ども時代・青春時代の記憶とも

強く結びついているはず。

それが一切なかったことにされてしまうのは、

なんとも寂しいこと・悲しいことだと言わざるを得ません。

 

テレビや芸能界のルールとやらは、

そうした人びとの思い出や、

あの時、音楽がもたらした感動をチャラにしてしまうほど、ご大層なものなのか?

これでは若者はテレビにそっぽを向くわけだ、

と思わざるを得ず、考えれば考えるほど、

腹立たしくなりました。

「おとなの事情」なんてくそくらえ!

もっと懐メロを大事にしろ!

 

そんなわけで、AmazonKidleから

電子書籍「週末の懐メロ」全6巻を出版しています。

これは、2000年10月からブログ「DAIHON屋のネタ帳」で

3年半にわたって連載した文章をまとめたエッセイ集。

 

20世紀の、自分の好きなミュージシャン・楽曲について、

個人的な思いや体験、

あるいはその曲を聴いていた時代の状況、

当時のロック・ポップミュージック、

日本の歌謡曲やニューミュージックを取り巻く状況などを好きなように書き綴ったもので、1960~90年代の音楽を体験した人にとっては面白く読めるのではないかと思います。2000年リリースの「夜空ノムコウ」についてもスガシカオの楽曲として、第5巻に載録しています。

 

また、旧世代にだけでなく、

20世紀当時を知らない若い世代にとっても

きっと面白いに違いないと自負しています。

いまや 年代関係なく、インターネットを通して、

20世紀のポップ・ロック・歌謡曲などを

みんなが楽しめる時代になりました。

 

僕の20代の息子もキング・クリムゾンや

ブラック・サバスを聴いています。

僕よりよほど精通した、ロック博士みたいな若者もいます。若い人たちもネットでいろいろ調べて、

聴いて、懐メロを楽しむ時代。

その参考書、ガイドブックとしても、

役に立ててほしいと思っています。

 


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ペットロスから人生観・死生観が変わる

 

ペットロスによって人生観が変わった

という人の話を聞いた。

飼っていた柴犬が目の前で車に跳ねられたという。

 

話によると、散歩中、首輪がすっぽ抜けてしまい、

その犬が走り出した。

彼は追いかけたが、犬は面白がってグングン走り、

大量の車が行き交う大通りの交差点に飛び出した。

信号は赤。車が停まれるはずがない。

 

衝突した瞬間、犬は空中に高くはね上げられた。

歩道にいた彼の視界からは、交差点の風景は消え、

空の青をバックに、スローモーションで踊るように3回、

からだが回転する犬の姿だけが見えていたという。

 

「僕、赤信号渡ってましたね。

よく自分も跳ねられなかったと思います。

道路に落ちた犬を抱き上げました。

病院に連れて行こうと思って、

まず家に帰ったんですけど、

ちょうど玄関までたどり着いた時に、かくって死んだ。

よくドラマなんかで「かくっ」って死ぬでしょ。

あれだったよ。かくっとなってね。

口からすんごい色の血が出てきて」

 

この飼い主というのは、坊さんだ。

お寺の坊さんなので、それまで葬式や法事でお経を唱え、

何百回とご供養のお勤めをしている。

しかしというか、だからというか、

死は坊さんにとっては日常的なことであり、

他人事でもある。

ビジネスライクになっていたところは否めない。

 

けれども、犬の死はこの坊さんに大きな衝撃を与えた。

彼は精神的におかしくなって仕事が出来なくなり、

本山に行って一週間、

引きこもり状態で法話を聴き続けたという。

 

「あんなに真剣に、

仏様についての話を聞くことはなかったです。

そのきっかけを犬がくれましたね。

だから僕は仏様が犬の姿となって現れて

僕をまとも坊主に導いてくれたんだと今でも思ってます」

 

彼は今、自分の寺を持ち、

そこにはペットロスの人たちが自然と集まってくる。

 

ペットが死んだからと言って、

誰もが彼のような経験をすることはないと思うが、

それでもペットロスがきっかけとなって、

人生観・死生観が変わるといった話は時々聞く。

 

いっしょに暮らす、命ある生き物は、

僕たちが通常送っている

人間の社会生活とは違った角度から、

生きること・死ぬことについて、

考えさせてくれるのは確かなようだ。

 

死について考えることは、

よりよい生について考えること。

 

Deathフェス|2025.4.12-17 渋谷ヒカリエで開催

 

「死」をタブー視せずに人生と地続きのものとして捉え、

そこから「今」をどう生きるかを考える 。

新たに死と出会い直し、

生と死のウェルビーイングを考える「Deathフェス」を、

毎年4月14日(よい死の日)を中心に開催。 

 


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著名人の死2024とDeathフェス2025 

 

1月4日:篠山紀信(83)写真家

1月16日:庄司歌江(94)漫才師

2月6日:小澤征爾(88)指揮者

2月20日:山本陽子(81)俳優

3月1日:鳥山明(68)漫画家

3月4日:TARAKO(63)声優

3月14日:寺田農(81)俳優

4月8日:宗田理(95)作家

4月10日:曙太郎(54)力士

4月21日:フジ子・ヘミング(92)ピアニスト

4月26日:桂由美(94)デザイナー

5月2日:小山内美江子(94)脚本家

5月4日:唐十郎(84)劇作家

5月16日:中尾彬(81)俳優

5月27日:今くるよ(76)漫才師

6月9日:久我美子(93)俳優

7月4日:赤塚真人(73)俳優

7月26日:園まり(80)歌手

8月1日:桂米丸(99)落語家

8月28日:宇能鴻一郎(90)作家

9月3日:ピーコ(79)タレント

9月29日:大山のぶ代(90)声優

9月30日:山藤章二(87)イラストレーター

10月4日:服部幸應(78)料理評論家

10月17日:西田敏行(76)俳優

10月23日:せなけいこ(91)絵本作家

10月25日:楳図かずお(88)漫画家

11月12日:北の富士勝昭(82)力士

11月13日:谷川俊太郎(92)詩人

11月14日:火野正平(75)俳優

11月15日:崇仁親王百合子(101)皇族

12月6日:中山美穂(54)俳優

12月9日:小倉智昭(77)フリーアナウンサー

12月19日:渡辺恒雄(98)実業家

 

昨年(2024年)亡くなった著名人を書き出してみた。

上記は僕が知っている人たちだが、

どの世代の人も、このうち半分くらいは

ご存知なのではないだろうか。

 

彼ら・彼女らの活動・作品・発言・パフォーマンスの数々は、

僕たちの心の形成に何かかしらの影響を及ぼしてきた。

少なくとも何十年も会っていない親戚よりは、

かなり身近に感じるはずだ。

 

テレビなどで、このように

身近に感じて来た人たちが亡くなるたびに、

僕たちは、日本が超高齢化社会であるとともに、

超多死社会であることを思い知る。

 

死について考えることは、

よりよい生について考えること。

 

Deathフェス|2025.4.12-17 渋谷ヒカリエで開催

 

「死」をタブー視せずに人生と地続きのものとして捉え、

そこから「今」をどう生きるかを考える 。

新たに死と出会い直し、

生と死のウェルビーイングを考える「Deathフェス」を、

毎年4月14日(よい死の日)を中心に開催。 

 


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息子の安上がり正月リゾート

 

 

暮れから正月にかけて、足掛け1週間、

息子が泊まっていった。

別々に暮らすようになって以来、

こんなに長くいたのは初めてだ。

元旦が映画の日だから、ということで、

一人で池袋に「マッドマックス怒りのデスロード」と

「地獄の黙示録」を観に行ったのと、

昨日(4日)にいっしょに初詣に行った以外は、

家でゴロゴロしていた。

うちをリゾート施設扱いしているのかもしれない。

ずいぶん安上がりなリゾートだ。

 

その代金というわけではないが、

自分ではなかなかアプローチしない

マンガのこと、小説のこと、映画のことなど、

若い世代のトレンド的なものについて、

いろいろ教えてもらった。

 

会うたびにそういう話をして、

彼のおすすめをあれこれ見たり読んだりするのだが、

いつもなかなか消化しきれない。

今年こそはと思い、

本はいくつか手配したが、

どこまで読めるか。

 

今日の昼飯を食って帰ったが、

しばらくいっしょにいたので、

なんだかちょっと寂しくなった。

かといって、すっかり大人になった息子に

帰ってきてほしいとは思わない。

子供に戻ってもらっても困るし。

 

ただ、齢を重ねた親というのは、

こういう微妙な気分も味わうのだぁなと、

しみじみした。

というところで今年の正月はお終い。

 


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おみくじ引かない初詣

 

義母がデイサービスに出かけたので、

カミさん・息子と3人で大宮八幡宮に初詣。

さすがに正月四日ともなると、

人出はそう大したことなく、

ほど良い賑わい加減。

 

このあたりの神社仏閣施設では

ほとんど独り勝ち状態の大宮八幡宮では、

和田堀公園から入る入口の鳥居もリニューアルし、

ますます多くの人を集めているようだ。

 

毎年おみくじを引いてきたが、

今年はあまり気が進まなかったので、

引かずにおいた。

別段、特別な意図はないが、

おみくじの吉凶に一喜一憂して、

年の初めからエネルギーの無駄遣いをするのも

どうかと思ったので。

 

自分ができることを一生けん命やれば、

それでいいのだ。

 


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年賀状卒業生の皆さん、また会おう

 

「勝手ながら今年で年賀状を卒業させていただきます」

今年も何枚か、年賀状でこうした文面を見かけた。

ふだん、オンライン上でやりとりはしていないが、

連絡を取ろうと思えば、いつでも取れる人なので

いいと言えばいい。

 

べつに腹を立てるとか、いやな気持になるとか、

そういうことではないのだが、

それでも正直、ちょっと胸の中がモヤっとする。

 

どんな心境の変化だろう?

何か彼・彼女の身に何かあったのだろうか?

たしかにハガキ代は値上がったが、

そこまで節約しなくてはならないほど、

経済が困窮しているのか、

いやいや、まさか・・と、

あれこれ、どうでもいいことを考えてしまう。

 

「虚礼廃止」ということか。

僕は最初から義理立てするために

年賀状なんか出していないので、

「虚礼」をしているつもりはない。

 

仕事上の交流がなくなった人とは、

自然にやりとりもやめたし、

いまだ出しているのは、

やっぱり年一度は挨拶しておきたいなと

思う人ばかりである。

 

なので、ノリとしては中学生や高校生の時と変わらない。

あの頃の年賀状はすごく楽しくて、ワクワクした。

 

いかにもガキっぽい、面白い絵柄と文面は

50年以上経った今でもはっきり覚えている。

好きな女の子から来た年賀状はずっと大事に取っていた。

「お正月は○○神社で巫女さんのバイトやってます」と、

可愛いイラストを付けて書いてあった。

(家が遠かったのでその神社には行かなかったが)

 

そう考えていくと、

卒業宣言した人たちは、

僕とのやりとりも「虚礼」と捉えていたのかなと思う。

たぶん、それが「モヤっと」の正体だろう。

 

確かに、10年どころか、20年、30年、

一度も会っていない人もいた。

別に彼らを責める気はない。

僕の方が勝手にモヤっとしているだけだ。

 

それによくよく考えると、20代の頃は

ほとんど自分から出していなかった。

ちゃんと毎年出すようになったのは30代からだ。

いや、もしかしたら結婚してから、

子供が出来てからかもしれない。

よく憶えていない。

 

一時期は可愛い子供の写真、

幸せそうな家族の写真の年賀状がいっぱい来ていたし、

僕も息子が中学のころまでは

カミさんと息子と3人で撮った写真を

年賀状にして出していた。

 

あれっていま思えば、同じ立場の人たちはともかく、

そうでない人たちにとっては

かなり鬱陶しかったのかもしれない。

 

それに最近は個人情報開示のリスクが大きいので、

ああいうファミリー年賀状はヤバイのではないかと思うが、

小さい、可愛いお子さんをお持ちの方は

どうしているのだろう?

 

そして、もうこの世にいない人の年賀状も、

彼らの顔つきで何枚か思い出した。

去年が最後になってしまった友だちもいる。

 

長く生きていると、年賀状ひとつをめぐって、

あれこれ考えることがたくさんある。

 

年賀状文化の終わりということなのだろうか?

だからと言って寂しがっているわけではないが、

時代の移り変わりの一つの表れであることは確か。

 

LINEやメールなどで送られて来る

デジタルなご挨拶でも、

何十年か後、こんなふうに、

あれこれ思い出すことがあるだろうか?

と、ふと考え込んでしまった。

 


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義母のお正月スペシャル

 

義母を初詣に連れていく。

出かける前、靴下がはけないと言って騒いでいるので、

見に行ったら、なんと、手袋を履こうとしている。

そりゃ履けるわけないよ!

新年初笑い劇場か。

と、お正月スペシャルボケをかましてくれた。

 

都内有数、皇室御用達でもある大宮八幡宮が近いので、

義母もいっしょに行っていたのだが、

この数年、とくに昨年夏、肺炎ぽくなって

1週間入院してからは、さすがに以前ほど歩けなくない。

近いと言っても、年寄の足だと30分近くかかるので、

代わりに半分程度の距離の尾崎熊野神社に詣でる。

 

こちらは大賑わいの大宮八幡宮と比べると、

規模も人出も1割、2割程度。

僕ったちが行った10時過ぎは

ほかにほとんど人がおらず、

お参りの後、二人でベンチに座って日向ぼっこをしていた。

 

今日は日中はぽかぽか陽気で、

帰りもあちこちで坐って日向ぼっこしていたので、

結局2時間も散歩していた。

これもまたお正月スペシャルということで。

 


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2025年、高齢者1年生は18歳

 

あけましておめでとうございます

 

年初の目標は「18歳になって生きる」。

どれだけジタバタしたところで、

今年から「高齢者」と呼ばれる齢になってしまう。

なのでこの際、自分を洗脳することにした。

 

ただし、体力も感受性も半減どころか、8割減。

そして、カネもうけ主義と

魑魅魍魎渦巻くネット情報に

すっかり脳をやられてポンコツになっている。

 

そんなありさまなので、

言い換えれば、きょう「18歳でいよう」

と決めたことを

どこまで維持できるかが今年の目標になる。

 

具体的には、小説4作を含め、

月1で電子書籍を出して行く。

さらに小説については、

声優さんと組んでオーディオブックを出したい。

 

あとは昨年、100冊本を読んだ息子を先生にして、

19世紀文学の探究と、

最近のマンガの探究をしていきたい。

いつまでも昭和や懐メロで心を癒していられない。

新しい世界の探究も今年のテーマだ。

 

そして昨年の政治情勢、国際情勢、

名のある文化人・芸能人・芸術家らの多くが

他界したことを考えると、

今年はまた、時代の大きな変化があるだろう。

 

さすがに「老害」が退潮の兆しを見せている。

なんとなく18歳の時のわくわくした気持ちが

お腹の奥でうずくのを感じる。

いろいろ面白くなりそうだ。

 

ということで、とりあえずは

来週までに年末に取材した会社の

ホームページのテキストを仕上げる予定。

18歳でも生活は着実に。

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 


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おりべまこと電子書籍2024

 

今年は長編・中編、1作ずつの小説を出版。

2025年は書きかけの長編、

プロットを用意してある長編のなかから2作、

新しいアイディアの中短編を2作リリース予定。

 

エッセイ集は「週末の懐メロ」全6巻完結。

昭和99年は「昭和99年の思い出ピクニック」刊行。

その他、「食べる」「生きる」「動物」シリーズも。

2025年は「AI」「認知症」「エンディング」など

リリース予定。

そして締めくくりは「昭和100年の思い出ピクニック」。

 

新設ノンフィクションシリーズ

「市井の賢者(仮題)」を1月か2月にリリース予定。

 

2025年も書いていきます。

また読んでくださいね。

 

●今はまだ地球がふるさと

https://amazon.co.jp/dp/B0CW1FWZ59

 

●花屋のネコの大いなる任務

https://amazon.co.jp/dp/B0DPCN144Z

 

●週末の懐メロ第6巻

https://www.amazon.com/dp/B0CW1KKHXL

 

●昭和99年の思い出ピクニック

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWG58MCQ

 


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年末の認知症ミステリー

 

クリスマス前から年内UPの仕事に追われ、

なんとか完了。

年賀状も書き終え、大掃除も本日昼過ぎに終えた。

豆を煮て、花を飾ったところへ、

夕方、息子がお年賀を持ってやってきた。

やれやれ、やっと落ち着いて正月を迎えられる・・・

と思って義母の帰りを待っていた矢先、

デイサービスのスタッフがひとりで来て、

「すみません。車から降りないんです」。

驚いて見に行くと、

がんとして後部座席に座ったままの義母。

 

「さあ、いっしょに晩ごはん食べよう」

と言っても、心を開かない。

仕方なく、スタッフがひと回りして戻ってくると、

やっと応じて車を降りた。

その後はいつもと変わることなく、

いっしょにご飯を食べて床に就く。

食欲に支配されているので、

ふだんは家にいない息子(彼女には孫)が

来ていることにも頓着しない。

というか、そもそも気付いていない。

 

じつは2日前、別のデイサービスの帰りでも

同じことがあった。

これまでいっしょに暮らして5年半、

こんな振る舞いは一度もなかったのだが。

どういう心の動きがあるのだろうか?

 

1年が終わることをどこかで察知して、

無意識のうちに不安になっているのだろうか?

認知症の不思議な現象は、どこからともなく降ってくる。

 

 


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クリスマスカードと年賀状2024

 

今年も天才クラフトワーカーから

クリスマスカードが届いた。

 

今回のは一段と手が込んでいて、

かわいい靴下は本物の手編み。

 

いつも数十通、こんなのを送っているという。

彼女にはお返事として、毎年必ず年賀状を送る。

 

今年は郵便料金が値上がったこともあって、

「年賀状じまい」が加速しているらしい。

まさか、まさかの事態。

年賀状文化の崩壊が始まっている。

 

でも、SNSやLINEを使った年賀の挨拶と

年賀状とは、ずいぶんニュアンスが違う。

 

しばらく会ってない人、

ふだんは頭の中に存在していない人から

いきなりスマホに届く「おめでとう」には

戸惑いや怪訝な感じ(勧誘・商売の伏線?とか・・・)

を覚える。

仕事でデジタルはいいが、

正月の挨拶はやっぱりアナログであってほしい。

 

その点、年賀状だと違和感がない。

ああ、まだ生きてるな、

まだ彼(彼女)と繋がっているんだな、

という安堵感・安心感を覚える。

 

たしかに形式だけのやりとりならいらないと思うが、

SNSで連絡を取り合うほど

密な交流はしたくないけど、

なんとなく自分の人生のどこかにいて欲しい人とは

正月だけでも「おめでとう」と紙面で挨拶したい。

 

というわけで、クリスマスが済んだら、

あっという間にお正月。

これから年賀状書きます。

 

おりべまことの電子書籍

現代を生きる大人に贈る童話

花屋のネコの大いなる任務

 

無料キャペーンは、本日16:59をもって終了しました。ご購入いただいた方、ありがとうございます。よろしければレビューをお寄せください。同書は引き続き、AmazonKindleにて¥500で販売中。年末年始のあなたの心にプレゼント。

 

 


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自分へのクリスマスプレゼント

 

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一人で店を切り盛りする花屋の女主人と、

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さあ、急がニャいと。

自分へのクリスマスプレゼントにどうぞ。

 


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旅のお供はネコですか?

 

をかなえたあとも、

成功を果たしたあとも、

欲しい物をすべて手に入れたあとも、

まだまだ人生は続く。

夢に届かない人も、

失敗して転んだ人も、

何も手に入れられない人も、

まだまだ人生は続く。

あなたがどっちか知らないけど、

いっしょに旅をするおともがいれば、

まだまだ人生続けられる。

 

現代を生きる大人のための童話

花屋のネコの大いなる任務

12月23日(月)16:59まで

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あなたの“ねこ”は、どこにいますか?

 

夢をかなえても、

成功を果たしても、

欲しい物をすべて手に入れても、

むなしかったり、涙が出たりする。

そんなあなたの心を満たす“ねこ”は、

どこにいますか?

 

現代を生きる大人のための童話

花屋のネコの大いなる任務

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12月23日(月)16:59まで

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「花屋のネコの大いなる任務」無料キャンペーン

 

おりべまこと電子書籍最新刊

おとなも楽しい少年少女小説

「花屋のネコの大いなる任務」

本日より6日間無料キャンペーン開催中。

12月23日(月)16:59まで。

 

一人で店を切り盛りする花屋の女主人と、

彼女のために大いなる任務を果たす保護猫の物語。

クリスマスの賢者の贈り物として、

あなたの胸の本棚に1部いかがかニャ?

 

●あらすじ

 

彼女は「お花屋さんになりたい」という

少女時代の夢をかなえた。

今はとある町の小さな花屋の女主人として、

ひとりで店を切り盛りしている。

花に関する豊富な知識、アレンジメントのセンスと技術。

加えて人柄もよく、お店の評判は上々で、

商売はうまいこといっている。

彼女自身も毎日、大好きな花に囲まれて

仕事ができて幸せだ。

 

ところが、明日は母の日という土曜日の朝、

店の外に出て、びっくりした。

そこに置いてあったカーネーションの花が

ネズミに食い荒らされていたのだ。

ショックを受けた彼女は、

今後、二度と店にネズミを寄せつけないよう、

ネコを飼う決心をする。

 

保護猫サイトを探すと、

かわいらしい子猫たちにまじって大人のネコがいた。

人間に保護されるまで1年間、

野良猫として生き延びてきた頼もしそうな奴だ。

しかも彼は、オスの三毛猫というレアものである。

女主人は彼を引き取り、

「ダビ」と名付け、自分に言い聞かせた。

 

「寂しいからじゃない。癒されたいからじゃない。

ネズミよけのためにこのネコを飼うんだ」と。

そして、自分とネコとの関係を明確にするために、

雇用契約を結ぶ。

彼女は仕事の依頼主。

その報酬として彼に食事と寝床を与える。

 

こうして、花屋の女主人と

三毛猫ダビの暮らしが始まった。

 


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花屋のネコの大いなる任務 無量キャンペーン予告2

 

お待ちかね。6日間無料キャンペーン開催します。

12月18日(水)17:00~23日(月)16:59まで。

一人で店を切り盛りする花屋の女主人と、

彼女のために大いなる任務を果たす保護猫の物語。

 

ふと気が付くと、最近、

女性や女の子が主人個の話ばかり書いている。

この齢になると、男でも女でも、

子供でも大人でもジジババでも、

イヌでもネコでもネズミでも、

なんでも自由自在に変身できる。

 


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「花屋のネコの大いなる任務」無料キャンペーン

 

お待ちかね。6日間無料キャンペーン開催します。

12月18日(水)17:00~23日(月)16:59まで。

 

一人で店を切り盛りする花屋の女主人と、

彼女のために大いなる任務を果たす保護猫の物語。

花好き、ネコ好きに贈るクリスマスプレゼント。ぜひ。

 

●あらまし

 

彼女は「お花屋さんになりたい」という

少女時代の夢をかなえた。

今はとある町の小さな花屋の女主人として、

ひとりで店を切り盛りしている。

 

花に関する豊富な知識、

アレンジメントのセンスと技術。

加えて人柄もよく、お店の評判は上々で

、商売はうまいこといっている。

彼女自身も毎日、

大好きな花に囲まれて仕事ができて幸せだ。

 

ところが、明日は母の日という土曜日の朝、

店の外に出て、びっくりした。

そこに置いてあったカーネーションの花が

ネズミに食い荒らされていたのだ。

ショックを受けた彼女は、

今後、二度と店にネズミを寄せつけないよう、

ネコを飼う決心をする。

 

保護猫サイトを探すと、

かわいらしい子猫たちにまじって大人のネコがいた。

人間に保護されるまで1年間、

野良猫として生き延びてきた頼もしそうな奴だ。

しかもオスの三毛猫というレアものである。

 

女主人は彼を引き取り、

「ダビ」と名付け、自分に言い聞かせた。

「寂しいからじゃない。癒されたいからじゃない。

ネズミよけのためにこのネコを飼うんだ」と。

 

そして、自分とネコとの関係を明確にするために、

雇用契約を結ぶ。

彼女は仕事の依頼主。

その報酬として彼に食事と寝床を与える。

こうして、

花屋の女主人と三毛猫ダビの暮らしが始まった。

 


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AIはマンガのロボットみたいな相棒

 

今年はAIが大きく進化した年だった。

僕も去年まではお遊びで触る程度だったが、

今年は夏場、ちょっとヒマだった時期に

セミナーを受けて、

AIを仕事で積極的に使い始めた。

 

新しいテクノロジーを肯定するか比例するかは

その人の自由だが、

これだけ世間でAIについて言及され、

いずれ多くのマンパワーがAIに取って代わられる

といった話を聞いていると、

やはりある程度は知っておかないと駄目だ。

 

ろくに知りもしないで「AIなんか要らない」

と、ただ否定していると、

内心、どんどん不安とストレスが溜まっていく。

これはあまり良くない状態だ。

 

AIを知り、使い方を身に着けるには、

ただ遊んでいるだけでは不十分で、

やはり実際に仕事で使ってみる必要がある。

 

というわけで,いろいろ試して、

AIライティングの概要を

つかんでからは、できるだけ、

どんどん使うようにしている。

 

僕の場合、取材の文字起こし、記事の構成、

リード文の作成、タイトル案の作成などが主な用途だ。

一度完成した原稿をもっとカジュアルに、

若い読者向けに、みたいな指示を与えて

アレンジする場合もある。

小説を書く際に、

対話しながらプロットを書くこともある。

 

自分がどの程度、

使いこなせているのはよくわからないが、

僕はあまりAIの普及を心配していない。

 

やっぱり機械は機械なので、使っていると、

いかにもみたいなビジネス文章の文型、

「成長「発展」「拡大「希望」といった、

やたらポジティブなワードを多発し、

きれいにまとめようとする傾向が強いからだ。

いわば「模範解答」みたいな文章ばかりで面白くない。

 

もちろん、プロンプトで「もっと柔らかい表現で」とか、

「もっと砕けて」とか指示すれば、

代案を出してくるのだが、

何度もやり直しさせるのがめんどくさいので、

結局、自分で書き直すことになる。

 

でも、AIのNG案を見て、

新しいアイデアがひらめくこともあるので、

AIの作業が無駄とか、使う意味ないとは思わない。

ようは付き合い方しだいだ。

 

AIは人間より神様に近いかもしれないが、

日本は多神教の国。

神様はヒューマンタッチで愛嬌があって、

ときどき悩んだり、ズッコケたりしている。

だからアトムやドラえもんみたいなマンガも生まれた。

 

来年以降、AIがどれだけ進化するかはわからないが、

当分の間は、できるだけ、マンガのロボットに見立て、

優秀だけど可愛くて楽しい

仕事の相棒にしていきたいと思っている。

 


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週末の懐メロ180編

 

今年はブログで3年半連載した

「週末の懐メロ」を終えて、6冊の本にまとめた。

第1回「5年間/デビッド・ボウイ」から

最終回「オールウェイズ・リターニング/

ブアイアン・イーノ」まで、

国内外を問わず、自分が好きだった

楽曲・ミュージシャンについて

トータル180のエッセイを書いた。

 

最初は手抜きコンテンツとして始めたのだが、

やっていくうちにどんどん面白くなって、

自分の記憶・当時の時代状況や

音楽雑誌で読んだこと、個人的エピソード、

そして、YouTubeをはじめ、

各種ネット情報などをかけ合わせ、

ネタにした楽曲・ミュージシャンによっては

2千字、3千字におよぶこともしばしばあった。

 

20世紀の頃には知り得かなった

歌詞の詳しい内容、ミュージシャンの来歴、

その楽曲が生まれたエピソードなども

発見・深掘りできて、毎週とても楽しかった。

 

あの頃、心を満たしてくれ、

神秘の世界・感情の世界に誘ってくれ、

普通に生きているだけでは感じられないものを

体験をさせてくれた20世紀の

ロック・ポップカルチャーに感謝の念が尽きない。

 

人間が生きている限り、

音楽がこの世からなくなることはないが、

栄華を極めた音楽産業は、

この先、衰退の一途を辿るだろう。

 

今後はAIが進化して、誰でも簡単に、

いくらでも良い曲がつくれると言われている。

しかし結局、

それらはこの20世紀ロック・ポップカルチャーの

膨大なデータがあるからこそ生まれるものだ。

 

1950年代~90年代の天才たち、

そうでなくても、この時代、

幸運にも音楽の神とコンタクトできた者たちの

感性・知性から生まれた音楽の価値は、

これからも、いささかも下がることはないだろう。

 

アーカイブ文化が発達して、

僕の息子のような若い人たちでも、

僕などよりははるかに

20世紀ロック・ポップカルチャーに

詳しい人たちがいっぱいいる。

そうした人たちの勉強になるようなものではないが、

当時のリスナーの私的な感想・意見を交えた

雑文として読んでもらえたらいいなぁと思っている。

 


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人生の半分はオンラインにある

 

先日、テレビのニュースで

闇バイトに関わってしまった

大学生の母親のインタビューを見た。

 

印象に残ったのは、同じ家で暮らす家族でも、

一人一人、何をしているのか・考えているのか、

どんな人間と付き合っているか、

まったくわからないという点である。

 

そんなこと今に始まったことではなく、

昔からそうではないかという声が

聞こえてきそうだが、

昔と違うのは、今はスマートフォン、

インターネットがあることだ。

 

僕が子どもの頃は、

テレビが「1億総白痴化装置」とディスられていたが、

それでもテレビは、家庭の暖炉の役割を果たしていた。

 

冬は特にそういった印象が強く、

みんなで居間で炬燵に入り、みかんなどを食べながら

テレビを見る時間は、

かけがえのない一家だんらんのひと時だった。

 

令和の時代において、そうした風景は、

ほとんど失われてしまったように思える。

たびたび書いているが、

「サザエさん」も「ちびまる子ちゃん」も、

もはや現実とかけ離れた

昭和ファンタジーの世界になっている。

 

子も親もオンラインの中に潜り込んで、

自分で様々な情報を収集して知識を蓄え、

SNSなど通じて、自分だけのコミュニティを持ち、

個々で楽しめる娯楽や心の拠り所を育てている。

 

同じ家に住んでいても、もはや、

昔の意味での家族ではなく、

個人個人がなりゆきで同棲し、

家をシェアして暮らしているという感じだ。

それぞれの人生の半分は、オンラインにあるのだ。

 

それでも大人はまだいいが、

子どもはどうだろう?

 

件の母親は、いっしょに暮らしている息子が

オンラインのギャンブルにはまり、

依存症になって多額の借金をつくり、

焦って闇バイトに引っ掛かってしまったという経緯に、

まったく気づけなかったという。

父親も同様だ。

 

大学生だから、へたに干渉すべきでない。

ある程度は自己責任で・・・

という親の気持ちはわかる。

ただ、今の子供はかなり高い割合で、

オンラインの世界に脳を乗っ取られていると

思ったほうがいい。

 

「デジタル・ネイティブ」という言葉は、

どちらかというとポジティブな意味合いで

使われることが多かった。

これからの世の中は、ITが発達するので、

そうした仕組みをよく理解し、

使いこなせる人間が活躍する。

僕たちは漠然とそう思っていた

(思わされていたのかもしれない)。

 

実際、街中でスマホに子守をさせ、

自分もスマホを見ている親にしばしば出くわす。

でも、子どもは大人と同じではない。

親(大人)は、リアル体験を重ね、

アナログ時代の情報取得のプロセスを経て、

オンラインと向き合っているので、まだいい。

 

でも、子どもは大人と同じではない。

リアル体験も、アナログ時代のプロセスも乏しい。

大人と違って、小さな子どもの脳には、

魑魅魍魎が混じり合っている情報のカオスに対し、

 

自分を守るシールドがまだ出来ていないのだ。

 

 

文字でも映像でも、情報の弾丸や刃が、

柔らかい肌をブスブスと簡単に突き破って、

むき出しの脳に、心臓に突き刺さってくる。

それらは人間性を著しく歪め、

破壊するほどの威力を持っている。

 

そうしたオンラインの脅威を感じ取ったのか、

先月、オーストラリアでは

未成年のSNS使用を禁止にする法案が通り、

施行されることになった。

 

いま一度、僕たちの人生の、少なくとも半分が

オンラインに移行している現状を考え、

子どもにどうこの装置を使わせればいいのか、

検討することも必要になるだろう。

 

ITが普及しようが、AIが発達しようが、

人間は人間のまま、変わるはずがない。

そう考えていると僕たちは安心できる。

けれども、その安心感が、じつは危険を孕んでいる。

 

テクノロジーの急激な進化によって、

いま、人間は変わり始めている。

あとの時代になって、

あの21世紀の最初の四半世紀の頃が

その変わり目だったのだ・・・

という歴史が生まれるかもしれない。

  


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「クリスマスエクスプレス」におじさんたちは涙ぐむ

 

かつてJR東海に勤めていた、

もと鉄道マンの本を書いている。

彼はまだ民営分割化前の国鉄時代に入社。

39年間勤務して定年退職直前に辞めて

シニア起業家になった。

 

JR時代のアイテムや写真・記事などを

たくさん保存していて、

そのなかにあった牧瀬里穂との2ショット写真を

ちょっと自慢気に見せてくれた。

それは2017年、新幹線のぞみデビュー25周年記念の

イベントで撮ったものだそうだ。

彼は、1992年3月14日の、

のぞみデビュー車の運転士だったのだ。

 

でも、あれ?

あの牧瀬里穂のCM

「クリスマスエクスプレス」は1989年。

東海道新幹線は、

まだ「ひかり」と「こだま」しかなか

った時代だが‥‥。

ま、いいか。みんな喜べば。

たった1分のCMなのに、

いまや牧瀬里穂さんは、新幹線、

JR東海のイメージと分かちがたく結びついている。

これはすごいことだ。

 

そして山下達郎は、けっしてこのCMのために

「クリスマス・イブ」を書いたわけではないのだが、

このCMのおかげで、かの曲は

クリスマスソングの永遠の定番となった。

(初出は1983年。

実は竹内まりやのために書いたらしいが、

彼女が歌わなかったんで、

もったとないと自分で歌ったらしい)

 

その「クリスマスエクスプレス」が

4Kの美しい映像でよみがえり、

YouTubeに上がっている。

1989年の牧瀬里穂バージョンと、

1988年の深津絵里バージョン(実はこっちが初代)。

 

牧瀬と深津があまりにかわいくて

感動的なドラマであると同時に、

ついているコメントが面白い。

 

ループさせてえんえんと見ている人もいる。

夜中に家族に隠れて

こっそり泣いている人もいる。

僕も含め、最近、クリスマスて言ったってなーと、

全然盛り上がらない人は、

これを見て、テンション上げてください。

 


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メディアの声より自分の声を聴け

 

僕たちはメディア、エンタメが

成長してきた時代とともに生きてきた。

だから、一度も会ったことがなくても

親しみを感じたり、寄り添ったり、

自分を重ね合わせる対象が大勢いる。

 

芸情人、アーティスト、文化人、スポーツ選手。

そのほか、本・舞台・ラジオ・映画・テレビ・ネットの

世界のあの人たち。

 

彼ら・彼女らの存在や活動、発言を

心のよりどころにしている部分もたくさんある。

多くの人、特に40代~60代の人たちにとって、

中山美穂さんはその代表的な一人だろう。

 

まだ54歳。

人生100年時代ではまだ十分に若い。

あまりに当然の死にショックを受けている人は

少なくない。

 

思えば今年も20世紀カルチャーをつくった、

たくさんの有名人が亡くなった。

トシだから仕方ないかと思える人もいれば、

まさか、あの人が…という人もいる。

20世紀カルチャーは終焉し、

僕らはこれから膨大なアーカイブのなかで

心を癒しながら生きることになるのかもしれない。

と思うことがしばしばある。

あなたはどうだろうか?

 

終わりは急にやってくる。

人生100年という言葉・イメージは、

希望の糧であるとともに、

大きな負担・不安のタネでもある。

100年、100年と言われている間に

「ライフプラン」という体のいい言葉を考えすぎ、

老後の不安ばかり膨らませ、

老後に備えることできゅうきゅうしながら

漫然と生きることになる。

 

自分は本当はいくつまで生きるのか?

60か70か? 90か100か?

もちろん、それを知るすべはない。

 

でも、「今」に集中して、

自分を活かして毎日を生きていれば、

どこかで事前にそれを知らせる声が

脳の奥から訪れるのではないかとも思う。

おまえは十分にやったと。

物語のような妄想だけど、

心の支え・励みにはなる。

生と死は表裏一体。

どう生きるのか?

どう死ぬのか?

メディアの声より自分の声を聴け。

 


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秋の最後の日の散歩

明日から寒くなるそうなので、

今日は今年の秋の最後の日かも、

と思って、午後から義母を連れて

近所の公園を散歩する。

遠くに行かなくても紅葉をたっぷり楽しめる。

 

なかなか色づかなかったイチョウが

12月になってどんどん黄色くなり、

見事なゴールデンイエローに。

ほんの少しの風で落葉が雪のように舞って、

切なくも美しい。

 

「ほらほら、空からまたくるくる降ってくるよ」

と、高い木の枝から回転しながら降りて来る落葉を見て、

義母に促すのだが、どうも反応が鈍い。

 

認知症にも関わらずというか、だからこそなのか、

この人はときどき、路傍の小さな花を見つけたりして、

小さな子どものような感性の鋭さを見せることがあるが、

紅葉・落葉に関しては全然気をそそられないようで、

僕がどれだけ「ほら見て見て」言っても、

ほとんどゴミ扱いである。

 

そのくせ、そのへんに落ちている

お菓子の空き袋、ポケットティッシュ、

子どもが落としていったおもちゃやアクセサリーなどは

目ざとく見つけてガメようとする。

せっかく秋を楽しみに来たのに・・・。

と文句を言っても始まらない。

 

しかし、今日は暖かく、お天気も良く、

気分も体調もよかったようで、

なかなか帰りたがらず、2時間近くも歩いた。

こんなによく歩いたのは久しぶりだ。

 

ちなみにネコのいる花屋さんでは、

秋の花が終わったらクリスマスや正月を挟んで、

もう春の花。

暖かい部屋で春を楽しんでほしいのだそうだニャ。

 


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おりべまこと最新刊 「花屋のネコの大いなる任務」 本日発売開始

 

彼女は「お花屋さんになりたい」という

少女時代の夢をかなえた。

今はとある町の小さな花屋の女主人として、

ひとりで店を切り盛りしている。

 

花に関する豊富な知識、

アレンジメントのセンスと技術。

加えて人柄もよく、お店の評判は上々で、

商売はうまいこといっている。

彼女自身も毎日、

大好きな花に囲まれて仕事ができて幸せだ。

 

ところが、明日は母の日という土曜日の朝、

店の外に出て、びっくりした。

そこに置いてあったカーネーションの花が

ネズミに食い荒らされていたのだ。

ショックを受けた彼女は、

今後、二度と店にネズミを寄せつけないよう、

ネコを飼う決心をする。

 

保護猫サイトを探すと、

かわいらしい子猫たちにまじって大人のネコがいた。

人間に保護されるまで1年間、

野良猫として生き延びてきた頼もしそうな奴だ。

しかも彼は、オスの三毛猫というレアものである。

女主人は彼を引き取り、

「ダビ」と名付け、自分に言い聞かせた。

「寂しいからじゃない。癒されたいからじゃない。

ネズミよけのためにこのネコを飼うんだ」と。

そして、自分とネコとの関係を明確にするために、

雇用契約を結ぶ。

 

彼女は仕事の依頼主。

その報酬として彼に食事と寝床を与える。

こうして花屋の女主人と三毛猫ダビの

暮らしが始まった・・・。

 

花好き・ネコ好きに贈る、

楽しいなかにもピリリとスパイスの効いた中編小説。34,000字。AmazonKindleより¥500で発売中。

 


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なぜ女はいくつになっても踊るのか?

 

踊りに性別は関係ない。

誰でも踊っていいんだけど、

男はある年齢を過ぎると、踊らなくなる。

(人それぞれなので、あくまで一般論だけど)

 

ところが、女はいくつになっても踊る。

年齢は関係ない。

というのは、昨日、女性の友だちが

ダンス公演に出るからとお誘いを受けたので、

割と近所なので、自転車を飛ばして観に行ってきた。

 

場所は甲州街道沿い。

下高井戸と桜上水の間あたりにある

「G-ROCKS」という音楽スタジオである。

こんなところにこんな施設があるとは知らなかった。

 

ダンスというのはアフリカンダンス。

西アフリカにあるマリの民俗舞踊である。

(公演用にいろいろアレンジしているらしい)

 

アフリカンダンスはエネルギッシュで好きだが、

正直、マリもガーナもケニアもナイジェリアも

区別がつかない。

 

かつては他のアフリカ諸国同様、

フランスの植民地だったが、1960年に独立。

「マリ」とは国語である

バンバラ語で「カバ」という意味で、

首都バマコにはカバの銅像があるという。

 

どういう経緯で、かの国の音楽家・踊り手たちが

日本にやって来て根付き、

文化の伝達者になったのかは定かでないが、

世界的なワールドミュージックの広がりと

関係があるのかもしれない。

 

英米のロックミュージシャンたちの多くが

1980年代頃から、アフリカの音楽に魅せられ、

積極的に自分たちの楽曲にも取り入れるようになった。

 

こうした音楽ビジネスの隆盛によって、

アフリカンリズムやアフリカンダンスが

日本にも紹介されるようになり、愛好家も増えたようだ。

 

今では各国の音楽や文化を教える教室が

都内のあちこち(おそらく他の地域にも)あるらしく、

友だちが通っているのも、そうした教室の一つらしい。

 

なぜ、ガーナでもケニアでもナイジェリアでもなく、

カバのマリだったのかはわからないが、

これも「ご縁」というのものかもしれない。

 

司会役でもあり、歌も歌うダンスの先生は

マリ人(?)のお姉ちゃんで年齢不詳。

その生徒さんたちは、わが友をはじめ、

大半が高齢の女性。

たぶん浴衣を着て盆踊りをしていたら、

近所のおばちゃん・ばあさんといったところだが、

デザインされた民族衣装をまとって、

激しく体を動かすマリダンスをやっていると、

なんだかアフリカの民話に出てくる精霊の類に見える。

 

みんな、実に楽しそうに踊る。

その顔を見ていて何に似ているのかと考えていたが、

今日、近所の公園を散歩していて、

夢中になって遊んでいる女の子たちに遭遇し、

そうだ、こんな弾けるような笑顔に

似ているのだと思い至った。

 

ここで踊ることになるまで、

皆さんがどういう人生を歩んできたのかは

僕には知る由もないが、

せっかくここまで生き延びたのだから、

思い切り楽しんでしまおうという気概が感じられた。

 

失礼な言い方かもしれないが、

妻なり、母なり、愛人なりの務めを終えて、

もうセクシーであり続ける必要はないという意識が、

彼女らを良い方向へ解放している面もあると思う。

遊ぶ子供と踊る高齢女性の共通項は、

セクシーでいなくちゃという女の義務感と

社会人としての責任から自由なことだ。

 

もちろん、いくら齢をとっても

社会人であり続けているわけだが、

男がいくつになっても、

長年身に着けてきたプライドや役割から

逃れられないのに比べて、

最近は、女の方が第3・第4の人生を

楽しめる傾向が強くなっていると思う。

 

上手いか下手かなんて、どうでもよくて、

見ている側がちょっと笑っちゃえるくらいでいい。

死ぬまで笑って踊って、

かつまた、それで人を笑わせられたら、

それが最高である。

 


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新刊「花屋のネコの大いなる任務」

 

おりべまこと電子書籍新刊
「花屋のネコの大いなる任務」
花屋の主人はネコと雇用契約を結んだ。
保護猫だった彼に課された仕事とは?
少女時代からの夢を叶えた花屋の女と
フリーランスの三毛猫ダビの物語。
中編小説3万4千字。
12月1日(日)AmazonKindleより発売予定。
どうぞお楽しみに。

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「海の沈黙」:心の主食になる映画

 

久しぶりに映画館で、

倉本聰・作の映画「海の沈黙」を観る。

すごくよかった。

久しぶりにずしっと腹に応える映画を味わったなぁという感じ。

派手でわかりやすくておいしいけど、

あまり栄養になりそうにもない、

おやつみたいな映画が多い中、

これこそ主食となる、心の栄養になる映画。

 

「生き残り」と言ったら失礼かもしれないけど、

倉本聰さんは日本のテレビドラマ黄金期、

そして衰退傾向だったとはいえ、

まだまだ映画が娯楽の王座にいた時代を支えた

作り手の「生き残り」だ。

(こんな言い方は失礼だと思うけど)

 

今年で齢89歳。うちの義母と同い年。

改めて履歴を見ると、

なんと、僕が生まれる前、1958年から

ドラマ作りのキャリアをスタートさせている。

 

この20年ほどの間に

同じ脚本家の山田太一・市川森一をはじめ、

同時代に活躍した作家や監督や俳優が

次々とこの世を去っていったが、

倉本聰さんは依然健在で、

「どうしても書いておきたかった」と、

60年温めてきた構想を実現した。

 

キャリアが長けりゃいい作品が書けるわけじゃない。

ものを書くには気力も体力もなくてはできない。

体内のエネルギー量がどれだけあるかの問題なのだ。

こんな気力溢れる作品を書く力が残っているなんで、

驚きと尊敬の何物でもない。

 

セリフの一つ一つ、シーンの一つ一つが重く、深く、

濃厚な内容は、昭和の香りがプンプン。

サスペンスの要素もあり、画面には2時間の間、

緊張感がみなぎって面白いので、

若い人にも見てほしいが、やっぱりこういうのは

ウケないんだろうなとも思う。

 

かくいう僕も、20代・30代の頃に

こういう映画を見て傑作と思えたかどうかは怪しい。

やっぱり齢を取らないとわからないこと、

味わえないものがあるのだ。

 

出演陣も素晴らしい。

なかでも中井貴一は飛び抜けてシブい。

それに比べて、主演の本木雅弘は

いま一つ軽いかなぁという感じ。

 

これまで小泉今日子をいいと思ったことは一度もなく、

倉本作品に合うのかなと思ったが、最高だった。

 

もと「なってたってアイドル」なので、

この類の人は、何かにつけて「経年劣化」を揶揄される。

けれども最近、不自然な修正画像やアニメ顔、

整形美女の不気味な顔を見過ぎているせいだろうか、

たびたびアップになる、しわの寄った顔が、

リアルでナチュラルで美しい。

そう思ったのは、やっぱり自分も齢を取ったからだろう。

 

カミさんと朝イチ(といっても11時半)の回に行ったが、

僕たちを含めて、観客はシニア割の人たちばかり。

やっぱり昭和の作り手、昭和の観客の世界だ。

間もなくこうした世界はむかし話になるだろう。

でも僕は、リアルで深遠な昔ばなしを

大事にしていきたい。

 


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本日も生存しているが、 「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか」

 

神妙な顔で「人生とは・・・」とうなっている人も、

ひたすら働いて、仕事と貯金と投資に明け暮れている人も、

ただ毎日むなしい思いで時間を浪費している人も、

ぜひ、この本を読んでみてください。

 

たぶん元気になる。

ちょっとは心が楽になる。

サブカルチャーの担い手・みうらじゅんと

とぼけた才人・リリーフランキーの

抱腹絶倒の対談集(っつーか、飲み会の雑談のノリ)。

内容はまさしくこのタイトル通り、

ワハハとあきらめて人生を語り倒す。

 

さて、今年もあと1か月ちょっとだけど、

時間がないない。

10~20代の1年は、40代だと半年、50代で4カ月、

60代になるとせいぜい2カ月。

いや、1か月半かな?

ほんとだよ。

あと20年ある、30年ある、

50年あるなんて考えない方がいい。

そんな時間はありません。

「人生100年」なんて言葉に騙されず、

あなたの短い人生を大切に。

 

 


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ほらほら、斎藤さんが知事に復帰できたのってアタシのお手柄じゃないですかぁ

 

兵庫県の知事選で当選した

斎藤元彦氏の公職選挙法違反疑惑の件。

これは斎藤氏がどうこうではなく、

広報戦略を作ったという

PR会社の女性社長がナゾナゾ。

 

「ほらほら、アタシがやったんですよ。

皆さん、知ってましたぁ?

あの人が復帰できたのって、

やっぱ、アタシのお手柄じゃないですかぁ」

 

斎藤氏の大逆転復帰劇で

舞い上がってしまったのだろうか?

自慢したい気持ちはわかる。

ビジネス拡大の大チャンス!って気持ちもわかる。

けど、SNSに自分の手柄を書いて、

見せびらかすって、ちょっとあり得ないゾ。

 

クライアントに対する守秘義務厳守って、

広報の仕事の基本中の基本だゾ。

それを社長自ら破ってどうする?

 

最近はやりのマウント大好きキラキラ女子なのか?

僕の周りには優秀な女性が多いけど、

こういう人がいるから、

「やっぱり女は・・・」なんて言われちゃう。

もっとちゃんと仕事しようよ。

 


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